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27.未開の森の、―9
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心配だから、とついてきてくれた二人だったが、大通りに近づいていくなり、やっぱいるよな、そうみたいね、と諦めた声を零す。
「待たせたと思うとなんか申し訳な――」
「ミナ、いいか? こっちが嫌がっているのを察してるのに勝手に押しかけて勝手に待ってる奴を『待たせてる』とは言わない。あれは待ち伏せしてるっていうんだ」
「えええ……」
話を聞いてほしいから待つと勝手に宣言されたのは確かだ。それに対して「いかない」という返答はしてない相手なのだが、待ち伏せ……まぁそれも一理ある話……かもしれない?
私が疑問を抱えている間にも、あちらも私たちに気づき、そして足を踏み出していた。ぐっと口を引き結び真剣な表情をしたレイオスさんだったが……その姿はすぐ見えなくなる。黒いロングコートが視界を塞ぎ、ユウが私を背に隠したのだと気づいて、足を止めた。
今までもこうして庇われたことはあったが、その時はそれでもほんの少しだけ斜め前にあった背が、今は完全に正面に来ているのだ。これはいつもみたいに横から顔を出すべきではないかもしれない。
あちらが動いたことで、場所は大通りよりも手前。大通りですらギルドの警戒を気にかけて今日は人通りが少ないのだ、小道に人の気配は他になく、一瞬しんとした空気が周囲を包む。
「はっきり言わせてもらうが、こちらに話はない。勝手に待ち伏せてたんだ、約束したとは言わせないからな。それと、そんな相手の事情を聴く寛大さも俺にはない。これが最後だ、帰れ」
低い声。どこか怒りを含んだそれに、不安が噴出していく気がしてそっと目の前の背に手を伸ばしコートに触れる。
ユウの横ではエリックさんが「俺もあれは約束とは思わないな」と援護し、マーナリアさんは私の横でじっとレイオスさんを見つめている。四対一、いや実質三対一の構図で、落ち着かない。だがそれよりも、ユウが心配だった。
そうっと覗き込めば、こんな状況で足を引きかけたレイオスさんだったが、それでも彼は踏みとどまり、ぐっと一度唇を噛んだ後……申し訳ありませんでした、とはっきりと口にして、頭を下げた。
「ぼ……私たちは確かにお二人に対し、強引な接触と要求も、失礼で、不誠実な行動もとったと思っています。ですが、」
「その状況で昨日散々こちらが譲歩したんだ、その上で騙そうとしたやつの話は聴く気がない、って言ってるだろ。エリック、マーナリア、俺たちは戻る」
「……ま、その方がいいか」
「またお話しましょう」
あくまで隠しながらユウが私の身体を支え、固まったレイオスさんの横を通り過ぎようとした時だった。
「助けて頂きたいんです、このままじゃ集落が全滅する!」
「……え」
思わず声を上げてしまった。それで足を止めてしまったのは私だけではなくて、同時にユウの魔力がぐらりと乱れる。
当然真横にいた私も、魔術師であるマーナリアさんも、治癒師のレイオスさんもその不穏な乱れに反応を見せ、ただ一人剣士であるエリックさんも周囲の空気が変わったことに眉を寄せたが……それにとどまったからこそ、口を開けたのも彼だけだった。
「それはずりータイミングだわ、お前。聞かせちまったら、頼まれてない俺ですら帰りにくいっての」
がりがりと頭をかくエリックさんの言葉にさっと顔を青くしたレイオスさんは、握った拳を震わせてすみません、と俯いたまま言葉を零した。
殺伐とした雰囲気に包まれたといってもいい街の小道で、俯くレイオスさん、不穏な様子を隠しもしないユウと、呆れと困惑が混じったように頭を押さえるエリックさん、咎めるようにレイオスさんを見つめるマーナリアさんというなんとも一触即発の空気の中、そんな刺々しい空気をぶち壊したのは……私だった。
