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第二章 蠅、付きまとう
12.混沌
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無我夢中だったために、どこをどう走ったかもわからない。息継ぎのために立ち止まったが、後ろを振り返っても追いかけてきている気配はない。
左側に民家、右側に寺の階段がカーブして上がっていっている。時間も時間なのか、街灯の明かりは完全に消されている。恐怖は、依然と変わらない。壁から這い出てくる、唸り声や叫び声と言った想像が、掻き立てられる。寺に行くか、それとも真っ直ぐ道を行くか……あるいは、左に分岐した、歴史記念館の歩道の間に入って行くか。
一つの選択で結末が変わりそうだが、とりあえず寺の方角を選びたい。浅霧と連絡を取らなければ……リスクはあるが、電話している途中に見つかる可能性を考えれば、まだ寺の方がマシな気もしている。
長い階段を登る。未だ続く頭痛や吐き気の上、乳酸が溜まって体力が失われているせいで、階段を登るのも、疲れがより一層感じられるというもの。光源となる要素が一つもなく、緊張感は変わらない。左右、どちらも木が生えているせいで、視界も狭い。登るにつれて、この選択は間違いなのだろうかとさえ思えてくる。
木々の間を縫って、もしゾンビが出てきたとしたら……
そんな想像がよぎる。一層神経を尖らせ、奪われる体力とともに、足を進めていく。
階段を登りきった。安心感に浸りたい気分だが、むしろ直らない気持ち悪さの方が勝ってしまっている。嗚咽感を飲み込んで、今は電話できる安全な場所を探すべきだ。石造りの通路の先には、左右対称の寺。左側に倉庫があり、寺よりも倉庫を選択する。
中に入るわけではなく、その裏手に隠れた。
周囲に気を配った後、電話帳を開き、浅霧に電話をかける。
出るまでの瞬間が、とても長く感じる。倉庫にぺたっと背中を貼り付けていても、倉庫の向こう側が気になって何度も確認をするが、変化はない。蒸し暑さと、蝉の鳴き声。静寂を遮るように音が響いているのは、確認できるだけで蝉くらいだろう……
「大丈夫ですか?」
開口一番、声からでも分かるくらい心配した声が届いた。
「なんとか……浅霧さんは?」
「私は、あの夫婦と一緒にいます」
「ということは」
「宿です。怖気づいたのかわかりませんけど、殺されなかったようです」
「よかった……ゾンビは?」
「え?」
「知らないんですか? 病院で目を覚ましたんですけど、そこの医者がゾンビになってたんですよ」
返事が返ってこない。
「浅霧さん?」
「え? 大丈夫です。こっちにはいませんよ」
「どうなってるんだ……」
「わかりません。変ですね」
「はい……」
「こっちにこれますか?」
「いけますけど……」
背中側から突如、ありったけの力で殴る音が聞こえた。
驚いて、反射的に構えてしまう。
「なにがあったんですか?」
「逃げます! また後で!」
「死なないでください。約束です」
「はい」
電話を切る。冷静に会話したものの、心臓が休まることはなかった。気がついてみれば、ゾンビの唸り声が聞こえる。男だろうか……背中を何度も押してくる。気持ちも気圧されるほどの煽り。音は次第に、テンポが上がっていく。
「なんなんだよ、クソ!」
早く敷地内から出ようと思い、物置小屋の裏から姿を出したその時、木造の壁が耐えられなくなり、縦模様の木材の4つが壊れ、二人のゾンビが外に出てきた。知能がないのか、はたまた血の気ばかりが多いのか、倒れようとも気にもせずに無理矢理外へと出ようとしていた。
そんな、男と女の姿。動作の不可解さもあって、気味の悪さがさらに恐怖を煽る。心臓が飛び上がり、がむしゃらに走り出した矢先、逃げ場である階段が視界に写るが、同時に若い男のゾンビが一緒に映し出される。
