XNUMX

一貫田

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XNUMX(12)バンジー

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 目は開いている。間違いなく。しかし何も見えない。完全な暗闇だ。重心は感じられるから自分が仰向けだという事は分かる。恐る恐る両腕と両足を伸ばしてみる・・しかし何にも触れない。背中に床も感じない。触れる物はないが、背面から強い風を感じている。風圧で身体が浮遊しているような感覚・・・どうやら落下しているようだ。自分が落下していると思うと、途端に額と背中から冷や汗が溢れ出てきた。・・この高さでは、下が大海原でもない限り助からないだろう。一応、腕と足で掻くような動きをしてみたが、もちろん何も変わらない。やった後に「ああ、やっぱり人間は落ちていると、この動きをしてしまうんだな」と思っただけだった。・・・それにしても長い。もう30秒は落下している。人は大体100メートルを4~5秒で落下するという。だとすると俺は今、600メートルほどの高さから落ちている事になる。これは下が海でも助からないか・・。いや、待てよ、30秒ほどの体感というのは一体どこからきたんだ?そんなの全くわからないじゃないか。気付いた時にはもう、この状態だったのだ。誰かに薬でも盛られて意識のないままどこかから落とされたのだとしたら、もっと前から落下しているのかも知れない。・・もっと前?、果たして人はそんなに高い場所から落ちる事があるのか?スカイダイビングで一般的に体験出来る高度から飛び降りても、パラシュートを開く地点までの所要時間は、たかだか45秒ほどだという。今の思考中にも時間が経過しているはずだからそんなに高いはずはない。もし誰かが俺を殺そうとしても、わざわざ大気圏まで連れて行くような手間のかかる事はしないだろう。だとすると・・・そうか、これは走馬灯なのか。本当はビルの3階ぐらいの高さから落下しているのだが、俺の死が確定しているから意識が鋭敏になって時間をゆっくりに感じているのか。死の間際に脳が覚醒し、一瞬の出来事をスローモーションのように体験し、生まれてから今までの出来事を、あたかも映画のように細部まで全て思い出す、そういう状況なのか。・・それならそれでいい・・やり残した事は何もない、そもそもいつ死んだっていい人生だった・・向こうでマツシタに会って昔話をしよう・・諦めてしまえばもう何も怖くない・・痛みだって一瞬だろう・・ああ、とても穏やかな気分だ・・・うーん・・そうだな・・強いて言えば、あの駅前近くの洋食屋のジャンボ・ハンバーグセットを、もう一度食べたかったか・・・あの店・・あれ?・・あの店、何て名前だったっけ・・・思い出せないな・・ん?・・おかしいぞ?全てを思い出す走馬灯の最中のはずなのに、通ってた店の名前すら思い出せない・・・そんなバカな!・・違うのか?これは死に際の走馬灯じゃないのか!今はなんだ!何の時間なんだ?!・・・おい、まて!まてまてまて、後ろから吹く強い風、これはもしかして・・・落ちているんじゃなくて、浮かんでいる?俺は落下中ではなくて、上昇しているのか?突風に下から煽られて、俺は浮かび上がっているのか?墜落ではなく飛翔?バンジーではなく逆バンジー?・・そういえば、浮遊感は最初から感じている・・・かなりのスピードで、俺は上に向かって引っ張り上げられているのかも知れない・・どういう力で?なんの為に?・・そして、そうだとすると行き先はなんだ、天空に持ち上げられて行って・・いや、それならそれで、もう死んでるという意味じゃないか!そうか、死の直前ではなくハナからもうとっくに死んでいて、俺は今、その最終段階、天国への昇天を体験しているのか・・・しかし、それにしては暗い、天国に向かって行くなら明るく開けた所を通過するのではないのか?・・ここは狭い、室内のような閉鎖感を感じる・・そして首も痛い、死者がこんな寝違えのような、リアルな首の痛みを感じるものなのか?もう肉体のない魂だけの状態じゃないのか?・・身体を持ったままの上昇?狭い空間での三次元的な浮遊?・・・それならその先は・・どこかの天井だ、閉塞された場所で、高速で上に移動しているなら、いずれ天井の壁に激突するはず!やばい!!
 バキッ!!!
 
