XNUMX

一貫田

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XNUMX(7)イケニエ

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 2010年 11月

 もしマツシタが生きていたとしても、俺はもうヤツに合わせる顔がなかったかも知れない。友が一生をかけて愛していた女は今、俺の部屋の水量の貧弱なシャワーで二人分の汗を流している。
 
 セーラと俺はマツシタの葬儀で再会して以来、時々会って身体を重ねるようになっていた。主な目的は例の件の情報交換で、セックスはオマケと言っていい。この年齢になると男女でも付き合うか付き合わないかだけでなく、その中間というものが存在するが、我々は真剣に付き合うには昔からお互いの事を知り過ぎていた。もし俺達が結婚をするなどといって地元に帰った日には、きっとお祭り騒ぎに・・いや、本当の村祭りが開催されるかも知れない。それは考えただけでも恐ろしかった。しかしただの友人になるには、セーラは余りにも女性としての魅力に溢れていた。同性愛者でもないかぎり、彼女に触れたいと思わない男がいるのだろうか?セーラ側からすれば、仕事と都会から離れると決めた事で出来た心の隙間を埋めてくれる相手を探していたのだと思う。それはもちろん、俺でなくてもよかっただろうが、偶然の再会、定期的な連絡、会合、全てはタイミングによってもたらされた結果だった。

「やっと連絡が取れたの」と、バスタオルを巻いたセーラが部屋に戻ってきた。
「なんの話?」と俺はベッドから上半身を起こした。
「マキソンと連絡が取れたよ」
「?」
 女性という生き物は、自分が分かっている事は他人も分かっているというつもりで話してくる。だから会話の一歩目や二歩目を平気ですっ飛ばすのだ。
「誰と連絡が取れたって?」
 セーラは髪を拭きながらベッドの脇に腰かけた。同じボディソープを使っているはずなのに彼女からは俺とは違う良い匂いがした。
「だからマキソン、牧村さん。ワタシの元マネージャー」
「?その人から何かマツシタに繋がる有力な情報が聞けそうなのか?」俺はセーラの腰に腕を巻き付けた。何て細い腰回りなんだ。
「聞けるもなにも、マキソンは今、沢口明菜を売り出すプロジェクトの、チーフマネージャーをやってるらしいの」
「なんだって!」
「もう、耳元で大きな声出さないでよ。行為の後はもう少ししっとり話せないかなぁ」
 俺は同じような事を何回か女性に言われた事がある。
「ああ、わるい。それで?」
 セーラは濡れ髪のままベッドに入ってきた。俺は冷たさを我慢して腕枕をした。彼女はその体制のまま枕元に置いてあったスマートフォンを取ると、画面をタッチして何やら大量に届いているメッセージを確認しながら話し出した。
「マキソンはね、確かワタシよりも6つか7つぐらい年上で、ワタシを担当した三人目のマネージャーだったの。元銀行員とかで数字には強かったけど気が利かなくてね・・・当時はとにかく仕事が出来ない人だった。ワタシは嫌いじゃなかったけど、上の人にも怒られてばっかりだったし、社内でも少しハブられててみんな、社長はなんでこの人を獲ったんだろうって言ってたな。」
 その人物が男性か女性かも分からなかったし、今のところ俺の欲しい情報はなかったが、我慢して彼女の頭を撫でながら話の続きを待った。
「マキソンっていうアダ名はね、社長が付けたんだけど、ただ単純に(牧村)を音読みしただけじゃなくて、当時流行ってた格闘家?プロレスラー?ワタシはよく知らないんだけど、ヒクソン・グレイシーって人がいたでしょ?そこから取って入社してすぐ社長が、牧村くん、キミは今日からマキソン・グレイシーだって言ってね、まぁ早く社内に馴染ませようとしたんだろうけど・・・スベってたなぁー、あはは、だってマキソンは、眼鏡をかけていて結構太っていて、背も小さくてどこか地方の訛りも残ってて、格闘家どころか強そうなところやシャキッとした雰囲気なんて一切なかったんだから。もちろんアダ名は定着しなかったけど、でもなんだろう・・ワタシはもしかしたら自分がメンソレって呼ばれていた事を思い出していたのかな、牧村さんをマキソンって呼ぶ事にどこか郷愁みたいなものを感じてたのかも知れない。それでワタシだけはずっとマキソンって呼んでたの。みんなは距離を持たせるように牧村さんって冷たく呼んでて、うちの会社に入って来た時に既に彼女は30歳を超えていたから周りからは、結婚を諦めて仕事に打ち込むつもりならしっかりやってほしいよね、とか最初から酷い陰口を言われてたんだ。ほら、うちってトップ以外はほとんど女の会社だから。マネージャーとかもタレント崩れが多くて無駄にルックスとかに自信がある人も多かったし、そういう人達ってやっぱりプライドが高くて他人にアタリが強いのよ」
 どうやらマキソンは女性らしかった。
「でもマキソンは根本的には悪い人じゃないし、ワタシが寒がりだって知ってからは夏でも冷房対策でカーディガンと白湯の入った水筒を用意していてくれたし、自分から考えて動ける人じゃなかったけど、言えば何でも嫌がらずにやってくれたからワタシ達は少しずつ仲良くなっていって、当時マキソンがまともに話してたのは多分、業務指示を仰ぐ数人の上司と、担当していたワタシぐらいだったと思う。」
「それで?」
 いそぐわね、と言ってセーラは宥めるように俺の頬にキスをした。

