捨てられた王妃は情熱王子に攫われて

きぬがやあきら

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(誰もいない……?)

 随分登ったが、未だ人影は見当たらない。

(逃げ切れた? それとも、どこかで監視されているの?)

 そう考えて、ぶるりと身を震わせた。

(念のため、もう少しだけ……)

 エミリアは慎重に辺りを窺うと、スカートのポケットからハンカチを取り出した。

 傷のできた、右手に巻く。

 もう一段上まで登ってみたが、やはり人影は見えない。

 ならばもう少しだけ……と手をかけようとした枝が、軋んだ。

「あっ!」

 悲鳴を上げる間もなかった。エミリアの身体は枝から滑り落ちた。

 咄嗟に受け身を取ったものの、地面に身体を強かに打った。

(……逃げなきゃ)

 足を挫いたかもしれないという不安と焦燥を押し殺し、再び立ち上がる。

 その拍子に、頭上から葉擦れの音が落ちてきた。

(しまった)

 背後に気配を感じた時には、遅かった。

 襟首を掴まれて身体が宙に浮く。咄嗟に抵抗して腕を振り上げると、掴んでいた力が緩んだ。

 エミリアはその隙をついて身体を捻った。地面に手を突き、両足で着地する。

「逃がすんじゃないわよ!」

 エミリアを掴んだのは、ウィルマではない。

 力の具合から察するに侍女でもない。御者のほうだ。

「私に触れるな!」

 エミリアは威喝した。ぴたりと手が止まった隙に、立ち上がる。

「それ以上私に触れれば、ただでは済まない。わかっているのですか?」

 見ればやはり、背後に立っていたのは御者だった。

 手を伸ばしたまま、躊躇っている。

「今更恐れてどうするの!? 王妃を逃せば、どちらにせよ私たちは咎を負い、罰を受ける。ここで捕らえる以外にないのよ!」

 ウィルマが叫んだ。 

 主人の叱咤に御者は逆らえない。御者はエミリアに向かって突進してきた。

「愚か者が!」

 やむを得ず、エミリアは臨戦態勢を取った。

 護身術程度は嗜むが、実戦は初めてだ。

 御者も普段は戦闘など無関係なのだろう。勢いに任せて飛び掛かって来る。

 突き出された腕をいなして、逆に懐に飛び込む。

 右こぶしに掌を添え、肘を引き上げるようにして鳩尾に突き入れる。

「グァ……」

 御者は呻きながら崩れ落ちた。

「うそっ、カール!?」

 背後から、ウィルマの悲鳴が聞こえる。

 何とか上手く決まったが、エミリアの細腕では致命傷に至らない。

 まさがエミリアが反撃するとは思わなかった油断のお陰でもある。

 侍女の姿は、まだ近くになかった。

 二手に別れたのかもしれない。

「馬鹿な真似は止めなさい。貴女の心証を損ねるだけよ」

「いえ、いいえ……! 問題ないわ。貴女の口さえ封じてしまえば」

 ウィルマは動転している。

 しかし、袖の中に手を入れたかと思うと、果物ナイフを取り出した。
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