46 / 78
真夜中のおうちごはん 4
しおりを挟む
クローゼットはあけ放たれていて、中には高級そうなスーツが何着も吊されていたが、その下にはプラスチック製の簡易タンスがあるのみだ。
高梨はこの部屋の他に書斎を持っているようだから、ここには寝にくるだけなのだろう。しかしそれにしても私物があまりにも少ないことに驚かされる。流行のミニマムな暮らしをしているのかと考えたが、そんなお洒落感はまったくなく、印象はただただ殺風景だ。
陽斗はベッドに近づき、眠る相手を見おろした。ぐっすりと寝入っている高梨は、穏やかな表情をしている。
この人はずっと、こんな寒々しい部屋で寝てきたのかな、と思うと胸に不思議な感傷がわく。豪華なホテルを経営するCEOで、最初に見せてもらったスイートルームは、素晴らしい飾りつけがなされていたのに、本人はこんな何もない場所で、毎日眠っていたなんて。
『父と僕は、主従の関係でしかなかった。愛された記憶はない。だから、家族愛とか兄弟愛とか、そういったものは見当がつかないんだ』
スイートルームですごしたとき、たしか彼はそう言った。自分のことを、命令する主人がいないと、路頭に迷うロボットのようだとも。
陽斗が夕食を作って待っていたときは、何と言って喜んだか。
『自分の家じゃないみたいだ。家族みたいな人がいる』
人形のように怜悧な顔を嬉しさで一杯にして笑っていた。
それを思い返せば、胸にやるせなさがこみあげる。
「……高梨さん」
床に膝をつき、枕元に手をおいた。白金色の長い睫がピクリともしないのを、長い時間飽きずに眺めてすごす。
彫刻のような面立ちは完璧すぎて、青白い月明かりのもとではまるで大理石の芸術品のようだ。けれどこの人の中にはたしかにたくさんの感情があるのだろう。
「俺のこと、好きなの?」
小さくささやいて、答えがなくとも、どんな風にこの人が言ってくれるのか明確に想像がついてクスリと微笑む。そうしてシーツに突っ伏した。
――発情したい。
心の底からそう感じる。
フェロモンを出したい。自分の身体を変えたい。この人のものになりたい。
こんなにも強く発情を望んだのは、生まれて初めてかもしれない。
どうして毎晩のように高梨が相手をしてくれるのに変化がないのか。なぜいつまでも頑なに過去の呪縛に囚われているのか。光斗は発情しているのに。
母親が陽斗と光斗のためを思って、発情の怖さを教えてくれていたことは理解している。死ぬまで懸命にふたりを育ててくれたことも覚えている。だから母を恨んではいない。母は母なりに、兄弟を愛してくれていたのだ。
変われないのは自分のせい。自分の中の何かが、まだ発情を拒んでいるのだ。その原因がわからなくて、だから今苦しんでいる。
手を握りしめ、鬱屈した感情をこらえていると、やがて髪にふわりと何かを感じた。
瞳をあげれば、目を覚ました高梨が陽斗の頭に手をのせている。ゆったり撫でられて、涙がこぼれそうになった。
「どうしたの?」
夜空の月にも劣らぬ輝きの銀砡がふたつ、こちらに向けられていた。髪も肌も同じように、ほのかな銀色に縁取られている。
「……何でもないです」
陽斗は乱暴に眦を拭って立ちあがった。情けない姿を見られたくなかった。
「高梨さん、職場で倒れちゃったんですよ。鷺沼さんがここまで運んでくれたんだから」
涙をごまかすように、話題を相手に移す。
「……ああ、そっか」
高梨は前髪をかきあげた。そうして、ベッドからゆっくりと上半身をおこした。
高梨はこの部屋の他に書斎を持っているようだから、ここには寝にくるだけなのだろう。しかしそれにしても私物があまりにも少ないことに驚かされる。流行のミニマムな暮らしをしているのかと考えたが、そんなお洒落感はまったくなく、印象はただただ殺風景だ。
陽斗はベッドに近づき、眠る相手を見おろした。ぐっすりと寝入っている高梨は、穏やかな表情をしている。
この人はずっと、こんな寒々しい部屋で寝てきたのかな、と思うと胸に不思議な感傷がわく。豪華なホテルを経営するCEOで、最初に見せてもらったスイートルームは、素晴らしい飾りつけがなされていたのに、本人はこんな何もない場所で、毎日眠っていたなんて。
『父と僕は、主従の関係でしかなかった。愛された記憶はない。だから、家族愛とか兄弟愛とか、そういったものは見当がつかないんだ』
スイートルームですごしたとき、たしか彼はそう言った。自分のことを、命令する主人がいないと、路頭に迷うロボットのようだとも。
陽斗が夕食を作って待っていたときは、何と言って喜んだか。
『自分の家じゃないみたいだ。家族みたいな人がいる』
人形のように怜悧な顔を嬉しさで一杯にして笑っていた。
それを思い返せば、胸にやるせなさがこみあげる。
「……高梨さん」
床に膝をつき、枕元に手をおいた。白金色の長い睫がピクリともしないのを、長い時間飽きずに眺めてすごす。
彫刻のような面立ちは完璧すぎて、青白い月明かりのもとではまるで大理石の芸術品のようだ。けれどこの人の中にはたしかにたくさんの感情があるのだろう。
「俺のこと、好きなの?」
小さくささやいて、答えがなくとも、どんな風にこの人が言ってくれるのか明確に想像がついてクスリと微笑む。そうしてシーツに突っ伏した。
――発情したい。
心の底からそう感じる。
フェロモンを出したい。自分の身体を変えたい。この人のものになりたい。
こんなにも強く発情を望んだのは、生まれて初めてかもしれない。
どうして毎晩のように高梨が相手をしてくれるのに変化がないのか。なぜいつまでも頑なに過去の呪縛に囚われているのか。光斗は発情しているのに。
母親が陽斗と光斗のためを思って、発情の怖さを教えてくれていたことは理解している。死ぬまで懸命にふたりを育ててくれたことも覚えている。だから母を恨んではいない。母は母なりに、兄弟を愛してくれていたのだ。
変われないのは自分のせい。自分の中の何かが、まだ発情を拒んでいるのだ。その原因がわからなくて、だから今苦しんでいる。
手を握りしめ、鬱屈した感情をこらえていると、やがて髪にふわりと何かを感じた。
瞳をあげれば、目を覚ました高梨が陽斗の頭に手をのせている。ゆったり撫でられて、涙がこぼれそうになった。
「どうしたの?」
夜空の月にも劣らぬ輝きの銀砡がふたつ、こちらに向けられていた。髪も肌も同じように、ほのかな銀色に縁取られている。
「……何でもないです」
陽斗は乱暴に眦を拭って立ちあがった。情けない姿を見られたくなかった。
「高梨さん、職場で倒れちゃったんですよ。鷺沼さんがここまで運んでくれたんだから」
涙をごまかすように、話題を相手に移す。
「……ああ、そっか」
高梨は前髪をかきあげた。そうして、ベッドからゆっくりと上半身をおこした。
0
お気に入りに追加
181
あなたにおすすめの小説
幼馴染から離れたい。
June
BL
アルファの朔に俺はとってただの幼馴染であって、それ以上もそれ以下でもない。
だけどベータの俺にとって朔は幼馴染で、それ以上に大切な存在だと、そう気づいてしまったんだ。
βの谷口優希がある日Ωになってしまった。幼馴染でいられないとそう思った優希は幼馴染のα、伊賀崎朔から離れようとする。
誤字脱字あるかも。
最後らへんグダグダ。下手だ。
ちんぷんかんぷんかも。
パッと思いつき設定でさっと書いたから・・・
すいません。
記憶の欠片
藍白
BL
囚われたまま生きている。記憶の欠片が、夢か過去かわからない思いを運んでくるから、囚われてしまう。そんな啓介は、運命の番に出会う。
過去に縛られた自分を直視したくなくて目を背ける啓介だが、宗弥の想いが伝わるとき、忘れたい記憶の欠片が消えてく。希望が込められた記憶の欠片が生まれるのだから。
輪廻転生。オメガバース。
フジョッシーさん、夏の絵師様アンソロに書いたお話です。
kindleに掲載していた短編になります。今まで掲載していた本文は削除し、kindleに掲載していたものを掲載し直しました。
残酷・暴力・オメガバース描写あります。苦手な方は注意して下さい。
フジョさんの、夏の絵師さんアンソロで書いたお話です。
表紙は 紅さん@xdkzw48
しのぶ想いは夏夜にさざめく
叶けい
BL
看護師の片倉瑠維は、心臓外科医の世良貴之に片想い中。
玉砕覚悟で告白し、見事に振られてから一ヶ月。約束したつもりだった花火大会をすっぽかされ内心へこんでいた瑠維の元に、驚きの噂が聞こえてきた。
世良先生が、アメリカ研修に行ってしまう?
その後、ショックを受ける瑠維にまで異動の辞令が。
『……一回しか言わないから、よく聞けよ』
世良先生の哀しい過去と、瑠維への本当の想い。
好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
俺、前科持ちのヤクザだけど世界で一番お姫様かもしれない。
豆腐屋
BL
同い年のヤクザカップル。
メインは恋人の出所を一途に待っていた若頭✕5年間服役していた若頭補佐
和輝(受)と一京(攻)は、天神会に所属するヤクザ。会長は一京の実父である雅貴。
ある日、敵対組織の襲撃による乱闘中に、和輝は恋人の父親であり会長の雅貴を助けるため人を撃ってしまう。
殺人未遂の罪で5年の実刑で服役生活を送っていた和輝と最愛の恋人と引き離された一京、それぞれの5年間を送り、無事にまた二人一緒の生活が始まる。
和輝を溺愛し常に彼を幸せにすることに全力な一京と、日々、異常な程の愛を浴びながらも平然と健康に生きている和輝。
時々、一京の和輝に捧げる愛のために部下達が通常業務外の労働を強いられたり、物理的な犠牲が生まれたりといろいろありつつも、二人が迎えるのはハッピーエンドです。
君は俺の光
もものみ
BL
【オメガバースの創作BL小説です】
ヤンデレです。
受けが不憫です。
虐待、いじめ等の描写を含むので苦手な方はお気をつけください。
もともと実家で虐待まがいの扱いを受けておりそれによって暗い性格になった優月(ゆづき)はさらに学校ではいじめにあっていた。
ある日、そんなΩの優月を優秀でお金もあってイケメンのαでモテていた陽仁(はると)が学生時代にいじめから救い出し、さらに告白をしてくる。そして陽仁と仲良くなってから優月はいじめられなくなり、最終的には付き合うことにまでなってしまう。
結局関係はずるずる続き二人は同棲まですることになるが、優月は陽仁が親切心から自分を助けてくれただけなので早く解放してあげなければならないと思い悩む。離れなければ、そう思いはするものの既に優月は陽仁のことを好きになっており、離れ難く思っている。離れなければ、だけれど離れたくない…そんな思いが続くある日、優月は美女と並んで歩く陽仁を見つけてしまう。さらにここで優月にとっては衝撃的なあることが発覚する。そして、ついに優月は決意する。陽仁のもとから、離れることを―――――
明るくて優しい光属性っぽいα×自分に自信のないいじめられっ子の闇属性っぽいΩの二人が、運命をかけて追いかけっこする、謎解き要素ありのお話です。
【完結】10年愛~運命を拒絶したオメガ男性の話
十海 碧
BL
拙作『恋愛経験ゼロ、モテ要素もないので恋愛はあきらめていたオメガ男性が運命の番に出会う話』のスピンオフ第2弾です。
林雅司、24歳アルファ男性はオメガや女性問題を専門としている人権派の弁護士。
ロシアの大統領に気に入られ、ロシアに連れ去られそうになったRYO、29歳オメガ男性を保護することになりました。RYOはオメガ風俗のナンバーワンキャスト。運命の番であることがわかりますが、RYOは風俗の仕事を続けることができなくなるので番になることを拒否します。
別の人生を歩む2人ですが、10年後再会します。
運命の息吹
梅川 ノン
BL
ルシアは、国王とオメガの番の間に生まれるが、オメガのため王子とは認められず、密やかに育つ。
美しく育ったルシアは、父王亡きあと国王になった兄王の番になる。
兄王に溺愛されたルシアは、兄王の庇護のもと穏やかに暮らしていたが、運命のアルファと出会う。
ルシアの運命のアルファとは……。
西洋の中世を想定とした、オメガバースですが、かなりの独自視点、想定が入ります。あくまでも私独自の創作オメガバースと思ってください。楽しんでいただければ幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる