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本編

29 ただ会いに来ただけ①

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ある日の帰り道に、そいつは話しかけてきた。

「久しぶりだな」

その顔を見て、思わず目を逸らした。数年前は毎週顔を合わせ、俺を殴りつけた男だ。その顔を見て、いい思い出なんて一つも浮かばない。

電車を降りて家まで続く道を一人で歩いていたところだった。ようやく家に帰って、クラゲさんとゆっくりできると思っていたのに。今日はそういう訳にはいかないらしい。

「……どなたですか」
「酷いな。もう忘れちゃった?」
「だから、誰ですか」

誰なのかなんてわかりきっている。だから、答えないでほしいとさえ思っていた。どうしてこんなところにいるのかも、考えたくない。

姉御の言葉を思い出して、できるだけ声が震えないように努める。堂々とすればいいんだ。相手はもう、赤の他人。

「父さんだよ。ほら、覚えているだろう?裕也に会いに来たんだ」
「あなたのことなんて、知りません」
「もう一度母さんと一緒になりたいんだ。裕也からも、母さんに言ってくれよ」

そんなことするわけ無いだろ。仮に俺から母さんに言ったとして、再婚できると本気で思っているんだろうか。再婚なんてするわけがない。

無視して早足で立ち去ろうとすると、腕を強く掴まれた。

「背が伸びたな。立派になったね。今はどこに勤めてるの?父さん今困ってるんだ。ねえ、父さんのこと助けてくれるよね」

背が伸びた?三年前とさほど変わってないだろ。立派になったね?今までの俺の何を知ってるんだ。

「っ離してください、しつこいようなら警察を」
「警察に頼ったところで無駄だからな。俺とお前には血縁関係があるんだ。警察に何言ったところで、大したことにはならない。それに、警察を呼ぶ必要はないだろ。俺たち家族じゃないか」

くそ、警察というカードに脅えないのはきつい。

家族なんて、母さんと結婚していたときも一度も行ったことなかったくせに。ぶわっと鳥肌が立って、吐き気がした。掴んでくる手が気持ち悪いし、汚い。今すぐ手を洗いたい。

「……人に頼ることしかできないのは相変わらずだね裕也。お父さんが、自分の身の守り方を教えてあげようか」
「触るな!」
「っ!」

無理やり手を振り払ったら、その勢いで男の顔を叩いてしまった。叩いた方の手がじんと痛い。人に手を上げてしまったことに、頭から血が引いていく感覚がした。

暴力を振るわれるのは痛くて怖い。だから、絶対俺はこんなやつにならないと誓ったのだ。不可抗力とはいえ人を傷つけたことに、ありえないくらい動揺した。

俺のその隙を、男が見逃すわけがなかった。

「生意気な」

昔を思い出させる、不機嫌な声に喉がなる。息の仕方を忘れるくらい、目の前の男から目を離せない。

手が拳に握られていくのがやけにスローモーションに見えた。

「お前のことを誰が育ててやっていたと思ってんだ。親に対して口答えすんな!」
「───っ」

がつんとこめかみに衝撃が来て、急いで男から距離を取る。痛えよ、馬鹿。

鞄の中に入っている水筒を手にとって、男の顔めがけてぶん投げた。その間にその場から駆け出した。

とにかく今はこいつから逃れたい。警察はだめだ。警察を頼れば母親に連絡が行くだろう。母さんに話が伝わったところで、何もしようとしない。寧ろ関わらないようにしてくるだろう。母さんの心労を増やすだけだし、そもそも母親を頼るなんて論外だ。

このまま家に帰るっていうのもまずい感じがした。家がバレるのはまずい。もうバレてるかもしれないけど、これ以上情報を相手に渡したくない。

スマホを見ると、メールが来ていた。高校の友人だ。俺の父親を名乗る男が俺の連絡先を聞いてきたらしい。個人情報を渡すのは無理だと断ってくれたようだが、友人に迷惑をかけてしまった。こんなことに誰も巻き込みたくない。あの男に誰も関わらせたくない。

どうしよう。どうしようか。まだ電車は動いている。今すぐに、あいつがいるこの街から出ていきたい。あいつの手が届かない場所に行きたい。

俺はたった先程出てきた駅に向かって走り出した。

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