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浅草の恋敵
3話
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「うん、知ってるよ」
答えれば、やっぱり惣一郎は不満そうな顔つきになった。が、すぐに元に戻る。
「そうそう、お悠耶。今日はもう一つ、あなたにお願いがあったのです。近頃、浅草で妙な事件が起きていましてね、お悠耶なら何かわかるかと思いまして」
深如が思い出したように布袍の懐に手を入れ、紙を一枚取り出した。
紙には見覚えのある町の名前と、その下に事の詳細が見事な筆さばきで箇条書きされている。
一、浅草福川町の蕎麦屋《榊屋》、料理に出す蕎麦が伸びきっている、八件。
二、《藤川屋》、寿司が給仕されたと同時に腐っている、十一件。
三、三好町周辺へ配達した豆腐が一刻の間に腐っていた、同事例七件。
「いずれも、ここ十日ほどの間に起きた事件です」
「お悠耶は探索方じゃねえんだ。事件を聞いただけで、わかることなんか、あるかよ」
「今はなすすべなく、近所に悪戯をする者がいないか目を光らせるくらいなのですが、拙僧には、どうも人間の仕業とは思えぬのです」
深如とは浅草に住んでいた時からの知り合いだ。
悠耶は深如に嫁娶の求めをされた時に、きちんと仔細を述べて断っていた。
悠耶は大徳院の小僧、円来が好きだと。
円来は悠耶がする妖怪の話を初めて信じてくれた男だ。
そのような成り行きから深如は妖怪の存在と、悠耶の妖を見る力を知っている。
つまり深如も悠耶の話を信じてくれている。
同じように妖怪を信じてくれる二人だが、だからといって単純に深如を好きにはならなかった。
円来は真面目で無欲で、仏道一筋の、いかにも人が良い男だ。
本心から仏を信心していて、仏道で世が救えると信じている。
反対に格別に自身の考えを述べ伝える振る舞いもなく、いつでも受け身で話を聞き、私心を見せない。
深如は頭の回転が早く、賢過ぎて時に何を言っているか納得できないような話もする。
深如と円来は全然、違う。
「そっか、深如は妖怪の仕業だと思っているんだね。だから、おいらに」
事件に妖怪が絡んでいると聞けば、悠耶に相談に来るのも合点が行く。
深如は妖怪が本当に存在している話と、悠耶の妖怪が見える力を知っている。
けれど自分の目で見た体験がなく、どうにもできないのだ。
「妖怪の仕業なら、お前が解決すりゃあいいだろう。坊さんなんだから」
惣一郎が当然の質問を投げかけた。僧侶だから妖怪が見えると考えたようだ。
だが、僧侶であっても見えない者のほうが多い。と悠耶は体験から思う。
円来も話を信じてくれる。だが、見えはしなかった。
妖怪は修行したから見えるものでもないらしい。現に悠耶は特別な修行を積んだ覚えがない。
悠耶には、三年以前の記憶がないため定かではない。
だが、それを言ったら惣一郎にだって妖怪が見える仔細がない。
「誠に遺憾ながら、拙僧には妖怪が見えぬのです。お恥ずかしい話ですが、こればかりは精進不足を認めなければなりませぬ。ですから恥を忍んでお願いに参ったのです」
深如はよよよ、と袖で目元を覆う仕草をした。本当に泣いている訳ではない、はずだ。
「お悠耶、力を貸してはくれませんか。きちんと謝礼もお支払いいたしますよ」
見透かした通り、次に顔を上げた深如の瞳に、涙など一滴も見当たらない。
「ほんとに!? なら、おいら手伝うよ!」
謝礼と聞いて、快諾した悠耶を惣一郎が押しとどめた。
「てめえ、汚ねえぞ。金でお悠耶を釣るのかよ」
「おや、心外な。この件は、仕事としてお悠耶に依頼をしているのです。それを言うなら、食べ物で釣るのは汚くないと仰るのですか」
惣一郎が言葉に詰まり、深如はまた悠耶に目を戻した。
「拙僧はお仕事としてお悠耶に依頼するのですよ。お手当てが出なくては話にならぬでしょう」
深如が微笑むと、悠耶は晴れ晴れした気持ちになった。
風介の手伝いをして、出向いた先で駄賃を貰う時もあった。
けれど、正式に悠耶に仕事が与えられ、報酬を受ける機会は初めてだ。
自分の力を頼られて、人の助けになるなんて。きっと風介も喜んでくれる。
惣一郎はしばらく悠耶を見ていた。
だが、結局、何も言わなかった。
今日はともかく一度、家に戻り、風介に報告しなくては。
段取りをつけ、明日は朝から浅草へ出向く約束をした。
深如は、ゆっくりと鰻を味わい、この日は大人しく帰って行った。
答えれば、やっぱり惣一郎は不満そうな顔つきになった。が、すぐに元に戻る。
「そうそう、お悠耶。今日はもう一つ、あなたにお願いがあったのです。近頃、浅草で妙な事件が起きていましてね、お悠耶なら何かわかるかと思いまして」
深如が思い出したように布袍の懐に手を入れ、紙を一枚取り出した。
紙には見覚えのある町の名前と、その下に事の詳細が見事な筆さばきで箇条書きされている。
一、浅草福川町の蕎麦屋《榊屋》、料理に出す蕎麦が伸びきっている、八件。
二、《藤川屋》、寿司が給仕されたと同時に腐っている、十一件。
三、三好町周辺へ配達した豆腐が一刻の間に腐っていた、同事例七件。
「いずれも、ここ十日ほどの間に起きた事件です」
「お悠耶は探索方じゃねえんだ。事件を聞いただけで、わかることなんか、あるかよ」
「今はなすすべなく、近所に悪戯をする者がいないか目を光らせるくらいなのですが、拙僧には、どうも人間の仕業とは思えぬのです」
深如とは浅草に住んでいた時からの知り合いだ。
悠耶は深如に嫁娶の求めをされた時に、きちんと仔細を述べて断っていた。
悠耶は大徳院の小僧、円来が好きだと。
円来は悠耶がする妖怪の話を初めて信じてくれた男だ。
そのような成り行きから深如は妖怪の存在と、悠耶の妖を見る力を知っている。
つまり深如も悠耶の話を信じてくれている。
同じように妖怪を信じてくれる二人だが、だからといって単純に深如を好きにはならなかった。
円来は真面目で無欲で、仏道一筋の、いかにも人が良い男だ。
本心から仏を信心していて、仏道で世が救えると信じている。
反対に格別に自身の考えを述べ伝える振る舞いもなく、いつでも受け身で話を聞き、私心を見せない。
深如は頭の回転が早く、賢過ぎて時に何を言っているか納得できないような話もする。
深如と円来は全然、違う。
「そっか、深如は妖怪の仕業だと思っているんだね。だから、おいらに」
事件に妖怪が絡んでいると聞けば、悠耶に相談に来るのも合点が行く。
深如は妖怪が本当に存在している話と、悠耶の妖怪が見える力を知っている。
けれど自分の目で見た体験がなく、どうにもできないのだ。
「妖怪の仕業なら、お前が解決すりゃあいいだろう。坊さんなんだから」
惣一郎が当然の質問を投げかけた。僧侶だから妖怪が見えると考えたようだ。
だが、僧侶であっても見えない者のほうが多い。と悠耶は体験から思う。
円来も話を信じてくれる。だが、見えはしなかった。
妖怪は修行したから見えるものでもないらしい。現に悠耶は特別な修行を積んだ覚えがない。
悠耶には、三年以前の記憶がないため定かではない。
だが、それを言ったら惣一郎にだって妖怪が見える仔細がない。
「誠に遺憾ながら、拙僧には妖怪が見えぬのです。お恥ずかしい話ですが、こればかりは精進不足を認めなければなりませぬ。ですから恥を忍んでお願いに参ったのです」
深如はよよよ、と袖で目元を覆う仕草をした。本当に泣いている訳ではない、はずだ。
「お悠耶、力を貸してはくれませんか。きちんと謝礼もお支払いいたしますよ」
見透かした通り、次に顔を上げた深如の瞳に、涙など一滴も見当たらない。
「ほんとに!? なら、おいら手伝うよ!」
謝礼と聞いて、快諾した悠耶を惣一郎が押しとどめた。
「てめえ、汚ねえぞ。金でお悠耶を釣るのかよ」
「おや、心外な。この件は、仕事としてお悠耶に依頼をしているのです。それを言うなら、食べ物で釣るのは汚くないと仰るのですか」
惣一郎が言葉に詰まり、深如はまた悠耶に目を戻した。
「拙僧はお仕事としてお悠耶に依頼するのですよ。お手当てが出なくては話にならぬでしょう」
深如が微笑むと、悠耶は晴れ晴れした気持ちになった。
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けれど、正式に悠耶に仕事が与えられ、報酬を受ける機会は初めてだ。
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だが、結局、何も言わなかった。
今日はともかく一度、家に戻り、風介に報告しなくては。
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深如は、ゆっくりと鰻を味わい、この日は大人しく帰って行った。
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