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第二章 蠅、付きまとう

22.完

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 右の通路もまた、直線で、そしてなだらかに下降している。
 そもそも、道を引き返して入って右側の方を選んだのには、塩染が出口を塞いだ形で現れたのがきっかけだ。もし、道があっているのだとすれば、先頭になっていた雲原夫婦と対面していたはず。

 しばらくすると、少しばかり大きな広場に出る。そうはいっても、地面に向けられた二つの暗闇からくりぬかれた円が映す光景は、湿り気がある土の表面を映すばかり。特になにかがあるわけでもなく、水滴が落ちる水の音もない。

 ただ、茫然とした意識に紛れ込む、ゾンビや幽霊に恐れる心がそこにあるだけだ。明かりを壁に向けて、互いに違うところを映す。浅霧が映した、右手にあるところから、また先に進めるようだ。そちらに歩を進める。

 左に大きく曲がり、足場に気を付けて進んでいくと、なにやらほんのりとした、わずかな明かりが見えた。蝋燭の明かりだろうか。右に折れた先から感じる。明かりを下に向けて、足音を立てずにゆっくりと進んだ。分岐点で背中をぴったり付け、浅霧が中を覗いた。帆野にその場所を譲る。

 中は、大きな広場になっている。左側に、どれだけ深いかわからない湖があり、光は広場とみられる右側から。人の影は見当たらない。浅霧と顔を合わせて、頷いた。移動しようとしたその時、しっかりとした意思を持つ、足音が響き渡る。

 こちらの存在に気付いたのか、あるいは定期的な確認だろうか。はっきり言えるのは、こちらに近づいているということだ。浅霧は戻ろうと足を進めるが……このまま戻っていいのだろうか。引いたり、進んだりを繰り返していていいのだろうか。時間もあとわずか。

 行くしかないと決心した帆野は、柄をしっかりと握りしめ、ゆっくりと外に出した。勢いよく飛び出る。
「うわあ!」
 そこには、常和が憑依した廓の姿があった。

「この先には行かせんぞ」
「常和さん、本当に良いんですか?」
「なにがだ?」
「村の人は、殆ど犠牲になってます。そんなことをしてまで、娘さんを生き返らせてどうなるんですか?」
「お前には関係ない」

「証拠のビデオ、まだ持ってるんですか?」
「だからなんだ」
「俺たちを信じてくれませんか? 知り合いに刑事がいるんです」

「もう、そんなことはどうでもいい。復讐は果たせたし、あとは娘さえ生き返ってもらえば」
「大体、体に卸すって聞きましたけど……そんな相手、いるんですか?」
「いるさ。医者の娘をさらったんだ」
「医者の?」

「そうだ。あいつは儀式に反対だった。生まれて間もない娘がいたから、余計だろう。だけど、結局あいつも、この計画に乗っかってる」
「脅されてたんじゃないんですか?」
「それで? 理解しろとでも? 結局は、俺の娘は目の前で殺された」

「もしかして」
 と、浅霧が切り出す。
「血液を入手したのって」
「そうだ。医者の女を脅して、取らせたんだ」
「あんた……どうかしてるよ! 結局、占い師や、村長とかとやってることは」

「あんな奴らと一緒にするな! 俺は違う。目の前で殺しやがった連中と同じにするな!」
「ビデオはどこですか」
 と、浅霧が聞く。
「聞いてどうする」
「さっき帆野さんが言ったように」
「もう遅いんだよ! いいだろ! もう……妻は体を壊して死んだ。この体も借りものだ。だったらせめて、娘だけは、生き返って……」

 死神は、妻の魂までは憑依させなかったのだろう。最初から何もかもを知っていて、全てを計画していたのだろうか。
(なんのために……まさか)
 死神は、魂を集めている。悪魔の儀式によって蘇った魂を奪った場合……これが特殊な魂だとすれば。
「なに言っても通じないってことですか?」
 浅霧が、会話を続けた。
「そうだ」

「そこをどいてください!」
 こうしてはいられない。ここまでして生き返らせた魂も結局、死神に奪われ、村人もゾンビになって死に、全てが絶えてしまう。こんなことがあってはならない。
「それはできな」
「聞け! あなたは騙されてる!」
「なにを言ってる」

「死神から助けられたんだろ? 俺の友人は、あいつに魂を奪われたまま。収集するのが単に好きな変態なんだぞ。だからきっと、今回の儀式で生き返った紗華ちゃんも」
「なにを言ってる……」

 つんざく悲鳴。轟く発砲。
(なんだ!)
 雲原夫婦の様子に思わず気を取られた隙に、常和に腕を掴まれ、無理矢理刀を引きはがそうとしてくる。
「常和、さん……」
「生きた人間を殺せるのか!」

 帆野に言ってる気配を感じない。浅霧に気を配ると、刀を片手で握りしめた彼女が目に写った。
「もう一度説明するぞ。この体は、廓という奴だ。常和和也じゃない。いいのか? それでも。ゾンビとは違って、正真正銘の人殺しだぞ?」
「浅霧さんには、そんな事させねぇ!」

 現状で出せる精一杯の力を出して、足の力まで使い、常盤和也を押し倒した。覆いかぶさるようにして。寝ていた赤ん坊が起きたのか、鳴き声がしている。この先で間違いない。儀式を中断させれば、全てが終わるかもしれない。
「浅霧さん、先に行って!」
「てめええええええ!」
 浅霧は上をまたがる気配を感じ、先を歩いた。

(これで……!)
「うおっ!」
 背中になにか、重い物が一瞬だけのしかかった。すると、水を乱暴に叩く音が響き渡る。誰かが落ちたというのだろうか。そちらの方に目を向けると、手から投げ出されたスマホは、明かりの方を天井に向け、わずかに把握できる状況から、浅霧が湖に落ちたと把握できる。

「浅霧さん!」
 今まで一生懸命に抑えていた常和にチャンスを与えてしまい、狭いスペースの中、逆に常和に覆われる。泣き叫ぶ赤ん坊を背後にして、今や抵抗することしかできない。絶体絶命の中、赤ん坊の泣き声が止んだ。それを合図にして、常和が一切の力を抜く。
(まさか……)

 ゆっくりと立ち上がり、帆野のことなど目もくれず、広場の奥の方へと向かった。鈍痛広がる体を起こし、なんとかして常和の方に視線を向ける。ゆらゆらと向かうその背中、まるで蝋燭の炎のようにも見えた。確かに、儀式が出来るほどの広い空間だ。しかし、今回に使った儀式——描かれた魔法陣は、一番奥の右角。確実に死角となる場所にある。

 帆野も立ち上がり、あとを追った。近づいてわかったのだが、捧げた供物とも思われる、米や水が入ったペットボトルなどが見えた。

「紗華、紗華か?」
 赤ん坊を抱きあげ、常和はむせび泣く。目の前の常和は、紛れもない至福のひと時だろう。崩れた膝。強く抱きしめた赤ん坊。その姿は、喜びに満ち溢れている。こんな結末があっていいものか。刀を落とし、その場に落胆するほかなかった。

「がああああああああああ!」
 常和の悲鳴。なにがあったというのだろうか。目を強く押さえて、悶えている。赤ん坊はぎこちない動きで歩き、蝋燭を血で滲んだ手で握った。

「なにしてる……」
 ズボンに火がともされ、一気に燃え広がる。嗚咽に悲鳴。奥底から絞り出した苦悶の感情。頭の理解が追い付かない。その奥で、赤ん坊が不敵に笑う。純粋無垢な人間が見せるそれではなかった。やがて、どすの聞いた笑い声が、赤ん坊の口から発せられた。

「残念だったな、娘じゃなくて。俺だよ、このきったねぇ洞窟に住み着いてた元村長さ! 生き返るううううう!」
「なんで……」
「儀式の本がその通りにいくかっつうの! ばっかじゃねぇの? 魂まで消えた人間なんか戻ってこねぇよ! ばーか! はぁ……赤ん坊っていうのが、ちょっと癪だけどな。まぁでも、本の効力は本物だったみたいだな。本当なら、悪魔でも乗っ取ってたんじゃないか?」

 燃え続ける廓の体を、浅霧はためらいもなく持ちあげた。
「浅霧さん、なにして……」
「手伝って」

 今までの浅霧とは思えない、冷たい声が帆野を貫く。逆らうことさえできないような、そんな力がこもっていた。
「そいつもう死んでんぞ?」
 暑さや、袖に移る火を後目に、急いで湖へと放り投げた。帆野はその火を、湖に手を突っ込んで消す。燃え盛る炎は、跡形もない。焼けた廓が、そこに浮かんでいた。そのまま引き上げ、確認するも、やはり死んでいる。

 浅霧の方へと視線を向けると、赤ん坊に刀を上げていた。
「浅霧さん!」
 急いで駆け寄る。頭部まで数十センチというところで止めた。
「おー怖い怖い」
「死んでんなら、そのまま大人しくしてろ」

「いいだろ? 俺だって殺されたんだ。被害者なんだよ」
「黙ってろって言ってんだ!」
「クズはどこまでいってもクズなんだから、そんなに向きにならなくても。そうだろ? そこの男」
「うるさい……」

 視界がグラっと揺れる。体が裂けるような感覚。日の光、真っ暗闇。草むらやゾンビ。あらゆる光景が、視界に飛び込んでくる。気をしっかりと持つことさえも出来ない。

 誰かの呼ぶ声が聞こえる。
「帆野さん?」
 目を覚ましたら、乾ききった同じ服を着た浅霧が、顔を覗かせていた。目を擦りつつ、体を起す。目の前に広がる、建物一つない草木だけの森の光景。それを理解するのに、十数秒と時間を要した。
「あ……れ? 俺たち、確か、霧神村に……」
「はい。でも……跡形もなく、なくなっています」

「は?」
 もはや、理解をする領域を超えている。先ほどまであったことは、全てなかったとでもいうのだろうか。雲原夫婦は? 高郷や殻屋は? ここに訪れた観光客たちや、村おこしをした政治家はどうなったのだろうか。なにもかもが全て、あのゾンビの一件で、全てが消し去っていた。
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