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61.ノクトマとスビアイ山―8

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 結局、明日の昼に南門傍のとある食事処で会う約束をし、私たちは急ぎ宿へと戻ることになった。戻るも何も探す前に尾行されたのでまだ宿すら見つけていないのだが、急がねばならない。作戦会議……ではないが、すぐ決めるにはあまりにも情報量が多い依頼である。少し整理する時間を貰った形だ。

 時間が遅かったせいかちょうどいい宿が空いておらず、私たちが昨日の宿より中央寄りで見つけたのは、そこそこ広いが一人部屋一つであった。だがもともと金銭に余裕がある一人向け、もしくは詰めて二人部屋として提供していたようで、なんとか二名宿泊可能となって落ち着くことができた。
 昨日の宿より少し広いベッドとテーブルに椅子が二脚、そしてなんと簡易のシャワー室まである部屋だ。水が流れる魔道具を設置しているシャワー室付きの宿は中々に人気で、置かれたベッドも清潔。家具もよく手入れされた、少し前の冒険者ランクでは手を伸ばしにくい上等な部屋である。漸く冒険者としてのランクが上がってきたのだと実感できるような宿だ。
 とはいえ、宿をとれたといっても私たちは落ち着く暇もない。お湯……ではないがまぁ温いと言える範囲かな? という水が噴き出すシャワーで身を清め、いつものように洗濯しながら話すのは今日の怒涛の出来事についてだ。

「まさか師匠たちが動いているなんてな。あの様子じゃじいさんもだろ? ルイード師匠が別件だって言ってたのは、たぶん未開の森の件だと思うんだが……」
「過去に報酬でこの魔道具グリモワールを渡したって言ってたけど、あの人の剣、たぶんそれなりの環境で習ったものでしょう。騎士家系……の可能性もあるけど、高位の貴族筋だと思う」
「だろうな。正直、貴族に関わるなんてめんどくさいことこの上ないが、手紙は手に入れたい。ミナが調べたいって言ってたから、だけじゃない。俺たちはグリモワールについて知るべきだ」
「……うん」
「冒険者として周りを見れば見る程、使えば使うほど、黒のグリモワールに収められてた魔道具は規格外すぎる。使いどころがわからないものも多いだろ? そもそも鑑定機能がついてる時点で、収納がなくても黒本は驚異的なんだ。他の色の本も含めて、使い手がミナに限定されたのも気になる。じいさんの占術で出た結果でもあることだし、悪いもんじゃないとは思うが、なら猶更だ。俺たちは調べないといけない」
「うん。手紙まであったなんて、まるで……」
 想いそのものが、遺されているような。

 手を翳せば、ふわり、と私の意思を受けて傍ら浮かぶ黒のグリモワール。こんなものがあればいいな、という道具が詰まった、冒険者の為にあるような本だった。
「本も含めて誰かのメッセージそのもの、みたいだな。誰のものか、知らないが」
 うん、と頷いてその背表紙を撫でる。
 そもそも魔道具は、今現在存在する九十%以上が近代作られた、魔道具黄金期と呼ばれた時代以前の道具の模倣品の量産だと言われている。黄金期は今より八百年以上前であるとされ、模倣品や類似品ではない完全に新作とされる魔道具は九%程度になるという。時代の移り変わりにより新たに必要となったものなどがそうだ。
 そんな中、残りのたった一%未満になる黄金期より残された道具のほとんどは、手に入れるのが非常に難しいと言われている。さらにその半分は、模倣すらできない高度な技術の結晶であり、存在が秘されているようなものばかりだ。そう、たとえば……この、グリモワールのように。
 そんな魔道具と共に残された、手紙。歴史的価値も高いだろうし、何より長く使い手がいなかったという開かずの本にはいったい、どのような秘密が隠されているというのだろう。
「……というか、さ。おじいさま、迷宮のアイテム渡すだけでいいみたいな伝言だったけど、たぶん見越してた気がするんだよね……」
 師匠はあくまで伝言を伝えに来てくれただけ。私たちに依頼を引き受けない選択肢はあったのだと思うけれど、それは強制されていなかっただけで、どのみち引き受けることになるとわかっていたんじゃないかと思う。
 そもそも依頼者はグリモワールに関しての情報を知る人物であったのだ。グリモワールを持つ私と出会うことになったこと自体が、偶然の一言では済まされないだろう。
「だよな、俺もそう思う。たぶんじいさんは『視て』知ってたんだろ」
「……迷宮かぁ。ダンジョン内に泊まったりもある……んだよね」
「ただでさえ何があるかわからないんだ、体力を落とさないように休息は必須だろうな」
 ユウが同意し、指で私の髪を梳いて乾かし終わると、なぜかその手が横から伸び、腹部に回された。え、と固まっている間に、肩に熱と重みを感じる。一瞬何が起きているかわからなかったが、後ろに座るユウに抱き寄せられ、その額が肩に乗せられているのだと理解してかっと全身が熱くなる。