「ある日、CMの撮影中の控室でマキソンと二人きりの時に、何となく結婚の話になってね・・・あ、ウイングパーマネントのCM見たことあるでしょ?あれワタシだよ」
「ごめん、わからない・・何の製品?」
「生理用品。しらないかー。ギャラよかったし、少し前にテレビで結構流れてたんだけどな」
 老人がスマホゲームのCMを意識しないように、男である俺が生理用品のCMを意識して見る事は難しい・・と言いかけたが、話の続きを聞こうと俺は「テレビをあまり見ないんだ、海外に行っている時も多いし。それで?」と適当に流した。
「なんの話だったっけ、ああ結婚か。」
「いや、マキソン」
「うん、それでね、マキソンとワタシも三十過ぎていたから、そろそろ結婚とか考えなくちゃいけないのかなぁ?とか、ほんの雑談って感じで会話をしてたんだけど、そしたら彼女(結婚はしようとしてするものじゃない)とか、突然変なスイッチが入って説教みたいな口調でワタシを諭すように言ってきたの。普段ワタシはあまり人と口論するタイプじゃないけど、まぁその時は舞台の練習も重なっててずっと睡眠不足だったとか、疲れてたせいもあるんだけど、ちょっとイラっとしちゃって、なんでそんな事言うんですか?ワタシが結婚出来ないってことですか?って食ってかかっちゃったんだ、そしたらマキソン(いいえ、セーラさんが出来ないって事じゃないんです、ワタシでも結婚出来たんだから)って言って・・」
「えっ、既婚者だったの?」
「そう。結婚して子供もいるんだって。それでワタシもびっくりしちゃって何か勝手に決めつけててごめん、みたいな感じだったんだけど、社長は知ってるの?って訊いたら(社長も誰も知らない)って。(この会社に入る前に離婚して、苗字も牧村に戻ってるからわざわざ言う必要もないと思った)って」
「へぇー」
「子供も小学4年生って言ってたから、結構大きいじゃん!って、何か驚きで話しの本題を忘れちゃってたんだけど、マキソンが(自分は、周りに幸せそうに見せたいが為に適齢期に結婚をしようと思ってて、それだけの理由で特に好きでもない相手と結婚したから結局上手くいかなかった)って、だから(そういうんじゃなくてセーラさんにはずっと一緒にいたくなるような相手と結婚して欲しい)って言われたの」
「・・そうなんだ」俺は腕が少し痺れてきた。やはり女性の話はコースアウトが必須らしい。
「丁度ワタシもマツシタ君に別れた後の二回目のプロポーズをされてて、もう好きじゃないけど生活面は安定してるだろうし、結婚しちゃってもいいのかな?とか悩んでた時期だったから、何だかそのシンプルなアドバイスが響いてね・・それでマキソンの結婚生活・・っていうか人生そのものにちょっと興味が湧いちゃって、その時根掘り葉掘り訊いちゃったんだ。そうしたら結婚相手は前に勤めていたっていう銀行の支店長だったし、マキソン自身も結婚前から職場では結構いいポジションだったみたいだし、正直えっ?って、こんなに仕事が出来ない人が?って思っちゃったんだけど彼女、学歴もあって中学の時からエレベーター式の超名門の私立の学校に通ってたし・・とにかく、少なくともワタシ達が思ってるような、何の取り柄もない太った中年女性じゃなかったの。