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若旦那の求婚

4話

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 あとちょっとだと思っていたのに、手拭は手に当たらない。

 何とか取り戻したいと、あてもなく潜り続けた。

 しかし、昼間と違って夜の川底は真の闇だ。何も見えない。

 だが、唐突に水の底が揺らめいた気がした。

 同時に太腿に人の手が触れて、惣一郎が追って来たとわかる。

 悠耶の着物を引いて、上に上がれと指示を出す。

 水底で動くものを見せたくて、悠耶は振り返った。

 すると、水中にはっきりと惣一郎の姿が浮かび上がっていた。

 真っ黒なはずなのに、どうして惣一郎の姿が見えるのか。

 銀色の巨大な揺らめきが、惣一郎の後ろに、移動していたからだ。

 陸上から受けた僅かな灯りを体に浴びて、撥ね返す。

 きらきら光る銀色の魚が、そこにいた。

 魚はゆっくり、二人の周りを円く、泳ぐ。

 魚の描く円は徐々に幅を狭めて行った。

 円がどんどん小さくなり、自然と悠耶と惣一郎はくっついた。

 抱き合う格好になって、二人は魚の作った浮く力に流されながら水面に向かって上がって行く。

 間もなく水面というところまで来て、強い力に掬い上げられた。

「ぶはあっ」

 驚きで一時、息苦しさを忘れていた。

 だが、地上に顔を出した二人は、揃って大きく呼吸した。

 消費し尽くした息を肺に取り込む。

 悠耶と惣一郎が沈まぬように、〝それ〟は二人の腰元を支えながら、留まってくれていた。

「助けてくれたの?  ありがとう!  お前さんは川の主かい?」

 魚は、乗っていた屋根船一艘分はあろうかという大きさだ。

「おいらたちは手拭を落としてしまったんだけど、見つけられないもんかなあ?」

 悠耶が話しかけても魚は返事をしなかった。

 大川には沢山の船が出ているから、騒ぎになるのを嫌ったのかもしれない。

 けれど見物客は、とっくに再開している花火に夢中だ。

 今、浮いている場所も、先ほど花火見物をしていた橋の たもとからは、だいぶ離れている。

 泳ぎながら流されたから、近場に浮いている船もない。

 まして水の中なんて、誰も気にしないのになあ――と思いながら悠耶は魚の背を撫でた。

 水面にすれすれまで近づいた姿を見ると、鱗は厚く一枚一枚が大きい。姿は鯉に似ている。

「すまねえ、お悠耶。明日、明るくなったら、もう一度、探すから……」

 惣一郎は水面に戻って来たのに、悠耶を放さなかった。両腕を包んで抱かれている。

 だから、見上げると、とても近くに惣一郎の顔がある。

 惣一郎の顔が近くにあるのは嫌じゃないな。

 浅草での出来事を思い出して悠耶は思った。

 そうか、惣一郎は悠耶を好きだと言っていた。

 だから身近に寄れば、抱き締めるのかもしれない。

 やっぱり、惣一郎は嫌じゃないな。悠耶はじっと惣一郎を観察した。
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