「ユウ!?」

 驚きに声を上げたが、応えずユウは伸ばした手で洗い終えた洗濯物に触れると水気を飛ばし始めた。
 無言の行動に戸惑い、どうしてという思いの中に確かに嬉しさを感じてしまった。ああ、ああ。この数日をかけて戸惑いがゆっくりと消化されていったようで、私は以前よりも素直に自分の感情の変化を受け入れ始めてしまった。
 ほんの数秒どうすべきかと迷う間に全ての洗濯物を乾かし終えたユウが、動いていた手をまた腹部に回してくる。

「……ユウ?」
「いやか?」
「えっ」
 まさかこの状況についてこちらに質問が飛んでくると思わず、いろいろ聞きたい、いやそうじゃないと混乱が全身を支配する。
 どうする、どうしようと考えていると、再度嫌かと問われて、思わず首を振った。
「それは、……いや。全然何も言わないから、何とも思ってないのかと思ってさ。ずるかったな、ごめん」
「え、え? なに?」
「……なぁ、この部屋ベッド一つなんだけど」
「え? あ、そうだね。……あ゛っ!」
「今更かよ」
 くは、と笑い声を漏らされ、わたわたと暴れて逃げ出そうとすれば、腹部に回されていた手はあっさりと解かれて体が解放された。
 ずりずりと前に出て振り返る。困ったような、それでいて楽しそうな笑みを見せたユウの手が伸び、暴れたせいで乱れた髪が正面から梳かれ、耳にかけられた。耳に、指が。は?

「ユウ!? 何、からかっ、なんっ」
「落ち着けって。な、俺と一緒の時、野営でも寝れるようになっただろ」
 え、と動きを止め、振り返る。……そうだ、最近ユウの隣で寝て、はそこそこ眠っていた気がする。あの護衛依頼中寝不足だったのは、もう一人の護衛であるベルトランさんの見張り時間にほぼ眠れなかったせいだ。
 旅の当初は、ユウしかそばにいなくても野営では眠れなかったというのに。
「俺といて安心して寝れるなら、今はそれでいい。必ず守るから、ダンジョンでもできればそのまま眠ればいい。いつもみたいにくっついてていいから」
「……くっつく……あれっ、私これだいぶおかしいのでは?」
「今気づいたか。ま、いいよ今は兄替わりで」
「あに」
「そ。ま、兄じゃないから野営以外は気をつけろよ?」
「どっち!」
「なんにせよ俺のパートナーは今後もお前だけだ、絶対変わらない。それ以外答えはないぞ」
 うん? と曖昧に頷き、あ、と唐突に理解する。
 ユウは、同じ年ごろの女の子である依頼者がパーティーに増えることで、私が警戒する色恋のいざこざに関連するトラウマが刺激されぬよう大丈夫だと言ってくれているのだろう。
 私が彼女と行動するにあたって先に気にしてしまいそうな部分を排除しようとしているのか。眠れない理由自体は、この体でもあの集落でいろいろあったので前世絡みではないと思っている可能性もあるが、そうだった、と納得も広がる。……女が、増えるんだ。男女どちらにせよ人が増えることに不安で、思考が混乱に落ちたままだったのかもしれない。
 戸惑ったのが伝わったのだろう、大丈夫だって、とユウの手が私の頭を撫でる。ちらりと見た先ではもう天月もルリも休んでいて、部屋に少しの間静寂が訪れた。
「ほら、寝るぞ。状況によっては明日即スビアイに発って、予定を繰り上げてスビアイダンジョンを攻略する必要もある。ぎりぎりまであの依頼者と別行動とるとしても、一か月半後くらいには迷宮都市で待ち合わせしないといけないだろうからな」
「……うん。あの、ユウ」
「ん?」
「ここ、野営じゃないから気を付けないといけない?」
 ユウはさっき、兄じゃないから野営以外は気をつけろ、なんて言っていたけれど。あの言葉がいつもとどこか、違った気がして、勝手に胸の奥に期待と、理不尽な不安が膨らんでいく。
 ユウは、どうして。
「は? ……あー。正直に言えよ? お前まったく気にしてなかっただろ?」
「まったく……ではない、たぶん」
「へぇ」
 途端ににやにやとしたユウからさっと顔を逸らす。……これはずるいのでは? 私の気持ちバレバレでは? いやでも、今はまだ私もよくわからないんだよ。というかこの展開どういうことなの。
 ごちゃごちゃと考えている間にユウに腕を引かれ、結局ベッドに入ったところで、予想以上に熱が近くて緊張する。……やっぱ宿で寝具が一緒ってまずいのでは。というかユウは? ユウはどう思ってるの? これ聞いていいやつかな?

「あの、ユウ」
「俺、誰が見てもわかりやすいと思うんだよな」
「えっ」
「いやじゃないんなら俺もそろそろ遠慮しない。つまりこの状況で俺に何か聞くなら覚悟して聞け」
「そっ、え、……おやすみ、なさい」
 はい、おやすみ。そう言って隠し切れない笑い声を零したユウになんとか背を向ける。それってもう、答え? 私の期待しすぎ? ああでも、どうして嬉しいと思う感情に、こんなにも不安が混じってしまうんだろう。……こわい。
 過ぎった可能性に心臓が落ち着かなくなる前に眠れ眠れと念じると、じわりと膨らむ不安に考えること自体を慌てて放棄し、必死に跳ね回る天月を想像しているうちになんとか私は眠りに落ちていったのだった。

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