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安田

game(6)

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 神成の方から俺を求めさせることは簡単だった。
 神成はあのお堅い性格とは反対に、身体は快楽にゆるゆるのビッチだったからだ。

 拒絶を口にし、俺のことをきつく睨みつけながらも、俺の手に抗うことなく快楽に酔う神成は、はっきり言って最高に俺を煽った。神成の身体は素直に俺を受け入れている。そのくせ心では俺を、というか快楽に呑まれる自分を拒絶し、絶対に認めない。
 必死に耐え葛藤している神成は見てて飽きず、ずっと見ていたいと思うほど綺麗だった。

 いつまでも、こうして神成を焦らして、虐めていたい。ずっとこのまま、こうやって神成とくだらない駆け引きを楽しんでいたい。
 本来の目的も忘れ、すっかり俺は神成と共有する時間にハマっていた。

 それもそのはず、今まであまりにも見ている期間が長すぎたのだ。
 身体を繋げなくても、触れてなくても、神成といるだけで楽しかった。まあ、隙あれば突っ込みたかったけど。でも、突っ込まなくても別に構わなかった。
 二人でいることに浮かれていた。神成と話すだけで楽しかった。神成に触れることができて嬉しかった。新しい神成の顔を見る度にドキリとした。

 それは神成を見てるだけ、神成に睨まれるだけだった頃には絶対に味わえなかったもので。一方通行じゃないだけでこんなにも違うのかと驚いた。
 そんな自分に、ヤバイなと感じてはいた。いたけど、到底止めるつもりはなかった。
 止めるのは神成からあの言葉を聞き出した時でいい。それまでは存分にこの状況を楽しんでやろう。神成で遊べるだけ遊んでやるのだ。
 そう、これは遊びゲームだ。
 あの自尊心の塊のような女の口から、俺を求めさせてやる。神成の意思で、オサムでも他の誰かでもなく、俺を選択させる。それはつまり神成を俺に従わせ、征服し、屈服させるということだ。最終的に神成から言葉を引き出せばゲームクリア。それで終わり。エンドロールだ。


 あの飲み会の日。
 オサムの目の前で、神成は俺を選択した。
 神成の方から、俺の身体を求めてきた。
 ある意味、ゲームミッションをクリアしたとも言える。
 そのことは酷く俺を興奮させたが、それだけじゃない。むしろ、その後の方が俺の心を揺さぶった。

 俺の腕の中で、神成が眠っている。
 あどけない寝顔を晒して。神成のベッドの上、お互い素肌をくっつけ、足を絡ませてくる。温かい、いや熱いくらいだ。時折神成が眉を寄せ呻くので、軽く背中を叩いてやると、俺の胸に頭を押し付け、また穏やかな寝息をたてた。そのことに何故か安堵する。

 静かな夜だった。
 それは俺が神成に求めていたのとは全く逆のものなのに、こんなものは求めていなかったはずなのに、すごく満たされた気になった。神成の匂いがそこら中からして、俺を包んでいることが、とてつもなく変な気分にさせた。
 居心地が良すぎて、居心地が悪い。ずっとこうしていたいと思ってしまう自分に、吐き気がした。

 だから次の日、神成が俺を拒んだ時、どこかホッとした。
 安易に俺に堕ちてくれるなと思った。これは遊びゲームなのだから、もっと俺を楽しませろ。俺から離れると言うなら、神成の方から俺の方に来るように仕向けるだけだ。
 まだ、終わりにしたくない。もっともっと神成と遊びたい。

 安堵したのは、決して神成とこれ以上距離を縮めるのは危険だと思ったからではない。

 予想通り、一切関りを持たなくなった俺に対して、神成は逆に意識するようになっていった。押して駄目なら引いてみろ。そんなベタすぎる作戦にまんまと引っかかるなんて、馬鹿すぎてチョロすぎて笑ってしまう。
 同じ空間にいると、痛いくらい神成の視線を感じた。そんなもの見なくても分かる。いや、感じるからこそ、絶対に神成の方は見てやらない。

 その状況が、この上なく気持ちよかった。良すぎて、べろべろに酔いしれていた。
 まるで復讐だ。
 何年も俺のことを一切見なかった神成に、今は俺が全く同じことをやっている。
 込み上げてくる笑いを抑えることなくマイクを押し付け、根掘り葉掘り神成にインタビューしたい気持ちだった。

 なあ神成、今の気持ちは?

 悔しいか?悲しいか?
 見たくもないのに自分ばかり見てしまって、しかも相手には全く見てもらえない。そんな惨めったらしいお前の今の気持ちを教えろよ!

 俺に謝れ。媚びへつらえ。跪いて、懇願しろ。
 私を無視しないで見てほしいと、俺に抱いてほしいと言え。泣いて縋ってこい。

 お前が俺を求めるなら、応えてやってもいい。そこまで言うのなら、優しい言葉をかけて、優しく頭を撫でて、優しくお前を抱いてやってもいい。楽しむだけ楽しんだら、最後のミッションをクリアしておしまい。

 これはそういう遊びゲームなのだから。


 ーーだが、神成は俺の予想の斜め上を行った。

『あんたは私の所有物モノなんだから。私のモノをどうしようが私の勝手でしょ』

 神成にそう公言された時、はっきり言って全身が震えた。
 痛い位の衝撃を受けた。身体中に電撃が走った。死ぬかと思った。いや、一回死んだ。瞬殺だった。
 神成がオサムを好きだと知った日も同じような感覚を味わったが、胸中を渦巻くものは全く別のモノだった。

 やられた、と悔しく思う以上に興奮した。
 ……なんなんだ、この女。
 高すぎるプライドを曲げることを頑なに拒み、俺に屈服することなく逆に俺を屈服させるとか。
 その発想、面白すぎるだろ。最高すぎるだろ!

 気が付けば俺は腹を抱えて爆笑していた。後から後から笑いが込み上げてきて止まらない。腹が痛くなるほど笑ったのなんて、生まれて初めてかもしれない。
 神成のとんでも発言が可笑しくって笑った。だけどそれだけじゃない。

 ーー嬉しかった。それに安堵した。

 そんなクソみたいな感情、否定したかったが、胸の中が一杯でとてもできない。それを口にしないので精一杯だった。

 神成は俺を『所有する』という。
 神成のプライドを守るために。俺を他の女と共有しないために。俺を独占するために。

 そんな言葉、全く予想していなかった。

 神成に俺のことを『好き』だと言わせたかった。そしてその想いをぐちゃぐちゃに踏みにじってやりたかった。ずっと神成を征服したかった。神成の中を俺でいっぱいにしたかった。
 ずっとそう考えていたことが、一瞬で跡形もなく木っ端みじんに吹き飛んだ。

 神成に所有されることの気持ちよさと言ったら、ない。

 神成を俺でいっぱいにしてやりたかった。なのに、俺の中が神成でいっぱいになっていた。気が付いた時にはもう取り返しのつかないほどに。

 ミイラ取りがミイラ、とは俺のことだ。




 自分が何をしたいのか、俺自身よくわからなくなってきた。
 神成に対して抱く感情も、よくわからない。

 神成に『好き』だと言わせたい。それを拒絶して絶望させてやりたい。その時あいつがどんな顔をするのかが見たい。
 だけどそれと同じくらい、神成に笑ってほしい。くだらない冗談を言い合ったり、セックスしなくても一緒に寝たり、あいつと同じ時間を共有したい。
 あいつにずっと所有されていたい。ずっとあいつに求められたい。

 神成との遊びゲームを終わらせたいのか、終わらせたくないのか。楽しんでるのか、恐れているのか。
 一体、俺はどうしたいのか。どうしたらいいのか。

 ーー多分、怖いんだと思う。
 あいつに所有された時は、はっきり言って嬉しかった。安心した。でもその思いはすぐに萎み、どんどん不安が大きくなっていった。
 結局のところ所有者は神成だ。俺を飼うも捨てるも、あいつ次第。絶対に覆ることのない上下関係がそこにはある。

 神成に、捨てられたくはなかった。
 神成にもう二度と、一切の興味もないというような眼差しを向けられたくなかった。
 だから捨てられる前にあいつを捨ててやりたい。あいつからではなく、俺の手でこの関係を打ち切ってやりたい。そうしないと、俺はーー