それでマキソンってお嬢様だったんだ、って言ったら(違います。うちは祖父の代から貧乏なクリーニング屋です)って言ってて、お兄さんがいるんだけど(兄は高校の時から引き籠りで今も部屋から出て来ない)って言ってた。なんていうか人生が上手くいってるのはマキソンの家でマキソンだけらしいんだよね。お母さんは元々身体が弱くて病気がちで、お父さんもマキソンが12歳の時に亡くなっちゃってるって言ってたし。」
「そ、そっか」俺は腕を引き抜いて、代わりに枕をセーラの頭の下に入れた。
「あ、しびれた?大丈夫?」
「ああ」俺は感覚のなくなった左腕をゆっくり上に向けて伸ばした。天井には小さな飛び蜘蛛が張り付いていた。
「ずっと謎だなぁと思ってたの、うちみたいな大手の事務所がさ、なんでマキソンみたいなタイプの人を採用したのかなって。すごい倍率高いんだよ、お給料もいいし。でもさぁ、きっと彼女ってかなり運がいいんだろうね」
「運・・運ねぇ・・・」
 俺の頭にはなぜか、高校野球で大活躍したピッチャー王子の顔が浮かんでいた。
「ついでだと思ってね、その時マキソンになんでうちの事務所を受けたの?って訊いたんだ。だって不思議じゃない?売れっ子モデルや女優を沢山抱える芸能事務所に、元銀行員の子持ちのおばさんが入社しようとするって。そしたらマキソン、(銀行にいるとお金がただの紙に思えてくるんです。無機物相手の地味な仕事に嫌気がさして一度ぐらい華やかな世界を見てみたいと思いました。丁度、夫がいなくなったばかりだったし、子供も少し大きくなって、そこまで手がかからなくなったから)って。それで失礼かと思ったんだけど、勢いにまかせて離婚の原因はなに?旦那さんの浮気とか?ってちょっと突っこんだ質問をしちゃったんだよね、ほらワタシって昔からデリカシーのない所があるでしょ?ただ人が好きなだけなんだけど」
 それはよく知っていると思った。転校初日の負のオーラ満載のマツシタに、容赦なく話しかけていたメンソレの姿を昨日の事のように思い出せる。
「そしたら訊かなきゃ良かったんだけど、死別なんだって。海外出張中に交通事故に遭ったんだって。悪い事訊いちゃったなぁって申し訳なく思ったんだけど、そこでスタジオに呼ばれちゃってね、ワタシはすぐ気持ちを切り替えて、CM撮影が始まるとそんな事なんてすっかり忘れて、カメラに満面の笑顔を振り撒いてた・・・芸能界って因果な商売だよね」
 12才の時に父親が死んで、名門の中学校に入学。旦那が事故死した後、大手芸能事務所に再就職。偶然だろうが、どうにも出来過ぎたタイミングのような気がする。そして兄は引き籠り、母は病弱で彼女だけが牧村家で社会的に成功している。・・・生贄?まさか。この時点で強引に点と点を繋ぎ合わせようとすると、いかにも非現実的な想像しか湧いてこなかった。おいおい、俺はジャーナリストだぞ、と心の中で自分に言い聞かせた。それでもCMに出演するような女優が、自分の横で裸で横たわっているのを見るとあまりにも現実感がなく、今いる世界がそれまで自分がいた世界と同じものだとは思えなかった。