 ・・・足でベッドの淵を思い切り蹴りつけながら、俺はその痛みと共に目を覚ました。ベッドから落ちた・・ってわけでもないのか・・・。

 俺は足を引きずりキッチンに行き、水道水をコップ一杯飲んだ。夢診断とか逆行催眠とか、そんな胡散臭いものに頼らなくとも、どうして自分があんな夢を見たのかは分かっている。・・・数日前、セーラの「告白」を聞いたからだ。俺は自分が思うよりもちっぽけな人間だったのだ。口では彼女に「全く気にしない」と言っておきながら、実際にはショックを受けて悪夢まで見てしまっている。四捨五入したらもう40代になるいい大人なのに、中身は恋人がほんの少しAVに出ていた事すら許せない、ガキみたいな男なのだ、俺は。
 十数年ジャーナリストとして世界中を飛び回って、普通の生活では体験し得ない稀有な環境に身を置き、何度か死にかけ、本当の生命の意味や美しさを垣間見た沢山の経験も、自分の魂を成長させる効果はなかったようだ。・・・どうして・・どうしてなんだ・・心も体も美しい彼女を、純粋な天使のようなあの人を、たかだか2本・・たかだか二回、人前で裸になって金を貰ったという事だけで、もう今までと同じようには思えなくなってしまった・・・ダンッ!
 俺はキッチンシンクを拳で叩き、自分の矮小さに吐き気を催しながら、明るくなってきた窓の外を無視するように、もう一度ベッドに入った。

 一九三五年 六月 十X日

 女は煎餅の様に薄い布団の上で、ただしくしくと泣いている。「すまねえな、どうしてもこれだけはやめられねぇんだよ」と言いながら、一比己は持っていた小銭をばら撒いて、その家を出る。一比己が村の娘を犯しても、文句を言える者はこの集落にほとんどいない。それは一比己が、いかに妾の子と陰口を叩かれようと、辺り一帯を治める灰烏(ハイガラス)家の後継者候補だという事を、誰もが理解しているからだ。それをいい事に一比己は、手当たり次第、村の女と関係を持った。場合によっては子や夫のいる女とも。それは度を超えた一種の病気だったが、「力」の副作用ともいえるもので、本人にはどうする事も出来ない。「力」を持つ者全員ではないが、意識的に性交渉をする事で「力」を無駄に使わないよう、制御している者もいる。そのような一比己の傍若無人な振る舞いは本家の人間ももちろん知っていて、面倒にならない程度であれば目を瞑っている。(しかし限度を超えた場合には、きつい懲罰が待っている)一比己はさっきまでいた家の軒先で、名もない小花に立小便をしてから、一つ大きな伸びをすると、何かを思い出したように目を見開き、一目散に山へ向かって走り出す。
 
 2010年 11月

 なぜ自分が、二度と訪れたくないと思っていた場所にわざわざやって来たのか、その理由は分かっている。俺はここのテレクラに出没する怪人(電話ジャック男)と、また話がしたかったのだ。もちろんそれだけではなく、約束してしまった仕事の残りを何とか仕上げなくては、という責任感からでもあるが、あの男の、どんな狂人と対峙してもそれを受け入れてしまう常軌を逸した冷静さと独特の喋りを、何故か再体験したくなったのだ。そして仕事のアイデアとして、普通にテレクラで会えるイカレタ女どもを取材するのではなく、電話ジャックを取材して記事を書く方が良いのではないか、とも思っている。クライアントの意向を汲まないのはプロとして失格だが、あの雑誌は面白ければ何でも良いはずだ。例えそれがモウリの望んだ記事ではなくても、あの男を取材出来れば必ず面白いものが書けるだろうし、納得させられるという確信もあった。

 前回と全く同じ時間帯に店を訪れ、受付で「部屋は埋まっているか」と訊くと「一室だけ入っていますが後は空いてますのですぐにご案内出来ます」と言われた。・・ビンゴ!平日の夕方にこんな所にいるのはヤツぐらいしかいない。俺は、無駄にガタイの良い柔道経験者のような受付の若い男からタイマーを受け取って、前回と同じ独房のような部屋に入った。ヤツを呼び出す為には、まずヤツの邪魔をしなければいけない。俺の持っている、無駄に身に付けてしまったテレクラの電話に出るコツを総動員して、一瞬でも先に応答する。出た相手とわざわざ話す必要はないが、(もちろん本来の雑誌取材をしてもいいが、ここにかけてくる人間達と話すと頭痛がしてくる)とにかく何度か先に受話器を取れれば、この間のようにヤツはイライラして、俺に内線をかけてくるはずだ。
 長時間の滞在に備えてコンビニで買ってきた軽食や飲み物を机に並べてから俺は、ホームセンターで売られている中で最も安価だと思われるイスの高さを調節し、受話器を肩に挟み、指を親機に置いて万全のポジションにセットした。そして「いつでもきやがれ」と、二十年以上は使っていないマンガのキャラみたいな言葉遣いで独り言を言った。
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