 でも、それはまだ先の話。
 神成は確かに俺に好意を抱いている。俺に気を許している。神成に言わせたいあの言葉を、心の中で言ってるだろうと感じる時がある。
 でも高すぎる神成のプライドがそれを口にすることを許さない。
 所有者である自分からは言えない。プライドが邪魔をして素直になれない。
 それでいい。
 あの言葉を言いさえしなけりゃ、ずっとこうして一緒にいられる。
 それでいい。
 このままがいい。頼むから、言ってくれるな。

 ーーまだ、お前といたい。



 そんな俺の願い虚しく、その日は訪れる。



「ねえ、この人名前なんて言うの?」

 いつものようにソファに二人並んでテレビを見ていると、無知な神成がバラエティ番組に出てる芸能人を指さして俺に聞いてきた。
 画面に映った女の顔を見て、思わず息を呑んだ。

「最近テレビによく出るよね。すごい綺麗なのにもう40過ぎてるんでしょ?見えないな」

 映画の番宣で出てるだろうその女は、取り繕うことなく口を大きく開けて笑っている。急に胃の中が気持ち悪くなり、頭を殴られたかのようにガンガン痛み出した。

「……星ナナコ。知らねーの?結構有名な女優だけど」

 それでも何とか声を絞り出す。笑ったつもりだったが、笑えていたかはわからない。

「私ドラマとか見ないなから。女優さんなのにバラエティ出るんだね。なんか綺麗なのに親しみやすくって、好感持てるな」

 なんの疑いもなくそう言う神成に、カッとなった。
 人の表情にうとい奴だと思ってはいたがここまでとは。自然体を装ったつくられた笑みだと何で気付かない?

「……はっ、めっちゃ騙されてる。こいつバツ4で不倫しまくりのクソビッチだぜ?子供より男のチンコが大好きな若作りババアに好感持てるとか、目え腐ってんじゃねえの?それとも、そんな奴が好きだとか?お前も相当な淫乱だもんな」

 突然悪意むき出しで貶し始める俺に、神成が驚いたように目を丸くする。向けられた視線には久々に俺に対する嫌悪の色も浮かんでいて、さらに面白くない気持ちになる。

「そんな言い方……どうせ週刊誌が言ってるんでしょ?そんなの本当かどうかも分からないのにー」

「本当だよ」

「なんでそんなこと断言できるの?」

 神成に訝し気な目を向けられ、イライラが増長する。俺の言葉を信じず、画面上の実際には関わったことのない女の味方をすることが気に食わない。ムカつぎすぎて、胸が痛い。

 言う気はなかった。
 聞かれても適当に誤魔化すつもりだった。そのことは別に秘密でもなんでもなく、俺の友人のほとんどは知っている。それを目当てに近付いてきたやつだって多い。だが、それはそれ。俺は別に気にしてなかったし、俺には関係ないことだった。完全に俺の中で割り切っていたことだが、それでも神成には、どうしてか神成にだけは教えたくなかった。

 だと言うのにーー

「俺の母親だから」

「……え?」

「だから、全部本当のこと」

 込み上げる怒りに完全に蓋をして、俺は余所行きの仮面を張り付けヘラリと笑った。



 星ナナコは正真正銘俺の母親だ。

 十五歳でモデルデビューし、その後女優に転身。すぐにテレビ局のプロデューサーと結婚するも一年持たずと離婚。そして今度は同業者である当時の人気俳優と結婚するも、またもや離婚。
 その時できたのが俺だ。

 妊娠を機に、星ナナコは表舞台から姿を消した。が、何もしていなかったわけではない。
 今度は商品をセルフプロデュースし、それを販売することに専念した。
 それは化粧品から始まり、レディスファッション、そして子供服へと広がった。
 シングルマザーの立場を利用し、一人でも子育てを頑張る母親を世間にアピールし、二度の離婚をしながらも星ナナコの人気は衰えなかった。
 可愛らしいその顔も大いに影響しているのかもしれない。だが、一番はそのあざと過ぎる戦略と演技力だ。使えるものは何でも使う。結果、星ナナコのブランドは人気を集めた。かなり儲けていたにも関わらず、彼女はそれに満足しなかった。

 次に目を付けたのは俺だった。
 俺を子役として芸能界デビューさせることに、星ナナコは心血を注いだ。幸いにも俺は星ナナコによく似た整った可愛らしい顔立ちをしていたようで、話題性もあり一時期は引っ張りだこだった。が、それも長くは続かない。