「ユウ」
「……なん、……は? え、おい、ミナ?」
頭ではわかっている。自分が今どう考えてもおかしなタイミングでそれを行っているのだと。いや、正確には『頭の片隅では』理解していたのだが、どうにも今そんなことより私の中を満たしているのは、我慢の効かない別な欲求だった。
「へっ、ミナさん!?」
「え、ああ? 嬢ちゃんどうしたんだ?」
「あっ、そうだわ、ミナさん酔って……!」
ユウの正面に回りするりと手を伸ばし、黒いコートを纏う意外とがっちりした腰と背に腕を巻き付けるように回して、その胸に頬を押し付ける。あったかい。うっとりするほど強い魔力に身体の芯から痺れて、蕩けるようだ。段々と不安が解けていくようで、……なにこれたまんない、ふわふわしてさいこうに気持ちがいい。
「んー、酔ってません。ユウ、零れてる魔力いつもより強いです、怒ってる? でもくっついていいよね? きもちいい……」
「は? はぁあああ? おまっ、ちょっ待て、ミナ!」
「あらまぁ」
「うっそだろ、嬢ちゃん。この強い威圧感みたいなのがたぶんそいつの魔力だろ? これのどこが気持ちいいんだよ」
「す、すみません。僕が口を挟むのもなんですが、酔ってる、って言いました? 普段から飲みなれていますか? いつもこうなっていますか?」
崩壊した場の空気とその原因に混沌としたこの場で、その立場のせいかまだ冷静さを保っていたレイオスさんの質問に、嬢ちゃんは初めてらしいと答えたエリックさん。状況は、わかるのだ。どうでもいいけれど。ところでこれ、いつ帰ってもいいんだろうか。
宿の部屋なら思いっきりくっついても大丈夫な気がするのだけど、外だとユウ、怒らないかな。あ、髪乾かしてほしいなぁ。ああでもこのまま思いっきりぎゅってしているのが一番いい、そうだそうしよう。
「魔力酔いだと思います。普通人間は他者の魔力を無意識に拒絶します。治癒術はそれを和らげ、受け入れる側もまた本能でそれを有用なものと認識している為その括りには入りませんが、一般的に抵抗力と呼ばれているものはその拒絶の力を示すんです。ですがごく稀に薬や酒の類でそれが下がる人が……」
「魔力酔い? いやでも、拒絶するもんなんだろ? 第一魔力酔いなら具合悪くなるだろ、普通こんな……」
「魔力酔いは強い魔力から身を守ろうとするある種の防衛本能よ? 本能的な恐怖がストレスとなって体調に出るもので……まさか……あ、まさかミナさん、拒絶してないの!? 受け入れちゃったの!? だから変な酔い方したのね、治癒術じゃないのよ!」
「んー、なんですか、それ。なんでもいいです。ユウ、宿に行こ? ベッドでか──」
「待て待て待て待てくっそふざけんな! ミナ落ち着け、あとでお前が後悔するっ」
んぐ、と話している途中で口をユウの手に塞がれたが、まぁこれでもいい。はくりとその魔力を食むようにユウの手のひらに唇を寄せたところで……私の意識は途切れている。
「チチチッ!? チィッ」
「大丈夫だルリ、落ち着け。くそっ……もっと早くに酒試させとけばよかった」
くったりと力を抜いてユーグに全身もたれかかったミナを慌てて抱き上げながら、ユーグは悪態を吐く。普通の食事にすら慣れていないミナの身体を心配し、酒は機会があればでいいかと先延ばしにしたせいで、人目のある場所で余計な情報を与えてしまった。
酒は確かにミナの様子を変えたが、すぐに気づき少量で止めていたこと、そして酔いは顔に出るタイプだったのだろうと、食事を共にした三人は意識のはっきりした様子のミナを見て安堵していたのだ。
