ずっと忘れないから

宇部 松清

文字の大きさ
上 下
5 / 14

海へ散歩に1

しおりを挟む
「……おかしいよな、ゲンさん」

 お友達がお帰りになった後、章坊ちゃんはあっしの背中を撫でながら、そんなことをぽつりとおっしゃいました。

 気付けばこの家の中で、あっしはこの章坊ちゃんと接する機会が一番多くなっていました。
 お姉さんの紀華のりか嬢ちゃんももちろんたくさん遊んで下さいますし、景章けいしょうさんも|華織さんも良くして下さいますけどね、章坊ちゃんが一番構って下さるのです。
 とはいえ、あっしももうだいぶ良い年ですから、一緒にかけっこやボール遊びなんて出来ませんけどね、章坊ちゃんはそれをわかって下さってるようで、こうやって部屋でのんびりと過ごしたり、散歩に行ったり、ご自身がサッカーの自主練習をなさる時なんかは、あっしをコーチに抜擢して下さってねぇ。それ、そこだ、シュート! なんてあっしもついつい声を張り上げてしまって。いやはや。

幸喜こうき雅史まさふみも、ゲンさんのこと『可愛くない』なんて言うんだよ」

 章坊ちゃんはかなり不満そうにそう言いました。

「ゲンさんは世界一可愛いのに。……いや、可愛いっていうか……『いぶし銀』なんだよな、うん」

 おや、章坊ちゃん随分と渋い言葉を御存知で。

「お父さんもお母さんも姉ちゃんもみーんなゲンさんが一番だって言ってるし、俺もそう思う」

 いやいや、章坊ちゃん、あっしはね、もうそれだけで胸がいっぱいなんでさぁ。
 そりゃあね、もうあっしだって痛いくらいわかってるんです。

 あっしはね、『可愛い』でも『恰好良い』でもないんです。
 何せ、『ぶちゃカワ』ですからね。
 でも、それでも良いんです。
 この山海家の人達が、家族の一員として認めて下さるなら、もうそれだけで。

「……ゲンさん、散歩行こうか」
「わふ」

 散歩は良いですね。
 足腰は弱ってきてますけど、外の空気を肌で感じられるのは良いもんです。
 章坊ちゃんはあっしのためにゆっくり歩いて下さいますしね。そういう点では、紀華嬢ちゃんは少々せっかちなようで、情けないことについて行くのがやっとなんです。

「今日はさ、海の方に行こう」

 散歩コースはいくつがございまして、近所をぐるりと回るだけの時もあれば、河川敷のこともあります。それから、たまに海岸に行くことも。

 あっしはね、知ってるんです。
 章坊ちゃんが海に行く時というのは、元気がない時だって。

 河川敷と海に行く時は、自転車です。
 章坊ちゃんの青い自転車のカゴにね、あっし専用のクッションを入れてもらって、そこに乗せてもらうんです。あっしは別にそんな大層なクッションなんていらないと思うんですけどね、いや、本当に章坊ちゃんはお優しいんです。

 リードをハンドルに結びつけて、さぁ出発です。
 カゴの中にはビニール袋にティッシュ、それから水とおやつが入った『散歩バッグ』も入っています。あっしはそれと一緒にがたごとと揺れながら、時折ちらりと章坊ちゃんを見るのです。険しい顔で前を見ていた章坊ちゃんは、あっしが見ているのに気付くとニコッと笑って下さいます。章坊ちゃんはどんな時でもあっしに当たったりはしません。まだ子どもなのですが、随分としっかりなさっているのです。こういう御仁を『人間が出来てる』なんておっしゃるそうですなぁ。いや全くその通りで。

 学校の成績も良いようですし、足もとっても速くってねぇ、いや、あっしがあと10年若かったら負けなかったんですけどね、いまじゃとても勝てそうにありませんよ。それでほら、この器量にこの性格でしょう? クラスの女の子達からもなかなか人気があるらしいというのは紀華嬢ちゃんから聞いたのですがね。ところが章坊ちゃん、ちょっとそういう女子の気持ちには疎いようでして。

 いやはや、この拳骨、章坊ちゃんが立派に所帯を持つまでは死ねません。死ねませんとも。


 おや、海が見えて参りました。

 章坊ちゃんが海に来る時は元気がない時、と言いましたけどね。いつまでもくよくよしていられないのが人間の辛いところのようでして、章坊ちゃんはここで溜まったものを吐き出すわけです。家族の皆さんにも内緒でね。
 あっしは光栄にも、そんな秘密の場に同席することを許されているのです。
 これは飼い犬にとって最高の名誉だと思っております。何たって辛い時に寄り添えるんですから。

 章坊ちゃんはあっしを抱き上げて、さくさくと砂浜を歩いていきます。

 ――え? お前の散歩じゃないのかって?

 いえいえ、散歩とは言ってもまぁ、名ばかりというところもありますしね、砂浜を歩くってのも案外この老いぼれには大変でして。
 海の散歩では、章坊ちゃんはいつもこうしてあっしを抱っこして下さるんです。この時ばかりは大型犬じゃなくて良かったなんて思いますね。普段は、レトリーバーみたいな大型犬になって、章坊ちゃんのことを恰好良くお守りしたいなんて思うんですけど。

「……この辺で良いかな、ゲンさん」

 えぇ、あっしはどこでも。

 章坊ちゃんはあっしを砂の上に下ろしますと、肩にかけていた『散歩バッグ』の中から、小さなラジカセを取り出しました。お祖父様からいただいたのだというそのラジカセは、かなり使い込まれておりましたが、まだまだ現役のようでして、この小さなバッグに入るくらいの大きさなものですから、章坊ちゃんは海へ行く時にはこれを必ず持っていくのです。

「ゲンさん、何が良い?」

 あっしは、何でも。
 章坊ちゃんのお歌でしたらね、あっしは何でも好きですから。

 もどかしいのは、あっしは章坊ちゃんの言葉がわかっても、あっしの言葉は一切章坊ちゃんに伝わらない、というところです。こればかりはどうしようもないんですけど。
 でもね、たまにはちゃんと伝わるみたいでしてね、章坊ちゃんは「何だよ、仕方ないなぁ」なんて言いながら、かちゃかちゃとボタンを押して、音楽を流してくれました。

 何ていう人の何ていう歌なのかはさっぱりわかりません。
 それよりも、あっしを膝の上に乗せて歌ってくれる章坊ちゃんの声の何と心地よいことか。章坊ちゃんはですね、お歌がとっても上手でしてね、あっしなんかはこりゃあゆくゆくは立派な歌手にでもなっちまうんじゃないかって思ってるんですけどね。

 ――え? 飼い主を贔屓目に見てるだけだって? やだなぁ、目じゃなくって耳ですよ。あっし、耳は抜群に良いんですから。そうじゃないって?  
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

ライオンの王子さま

真柴イラハ
キャラ文芸
ギャル女子高生の絵莉が、ライオンの王子さまを拾うお話。 ※C96で頒布した同人誌の再録です。 ※この小説は「小説家になろう」、「ノベルアップ+」にも投稿しています。

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

彼女とあたしとシックス・センス

黒巻雷鳴
キャラ文芸
何も知らない2人の女子高校生たちは、謎多き《超科学研究部》に呼び出される。そこで待っていたのは──。 ※無断転載禁止。

後宮の不憫妃 転生したら皇帝に“猫”可愛がりされてます

枢 呂紅
キャラ文芸
旧題:後宮の不憫妃、猫に転生したら初恋のひとに溺愛されました ★第16回恋愛小説大賞にて奨励賞をいただきました!応援いただきありがとうございます★ 後宮で虐げられ、命を奪われた不遇の妃・翠花。彼女は六年後、猫として再び後宮に生まれた。 幼馴染で前世の仇である皇帝・飛龍に拾われ翠花は絶望する。だけど飛龍は「お前を見ていると翠花を思い出す」「翠花は俺の初恋だった」と猫の翠花を溺愛。翠花の死の裏に隠された陰謀と、実は一途だった飛龍とのすれ違ってしまった初恋の行く先は……? 一度はバッドエンドを迎えた両片想いな幼馴染がハッピーエンドを取り戻すまでの物語。

宵闇町・文字屋奇譚

桜衣いちか
キャラ文芸
【文字、売ります】──古びた半紙が引き寄せるのは、やおよろずの相談事。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ──その出会い、合縁奇縁(あいえんきえん)── 小動物(モフモフ)大好きな女性・秋野千代。 亡くなった祖母の書道教室を営むかたわら、売れっ子漫画家を目指すが、現実は鳴かず飛ばず。 稲荷神社に出かけた矢先。 供え物を盗み食いする狐耳少年+一匹を発見し、追いかけた千代が足を踏み入れたのは──あやかしと獣人の町・宵闇町(よいやみちょう)だった。 元の世界に帰るため。 日々の食い扶持を得るため。 千代と文字屋の凸凹コンビが、黒と紫色の世界を奔走する。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ キャラ原案/△○□×(みわしいば) Picrewの「少年少女好き?2」で作成 https://picrew.me/share?cd=5lbBpGgS6x

春花国の式神姫

石田空
キャラ文芸
春花国の藤花姫は、幼少期に呪われたことがきっかけで、成人と同時に出家が決まっていた。 ところが出家当日に突然体から魂が抜かれてしまい、式神に魂を移されてしまう。 「愛しておりますよ、姫様」 「人を拉致監禁したどの口でそれを言ってますか!?」 春花国で起こっている不可解な事象解決のため、急遽春花国の凄腕陰陽師の晦の式神として傍付きにされてしまった。 藤花姫の呪いの真相は? この国で起こっている事象とは? そしてこの変人陰陽師と出家決定姫に果たして恋が生まれるのか? 和風ファンタジー。 ・サイトより転載になります。

【完結】王太子妃の初恋

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。 王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。 しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。 そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。 ★ざまぁはありません。 全話予約投稿済。 携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。 報告ありがとうございます。

処理中です...