 初めの頃は何もしなくても仕事が舞い込んできたが、次第にそれは難しくなった。
 俺以上に可愛い子も演技のできる子も、ざらにいる。むしろ俺なんて、『星ナナコの子供』だからこそ、選ばれていただけだ。
 子供だからといってそれが分からないわけではなかった。

 大人の目は、口ほどに物を言う。
 いや、口から出た言葉なんて何も信用できなかった。あんなもの嘘の塊だ。本心というものは、瞳に映る。それも鮮明に。
 子供だからこそそれを敏感に感じ取ることができ、子供だからこそそのことに恐怖を抱いた。
 星ナナコは俺に仕事のオファーが来なくなり、オーディションにも受かり辛くなると、あっさりと俺を見限った。それはもう、トカゲが尻尾を切り離す様に、あっさりと。

 今でもこの時のことは、あまり思い出したくない。あの女の、俺を見る眼差しはーーいや、止めよう。

 元々、同じ家に住んでいるとはいえ、星ナナコが俺と顔を合わすことなんてほぼなかった。俺の世話をしていたのは雇われのベビーシッターと家政婦だ。それも雇い主と折が合わず、一年と持たずに辞めることがほとんどだった。小学生になった頃には、夜は大体一人だった。星ナナコは飲み歩いているのか男の所に行ってるのかは知らないが、ほとんど帰ってこなかった。まあ、帰ってきたとしても会話なんてないけれど。

 俺が高校生になるまでに、星ナナコはさらに二回結婚した。そして、二回離婚した。恋人の数は両手では抱えきれないほどで、そのうちの半分は不倫だった。

『好き。愛してる』

 そんな台詞を電話片手に、あの女はよく口にした。その顔はとてもそんな台詞を吐いているようには見えないものだった。

 商品としての利用価値がなくなった俺に、あの女の興味なんてものはもちろんない。
 高校卒業の際、今後大学卒業するまでに必要になるだろう金をたんまりともらい、事実上縁を切った。あの女はそのことに何も言わなかった。本当に、何も。

 あの女とは、それ以来一回も合ってはいない。



 ふいに視界が暗くなり、温かい何かに包まれた。大分遅れて、神成に抱きしめられていることに気付く。
 それ以外の可能性などないのに、咄嗟にその考えが浮かばなかったのはどうしてだろう。目の前にあるふくよかな胸に顔を埋めたいのに、俺は身体が固まって動けずにいた。

「その顔、嫌い」

 頭の上の方で神成がポツリと言った。

「そうか?皆俺の顔が好きだって言うけどな。星ナナコに似てて」

 がやがやとテレビの笑い声が聞こえる。あの女が、笑っている声がする。気持ち悪い、いや怖い。心臓を直接握りしめられている様な、嫌な感覚に襲われて動けない。

「全然似てない」

 神成が優しく俺の頭を撫でる。なのに全然気持ちいいと思えない。視界は閉ざされているはずなのに、あの女が笑っているのが見える。吐き気がすごい。ものすごく寒い。

快斗かいといい子ね。ほら、ママみたいに笑って。そう上手』

 撮影中に何度も言われた言葉。そしていつも頭を撫でられた。褒められて嬉しいはずなのに、綺麗に笑うあの女の目は少しも笑っていないことが怖かった。俺を見ているようで、全く見ていない、あの目が。

 フラッシュバックした過去の出来事と現実が入り混じる。
 今俺の頭を撫でているのは、俺を優しく包んでいるのは、誰だ?

 視界が開け、暗かった世界に光が差し込む。
 目を開けた先にいたのはあの女ではない。
 しかめた面の神成怜奈が、真っすぐに俺の顔を覗き込んでいた。

「嘘、あんたの笑い方にそっくりだった。だから、嫌。あんな風に全てを隠す笑顔、私には見せないでほしい」

 両手で頬を包まれ、視線を逸らすことができなくなる。
 神成は、俺を見ていた。真っすぐに俺だけを、その瞳に映している。
 あの女の顔が、霞んでいく。神成が俺を支配する。俺の中が温かくなっていく。

「安田、すき」

 そして、終わりの言葉を口にした。



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