色部葬儀社と死にたい彼ら 〜あなたの自殺は星一つです!〜

桜井 うどん

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彼女の事情

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 凛華さんが自殺未遂をしたという連絡を受け取ったのは、幸子さんの記事が載った翌日のことだった。
 休みをとっていた比呂さんから連絡がきて、とりあえず出勤していた千鶴さんと僕が、凛華さんが運び込まれたという病院に急行することになった。
「っていうか、比呂さんはなんで来ないんですか?」
 往来でタクシーに向かって手を挙げながら、僕は千鶴さんに尋ねた。
「ま~、休暇中だからね」
 千鶴さんは面倒くさそうに答える。
「でも、クライアントが死にそうなんですよ?」
「あのねー、一般人にとっては、人が死ぬのは非常事態だけど、あたし達は人が死ぬことの方が日常なのよ。人が死んだからっていちいち休みを取り消してたら、あたし達が生きて行けないわよ」
 だからあんたはセンスないのよー、と言われては、言い返す言葉がない。
 病院の個室で僕たちを迎えた凛華さんは予想外にけろりとした表情をしていた。
「平の代理で窺いました、柊千鶴と申します」
 千鶴さんが名刺を差し出しながら挨拶をしたときも、
「あ、どうも、ご迷惑をおかけして」
 と、凛華さんは名刺を片手で受け取りながら軽く頷いた。
 ちょうど病室に戻って来た、付き人らしい人に凛華さんが席を外すように伝え、部屋の中にいるのが僕と千鶴さん、凛華さんの3人になると、早速千鶴さんが切り出した。
「あの、平からお話は伺いましたが……」
「私の自殺未遂のことでしょうか?」
 凛華さんは挑むように微笑む。
 恐ろしく整った顔立ちの凛華さんがそんな表情をすると、凄絶に美しいのだけれど、同じくらいの分量で怖いのでやめてほしい。
 しかし、千鶴さんは全くたじろがない。
「ええ」
 と、艶然と微笑んですら見せる。
 同性だからなのか、千鶴さんもそれなりに美人さんであるからなのかは分からない。
「平さんが来てくださるものと思ったのですが」
 それを見た凛華さんは、少し気を悪くしたようだ。
「平は本日お休みをいただいていますもので。しかし当社の社員にご連絡をくださったということは、何かご用件がおありなのでは?」
 あくまでも千鶴さんはすました表情を保っている。
「ご用件も、何も。ご覧の通り、御社のサポートが受けられなかったせいで、私は自殺に失敗しました。この責任は、とっていただけるんでしょうね?」
「緋乃様とはまだ契約を交わしていないとうかがっておりますが?」
「ええ、拒否されましたので」
 だんだん、凛華さんの表情が険しくなっていく。
「契約も交わしていない状態で、緋乃様に対する当社の責任はないものと理解しておりますが?」
 しかし、千鶴さんは動じない。
「……ねぇ、もうこんな馬鹿なお芝居はやめにしませんか? 最低の脚本だわ。私を死なせて下さい。今すぐにでも」
 凛華さんの声が苛立ちに染まる。彼女はいらいらとした動作で手をすりあわせた。
「お受けいたしかねます」
 千鶴さんの、うっすらと口元に浮かんで笑みに怒りが爆発したのか、凛華さんが叫んだ。
「舞台に立ったことのない貴方達に、私の苦しみなんて分かりっこないんです! 緋乃凛華はとっくに死んでるんですよ! この意味が分かります!?」
「……緋乃凛華は、まだ死んでないわ」
 千鶴さんの仮面が一瞬、ぶれた。噛み締めるように千鶴さんは言う。
「死んでいるのと同じことよ!」
 もはや自制を失っている凛華さんが声を荒げる。
「とにかく、現段階の緋乃様のオーダーを、私どもは受託しかねます。担当の平と相談の上、再度ご連絡を差し上げますので、今しばらくお待ちください」
 もう一度仮面をかぶりなおして、千鶴さんが冷徹に言った。
「もう……時間が、ないのよ……」
 青ざめた顔で呟く凛華さんを残して、千鶴さんがベッドに背を向けて歩き出した。
 僕は慌てて後を追う。後ろで鼻をすする音が聞こえた。
 病室を出てナースセンターの前を通り、エレベーターのところまで来た時、僕たちを呼び止める人がいた。
 先ほど病室を出て行った、付き人のようだった。
「あの……少しお時間をいただけませんか?」
 スターの影、というものに相応しい、空気のように目立たない風貌の女性だった。年齢としては緋乃さんよりも一回りくらい上という感じだ。
 千鶴さんは彼女の申し出を受けた。付き人さんに言われるままにそのままエレベーターに乗り、ついたところは屋上だった。
 まだ少し肌寒い時期、高いフェンスに囲まれ、申し訳程度のベンチが置かれた屋上に集う人はいない。付き人さんと千鶴さんはベンスに腰掛け、所在ない僕は少しだけ離れたフェンスに背を持たせかけた。
「あの、どうしても緋乃を死なせてやる訳にはいきませんでしょうか?」
 平山と名乗ったその付き人さんはいきなり切り出した内容に、僕らは一瞬、唖然とした。
 凛華さんはこの人に、自殺願望の話をしていなかったはずではないか。
 正直にそのことを話すと、平山さんはひっそりと笑って首を横に振った。
「話さなくても、それくらいは分かります。ご安心ください。ファンクラブの幹部にはもちろんのこと、緋乃自身にも、私が彼女の自殺願望に気付いたことはお話していません」
「……あの、あなたは元々、緋乃さんのファンでいらっしゃるんですよね?」
