海ぼうずさんは俺を愛でたいらしい

キルキ

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本編

6 泣き虫の夜⑥

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ところで、あの生物は一体何なんだろう。

脳みそがキャパオーバーしそうで、ふらふらしながら浴室から出ると、下着一枚履いてベッドにダイブした。もう色々と限界だった。

寝転んだままスマホの電源を入れて、あの化け物について調べだす。絵莉さんから返信は返ってきていなかった。このまま何も返ってこなかったらいいのに。なんて、そんなことになったら八方塞がりになるだけだが。

身体がスライムみたいで、ぬるぬるになったり、ただの水になったりすることができる透明な生き物、なんてネットで検索したところで何も出てこない。ビジュアル的に一番近しいのはやっぱりクラゲかなぁ。海の中にはどでかいクラゲがわんさかいるらしいし。だけど、これがただの"でっかいクラゲ"と呼ぶには無理がありすぎた。

今は俺の風呂場の浴槽で、水の状態になっておとなしくしている。ときどきチャポーンと音が聞こえてくる。俺が風呂場に顔を出すと、浴槽からにゅっと顔を出して金の目を向けてくる。ちらちら俺の様子をうかがっていることに気づいて、ちょっとかわいいと思ってしまった。

不思議なことにその生物は、体を膨張させたり小さくさせたりすることができるみたいだった。昨晩俺にあんなことやそんなことをしたときは風呂場いっぱいになるくらい膨らんで俺を見下ろしていたというのに、今では狭い浴槽に収まりきるくらい小さくなっている。おそらく、洞窟で見たときくらいの手のひらサイズにだって、簡単になれるんじゃないかと思っている。

あともう一つ不思議だったのは、こいつ、少しだけ喋れるのだ。始めて声を聞いたときはめちゃくちゃびっくりした。喋ると言っても、「イタイ」とか「ユーヤ」とか、それくらいだけど、なんとなく言葉の意味を理解して言ってそうだし、この生き物には知能が備わっているんじゃ無いだろうか。というか、いつ俺の名前を聞いたんだろう。まさかあの洞窟から家まで俺の側にずっといたのか?

どこに?どうやって?2泊3日の旅行に出たんだから大荷物だったし、その中に小さい姿で紛れ込んでいたなら気づかないかもしれない。

「ユーヤー」
「…………」

風呂場から聞こえてくる声に、がくりと肩を落とす。

……とんでもないものを連れ帰っちゃったな…………。





数日後、友人たちの土産話を聞いていくうちに、あのビーチの洞窟には海ぼうずが封印されている、という言い伝えがあることを知った。海ぼうずってどんなのだろうと画像を調べてみたら、結構怖い顔をしていた。しかもめっちゃでかい。こんなのに出会ったら泣く自信がある。人間が乗っている船を破壊してくるらしい。こわ。

画像では真っ黒で頭がつるつるした何かが海の中からこんにちはしていた。俺の風呂に住み着いているあいつの身体は、水と同じく透明な身体をしている。けど、頭は確かにまんまるだった。

まさかとは思ったが、もしも本当にあれが海ぼうずだったとしたら色々と恐ろしすぎる。あんな人畜無害そうな顔してるあれが人を殺す妖怪だったら、俺の風呂場はいったいどうなっちゃうんだ。あと、そんなやばい妖怪の封印を解いたのが俺かもしれないという疑惑も生まれる。心当たりがあるとすれば、洞窟の壁に埋まっていたでっぱりだ。意識を失う直前にでっぱりが崩れ落ちていたことを思い出し、頭を抱えた。

……あの生き物のことは"クラゲさん"と呼ぶことにしよう。まさかそんな、妖怪とか存在知るわけないし。俺が知らないだけで、きっと珍しい生き物なんだろう。知らないほうがいいこともあるっていうしな。

……知らないったら、知らない!