「よし、アポ取れたよ」とセーラがうつ伏せになりながら言った。
「?いつの間に?」
「今メールしてたじゃん。」
 確かにしゃべりながらスマホを触っていたが・・女性のマルチタスクの能力には時々驚かされることがある。
「来週の火曜日、21時頃なら会えるって言うからちょっと行って沢口明菜の事、探ってくるね。」
 そう言いながらセーラは俺の顔の前までスマホの画面を近づけた。
「今も所属している事務所の後輩に頼んで撮って貰ったんだけど、これがマキソン。ワタシを担当していた時とは随分変わっちゃってるね。」
 青山通りを歩く沢口明菜の半歩前に、プラダの小さなバッグを小脇に抱え、携帯電話で話しながら何やら怪訝な表情で周りを伺う細身で小柄な女性がいた。
「えっ、この人が?」
「そうだよ、マキソン、ワタシの担当から外れた後20キロぐらい痩せたらしいの。」
 そこには俺がセーラの話の中でイメージしていた人間とは全く違う、派手だが洗練されている、いかにも芸能事務所のやり手マネージャーと言った感じの女性が写っていた。
「大分・・イメージと違うな」
「そうだよね、ワタシも少し前にこうなった彼女を見てビックリしたもん。今じゃ売れっ子の沢口明菜を担当してるってだけじゃなく、女優部門のチーフマネージャーだっていうんだから。人ってこんなに変われるものなんだね」
 前の彼女を知らないが、セーラがそう言うのだからそれほど大きな変化なのだろう。少なくとも元銀行員のうだつの上がらないバツイチ中年肥満女性とは誰も思わない。ヘタをしたら後ろの沢口よりも芸能人らしく、中堅クラスの美人女優と言っても誰も異論を唱えないだろう。「そう言えば・・」とセーラがスマホを投げ捨てるようにベッドの下に置きながら続けた。
「ワタシ、丁度マキソンが担当になった頃から急に仕事が減ってきたんだよね、最後の大きな仕事がさっき言ったCMで、その後は本当に舞台の仕事も、嫌々やってたグラビアさえもどんどん減っていって・・・もちろんマキソンのせいだなんて言いたいわけじゃないんだよ、ワタシも三十路に入った頃だったし、マツシタくんの事もあって仕事に集中できてなかったっていう自分の責任なんだろうけど、不思議なくらい今まで簡単に受かっていた端役のオーディションとかバラエティ番組のアシスタントとかも全く受からなくなったんだ・・・結局マキソンがワタシの最後のマネージャーになってワタシは事務所を辞めたわけだけど、その後マキソンは沢口明菜を担当するようになって、まるで別人に生まれ変わったんだよね・・・」
 生贄。と、俺はまた頭の中でくだらない想像をした。
 

 一九三五年 六月 十X日

 村の人間が「本家の人達が集落に戻ってくるのが早まりそうだ」と話しているのを立ち聞きした一比己は、水を飲んでも飲んでもすぐに喉がカラカラになるほど焦っていた。まだ早え、準備が整っちゃいねぇ。徴兵検査で結核を理由に不適合とされて以来、本家の連中は俺が遊び呆けていると思っているだろうが、そうじゃねぇぞ。農作業のかたわら、ずっと山に籠って(力)を磨き続けていたんだ。妾の子と言われて半ば村八分にされてきた俺だが、今の俺の(力)は当主にも相応しいはずだ。それを純血主義の本家の奴らに奪われてたまるか。そもそも奴らは俺がなんの(力)を宿しているか知らねぇはずだ。もしも俺を選ばずにその他大勢と同じ扱いをしようものなら、アイツら全員を生贄にしてやる。一比己は山小屋で一人胡坐をかき、神戸まで行ってかき集めてきた武器に囲まれながら、激しい形相で親指の爪を噛んでいる・・・。
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