7 / 13
彼女の事情
しおりを挟む凛華さんが自殺未遂をしたという連絡を受け取ったのは、幸子さんの記事が載った翌日のことだった。
休みをとっていた比呂さんから連絡がきて、とりあえず出勤していた千鶴さんと僕が、凛華さんが運び込まれたという病院に急行することになった。
「っていうか、比呂さんはなんで来ないんですか?」
往来でタクシーに向かって手を挙げながら、僕は千鶴さんに尋ねた。
「ま~、休暇中だからね」
千鶴さんは面倒くさそうに答える。
「でも、クライアントが死にそうなんですよ?」
「あのねー、一般人にとっては、人が死ぬのは非常事態だけど、あたし達は人が死ぬことの方が日常なのよ。人が死んだからっていちいち休みを取り消してたら、あたし達が生きて行けないわよ」
だからあんたはセンスないのよー、と言われては、言い返す言葉がない。
病院の個室で僕たちを迎えた凛華さんは予想外にけろりとした表情をしていた。
「平の代理で窺いました、柊千鶴と申します」
千鶴さんが名刺を差し出しながら挨拶をしたときも、
「あ、どうも、ご迷惑をおかけして」
と、凛華さんは名刺を片手で受け取りながら軽く頷いた。
ちょうど病室に戻って来た、付き人らしい人に凛華さんが席を外すように伝え、部屋の中にいるのが僕と千鶴さん、凛華さんの3人になると、早速千鶴さんが切り出した。
「あの、平からお話は伺いましたが……」
「私の自殺未遂のことでしょうか?」
凛華さんは挑むように微笑む。
恐ろしく整った顔立ちの凛華さんがそんな表情をすると、凄絶に美しいのだけれど、同じくらいの分量で怖いのでやめてほしい。
しかし、千鶴さんは全くたじろがない。
「ええ」
と、艶然と微笑んですら見せる。
同性だからなのか、千鶴さんもそれなりに美人さんであるからなのかは分からない。
「平さんが来てくださるものと思ったのですが」
それを見た凛華さんは、少し気を悪くしたようだ。
「平は本日お休みをいただいていますもので。しかし当社の社員にご連絡をくださったということは、何かご用件がおありなのでは?」
あくまでも千鶴さんはすました表情を保っている。
「ご用件も、何も。ご覧の通り、御社のサポートが受けられなかったせいで、私は自殺に失敗しました。この責任は、とっていただけるんでしょうね?」
「緋乃様とはまだ契約を交わしていないとうかがっておりますが?」
「ええ、拒否されましたので」
だんだん、凛華さんの表情が険しくなっていく。
「契約も交わしていない状態で、緋乃様に対する当社の責任はないものと理解しておりますが?」
しかし、千鶴さんは動じない。
「……ねぇ、もうこんな馬鹿なお芝居はやめにしませんか? 最低の脚本だわ。私を死なせて下さい。今すぐにでも」
凛華さんの声が苛立ちに染まる。彼女はいらいらとした動作で手をすりあわせた。
「お受けいたしかねます」
千鶴さんの、うっすらと口元に浮かんで笑みに怒りが爆発したのか、凛華さんが叫んだ。
「舞台に立ったことのない貴方達に、私の苦しみなんて分かりっこないんです! 緋乃凛華はとっくに死んでるんですよ! この意味が分かります!?」
「……緋乃凛華は、まだ死んでないわ」
千鶴さんの仮面が一瞬、ぶれた。噛み締めるように千鶴さんは言う。
「死んでいるのと同じことよ!」
もはや自制を失っている凛華さんが声を荒げる。
「とにかく、現段階の緋乃様のオーダーを、私どもは受託しかねます。担当の平と相談の上、再度ご連絡を差し上げますので、今しばらくお待ちください」
もう一度仮面をかぶりなおして、千鶴さんが冷徹に言った。
「もう……時間が、ないのよ……」
青ざめた顔で呟く凛華さんを残して、千鶴さんがベッドに背を向けて歩き出した。
僕は慌てて後を追う。後ろで鼻をすする音が聞こえた。
病室を出てナースセンターの前を通り、エレベーターのところまで来た時、僕たちを呼び止める人がいた。
先ほど病室を出て行った、付き人のようだった。
「あの……少しお時間をいただけませんか?」
スターの影、というものに相応しい、空気のように目立たない風貌の女性だった。年齢としては緋乃さんよりも一回りくらい上という感じだ。
千鶴さんは彼女の申し出を受けた。付き人さんに言われるままにそのままエレベーターに乗り、ついたところは屋上だった。
まだ少し肌寒い時期、高いフェンスに囲まれ、申し訳程度のベンチが置かれた屋上に集う人はいない。付き人さんと千鶴さんはベンスに腰掛け、所在ない僕は少しだけ離れたフェンスに背を持たせかけた。
「あの、どうしても緋乃を死なせてやる訳にはいきませんでしょうか?」
平山と名乗ったその付き人さんはいきなり切り出した内容に、僕らは一瞬、唖然とした。
凛華さんはこの人に、自殺願望の話をしていなかったはずではないか。
正直にそのことを話すと、平山さんはひっそりと笑って首を横に振った。
「話さなくても、それくらいは分かります。ご安心ください。ファンクラブの幹部にはもちろんのこと、緋乃自身にも、私が彼女の自殺願望に気付いたことはお話していません」
「……あの、あなたは元々、緋乃さんのファンでいらっしゃるんですよね?」
躊躇いつつも、僕は平山さんに問いかけた。
「……そうですが?」
付き人さんが首を傾げる。千鶴さんの顔色を窺うと、彼女は促すように僕に頷いてみせた。僕は少しだけ安堵して、話を続けることにする。
「ファンであるあなたが、どうして緋乃さんの死を願うんですか?」
普通に考えて、好きな人に死んでほしいと思うファンはいないだろう。
だが、付き人さんは自嘲するような笑みを浮かべて、きっぱりと言った。
「私は、自分の命を賭しても良いくらい、緋乃のことがすきです」
「じゃあ……」
「だからこそ、緋乃を死なせてやるべきなんです」