まさか、酒のせいで失ったのが理性ではなく本能、それも他者魔力の拒絶部分だなんて普段意識したってどうしようもない部分だとは予想する筈もなく。
まして受け入れてしまったせいで吐くのではなく、恍惚とそれに身を委ねるとは思いもしなかった。いや、ミナがユーグに大幅な信頼を置きすぎているからこその事件か。
完璧なまでに偶然だった。たまたまそんな酔い方をミナがしたとはいえ、本来であれば問題ない程度には、ミナも意識を保っていたのだ。
だがそこでユーグが怒りに魔力を少量放出させるという状況が起きた。それでもまだ、ミナは理性を保っていた。なにせユーグの感情で乱れた魔力は大概が身の内で留まっており、森で共に暮らしたミナはそれに慣れている方で、漏れ出たのは一応、僅かである。その程度に収める制御力を、今のユーグは身に付けていた。本気で暴走したらこんなものではすまないのだ。コンフェルドル・ソルが国一つ二つ滅ぼす程度と称した魔力を持っているのだから、わかることだろう。
問題は、ユーグの前で発せられた『集落の全滅』という言葉である。ミナは、それにひどく心を乱されたのだ。
ミナは、ユーグが自分を狙った者たちによってミナの集落を全滅に追い込んだことを気に病んでいたと知っている。集落の人間が馬鹿げた実験の生贄になったことは事実であり、森の隠れ家で暮らし始めた当初ユーグが夢にまで悩まされていたのだから、ミナがそれを知らぬはずがなかった。
ユーグのトラウマだろうその一言を踏み抜いたレイオスの言葉に加えて、ユーグの怒りや複雑な悲しみの感情が強い魔力のうねり。それが、ミナを動揺させ最後の理性と本能の一部を吹き飛ばした原因である。偶然に不運が重なった、ユーグにしてみればひたすらに予想外の状況だった。
しかもユーグには、なぜミナが己の魔力をすんなり受け入れこの状況に陥ったのか、心当たりがあった。それを口にすることはないが、それでも予想外であったことには変わりない。
「熱烈すぎんだろ嬢ちゃん……とんだトラブルメーカーだな」
「……ええっと、ユーグさん、どうするの? ミナさん、あなたの魔力に酔ってるなら私たちで預かりましょうか……って愚問ね。お酒が原因なら、それ自体が抜ければ戻ると思うのだけど……合意なしはだめよ?」
ミナを預けることに同意するはずがないユーグに気付き、マーナリアは嘆息しつつも釘を刺す。が、ユーグはそれですら不服そうだ。
「ミナを傷つけることするわけないだろ。エリック、マーナリア、それとお前も。今回はこうなったがこのままにはしない、必ず手は打つ。とはいえこれを口外したら殺す」
「……ま、言う気はないし安心しろ」
「当然ね。あなたもする気がないならしっかり口に出したほうがいいと思うけど? 特に、身内にも言いません、ってね」
「い、言いません。誰にも、当然リリアーナにも。すみません、僕の……」
「せいだ、ってわかってんなら少し黙っとけ。なぁユーグ、こいつらのこと、一端俺らに預けてみないか。そっちは今それどころじゃないだろ」
エリックの提案にユーグは無言で視線を送り、そしてレイオスは慌てた。
「え? いや、僕は」
「黙ってろって。物事には順序があるんだ、集落が絡むようなら当然個人の問題じゃねぇ、ギルドを通さないってことは理由があるんだろ? そんな重たいもんを俺の恩人に押し付けようって奴を見過ごす程落ちちゃないんでね。どうだユーグ、謀らずも俺らも話を聞いちまったからな、先譲ってくれないか。なに、聞きだして正確に状況をお前さんに伝えるぜ? 必要であればギルドにも、ギルドに頼んで領主にも、な。俺がきちんと聞いて、あくまで第三者の立場で説明しよう。直接情に訴えるようなやり方はさせねぇぞ」
その言葉に、ひくり、とレイオスの表情がひきつり青ざめる。