こちらの存在に気付くや否や、ねばついた口を大きく開き、手を前に出して蛇のように唸る。
挟まれたような構図。左手には二人、正面には一人。人数的に考えれば正面だが、力で言えばこの若い男も男だろう。ただ、そうも言ってられない。ここは賭けに出て、人数的に有利な若い男の横を、距離を取って走る。
砂利を踏みしめる音に交じり、ゾンビたちのうめき声。絡まれずに、その場から逃げ出すことに成功し、階段を駆け下りる。
寺の敷地内、階段入り口で息を整え、振り返った。未だ手を挙げて歩いている姿が、遠くで確認できる。そのうちの一人が階段で躓いたのか、ゴロゴロと転がり落ちる。休んでいる暇もない。当然、立ち上がって追いかけてくるだろうから、単純に駆け下りるスピードが速まったのみ。
恐怖が終わることなく、乳酸を出し切れていない体を無理に動かした。絶え絶えの息。痛む気管支。膨張したような頭の感覚を抱き、木造の家々に挟まれた道を進む。右に折れた道の、突き当りの家から、男の悲鳴が聞こえる。
「ばあちゃん? ばあちゃん! どうしたんだ!」
引き戸から現れたのは、あの占い師の老婆だ。男に襲い掛かり、噛みつこうとしている。必死に抵抗して、振り払う手に狙いを定めたのか、腕をがっしりとかみついた。男の断末魔が響き渡る。それに駆けつけた周囲の住民が、慌てて家から飛び出してくる。
「お、おい、どうした!」
「た、助けてくれ!」
男がすぐさまかけつけ、あとから女が一人。子どもがいる家庭、いろいろな人たちがぞろぞろと出てくる中、こちらの存在に気付いたと思いきや……視線はそれよりもっと奥。帆野に向けられているのではなく、顔色も段々と青白くなっていく。ゾンビと理解しているかは定かではないが、その異様さに気付いた人間は少なくない。
一人が指をさし、「あれ!」と叫んだあと、一堂に異様さを理解して逃げ出した。
振り返ると、一人が噛まれて犠牲になっており、二人は襲われている。皆は、突き当りを右に曲がる道、寺から来た道の中間に位置する道を駆け抜ける。中には、助けに入る男女もいるが、場は混沌としているのが現状だ。
帆野もその状況に飲み込まれ、皆が逃げている道を同じように走った。
左側に民家、右側に寺の階段がカーブして上がっていっている。時間も時間なのか、街灯の明かりは完全に消されている。恐怖は、依然と変わらない。壁から這い出てくる、唸り声や叫び声と言った想像が、掻き立てられる。寺に行くか、それとも真っ直ぐ道を行くか……あるいは、左に分岐した、歴史記念館の歩道の間に入って行くか。
一つの選択で結末が変わりそうだが、とりあえず寺の方角を選びたい。浅霧と連絡を取らなければ……リスクはあるが、電話している途中に見つかる可能性を考えれば、まだ寺の方がマシな気もしている。
長い階段を登る。未だ続く頭痛や吐き気の上、乳酸が溜まって体力が失われているせいで、階段を登るのも、疲れがより一層感じられるというもの。光源となる要素が一つもなく、緊張感は変わらない。左右、どちらも木が生えているせいで、視界も狭い。登るにつれて、この選択は間違いなのだろうかとさえ思えてくる。
木々の間を縫って、もしゾンビが出てきたとしたら……
そんな想像がよぎる。一層神経を尖らせ、奪われる体力とともに、足を進めていく。
階段を登りきった。安心感に浸りたい気分だが、むしろ直らない気持ち悪さの方が勝ってしまっている。嗚咽感を飲み込んで、今は電話できる安全な場所を探すべきだ。石造りの通路の先には、左右対称の寺。左側に倉庫があり、寺よりも倉庫を選択する。
中に入るわけではなく、その裏手に隠れた。
周囲に気を配った後、電話帳を開き、浅霧に電話をかける。
出るまでの瞬間が、とても長く感じる。倉庫にぺたっと背中を貼り付けていても、倉庫の向こう側が気になって何度も確認をするが、変化はない。蒸し暑さと、蝉の鳴き声。静寂を遮るように音が響いているのは、確認できるだけで蝉くらいだろう……
「大丈夫ですか?」
開口一番、声からでも分かるくらい心配した声が届いた。