その瞳には一点の曇りもない。
「舞台に立ち始めた年から、ずっと緋乃のことを見てきました。ファンクラブの立ち上げにも関わりましたし、ほとんど毎日のように、公私にわたり手伝いをしてきました。多分親よりも、緋乃のことを良く知っていると思います。……一般的に、スターというのは私生活が派手という認識を持っていらっしゃるのかもしれませんが、緋乃は、ただただ芝居と歌と踊りが好きなだけの子です。初めて舞台姿を見た時には、そのオーラの凄さに憧れて、彼女を応援することに決めましたが、こうやって彼女のサポートをしていると、やっぱり人柄が見えてくるんですよね」
そうして、平山さんは緋乃さんと過ごした日々について滔々と語った。
劇団に入団してからも行われる試験のために、休演日の度に歌のレッスンへの送り迎えをしたこと。先輩に無理矢理お酒をたくさん飲まされて、家の中まで緋乃さんを支えながら連れて行ったら、壁を埋めるような巨大な本棚に、演劇論やトレーニング方法、過去の作品についての資料がぎっしり並べられていて驚いたこと。ファンにもらった手紙を嬉しそうに読んでいたこと。送り迎えの車の中で、ファンイベントの企画の打ち合わせをしていたら、つい夢中になってマンションの駐車場で2時間も話し込んでしまったこと。同期が主役に抜擢される中、自分は台詞のない役をつけられて、人に見えないところで押し殺したように泣いているのを見たこと。初めて場面の主役を任せてもらって、手を取り合って喜んだこと。劇団を辞めることになった時に、初めて彼女の憔悴しきった姿を見たこと。退団後しばらくはほとんど口もきけないくらい落ち込んでいたこと。あまりに何も手に着かない緋乃さんの様子をみかねて、ほとんど引きずるようにして出演させたOGイベントで、紺碧の音符の発起人となったOGに声をかけられたこと。その話をしてくれたときに、退団後初めて瞳が輝いているのを見たこと。
「……結局、緋乃は舞台なしでは生きられない人間なんです。ファンを大切にする子ではありますが、ファンに褒められることが目標ではありません。舞台の上で、別の人間になりきって演じることが大切なんです。もっと言えば、緋乃凛華、という人間を公私にわたって演じ続けることが、一番大切なんです」
そこまで話して、平山さんはふぅと溜息をついた。
僕の方も息を詰めて聞いていたので、こっそり息を吐き出して、空を見上げた。
薄ぼんやりとした青空は目に優しい。
喫茶店で凛華さんの話を聞いた時、正直に言って、凛華さんの言葉がぴんと来なかった。だって、『スターとして舞台の上に立てなければ、生きている意味がありません』だなんて、そんな言葉、生きていたって元々なんの意味もないような、むしろ死ぬべき理由しかないような人間に理解出来るはずがない。
でも、平山さんの話を聞いていて、少しだけ、分かったような気がした。
彼女の言う「舞台の上に立てなければ、生きている意味がない」というのは、本当に文字通りの意味なのだ。
舞台の上で生き、舞台のために生き、舞台を降りてもスターでいることが、彼女の矜持であり、生き方であり、全てだった。文字通り命をかけて演じてきたのだ。
だから、『スター・緋乃凛華』が成立しなくなった時点で、彼女の残りの人生は、『いらないもの』でしかなくなったのだ。
緋乃凛華は死んでいる。
共感は出来ない。理解も出来ない。でも、打たれるように、僕は確信した。
千鶴さんも同じ思いを抱いたようだった。
「でも、もう少し病気が進行して、舞台に立てなくなってから引退するとか……」
珍しく、千鶴さんが気弱な声を出した。
「緋乃は完璧主義者ですから。100%で演じられる自信のない舞台には、最初から立ちません」
なぜか彼女は誇らし気に一蹴した。
「……お好きになさるといいわ」
ついに千鶴さんが両手を上げてみせた。
「手伝ってはくださらないのですか?」
彼女は、責めるように千鶴さんの顔を覗き込む。
「手伝う必要がないと思って。きっと素敵に演出するでしょ? 私とは趣味が合いそうにないし」
そう言って千鶴さんは立ち上がる。
「さよなら」
そしてヒールの音を高く響かせて、歩き出す。当然僕も慌てて追いかける。
「10月21日」
背を向けた僕らを呼び止めた声。
振り返れば、平山さんが正体のよくわからない笑みを浮かべていた。
「緋乃の舞台の千秋楽です。おそらくはその日、かと」
何が『その日』かなんて、言わなくても分かる。
背筋にぞわぞわとした感覚。鳥肌が立つのが分かるのか。
「行きましょう」
千鶴さんの声が、心なしか弱々しい。
何が起きているのか把握しきれないまま、僕は病院から立ち去った。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。
ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。
彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。
「誰も、お前なんか必要としていない」
最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。
だけどそれも、意味のないことだったのだ。
彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。
なぜ時が戻ったのかは分からない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。
私は、私の生きたいように生きます。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる