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浅草の恋敵
8話
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ただ出かけるのではない、複数人で出かけようとしている情態が一目でわかる。
浅草までほど遠くないとは言え、近頃は毎日、暑くて、喉が渇く。
つい悠耶の分まで用意した気配りが仇となった。
「わかっているのに声を掛けるなんて、寛太にしては、珍しいな。そんな訳だから……。頼まれてたもんは昨日のうちに届けて来てある。聞かれたら問題ねえと伝えてくれ」
見つかってしまったのは不運だ。とはいえ、もう隠れる必要もなくなった。
できるだけ菊に会うのは避けたい。だが、寛太に聞けば容易い。
「おっ母さんは、どこにいる?」
「女将さんは、中の間で、お約束のお客様の着物を支度しています」
「そうか。じゃあ、ちょいと行ってくるよ」
「お待ちください、若旦那。……伺いたい件が」
庭を外側から回って出て行こうとすると、更に寛太が呼び止める。
不断なら、惣一郎の自分の勝手な外出を見て見ぬ振りをしてくれるのに。
寛太にしては珍しく、しつこい。
「今晩は三河屋の花火が上がります。船を出す予定ですが、どなたか、お連れになりますか? その、特に、今日お会いになる方などは……?」
大川の川開きが行われると、地域の大名家や豪商は競って花火を打ち上げる。
三河屋も、両国橋界隈に軒を連ねる大店として、豪勢にとはいかないが、毎年、出捐していた。
船を借り切って夕涼みをするのが年に一度の楽しみである。
今年は色々ありすぎて、すっかり失念していた。
寛太は尋ねている癖に、随分と歯切れの悪い言いようだ。
……十中八九、菊に言わされている。
惣一郎は数瞬だけ思案した。
「連れて行かねえ。だが、別に屋根船を一艘、押さえておいてくれ」
「すると、若旦那は店の船には、お乗りにならないので?」
「間に合わねえかもしれねえし。だから、刻限になったら皆で行ってておくれよ。おっ母さんが文句を言ったなら、決して悪い話じゃねえから安心してくれと伝えて。それで納得するだろうから」
「では、まさか若旦那は二人きりで……!」
勘の良い菊ならばそれで真意は伝わるだろう、との目算だった。
だが、寛太まで目の色を変え始めた。
なので、覚悟を決めたはずなのに惣一郎は目を逸らした。
「そういうこったから、頼んだよ」
そのまま顔を見ず、足早に庭へ回った。
恥ずかしい。今日これから合う相手――悠耶を舟遊びに誘うからと言って、早計は、しないで欲しい。
男相手の恋は遊びばっかりだった。
いいなと思えば声を掛けて、浮ついて、誘いに応じてくれれば喜んで可愛がった。
とても楽しく、けれどどの関係もどこかさっぱりしていた。
悠耶を口説くなら、今までとは大分違う。
可愛いし、独り占めしたい気持ちは山ほどあるが、女を相手に気持ちを告げる覚悟が、自分にあるだろうか。
そもそも悠耶には好きな男がいる。
でも、思い立ったが吉日で、時機を見るにも時もない。
自分は、まだ深如に並んですらいない。
悠耶を今日、花火に誘おう。全てはそれからだ。
自分の心ノ臓が動悸を早めるのに合わせて、足の運びも早まっていった。
大徳院の門前を過ぎる頃には、惣一郎はすっかり駆け出していた。
浅草までほど遠くないとは言え、近頃は毎日、暑くて、喉が渇く。
つい悠耶の分まで用意した気配りが仇となった。
「わかっているのに声を掛けるなんて、寛太にしては、珍しいな。そんな訳だから……。頼まれてたもんは昨日のうちに届けて来てある。聞かれたら問題ねえと伝えてくれ」
見つかってしまったのは不運だ。とはいえ、もう隠れる必要もなくなった。
できるだけ菊に会うのは避けたい。だが、寛太に聞けば容易い。
「おっ母さんは、どこにいる?」
「女将さんは、中の間で、お約束のお客様の着物を支度しています」
「そうか。じゃあ、ちょいと行ってくるよ」
「お待ちください、若旦那。……伺いたい件が」
庭を外側から回って出て行こうとすると、更に寛太が呼び止める。
不断なら、惣一郎の自分の勝手な外出を見て見ぬ振りをしてくれるのに。
寛太にしては珍しく、しつこい。
「今晩は三河屋の花火が上がります。船を出す予定ですが、どなたか、お連れになりますか? その、特に、今日お会いになる方などは……?」
大川の川開きが行われると、地域の大名家や豪商は競って花火を打ち上げる。
三河屋も、両国橋界隈に軒を連ねる大店として、豪勢にとはいかないが、毎年、出捐していた。
船を借り切って夕涼みをするのが年に一度の楽しみである。
今年は色々ありすぎて、すっかり失念していた。
寛太は尋ねている癖に、随分と歯切れの悪い言いようだ。
……十中八九、菊に言わされている。
惣一郎は数瞬だけ思案した。
「連れて行かねえ。だが、別に屋根船を一艘、押さえておいてくれ」
「すると、若旦那は店の船には、お乗りにならないので?」
「間に合わねえかもしれねえし。だから、刻限になったら皆で行ってておくれよ。おっ母さんが文句を言ったなら、決して悪い話じゃねえから安心してくれと伝えて。それで納得するだろうから」
「では、まさか若旦那は二人きりで……!」
勘の良い菊ならばそれで真意は伝わるだろう、との目算だった。
だが、寛太まで目の色を変え始めた。
なので、覚悟を決めたはずなのに惣一郎は目を逸らした。
「そういうこったから、頼んだよ」
そのまま顔を見ず、足早に庭へ回った。
恥ずかしい。今日これから合う相手――悠耶を舟遊びに誘うからと言って、早計は、しないで欲しい。
男相手の恋は遊びばっかりだった。
いいなと思えば声を掛けて、浮ついて、誘いに応じてくれれば喜んで可愛がった。
とても楽しく、けれどどの関係もどこかさっぱりしていた。
悠耶を口説くなら、今までとは大分違う。
可愛いし、独り占めしたい気持ちは山ほどあるが、女を相手に気持ちを告げる覚悟が、自分にあるだろうか。
そもそも悠耶には好きな男がいる。
でも、思い立ったが吉日で、時機を見るにも時もない。
自分は、まだ深如に並んですらいない。
悠耶を今日、花火に誘おう。全てはそれからだ。
自分の心ノ臓が動悸を早めるのに合わせて、足の運びも早まっていった。
大徳院の門前を過ぎる頃には、惣一郎はすっかり駆け出していた。
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