「なんとか……浅霧さんは?」
「私は、あの夫婦と一緒にいます」
「ということは」
「宿です。怖気づいたのかわかりませんけど、殺されなかったようです」
「よかった……ゾンビは?」
「え?」
「知らないんですか? 病院で目を覚ましたんですけど、そこの医者がゾンビになってたんですよ」
返事が返ってこない。
「浅霧さん?」
「え? 大丈夫です。こっちにはいませんよ」
「どうなってるんだ……」
「わかりません。変ですね」
「はい……」
「こっちにこれますか?」
「いけますけど……」
背中側から突如、ありったけの力で殴る音が聞こえた。
驚いて、反射的に構えてしまう。
「なにがあったんですか?」
「逃げます! また後で!」
「死なないでください。約束です」
「はい」
電話を切る。冷静に会話したものの、心臓が休まることはなかった。気がついてみれば、ゾンビの唸り声が聞こえる。男だろうか……背中を何度も押してくる。気持ちも気圧されるほどの煽り。音は次第に、テンポが上がっていく。
「なんなんだよ、クソ!」
早く敷地内から出ようと思い、物置小屋の裏から姿を出したその時、木造の壁が耐えられなくなり、縦模様の木材の4つが壊れ、二人のゾンビが外に出てきた。知能がないのか、はたまた血の気ばかりが多いのか、倒れようとも気にもせずに無理矢理外へと出ようとしていた。
そんな、男と女の姿。動作の不可解さもあって、気味の悪さがさらに恐怖を煽る。心臓が飛び上がり、がむしゃらに走り出した矢先、逃げ場である階段が視界に写るが、同時に若い男のゾンビが一緒に映し出される。
こちらの存在に気付くや否や、ねばついた口を大きく開き、手を前に出して蛇のように唸る。
挟まれたような構図。左手には二人、正面には一人。人数的に考えれば正面だが、力で言えばこの若い男も男だろう。ただ、そうも言ってられない。ここは賭けに出て、人数的に有利な若い男の横を、距離を取って走る。
砂利を踏みしめる音に交じり、ゾンビたちのうめき声。絡まれずに、その場から逃げ出すことに成功し、階段を駆け下りる。
寺の敷地内、階段入り口で息を整え、振り返った。未だ手を挙げて歩いている姿が、遠くで確認できる。そのうちの一人が階段で躓いたのか、ゴロゴロと転がり落ちる。休んでいる暇もない。当然、立ち上がって追いかけてくるだろうから、単純に駆け下りるスピードが速まったのみ。
恐怖が終わることなく、乳酸を出し切れていない体を無理に動かした。絶え絶えの息。痛む気管支。膨張したような頭の感覚を抱き、木造の家々に挟まれた道を進む。右に折れた道の、突き当りの家から、男の悲鳴が聞こえる。
「ばあちゃん? ばあちゃん! どうしたんだ!」
引き戸から現れたのは、あの占い師の老婆だ。男に襲い掛かり、噛みつこうとしている。必死に抵抗して、振り払う手に狙いを定めたのか、腕をがっしりとかみついた。男の断末魔が響き渡る。それに駆けつけた周囲の住民が、慌てて家から飛び出してくる。
「お、おい、どうした!」
「た、助けてくれ!」
男がすぐさまかけつけ、あとから女が一人。子どもがいる家庭、いろいろな人たちがぞろぞろと出てくる中、こちらの存在に気付いたと思いきや……視線はそれよりもっと奥。帆野に向けられているのではなく、顔色も段々と青白くなっていく。ゾンビと理解しているかは定かではないが、その異様さに気付いた人間は少なくない。
一人が指をさし、「あれ!」と叫んだあと、一堂に異様さを理解して逃げ出した。
振り返ると、一人が噛まれて犠牲になっており、二人は襲われている。皆は、突き当りを右に曲がる道、寺から来た道の中間に位置する道を駆け抜ける。中には、助けに入る男女もいるが、場は混沌としているのが現状だ。
帆野もその状況に飲み込まれ、皆が逃げている道を同じように走った。
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