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舞踏会
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――翌日。
日の出と同時に、ルーカスは目覚めた。
まだ誰も目覚めぬ、静まり返った宿屋の一室で、ルーカスは着替えを済ませると、そっと部屋を出た。
朝露が上がり切る前の、ひんやりとした空気が心地好い。
靄の残る街道は、ひっそりとして、昼間の活気が嘘のようだった。
ルーカスは、朝陽に向かって深呼吸を一つした。
昨日の興奮が、まだ心のどこかに残っている。
オリヴィエの、思わぬ態度は、ルーカスの気持ちを乱した。
寝しなの挨拶を交わした時。
ふとした出来心で、偽りの名を口にした。
微笑みかけると、ハッと目を見開いて、すぐに顔を真っ赤にした。
潤んだ瞳で、挨拶を返してくれた。
その瞬間、うっかり抱きしめたくなる衝動を、抑えるのに苦心した。
オリヴィエの態度が素直で、可愛らしくて、思わず頬が緩んだ。
あんなに動揺するとは思わなかった。
あの反応は、ルーカスへ向けられたものだろうか。
それとも、ルーカスの扮するレヴァンシエルに対するものだろうか。
レヴァンシェルの立場なら、抱きしめてしまっても問題にならなかったろうか。
宿の裏手に回り、露の残る草の上を、さく、さく、と音を立てて歩く。
露は革靴にいくつもの筋を作るが、染み入るほどではない。
屈んでひと房、蕾の膨らんだ雑草を引っこ抜いた。
薄紫や、白、薄緑の花弁が美しい花だ。
まだ、朝露に濡れて瑞々しい。
「もうすぐ花は開くのか」
ルーカスは、花に向かって無邪気に微笑んだ。
(オリヴィエの花だ)
この花を見た時に、思ったものだ。
白銀の髪や、翡翠の瞳を持つ彼女のようだと。
(……俺はやはり、あの子を想い切れないのだろうな)
忘れようとしても、できない。
本当はここ数年で、嫌というほど思い知っていた。
もしオリヴィエを妻にするのなら、覚悟が必要だ。
幸せにすべく全力を尽くす覚悟と、万一の時には彼女を傷付ける覚悟。
(想い切れないなら、今が、その時だ。セルゲイの言う通り……)
手に持った茎をくるり、と回す。
この花を、オリヴィエの眠る部屋の前に置いておこうか。
ふと、思いついて、ルーカスは苦笑した。
「……団長」
急に、声をかけられて内心驚く。
草むらから、見慣れた人影が現われた。ルーカスは、平然と返事をした。
「早いな」
現れたのはセルゲイだった。
どっ、どっ、と激しい鼓動と、手に持った花を背中に隠す。
「いや、隠せてないです。……いい年をして、乙女ですか」
「仰せの通り、いい年の男だ。乙女に見えるか」
見られてしまったものは仕方ない。
ルーカスは照れ隠しに、ふんと鼻を鳴らした。
掌を開いて、後ろ手に隠した花を叢に落とす。
「勿体ない。何も捨てなくても」
「お前、いつからいたんだ」
恥ずかしい話題は、なかったことにするに限る。
「団長が部屋を出られたあたりで目が覚めました。ですからさほど時間差はないかと」
しれっと、セルゲイは答えた。
(つまり、大体最初からバレてるじゃないか……!)
見せたくなかった姿を晒していたと今更わかって、ルーカスは一瞬眩暈を感じた。
やはりどこか平静さを欠いているらしい。
日の出と同時に、ルーカスは目覚めた。
まだ誰も目覚めぬ、静まり返った宿屋の一室で、ルーカスは着替えを済ませると、そっと部屋を出た。
朝露が上がり切る前の、ひんやりとした空気が心地好い。
靄の残る街道は、ひっそりとして、昼間の活気が嘘のようだった。
ルーカスは、朝陽に向かって深呼吸を一つした。
昨日の興奮が、まだ心のどこかに残っている。
オリヴィエの、思わぬ態度は、ルーカスの気持ちを乱した。
寝しなの挨拶を交わした時。
ふとした出来心で、偽りの名を口にした。
微笑みかけると、ハッと目を見開いて、すぐに顔を真っ赤にした。
潤んだ瞳で、挨拶を返してくれた。
その瞬間、うっかり抱きしめたくなる衝動を、抑えるのに苦心した。
オリヴィエの態度が素直で、可愛らしくて、思わず頬が緩んだ。
あんなに動揺するとは思わなかった。
あの反応は、ルーカスへ向けられたものだろうか。
それとも、ルーカスの扮するレヴァンシエルに対するものだろうか。
レヴァンシェルの立場なら、抱きしめてしまっても問題にならなかったろうか。
宿の裏手に回り、露の残る草の上を、さく、さく、と音を立てて歩く。
露は革靴にいくつもの筋を作るが、染み入るほどではない。
屈んでひと房、蕾の膨らんだ雑草を引っこ抜いた。
薄紫や、白、薄緑の花弁が美しい花だ。
まだ、朝露に濡れて瑞々しい。
「もうすぐ花は開くのか」
ルーカスは、花に向かって無邪気に微笑んだ。
(オリヴィエの花だ)
この花を見た時に、思ったものだ。
白銀の髪や、翡翠の瞳を持つ彼女のようだと。
(……俺はやはり、あの子を想い切れないのだろうな)
忘れようとしても、できない。
本当はここ数年で、嫌というほど思い知っていた。
もしオリヴィエを妻にするのなら、覚悟が必要だ。
幸せにすべく全力を尽くす覚悟と、万一の時には彼女を傷付ける覚悟。
(想い切れないなら、今が、その時だ。セルゲイの言う通り……)
手に持った茎をくるり、と回す。
この花を、オリヴィエの眠る部屋の前に置いておこうか。
ふと、思いついて、ルーカスは苦笑した。
「……団長」
急に、声をかけられて内心驚く。
草むらから、見慣れた人影が現われた。ルーカスは、平然と返事をした。
「早いな」
現れたのはセルゲイだった。
どっ、どっ、と激しい鼓動と、手に持った花を背中に隠す。
「いや、隠せてないです。……いい年をして、乙女ですか」
「仰せの通り、いい年の男だ。乙女に見えるか」
見られてしまったものは仕方ない。
ルーカスは照れ隠しに、ふんと鼻を鳴らした。
掌を開いて、後ろ手に隠した花を叢に落とす。
「勿体ない。何も捨てなくても」
「お前、いつからいたんだ」
恥ずかしい話題は、なかったことにするに限る。
「団長が部屋を出られたあたりで目が覚めました。ですからさほど時間差はないかと」
しれっと、セルゲイは答えた。
(つまり、大体最初からバレてるじゃないか……!)
見せたくなかった姿を晒していたと今更わかって、ルーカスは一瞬眩暈を感じた。
やはりどこか平静さを欠いているらしい。
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