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神成
(15)
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「や、安田っ!!」
「きゃっ!何!?」
かーっと血が上って大きな声を上げると、女の子は悲鳴を上げて思いっきり私の方を振り返った。彼女は反射的に身を捩って安田から降りようとしたが、安田が腰に手をまわし、それを制止する。安田はその間、表情をぴくりとも動かさず、ただ私をじっと見据えていた。
「何?何の用?」
覚悟していたはずなのに、冷たく突き放す様な安田の声に、胸が痛んで挫けそうになる。女の子は居心地悪そうに安田の上に腰かけたまま、私と安田を交互に見て様子を伺っている。顔を見てもピンと来ず、やっぱり知らない子だった。全く面識のない知らない子なのに、どこかで見たような顔、いや表情をしていて、胸がいやに騒つき始める。
「……教授が、研究室に顔出せって。明日は絶対に。それを伝えてほしいって言われて」
「あっそ。そんだけ?」
急かす様に言われ、私は何を言えばいいのかも思いつかず、ただ頷いた。
「じゃあ、早くどっか行けよ。見て分かんねえの?邪魔なんだけど」
安田は腰に当てた手にグッと力を入れ、自分の方へと更に近付ける。親密な様子をまざまざと見せつけられ、苦い気持ちが胸に広がった。
「……こんな所で、止めなさいよ。恥ずかしい」
「くくっ、それをお前が言う?それとも、何。お前も加わりてえの?」
侮蔑を込めた笑みを向けられ、目の前が真っ赤に染まった。
「馬鹿なこと言わないでよ!あんたと一緒にしないで!あんたみたいに、ヤルことしか考えてないような、最低男。……ほんと、最っ低。死ね」
「そーだよ。お前もよく知ってるだろ、俺が最低なんてこと。今更なに言ってんだよ」
安田の言葉に何も言い返すことができず、ぐっと言葉に詰まった。無性に泣きたくなったが、必死にそれを堪え、私は逃げるように教室を飛び出した。
真っすぐに伸びる廊下を、全速力でひたすら走る。走りながら、私の頭の中ではさっきの光景と、安田の台詞が延々とぐるぐる繰り返し渦巻いていた。
そして、わかってしまった。
さっきのあの子ーーあれは、私だ。
居酒屋の鏡に映った、頬を真っ赤に染め、目を潤ませ、誰でもいいから突っ込まれてえって顔をした私と、同じ顔をしていた。
認めたくない事実を、見せつけられた。
安田に触られると、誰もがああなるのだ。なのに安田がそうなることはない。頬を染める女の子と対照的な、安田の冷え冷えとした目。私との時も、あんな目で私を見ていただろうか。
違うような気がする。でも、そうだったような気もする。思い出してそれがどっちであったかを確認するのが怖い。
いや、そんなことどうでもいい。
安田が、他の子とキスをしていた。
その事実が、私の胸を何度も突き刺し、締め付け、ぐちゃぐちゃに掻きまわしていた。
聞くと見るとでは、全然違う。
安田が不特定多数の子とそういう行為をしていることなんて、もちろん知っていた。私と関係を持つ前も、持った後も。そんなことは大前提としてあって、それこそが安田だった。そして、私もそれを踏まえた上で接していたし、そのことを不快にこそ思えど嫌だなんて思ったことはなかった。
そう、はっきりと嫌だと思った。
安田が他の子とそういうことをするのも、安田にとって私が、不特定多数の子と何ら変わらないのも。
胸が痛い。脇腹も痛いし、呼吸が苦しい。
でも、怖くて止まることができない。止まって、後ろを向いて、そこに誰もいないのが怖い。
ドンっと肩が当たり、私はよろけてその場にしゃがみ込んだ。ぶつかった衝撃は大したものじゃなかったが、足の力が抜けて、そのまま立てなくなってしまった。地面に両手をつけ、ぜえぜえと背中で呼吸をしていると、誰かの靴が視界に入り、そこで漸く誰かにぶつかったのだと気づいた。
「うわっ!ごめんなさい、大丈夫ですか?って……神成さん?」
かけられた声でその相手がオサムだと分かった。頭をあげようとするも酷い眩暈に襲われ、私は手をおでこに当ててまた俯いた。
「……う、オサム。ごめん、ちゃんと前見てなかった」
「いや、ちょっと当たっただけだから。それより、神成さんの方が大丈夫?」
「あ、うん。ちょっと、急いでて」
心配される程かなりみっともない状態であるのを自覚し、途端恥ずかしさに襲われた。何とか呼吸を整えて顔を上げると、オサムは眉を思いきり下げながらもどこか怒ったように、私の顔を覗き込んでいた。
「違くて。顔色、すごく悪いよ。貧血?」
「え、そう?……貧血、なのかも。最近あんまり食べてなかったから」
「ずっと元気なかったもんね。立てる?医務室行こう」
オサムにそう言われて単純に驚いた。自分が元気がない自覚もなかったし、それにオサムが気付くということはかなり態度に出ていたということになる。自分が見えてなさすぎて、自己管理がなってなさすぎて、ため息しか出ない。
「ううん。そこまでじゃないから大丈夫。なんか食べれば治るよ。ありがと、オサム」
私がそう言ってもオサムは暫く疑うような視線を向けていたが、ニコリと笑って見せたら「神成さんがそう言うなら」としぶしぶながら折れてくれた。
「じゃあ、食堂行ってなんか食べよう」
「え?私は、いいよ。お腹空いてないから」
「食べたら治るんでしょ?だったら食べなきゃ、僕も安心できないよ」
そう言われ、手首を掴まれそっと身体を持ち上げられた。軽く眩暈がするも、オサムが肩を支えてくれたため、ふらつくことはなかった。「ありがと」と距離を取ろうと下がると、掴まれた手にぐっと力が籠められる。
不思議に思っていると、オサムにそのまま手首を引かれ、半歩遅れてついて行くように私も歩きだした。ちらっと振り返ったオサムがホッとしたように笑い、そしてまた前を向き歩き出す。
何故か何も言うことができず、食堂に着くまでの間、私はオサムに手を掴まれたままだった。
「きゃっ!何!?」
かーっと血が上って大きな声を上げると、女の子は悲鳴を上げて思いっきり私の方を振り返った。彼女は反射的に身を捩って安田から降りようとしたが、安田が腰に手をまわし、それを制止する。安田はその間、表情をぴくりとも動かさず、ただ私をじっと見据えていた。
「何?何の用?」
覚悟していたはずなのに、冷たく突き放す様な安田の声に、胸が痛んで挫けそうになる。女の子は居心地悪そうに安田の上に腰かけたまま、私と安田を交互に見て様子を伺っている。顔を見てもピンと来ず、やっぱり知らない子だった。全く面識のない知らない子なのに、どこかで見たような顔、いや表情をしていて、胸がいやに騒つき始める。
「……教授が、研究室に顔出せって。明日は絶対に。それを伝えてほしいって言われて」
「あっそ。そんだけ?」
急かす様に言われ、私は何を言えばいいのかも思いつかず、ただ頷いた。
「じゃあ、早くどっか行けよ。見て分かんねえの?邪魔なんだけど」
安田は腰に当てた手にグッと力を入れ、自分の方へと更に近付ける。親密な様子をまざまざと見せつけられ、苦い気持ちが胸に広がった。
「……こんな所で、止めなさいよ。恥ずかしい」
「くくっ、それをお前が言う?それとも、何。お前も加わりてえの?」
侮蔑を込めた笑みを向けられ、目の前が真っ赤に染まった。
「馬鹿なこと言わないでよ!あんたと一緒にしないで!あんたみたいに、ヤルことしか考えてないような、最低男。……ほんと、最っ低。死ね」
「そーだよ。お前もよく知ってるだろ、俺が最低なんてこと。今更なに言ってんだよ」
安田の言葉に何も言い返すことができず、ぐっと言葉に詰まった。無性に泣きたくなったが、必死にそれを堪え、私は逃げるように教室を飛び出した。
真っすぐに伸びる廊下を、全速力でひたすら走る。走りながら、私の頭の中ではさっきの光景と、安田の台詞が延々とぐるぐる繰り返し渦巻いていた。
そして、わかってしまった。
さっきのあの子ーーあれは、私だ。
居酒屋の鏡に映った、頬を真っ赤に染め、目を潤ませ、誰でもいいから突っ込まれてえって顔をした私と、同じ顔をしていた。
認めたくない事実を、見せつけられた。
安田に触られると、誰もがああなるのだ。なのに安田がそうなることはない。頬を染める女の子と対照的な、安田の冷え冷えとした目。私との時も、あんな目で私を見ていただろうか。
違うような気がする。でも、そうだったような気もする。思い出してそれがどっちであったかを確認するのが怖い。
いや、そんなことどうでもいい。
安田が、他の子とキスをしていた。
その事実が、私の胸を何度も突き刺し、締め付け、ぐちゃぐちゃに掻きまわしていた。
聞くと見るとでは、全然違う。
安田が不特定多数の子とそういう行為をしていることなんて、もちろん知っていた。私と関係を持つ前も、持った後も。そんなことは大前提としてあって、それこそが安田だった。そして、私もそれを踏まえた上で接していたし、そのことを不快にこそ思えど嫌だなんて思ったことはなかった。
そう、はっきりと嫌だと思った。
安田が他の子とそういうことをするのも、安田にとって私が、不特定多数の子と何ら変わらないのも。
胸が痛い。脇腹も痛いし、呼吸が苦しい。
でも、怖くて止まることができない。止まって、後ろを向いて、そこに誰もいないのが怖い。
ドンっと肩が当たり、私はよろけてその場にしゃがみ込んだ。ぶつかった衝撃は大したものじゃなかったが、足の力が抜けて、そのまま立てなくなってしまった。地面に両手をつけ、ぜえぜえと背中で呼吸をしていると、誰かの靴が視界に入り、そこで漸く誰かにぶつかったのだと気づいた。
「うわっ!ごめんなさい、大丈夫ですか?って……神成さん?」
かけられた声でその相手がオサムだと分かった。頭をあげようとするも酷い眩暈に襲われ、私は手をおでこに当ててまた俯いた。
「……う、オサム。ごめん、ちゃんと前見てなかった」
「いや、ちょっと当たっただけだから。それより、神成さんの方が大丈夫?」
「あ、うん。ちょっと、急いでて」
心配される程かなりみっともない状態であるのを自覚し、途端恥ずかしさに襲われた。何とか呼吸を整えて顔を上げると、オサムは眉を思いきり下げながらもどこか怒ったように、私の顔を覗き込んでいた。
「違くて。顔色、すごく悪いよ。貧血?」
「え、そう?……貧血、なのかも。最近あんまり食べてなかったから」
「ずっと元気なかったもんね。立てる?医務室行こう」
オサムにそう言われて単純に驚いた。自分が元気がない自覚もなかったし、それにオサムが気付くということはかなり態度に出ていたということになる。自分が見えてなさすぎて、自己管理がなってなさすぎて、ため息しか出ない。
「ううん。そこまでじゃないから大丈夫。なんか食べれば治るよ。ありがと、オサム」
私がそう言ってもオサムは暫く疑うような視線を向けていたが、ニコリと笑って見せたら「神成さんがそう言うなら」としぶしぶながら折れてくれた。
「じゃあ、食堂行ってなんか食べよう」
「え?私は、いいよ。お腹空いてないから」
「食べたら治るんでしょ?だったら食べなきゃ、僕も安心できないよ」
そう言われ、手首を掴まれそっと身体を持ち上げられた。軽く眩暈がするも、オサムが肩を支えてくれたため、ふらつくことはなかった。「ありがと」と距離を取ろうと下がると、掴まれた手にぐっと力が籠められる。
不思議に思っていると、オサムにそのまま手首を引かれ、半歩遅れてついて行くように私も歩きだした。ちらっと振り返ったオサムがホッとしたように笑い、そしてまた前を向き歩き出す。
何故か何も言うことができず、食堂に着くまでの間、私はオサムに手を掴まれたままだった。
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