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本編
24 ただ見かけただけ
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母親の誘いで、3年ぶりに実家に帰った。母さんの手料理を食べるのは、実家ぐらしのときでも数回ほどしかなかった。
職場の同僚もよく実家の味がどうのこうのと言うから、母親の料理というものは思い入れのある味であるらしい。初めて食べる母さんのハンバーグは、まあおいしかった。
へえ、こんな味なんだ。あいにく、実家の味がどうこうと言えるほど記憶に残っていないため、それくらいの感想しか出ない。うん。普通に美味しい。絵莉さんの料理とあまり変わらない。違いといえば、母さんのほうがちょっと野菜が多めかな、ってくらいだ。
実家には2泊3日で泊まった。二日目の夕飯は、寿司に連れて行ってもらった。寿司を選ぶ母さんは本当に楽しそうだったから、俺も嬉しかった。こっそりクラゲさんにお寿司をお裾分けしてやった。因みにクラゲさんは母さんがあまり気に入らないようで、三日間ずっと不機嫌だった。
三日目、ようやく家に戻る日がやってきた。仕事に行かないといけない母さんが俺のお見送りができないことを嘆いていたから、宥めて無理やり家から追い出した。
荷物をまとめて久方ぶりの実家を出る。帰省中、思ったよりも昔のことを思い出して胸が苦しくなることはなかった。ちょっと辛いときもあったけど、クラゲさんに抱きしめてもらわないといけないくらい寒くなることはなかった。
その理由は、普通の親子のようなことをしてはしゃいでいる母さんがずっと側にいたからだろう。つまり、物思いに耽る暇もないくらい構い倒された。今までにないことだったから、正直疲れている。
さて、もう帰ろう、というときだった。ただ、見かけただけ。
駅に続く住宅街の道角に、黒い影がいた。俺が大嫌いな黒い影。
───父さん
向こうが気づく前に、慌ててその場から駆け出した。足をもつれさせながら、とにかく遠くに行こうと思って足を動かす。いつの間にか近隣の川辺まで来ていて、震える足が石に躓いた。
ぐらりと回転する視界に、次の衝撃を耐えるために目を閉じる。ばしゃん、と水音がして、クラゲさんを下敷きにしたまま転んだ。クラゲさんが庇ってくれたおかげで、どこもけがをすることがなかったが、転んでいたらそこそこ大惨事だっただろう。この川辺には手のひらサイズの石がごろごろ転がっている。
「あ……ありがとう」
お礼を言って、急いで立ち上がろうとするが、一度崩れた足はなかなか力を取り戻せない。震える脚は何度叩いても震えたままだ。足を叩く俺の手を、クラゲさんが止めた。
頭がくらくらして、息が荒い。先程見た父さんは、誰かを待っているようにも見えた。
親子関係が無くなったとしても、市役所に行けば相手の住所なんてすぐに、役人が教えてしまう。
俺の居場所なんて、直ぐに調べられるだろう。今の現住所まで割られたのか分からないが、もしかしたら、俺が帰郷してることくらいは話が伝わってるかもしれない。ご近所のおばさんはお喋りだから。
ぐるぐる思考が回って吐き気がしてくる。心配そうにしたクラゲさんに身を寄せられて、ようやく息をついた。
まだ、あの人が俺に会いに来たと決まったわけじゃない。そもそもあの人が俺に興味を示すわけがない。そうじゃないか。これは俺のただの思い上がりだ。
考えないようにしよう。きっと今日会ったのはたまたまだ。そう自分に言い聞かせるが、吐き気は止まらなかった。この手を握る透明な触手だけが、俺の理性の手綱を握っている。落ち着こうと深呼吸をしても、呼吸は深くなるばかり。あ、過呼吸になりそう。
「……もう一日くらい、泊まろうかな」
誰も俺を知らない場所で、誰のことも考えずに済む場所に行きたい。大丈夫、一日休めば、元の俺に戻れるはずだから。
その日はその街のホテルで一泊した。クラゲさんと二人で家以外の場所に泊まるのは初めてだった。その日は直ぐにベッドに寝かされた。俺が眠るまで側に居てくれた透明に、俺は泣きついた。
後日、そのことを高校の女友達に電話で相談した。あだ名で呼びかけると、久しぶり、と嬉しそうにしてくれた。よかった、俺のことは覚えていてくれたようだ。
彼女の母親の両親も離婚しており、その後再婚しているのだ。友人は俺の話を聞くと、激怒した。
「いやそれ絶対お前目当てで来てるよ。はっきり言うけどさぁ」
