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オサム

可哀想なのは誰なのか(4)

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 ナミちゃんと付き合うようになって、多分僕は調子に乗っていた。

 僕が一生知り得ない筈だった、ごく一般的な男性が得られるであろう幸せを経験し、僕自身ごく一般的な男性になったかのような錯覚に陥った。いや、ナミちゃんという可愛い彼女のお陰で、一般的な男性よりもさらに高みにいるような気にさえなっていた。

 何も知らなかった僕に、ナミちゃんは全て教えてくれた。
 男女交際の仕方も、その楽しさも。女性の身体の柔らかさも、温もりも。そして身体を繋げることで得られる快感も。
 なおかつ彼女は僕に自信も与えてくれた。こんなつまらない男といても、いつも嬉しそうに頬を染め、楽しそうに笑い、それを隠すことなく言葉で伝えてくれる。僕に変わることを強要せず、そのままの僕が好きだと言ってくれる。
 セックスの時もそうだ。童貞でテクニックなんて何一つない僕に、丁寧に一つ一つ教えてくれ、一緒に快感を得られるようにと根気よく付き合ってくれた。ナミちゃんの様な可愛い女の子が僕の手で乱れ、蜜を溢し、気持ちいい、もっとと甘く強請られることで、僕の自己肯定感は一層高まった。

 ナミちゃんによって導かれ、知り得なかった世界を知り、僕はあり得ない位浮かれていた。有頂天だった。毎日が楽しくて仕方なかった。今の自分は何でもできるとさえ思っていた。多分、なんて言ったけど、僕は確実に調子に乗っていた。

 冷静になって考えてみれば、周りが全く見えず、ただただナミちゃんに溺れていただけだというのに。

 そんな桃源郷の様な世界から僕を現実に引き戻したのは、神成さんの思いがけない一言だった。

「いるよ、好きな人。もう、振られたけど」

「え?」

 自分から聞いたくせに、その答えに息が止まった。心臓も止まって思考も停止して、身体も空気も時間も、全てが止まった。

 神成さんが誰かを好きでいて、そして振られたという事実。
 思ってもみなかったことだった。

 まさか、そんな、本当に?
 あまりの衝撃で動けない僕を、神成さんは静かにじっと見つめていた。緩くカールした長い睫毛をピクリとも動かさず、睨んでいるかのように強く、そして泣いてるかのように弱弱しく。
 そんな神成さんを目の当たりにし、落ち着かない気持ちになる。そわそわ、というよりはムズムズというような。心をくすぐられて身を捩りたくなるような、不思議な気持ちだった。

 結局安田くんが来たことでそれ以上のことは聞けなかったけど、その後もずっと神成さんの言葉が、そして僕を見つめる瞳が、頭の中の奥隅に居座っていた。

ーーもしかして、神成さんが好きなのは、僕?

 調子に乗って天狗になっていた僕は、そんな愚かであり得るはずのない可能性にたどり着いてしまった。
 そう思ったら、胸がドキドキして、居てもたっても居られなくなって、大声で叫びたくなって、全速力で駆け出して、海でも空でもどこでもいいから、どこかに飛び込みたくなった。

 いやいや、まさかそんなことある筈ない。落ち着け自分。
 沸いた頭に冷や水をかけるように、自分で自分に言い聞かせるが、一度浮かんでしまった思いはなかなか消えてくれない。
 確かにナミちゃんと付き合うことで自分自身に自信はついた。が、まさか神成さんに好意を寄せられるほどの人間になったとは、到底考えられない。彼女の様な女性が僕のことを好きになるはずなんて、絶対ないのだ。

 そう何度も何度も自分自身に言い聞かせたけど、一向に浮ついた心は地に足をつけようとしない。
 もし本当にそうだったらと思うと、嬉しくて変なステップを踏みそうになり、それを堪えるのが大変だった。

 その日から僕は、無意識のうちに今までとは違う目で神成さんを見るようになった。
 すると、今まで気付かなかった見えないものが見えてくる。

 神成さんは僕以外とはあまり話さないと思っていたけど、安田くんともよく話す。そして、二人の距離は近い。僕とよりも、ずっと。

 ……もしかして、神成さんの言っていた相手は安田くん?
 その可能性に気付き、浮かれて飛び跳ねて踊りまわっていた心は、急降下して海の藻屑となった。

 ああ、そうだよな。わかっていたことじゃないか。神成さんが僕のことを好きになるなんて、そんな夢みたいなことあるはずないって。

 ……馬鹿だなあ、僕は。
 ナミちゃんが僕のことを好きになってくれて、こうして付き合えるようになっただけでも奇跡だと言うのに。どうして神成さんまでも僕のことが好きかもしれないなんて思ってしまったんだろう。

 諦めと自嘲がない交ぜになったため息が漏れる。
 心がぽっかりと空いたような虚無感、情けない自分に対する憤り、それに沸々と湧いてくる安田くんへの嫉妬心。


 そしてナミちゃんへの罪悪感を誤魔化すかのように、その日僕はナミちゃんをめちゃくちゃに抱いた。
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