 躊躇いつつも、僕は平山さんに問いかけた。
「……そうですが?」
 付き人さんが首を傾げる。千鶴さんの顔色を窺うと、彼女は促すように僕に頷いてみせた。僕は少しだけ安堵して、話を続けることにする。
「ファンであるあなたが、どうして緋乃さんの死を願うんですか?」
 普通に考えて、好きな人に死んでほしいと思うファンはいないだろう。
 だが、付き人さんは自嘲するような笑みを浮かべて、きっぱりと言った。
「私は、自分の命を賭しても良いくらい、緋乃のことがすきです」
「じゃあ……」
「だからこそ、緋乃を死なせてやるべきなんです」
 その瞳には一点の曇りもない。
「舞台に立ち始めた年から、ずっと緋乃のことを見てきました。ファンクラブの立ち上げにも関わりましたし、ほとんど毎日のように、公私にわたり手伝いをしてきました。多分親よりも、緋乃のことを良く知っていると思います。……一般的に、スターというのは私生活が派手という認識を持っていらっしゃるのかもしれませんが、緋乃は、ただただ芝居と歌と踊りが好きなだけの子です。初めて舞台姿を見た時には、そのオーラの凄さに憧れて、彼女を応援することに決めましたが、こうやって彼女のサポートをしていると、やっぱり人柄が見えてくるんですよね」
 そうして、平山さんは緋乃さんと過ごした日々について滔々と語った。
 劇団に入団してからも行われる試験のために、休演日の度に歌のレッスンへの送り迎えをしたこと。先輩に無理矢理お酒をたくさん飲まされて、家の中まで緋乃さんを支えながら連れて行ったら、壁を埋めるような巨大な本棚に、演劇論やトレーニング方法、過去の作品についての資料がぎっしり並べられていて驚いたこと。ファンにもらった手紙を嬉しそうに読んでいたこと。送り迎えの車の中で、ファンイベントの企画の打ち合わせをしていたら、つい夢中になってマンションの駐車場で2時間も話し込んでしまったこと。同期が主役に抜擢される中、自分は台詞のない役をつけられて、人に見えないところで押し殺したように泣いているのを見たこと。初めて場面の主役を任せてもらって、手を取り合って喜んだこと。劇団を辞めることになった時に、初めて彼女の憔悴しきった姿を見たこと。退団後しばらくはほとんど口もきけないくらい落ち込んでいたこと。あまりに何も手に着かない緋乃さんの様子をみかねて、ほとんど引きずるようにして出演させたOGイベントで、紺碧の音符の発起人となったOGに声をかけられたこと。その話をしてくれたときに、退団後初めて瞳が輝いているのを見たこと。
「……結局、緋乃は舞台なしでは生きられない人間なんです。ファンを大切にする子ではありますが、ファンに褒められることが目標ではありません。舞台の上で、別の人間になりきって演じることが大切なんです。もっと言えば、緋乃凛華、という人間を公私にわたって演じ続けることが、一番大切なんです」
 そこまで話して、平山さんはふぅと溜息をついた。
 僕の方も息を詰めて聞いていたので、こっそり息を吐き出して、空を見上げた。
 薄ぼんやりとした青空は目に優しい。
 喫茶店で凛華さんの話を聞いた時、正直に言って、凛華さんの言葉がぴんと来なかった。だって、『スターとして舞台の上に立てなければ、生きている意味がありません』だなんて、そんな言葉、生きていたって元々なんの意味もないような、むしろ死ぬべき理由しかないような人間に理解出来るはずがない。
 でも、平山さんの話を聞いていて、少しだけ、分かったような気がした。
 彼女の言う「舞台の上に立てなければ、生きている意味がない」というのは、本当に文字通りの意味なのだ。
 舞台の上で生き、舞台のために生き、舞台を降りてもスターでいることが、彼女の矜持であり、生き方であり、全てだった。文字通り命をかけて演じてきたのだ。
 だから、『スター・緋乃凛華』が成立しなくなった時点で、彼女の残りの人生は、『いらないもの』でしかなくなったのだ。
 緋乃凛華は死んでいる。
 共感は出来ない。理解も出来ない。でも、打たれるように、僕は確信した。
 千鶴さんも同じ思いを抱いたようだった。
「でも、もう少し病気が進行して、舞台に立てなくなってから引退するとか……」
 珍しく、千鶴さんが気弱な声を出した。
「緋乃は完璧主義者ですから。100%で演じられる自信のない舞台には、最初から立ちません」
 なぜか彼女は誇らし気に一蹴した。
「……お好きになさるといいわ」
 ついに千鶴さんが両手を上げてみせた。
「手伝ってはくださらないのですか?」
 彼女は、責めるように千鶴さんの顔を覗き込む。
「手伝う必要がないと思って。きっと素敵に演出するでしょ? 私とは趣味が合いそうにないし」
 そう言って千鶴さんは立ち上がる。
「さよなら」
 そしてヒールの音を高く響かせて、歩き出す。当然僕も慌てて追いかける。
「10月21日」
 背を向けた僕らを呼び止めた声。
 振り返れば、平山さんが正体のよくわからない笑みを浮かべていた。
「緋乃の舞台の千秋楽です。おそらくはその日、かと」
 何が『その日』かなんて、言わなくても分かる。
 背筋にぞわぞわとした感覚。鳥肌が立つのが分かるのか。
「行きましょう」
 千鶴さんの声が、心なしか弱々しい。
 何が起きているのか把握しきれないまま、僕は病院から立ち去った。
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