そもそも、ギルドは冒険者に対する指名依頼は受け付けているが、依頼人から冒険者へ個人的に接触するような依頼を推奨していない。単純に仲介料など取り分の問題もあるが、何よりギルドにすら話せない依頼は危険なことが多く、ランクに見合わぬ依頼になりかねない為である。
エリックは今、ユーグがなぜ頑なに「事情を聞かない」と言い切って去ろうとしたのかを暗に示し、そんな相手にレイオスがしたことを、咎めている。レイオスは明らかに危険度の高い依頼を、臆病でもお人好しにも見えるミナに、情に訴えかける形で押し付けようとしたのだ。
知り合いの謝罪と助けを求める言葉に、避けにくい事情。そんなことを一度に持ち出されては、いくら正式に受けた依頼ではないと言えども、力ある冒険者が俺には関係ないと無関心を貫くのは難しい。依頼は依頼と割り切った人間ならまだしも、情が深い人間であれば、なおさらだ。
勝手に待ち伏せる相手にすら待たせることに罪悪感を抱いたミナは、ある意味狙いどころであったとも言えよう。
ミナを抱えたままやや視線を下げたユーグだったが、やがてマーナリアにレイオスの監視を頼むと、少し離れた位置にエリックを呼ぶ。レイオスに聞こえぬよう伝えたのは二人が部屋を取っている宿の場所だ。
「宿の女将さんに伝えておく。頼む」
「任せろ、なにせ俺とあいつの貞操と命の恩人の為だからな」
そのままミナを子供のように抱えて立ち去るユーグを見送って、エリックはがらりと雰囲気を変える。
「さて坊主、あいつらには返しきれない大恩がある。悪いが俺は甘くねぇぜ」
ぎらりと磨かれた剣の刃を鞘からチラつかせながらレイオスの胸倉を掴み上げたエリックが獰猛に笑い、こくこくとレイオスが頷くのを待って、三人は小道の奥へと消えたのである。
「待たせたと思うとなんか申し訳な――」
「ミナ、いいか? こっちが嫌がっているのを察してるのに勝手に押しかけて勝手に待ってる奴を『待たせてる』とは言わない。あれは待ち伏せしてるっていうんだ」
「えええ……」
話を聞いてほしいから待つと勝手に宣言されたのは確かだ。それに対して「いかない」という返答はしてない相手なのだが、待ち伏せ……まぁそれも一理ある話……かもしれない?
私が疑問を抱えている間にも、あちらも私たちに気づき、そして足を踏み出していた。ぐっと口を引き結び真剣な表情をしたレイオスさんだったが……その姿はすぐ見えなくなる。黒いロングコートが視界を塞ぎ、ユウが私を背に隠したのだと気づいて、足を止めた。
今までもこうして庇われたことはあったが、その時はそれでもほんの少しだけ斜め前にあった背が、今は完全に正面に来ているのだ。これはいつもみたいに横から顔を出すべきではないかもしれない。
あちらが動いたことで、場所は大通りよりも手前。大通りですらギルドの警戒を気にかけて今日は人通りが少ないのだ、小道に人の気配は他になく、一瞬しんとした空気が周囲を包む。
「はっきり言わせてもらうが、こちらに話はない。勝手に待ち伏せてたんだ、約束したとは言わせないからな。それと、そんな相手の事情を聴く寛大さも俺にはない。これが最後だ、帰れ」
低い声。どこか怒りを含んだそれに、不安が噴出していく気がしてそっと目の前の背に手を伸ばしコートに触れる。
ユウの横ではエリックさんが「俺もあれは約束とは思わないな」と援護し、マーナリアさんは私の横でじっとレイオスさんを見つめている。四対一、いや実質三対一の構図で、落ち着かない。だがそれよりも、ユウが心配だった。
そうっと覗き込めば、こんな状況で足を引きかけたレイオスさんだったが、それでも彼は踏みとどまり、ぐっと一度唇を噛んだ後……申し訳ありませんでした、とはっきりと口にして、頭を下げた。
「ぼ……私たちは確かにお二人に対し、強引な接触と要求も、失礼で、不誠実な行動もとったと思っています。ですが、」
「その状況で昨日散々こちらが譲歩したんだ、その上で騙そうとしたやつの話は聴く気がない、って言ってるだろ。エリック、マーナリア、俺たちは戻る」
「……ま、その方がいいか」
「またお話しましょう」
あくまで隠しながらユウが私の身体を支え、固まったレイオスさんの横を通り過ぎようとした時だった。
「助けて頂きたいんです、このままじゃ集落が全滅する!」
「……え」
思わず声を上げてしまった。それで足を止めてしまったのは私だけではなくて、同時にユウの魔力がぐらりと乱れる。
当然真横にいた私も、魔術師であるマーナリアさんも、治癒師のレイオスさんもその不穏な乱れに反応を見せ、ただ一人剣士であるエリックさんも周囲の空気が変わったことに眉を寄せたが……それにとどまったからこそ、口を開けたのも彼だけだった。
「それはずりータイミングだわ、お前。聞かせちまったら、頼まれてない俺ですら帰りにくいっての」
がりがりと頭をかくエリックさんの言葉にさっと顔を青くしたレイオスさんは、握った拳を震わせてすみません、と俯いたまま言葉を零した。
殺伐とした雰囲気に包まれたといってもいい街の小道で、俯くレイオスさん、不穏な様子を隠しもしないユウと、呆れと困惑が混じったように頭を押さえるエリックさん、咎めるようにレイオスさんを見つめるマーナリアさんというなんとも一触即発の空気の中、そんな刺々しい空気をぶち壊したのは……私だった。
「ユウ」
「……なん、……は? え、おい、ミナ?」
頭ではわかっている。自分が今どう考えてもおかしなタイミングでそれを行っているのだと。いや、正確には『頭の片隅では』理解していたのだが、どうにも今そんなことより私の中を満たしているのは、我慢の効かない別な欲求だった。
「へっ、ミナさん!?」
「え、ああ? 嬢ちゃんどうしたんだ?」
「あっ、そうだわ、ミナさん酔って……!」
ユウの正面に回りするりと手を伸ばし、黒いコートを纏う意外とがっちりした腰と背に腕を巻き付けるように回して、その胸に頬を押し付ける。あったかい。うっとりするほど強い魔力に身体の芯から痺れて、蕩けるようだ。段々と不安が解けていくようで、……なにこれたまんない、ふわふわしてさいこうに気持ちがいい。
「んー、酔ってません。ユウ、零れてる魔力いつもより強いです、怒ってる? でもくっついていいよね? きもちいい……」
「は? はぁあああ? おまっ、ちょっ待て、ミナ!」
「あらまぁ」
「うっそだろ、嬢ちゃん。この強い威圧感みたいなのがたぶんそいつの魔力だろ? これのどこが気持ちいいんだよ」
「す、すみません。僕が口を挟むのもなんですが、酔ってる、って言いました? 普段から飲みなれていますか? いつもこうなっていますか?」
崩壊した場の空気とその原因に混沌としたこの場で、その立場のせいかまだ冷静さを保っていたレイオスさんの質問に、嬢ちゃんは初めてらしいと答えたエリックさん。状況は、わかるのだ。どうでもいいけれど。ところでこれ、いつ帰ってもいいんだろうか。
宿の部屋なら思いっきりくっついても大丈夫な気がするのだけど、外だとユウ、怒らないかな。あ、髪乾かしてほしいなぁ。ああでもこのまま思いっきりぎゅってしているのが一番いい、そうだそうしよう。
「魔力酔いだと思います。普通人間は他者の魔力を無意識に拒絶します。治癒術はそれを和らげ、受け入れる側もまた本能でそれを有用なものと認識している為その括りには入りませんが、一般的に抵抗力と呼ばれているものはその拒絶の力を示すんです。ですがごく稀に薬や酒の類でそれが下がる人が……」
「魔力酔い? いやでも、拒絶するもんなんだろ? 第一魔力酔いなら具合悪くなるだろ、普通こんな……」