とうとうやってきた出勤日。あれ以降は絵莉さんからのメールが怖くて、携帯の電源を切っていた。上司からの緊急連絡が入っていないことを祈りつつ、既に出社しているだろう彼女のことを思ってびくびくしながら出社すると、絵莉さんがすぐに話しかけてきた。

「鍵田くん、おはよう!もう~、急にあんなメール送ってくるからびっくりしたよ。返事も帰ってこないしさぁ。なあに?また寂しくなっちゃったの?」

いつも通りの声色で話しかけてくる彼女に、何を言うか迷ってしまう。彼女は俺が勇気を振り絞って送ったメールを、「かまってアピール」と捉えたらしかった。

どうしよう、まさか俺の本気が伝わっていなかったなんて。やっぱりメールで話をしたのは失敗だった。

「え、絵莉さん……、その、俺」
「もしかして、ここ数日間会えてなかったのが不満だったの?事前に言ったでしょ?今週は予定があるからって」

その予定が、浮気相手とのデートだってことも知ってます。と言う度胸はないけど、内心そう思った。自分でそれを言ってしまうと、ますます俺が惨めな気持ちになる気がした。

……よし。今夜、食事に誘おう。そしてどこかのレストランにでも行って、そこでちゃんと別れ話をしよう。いつまでもメソメソしてたら駄目だ。

ぐっと拳を握りしめて、意を決して口を開こうとしたとき、背後から肩を叩かれた。振り返ると、上司の安岡さんがにかりと笑いながら俺の肩に手を置いていた。

「よっ鍵田!ビーチは楽しかったか?その割には焼けてねえな。海に行ったら、その顔色も多少はマシになると思ってたんだが」

頬をするりとなぞられる。俺に対するように、安元さんの肌は健康的な小麦色だ。同級生だったら、小学生の時にオセロというコンビ名がついていたかもしれない。性格も真反対にいるタイプの人間だ。

会社では、俺と彼女が付き合っていることを公言していない。会社に知られるといろいろ面倒だから、という理由で、お互いを秘密にすることを約束していた。だから、安元さんは俺たちの間の関係など知らずに話しかけてきているわけで。

「え、鍵田さんって海に行っていたんですか?」

驚いたように目を丸くする絵莉さん。口角は上がったままだが、明らかに引きつっていた。安元さんはそれに気づいた様子もなく、ぺらぺら喋り続ける。

「知らなかったのか?こいつ、先週の日曜日から高校の時の友達と一緒に、〇〇っていうところに海水浴に行ってたんだよ」
「あー……、そ、そうだったんですね。はは、楽しそうでいいですね」

絵莉さんが俺の顔をちらりと見上げた。突然に別れ話、別れ話をしたタイミング。彼女が何を考えているのがわかって、あえて俺は気まずげに目線をそらした。

「っ、そ、そっか~。あ、私、もう行きますね。午後の会議でまたよろしくお願いします。では」

俺の反応を見て息を呑んだ絵莉さんは早口にそう言うと、どこかに歩き出した。
……うん。流石に彼女も俺の反応を見て、浮気を俺に知られたことを察したのだろう。これで、終わったのかな。

何とも言えない気持ちで彼女の背中を見送っていると、上司が俺の腕を掴んで歩き出した。同じ部署だから、一緒に行こうということであるらしい。前々から思っていたけど、安元さんはやけにスキンシップが過多だ。俺相手だからいいものを、女性相手にしたらセクハラだと訴えられるんじゃないだろうか。

その日の上司はやけに機嫌が良かった。絵莉さんを会社で見かけると、にやにやした笑いを浮かべていた。二人は仲が良かったりするのだろうか。

家に帰って風呂に入ろうとしていたとき、絵莉さんから一通のメールが来た。トーク画面を開くと、一番下のメッセージに『別れましょう』とだけ来ていた。

ぼうっとそれを見ていたら、風呂場からばしゃばしゃという音がし始めた。クラゲさんが水遊びをしてるらしかった。無邪気だ。スマホを机の上に置くと、俺はクラゲさんのもとに向かった。
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