「ずっと音沙汰無しだったのに?」
「だからよ。馬鹿な男っていうのはね、失ってから大切なものに気づくのよ。男って女より寂しがりだから、一人になって寂しくなったんじゃない?母さんの前の父さんも、それで一度家まで会いに来たらしいし」
まじかよ。俺はかなりドン引きした。
「でも、俺目当てとは限らないでしょ?別の人を待ってたのかも」
「あんたの父さんって、パチカスで短期で暴力的なあの男でしょ。あんな男と付き合う友達なんてこのあたりには居ないわよ。私服だったんでしょ?なら、仕事の付き合いで仕方なくこっちに戻ってきたってわけじゃなさそうだし」
そもそもあの男がまともな職につけるかは疑わしいけど、とその子は吐き捨てる。遠慮のない彼女の語り口は聞き心地が良い。
「そもそも、一度この街を出たあいつがわざわざここに訪れる理由なんて一つしかないでしょ。普段、近寄りたくもない場所だろうに」
「じゃあ、何しに来たんだろう」
「謝りに来たんじゃないの?あんたの母さんと同じように。それか、金が足りなくて借りに来たのかも」
「謝るんだったら母さんに謝るべきだ」
「元カノよりも子供の方がまだ話しやすいのよ。喧嘩別れみたいな離婚だったらしいし」
学生時代に姉御というあだ名をつけられただけあって、芯のある語り口調だ。おそらく普通の家庭とは言えない環境で育ったはずなのに、俺よりも強い。
「会う必要なんてないわよ。話しかけてきたら、俺の父さんは自衛隊にいるって言いなさい」
「つ、強いねきみって」
「悪いのはむこうなんだから当たり前。返しなんて適当でいいのよ、もう赤の他人なんだから。あんたももっと堂々としなさいよ。まったく、男ってのはどいつもこいつも弱いんだから」
こんなにズバズバ言われると、そんなに大したことじゃない気もしてきたな。うん、やっぱり姉御はすごい。
「……でも、母さんも前の父さんが来たときは怖かったって言ってたし。あんまり困ってるんだったら、警察とか……」
「そうだね……ありがとう、姉御。気が楽になったよ。相談してみてよかった」
「ま、まっかせなさいよ!」
また何かあったら連絡しなさい、と言って彼女は電話を切った。電話をかける前より心が楽になったな。心が落ち着いたので部屋の掃除をするために掃除機を取りに行こうとしたら、クラゲさんが悔しげに俺のスマホを睨んでいた。どうしたの。
職場の同僚もよく実家の味がどうのこうのと言うから、母親の料理というものは思い入れのある味であるらしい。初めて食べる母さんのハンバーグは、まあおいしかった。
へえ、こんな味なんだ。あいにく、実家の味がどうこうと言えるほど記憶に残っていないため、それくらいの感想しか出ない。うん。普通に美味しい。絵莉さんの料理とあまり変わらない。違いといえば、母さんのほうがちょっと野菜が多めかな、ってくらいだ。
実家には2泊3日で泊まった。二日目の夕飯は、寿司に連れて行ってもらった。寿司を選ぶ母さんは本当に楽しそうだったから、俺も嬉しかった。こっそりクラゲさんにお寿司をお裾分けしてやった。因みにクラゲさんは母さんがあまり気に入らないようで、三日間ずっと不機嫌だった。
三日目、ようやく家に戻る日がやってきた。仕事に行かないといけない母さんが俺のお見送りができないことを嘆いていたから、宥めて無理やり家から追い出した。
荷物をまとめて久方ぶりの実家を出る。帰省中、思ったよりも昔のことを思い出して胸が苦しくなることはなかった。ちょっと辛いときもあったけど、クラゲさんに抱きしめてもらわないといけないくらい寒くなることはなかった。
その理由は、普通の親子のようなことをしてはしゃいでいる母さんがずっと側にいたからだろう。つまり、物思いに耽る暇もないくらい構い倒された。今までにないことだったから、正直疲れている。
さて、もう帰ろう、というときだった。ただ、見かけただけ。
駅に続く住宅街の道角に、黒い影がいた。俺が大嫌いな黒い影。
───父さん
向こうが気づく前に、慌ててその場から駆け出した。足をもつれさせながら、とにかく遠くに行こうと思って足を動かす。いつの間にか近隣の川辺まで来ていて、震える足が石に躓いた。
ぐらりと回転する視界に、次の衝撃を耐えるために目を閉じる。ばしゃん、と水音がして、クラゲさんを下敷きにしたまま転んだ。クラゲさんが庇ってくれたおかげで、どこもけがをすることがなかったが、転んでいたらそこそこ大惨事だっただろう。この川辺には手のひらサイズの石がごろごろ転がっている。
