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悪戯犯
9話
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「豆腐小僧にも嫌な思いさせちゃったよな。ごめん、おいらが悪かったよ」
納豆小僧は豆腐小僧へ振り向いて、素直に詫びた。
豆腐小僧は、相変わらずの無害そうな舌出しの表情のまま、小さく頷いた。
「よかった。女将さん、ここに納豆の妖怪がいるんだけど、もう悪戯しないって言ってる」
「俄かに信じられないが、そこに、いるんだね?」
「うん。ごめんって謝ってるから、許してあげて」
妖怪が見えない人間が、見えない妖怪の話を信じてくれる例のほうが珍しい。
だから誰も信じてくれなくても、妖怪の悪戯を止めれば、悠耶の任務は完了だった。
けれど、女将さんは、信じようとしてくれている。
「思い出したよ。うちの人が納豆を臭いって言っていたのを。でも、嫌いじゃないんだよ。いつでも、ちゃんと残さず食べているよ」
見えていないから、おかみさんの目は多少、見当違いの場所をさまよっていた。
だが、納豆小僧には、しっかり言葉が届いたようだ。
「……そうだったな。やっぱり、おいらが悪いよね。ごめんなさい……」
納豆小僧は呟いて、小さく頭を下げた。
再び頭を上げないまま、姿は見えなくなった。
「行っちまったのか?」
惣一郎はどことなく胸を撫で下ろした風情だった。かなり頑張ってくれた。
「わからない。見えないだけで、いるかもね」
妖怪は、見えなければいない、とは限らない。
気になって豆腐小僧に目をやれば、こちらも、さり気なく姿を消していた。
「女将さん、信じてくれて、ありがとう。もう大丈夫だよ。納豆小僧は反省していたみたいだよ」
「なんだか狐につままれている気分だよ。目に見えなくてもいるんだから、滅多なことは言えないねえ。豆腐にも納豆にも妖怪が本当にいるなんて」
「違いねえ。俺は見えてもまだ信じられねえや」
惣一郎は頭に被っていた手拭を外して、手を拭った。
やっぱり、ねばねばを気にしていた。
我慢していたんだとわかって、悠耶は笑った。
「あっちに井戸があるから、洗えばいいよ。ねばねばは、口に入るからいいんだ。洗っても誰も怒らないよ」
悠耶が笑うと、釣られて笑顔になった女将さんが惣一郎を井戸へ案内してくれた。
悠耶の身体にも至る所に、惣一郎以上にねばねばと土がこびりついている。
あまり気になってもいないのだが、惣一郎が洗うのならついでに自分も洗おうとついて行く。
すると、すべての成り行きを静観していた深如が、草履を差し出しながら悠耶に尋ねた。
「お悠耶、惣一郎殿はいつ頃から妖怪が見えているのです?」
「うんと、この間の今日だから……九日、十日くらい前かな? なんで? 深如も見たかった?」
「当然です。拙僧は口惜しくてなりませんよ。お悠耶と会ったのは拙僧のほうがうんと先ですのに、何の力にもなれなくて」
「気にすることはないのに。おいらは深如が信じてくれているだけでありがたいよ」
深如はもう少し、何かを訴えたい素振りを見せた。
しかし代わりに、極上の微笑みを浮かべて、打ち消した。
深如の微笑はいつでも、どこか奥深くて美しい。
けれど今日の横顔は記憶にある限りの中でもいっとう美しかった。
今までで一番寂しげで、強い何かを孕んでいた。
納豆小僧は豆腐小僧へ振り向いて、素直に詫びた。
豆腐小僧は、相変わらずの無害そうな舌出しの表情のまま、小さく頷いた。
「よかった。女将さん、ここに納豆の妖怪がいるんだけど、もう悪戯しないって言ってる」
「俄かに信じられないが、そこに、いるんだね?」
「うん。ごめんって謝ってるから、許してあげて」
妖怪が見えない人間が、見えない妖怪の話を信じてくれる例のほうが珍しい。
だから誰も信じてくれなくても、妖怪の悪戯を止めれば、悠耶の任務は完了だった。
けれど、女将さんは、信じようとしてくれている。
「思い出したよ。うちの人が納豆を臭いって言っていたのを。でも、嫌いじゃないんだよ。いつでも、ちゃんと残さず食べているよ」
見えていないから、おかみさんの目は多少、見当違いの場所をさまよっていた。
だが、納豆小僧には、しっかり言葉が届いたようだ。
「……そうだったな。やっぱり、おいらが悪いよね。ごめんなさい……」
納豆小僧は呟いて、小さく頭を下げた。
再び頭を上げないまま、姿は見えなくなった。
「行っちまったのか?」
惣一郎はどことなく胸を撫で下ろした風情だった。かなり頑張ってくれた。
「わからない。見えないだけで、いるかもね」
妖怪は、見えなければいない、とは限らない。
気になって豆腐小僧に目をやれば、こちらも、さり気なく姿を消していた。
「女将さん、信じてくれて、ありがとう。もう大丈夫だよ。納豆小僧は反省していたみたいだよ」
「なんだか狐につままれている気分だよ。目に見えなくてもいるんだから、滅多なことは言えないねえ。豆腐にも納豆にも妖怪が本当にいるなんて」
「違いねえ。俺は見えてもまだ信じられねえや」
惣一郎は頭に被っていた手拭を外して、手を拭った。
やっぱり、ねばねばを気にしていた。
我慢していたんだとわかって、悠耶は笑った。
「あっちに井戸があるから、洗えばいいよ。ねばねばは、口に入るからいいんだ。洗っても誰も怒らないよ」
悠耶が笑うと、釣られて笑顔になった女将さんが惣一郎を井戸へ案内してくれた。
悠耶の身体にも至る所に、惣一郎以上にねばねばと土がこびりついている。
あまり気になってもいないのだが、惣一郎が洗うのならついでに自分も洗おうとついて行く。
すると、すべての成り行きを静観していた深如が、草履を差し出しながら悠耶に尋ねた。
「お悠耶、惣一郎殿はいつ頃から妖怪が見えているのです?」
「うんと、この間の今日だから……九日、十日くらい前かな? なんで? 深如も見たかった?」
「当然です。拙僧は口惜しくてなりませんよ。お悠耶と会ったのは拙僧のほうがうんと先ですのに、何の力にもなれなくて」
「気にすることはないのに。おいらは深如が信じてくれているだけでありがたいよ」
深如はもう少し、何かを訴えたい素振りを見せた。
しかし代わりに、極上の微笑みを浮かべて、打ち消した。
深如の微笑はいつでも、どこか奥深くて美しい。
けれど今日の横顔は記憶にある限りの中でもいっとう美しかった。
今までで一番寂しげで、強い何かを孕んでいた。
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