「魔力酔いは強い魔力から身を守ろうとするある種の防衛本能よ? 本能的な恐怖がストレスとなって体調に出るもので……まさか……あ、まさかミナさん、拒絶してないの!? 受け入れちゃったの!? だから変な酔い方したのね、治癒術じゃないのよ!」
「んー、なんですか、それ。なんでもいいです。ユウ、宿に行こ? ベッドでか──」
「待て待て待て待てくっそふざけんな! ミナ落ち着け、あとでお前が後悔するっ」
んぐ、と話している途中で口をユウの手に塞がれたが、まぁこれでもいい。はくりとその魔力を食むようにユウの手のひらに唇を寄せたところで……私の意識は途切れている。
「チチチッ!? チィッ」
「大丈夫だルリ、落ち着け。くそっ……もっと早くに酒試させとけばよかった」
くったりと力を抜いてユーグに全身もたれかかったミナを慌てて抱き上げながら、ユーグは悪態を吐く。普通の食事にすら慣れていないミナの身体を心配し、酒は機会があればでいいかと先延ばしにしたせいで、人目のある場所で余計な情報を与えてしまった。
酒は確かにミナの様子を変えたが、すぐに気づき少量で止めていたこと、そして酔いは顔に出るタイプだったのだろうと、食事を共にした三人は意識のはっきりした様子のミナを見て安堵していたのだ。
まさか、酒のせいで失ったのが理性ではなく本能、それも他者魔力の拒絶部分だなんて普段意識したってどうしようもない部分だとは予想する筈もなく。
まして受け入れてしまったせいで吐くのではなく、恍惚とそれに身を委ねるとは思いもしなかった。いや、ミナがユーグに大幅な信頼を置きすぎているからこその事件か。
完璧なまでに偶然だった。たまたまそんな酔い方をミナがしたとはいえ、本来であれば問題ない程度には、ミナも意識を保っていたのだ。
だがそこでユーグが怒りに魔力を少量放出させるという状況が起きた。それでもまだ、ミナは理性を保っていた。なにせユーグの感情で乱れた魔力は大概が身の内で留まっており、森で共に暮らしたミナはそれに慣れている方で、漏れ出たのは一応、僅かである。その程度に収める制御力を、今のユーグは身に付けていた。本気で暴走したらこんなものではすまないのだ。コンフェルドル・ソルが国一つ二つ滅ぼす程度と称した魔力を持っているのだから、わかることだろう。
問題は、ユーグの前で発せられた『集落の全滅』という言葉である。ミナは、それにひどく心を乱されたのだ。
ミナは、ユーグが自分を狙った者たちによってミナの集落を全滅に追い込んだことを気に病んでいたと知っている。集落の人間が馬鹿げた実験の生贄になったことは事実であり、森の隠れ家で暮らし始めた当初ユーグが夢にまで悩まされていたのだから、ミナがそれを知らぬはずがなかった。
ユーグのトラウマだろうその一言を踏み抜いたレイオスの言葉に加えて、ユーグの怒りや複雑な悲しみの感情が強い魔力のうねり。それが、ミナを動揺させ最後の理性と本能の一部を吹き飛ばした原因である。偶然に不運が重なった、ユーグにしてみればひたすらに予想外の状況だった。
しかもユーグには、なぜミナが己の魔力をすんなり受け入れこの状況に陥ったのか、心当たりがあった。それを口にすることはないが、それでも予想外であったことには変わりない。
「熱烈すぎんだろ嬢ちゃん……とんだトラブルメーカーだな」
「……ええっと、ユーグさん、どうするの? ミナさん、あなたの魔力に酔ってるなら私たちで預かりましょうか……って愚問ね。お酒が原因なら、それ自体が抜ければ戻ると思うのだけど……合意なしはだめよ?」
ミナを預けることに同意するはずがないユーグに気付き、マーナリアは嘆息しつつも釘を刺す。が、ユーグはそれですら不服そうだ。
「ミナを傷つけることするわけないだろ。エリック、マーナリア、それとお前も。今回はこうなったがこのままにはしない、必ず手は打つ。とはいえこれを口外したら殺す」
「……ま、言う気はないし安心しろ」
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「せいだ、ってわかってんなら少し黙っとけ。なぁユーグ、こいつらのこと、一端俺らに預けてみないか。そっちは今それどころじゃないだろ」
エリックの提案にユーグは無言で視線を送り、そしてレイオスは慌てた。
「え? いや、僕は」
「黙ってろって。物事には順序があるんだ、集落が絡むようなら当然個人の問題じゃねぇ、ギルドを通さないってことは理由があるんだろ? そんな重たいもんを俺の恩人に押し付けようって奴を見過ごす程落ちちゃないんでね。どうだユーグ、謀らずも俺らも話を聞いちまったからな、先譲ってくれないか。なに、聞きだして正確に状況をお前さんに伝えるぜ? 必要であればギルドにも、ギルドに頼んで領主にも、な。俺がきちんと聞いて、あくまで第三者の立場で説明しよう。直接情に訴えるようなやり方はさせねぇぞ」
その言葉に、ひくり、とレイオスの表情がひきつり青ざめる。
そもそも、ギルドは冒険者に対する指名依頼は受け付けているが、依頼人から冒険者へ個人的に接触するような依頼を推奨していない。単純に仲介料など取り分の問題もあるが、何よりギルドにすら話せない依頼は危険なことが多く、ランクに見合わぬ依頼になりかねない為である。
エリックは今、ユーグがなぜ頑なに「事情を聞かない」と言い切って去ろうとしたのかを暗に示し、そんな相手にレイオスがしたことを、咎めている。レイオスは明らかに危険度の高い依頼を、臆病でもお人好しにも見えるミナに、情に訴えかける形で押し付けようとしたのだ。
知り合いの謝罪と助けを求める言葉に、避けにくい事情。そんなことを一度に持ち出されては、いくら正式に受けた依頼ではないと言えども、力ある冒険者が俺には関係ないと無関心を貫くのは難しい。依頼は依頼と割り切った人間ならまだしも、情が深い人間であれば、なおさらだ。
勝手に待ち伏せる相手にすら待たせることに罪悪感を抱いたミナは、ある意味狙いどころであったとも言えよう。
ミナを抱えたままやや視線を下げたユーグだったが、やがてマーナリアにレイオスの監視を頼むと、少し離れた位置にエリックを呼ぶ。レイオスに聞こえぬよう伝えたのは二人が部屋を取っている宿の場所だ。
「宿の女将さんに伝えておく。頼む」
「任せろ、なにせ俺とあいつの貞操と命の恩人の為だからな」
そのままミナを子供のように抱えて立ち去るユーグを見送って、エリックはがらりと雰囲気を変える。
「さて坊主、あいつらには返しきれない大恩がある。悪いが俺は甘くねぇぜ」
ぎらりと磨かれた剣の刃を鞘からチラつかせながらレイオスの胸倉を掴み上げたエリックが獰猛に笑い、こくこくとレイオスが頷くのを待って、三人は小道の奥へと消えたのである。
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公爵令嬢のローズ・ブライトはレイ・ブラウン王子と婚約していた。
婚約していた当初は仲が良かった。
しかし年月を重ねるに連れ、会う時間が少なくなり、パーティー会場でしか顔を合わさないようになった。
そして学園に上がると、レイはとある男爵令嬢に恋心を抱くようになった。
これまでレイのために厳しい王妃教育に耐えていたのに裏切られたローズはレイへの恋心も冷めた。
そして留学を決意する。
しかし帰ってきた瞬間、レイはローズに婚約破棄を叩きつけた。
「ローズ・ブライト! ナタリーを虐めた罪でお前との婚約を破棄する!」
えっと、先日まで留学していたのに、どうやってその方を虐めるんですか?
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