「あ……ありがとう」
お礼を言って、急いで立ち上がろうとするが、一度崩れた足はなかなか力を取り戻せない。震える脚は何度叩いても震えたままだ。足を叩く俺の手を、クラゲさんが止めた。
頭がくらくらして、息が荒い。先程見た父さんは、誰かを待っているようにも見えた。
親子関係が無くなったとしても、市役所に行けば相手の住所なんてすぐに、役人が教えてしまう。
俺の居場所なんて、直ぐに調べられるだろう。今の現住所まで割られたのか分からないが、もしかしたら、俺が帰郷してることくらいは話が伝わってるかもしれない。ご近所のおばさんはお喋りだから。
ぐるぐる思考が回って吐き気がしてくる。心配そうにしたクラゲさんに身を寄せられて、ようやく息をついた。
まだ、あの人が俺に会いに来たと決まったわけじゃない。そもそもあの人が俺に興味を示すわけがない。そうじゃないか。これは俺のただの思い上がりだ。
考えないようにしよう。きっと今日会ったのはたまたまだ。そう自分に言い聞かせるが、吐き気は止まらなかった。この手を握る透明な触手だけが、俺の理性の手綱を握っている。落ち着こうと深呼吸をしても、呼吸は深くなるばかり。あ、過呼吸になりそう。
「……もう一日くらい、泊まろうかな」
誰も俺を知らない場所で、誰のことも考えずに済む場所に行きたい。大丈夫、一日休めば、元の俺に戻れるはずだから。
その日はその街のホテルで一泊した。クラゲさんと二人で家以外の場所に泊まるのは初めてだった。その日は直ぐにベッドに寝かされた。俺が眠るまで側に居てくれた透明に、俺は泣きついた。
後日、そのことを高校の女友達に電話で相談した。あだ名で呼びかけると、久しぶり、と嬉しそうにしてくれた。よかった、俺のことは覚えていてくれたようだ。
彼女の母親の両親も離婚しており、その後再婚しているのだ。友人は俺の話を聞くと、激怒した。
「いやそれ絶対お前目当てで来てるよ。はっきり言うけどさぁ」
「ずっと音沙汰無しだったのに?」
「だからよ。馬鹿な男っていうのはね、失ってから大切なものに気づくのよ。男って女より寂しがりだから、一人になって寂しくなったんじゃない?母さんの前の父さんも、それで一度家まで会いに来たらしいし」
まじかよ。俺はかなりドン引きした。
「でも、俺目当てとは限らないでしょ?別の人を待ってたのかも」
「あんたの父さんって、パチカスで短期で暴力的なあの男でしょ。あんな男と付き合う友達なんてこのあたりには居ないわよ。私服だったんでしょ?なら、仕事の付き合いで仕方なくこっちに戻ってきたってわけじゃなさそうだし」
そもそもあの男がまともな職につけるかは疑わしいけど、とその子は吐き捨てる。遠慮のない彼女の語り口は聞き心地が良い。
「そもそも、一度この街を出たあいつがわざわざここに訪れる理由なんて一つしかないでしょ。普段、近寄りたくもない場所だろうに」
「じゃあ、何しに来たんだろう」
「謝りに来たんじゃないの?あんたの母さんと同じように。それか、金が足りなくて借りに来たのかも」
「謝るんだったら母さんに謝るべきだ」
「元カノよりも子供の方がまだ話しやすいのよ。喧嘩別れみたいな離婚だったらしいし」
学生時代に姉御というあだ名をつけられただけあって、芯のある語り口調だ。おそらく普通の家庭とは言えない環境で育ったはずなのに、俺よりも強い。
「会う必要なんてないわよ。話しかけてきたら、俺の父さんは自衛隊にいるって言いなさい」
「つ、強いねきみって」
「悪いのはむこうなんだから当たり前。返しなんて適当でいいのよ、もう赤の他人なんだから。あんたももっと堂々としなさいよ。まったく、男ってのはどいつもこいつも弱いんだから」
こんなにズバズバ言われると、そんなに大したことじゃない気もしてきたな。うん、やっぱり姉御はすごい。
「……でも、母さんも前の父さんが来たときは怖かったって言ってたし。あんまり困ってるんだったら、警察とか……」
「そうだね……ありがとう、姉御。気が楽になったよ。相談してみてよかった」
「ま、まっかせなさいよ!」
また何かあったら連絡しなさい、と言って彼女は電話を切った。電話をかける前より心が楽になったな。心が落ち着いたので部屋の掃除をするために掃除機を取りに行こうとしたら、クラゲさんが悔しげに俺のスマホを睨んでいた。どうしたの。
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