296 / 361
神々に魅入られし淑女《タイムレス ラヴ》
ネモフェラのお告げ7
しおりを挟む
何度かチヌークに乗ったことのある俺は、その意味を瞬時に理解した。
ドガァァァァァァァァァァン!!!!!!
窓の青空が黒煙で染まる。
飛来してきたミサイルによる爆風の渦。
幸い直撃は免れたものの、近くで爆発したそれは穏やかだった空に突然の爆風を生み出した。
「ぐぅッ!?」
地響きのように揺れる機体。
アンカースーツは固定ベルトで拘束されているので問題は無く、幸い他の皆は近くのものに捕まっていたおかげで怪我をした様子は無かった。
「一体何が!?」
まだヨトゥンヘイムが視界に入るまで距離があるはず。
その意を含んだロナの叫びに誰かが答えるよりも先に、機外の黒煙を四つの疾風が駆け抜けていく。
「J-20の空対空誘導ミサイル。恐らくは《PL-12》だろうな。どうやら人民解放軍のお出ましのようだな」
人民解放軍、中国の特殊部隊を指す精鋭集団。
ちらりと一瞥しただけで機種すら言い当てて見せたベッキーが、まるで自身に関係ないような客観視でそう告げた。
「どうして俺達を攻撃するんだ?連中の目的は飛空戦艦だろ!?」
「中国からすれば全てが標的になるんじゃないか?飛空戦艦からの宣戦布告は向こうにも筒抜けだったわけだし、まだあっち領海の外とはいえ、ご近所さんでドンパチやってれば少なからずあの短気な連中が行動するだろうと踏んでいたけど」
まさかここまでとは。と、呆れたようにベッキーが呟く。
その姿は危機に晒されているにも関わらず嗤っていた。
「セバス!三機のうち一機が引き返してくる。こちらを撃った機体でミサイル残弾三、機銃装備────」
そんな彼女とは別窓に食いつき、第二射撃を予見して運転席へ叫ぶ。
矢継ぎ早に躱すために必要な情報だけを伝えていく最中、こちらを仕留めそこなって一機が弧を描いて転身、尻拭いのための機銃が頭上から降り注いだ。
それをセバスは敢えて停止飛行でチヌークの進行を止める。
緩急をつけた機体の前方を、火薬の雨とJ-20がほぼ同時に通り抜けていく。
間一髪の攻防は両者の操縦技術があってこそ成り立つ曲技のように美しく、心臓を鷲掴みにされる恐怖が入り混じる光景だった。
「フォルテ、これ以上は防げないぞ」
セバスが柄にもなく運転席からがなり立てる。
冷静さを失っている彼の態度から判る通り、確かに今の状況は非常にマズい。
一撃目は距離があったから避けることができた。
二撃目は技量があったから避けることができた。
三撃目は────
あれだけの高性能の機体を以てしても墜とせなかった輸送ヘリ。
連中からすればハエ程度を殺せなかったことに値する。
そんなプライドをズタズタに引き裂かれた精鋭パイロットの意志を映し出すように、少々乱暴な軌道で転身しつつ再びこちらを狙おうとするJ-20。
こうなってしまうと非武装のこちらに為す術はない。
仮に武装があったとしても飛行速度の遅い輸送ヘリが勝てるはずなんて────
いや……あるじゃないか。勝つための方法が俺達の目の前に。
「セバス、後方ハッチを開けろ」
説明するよりも先に、俺はアンカースーツを装着しに掛かる。
目配せでロナ達に合図を送ると、同意見らしく素早く行動に移し始める。
「本気か?この状況だと放り出すのと大差ないぞ!?」
「だからと言ってこのままだと犬死だ。他に防ぐ方法があるなら十文字以内でこの場の全員を納得させて見せろ!」
装着自体は三秒も掛からない。
各フレームが三秒足らずで装着し終えた瞬間。
「くっ……」
刹那の躊躇いを見せたセバスの左手が、後部ハッチの開閉ボタンを押した。
何処までも広がる海と空のコントラストが、頭に装着したフルヘッドギア越しに映し出される。
アルシェとベッキーが見守る中、全身に装着されたフレームがガチリッガチリッと、風圧をものともしない軽快な動作で後部ハッチ際に移動した。
すごい……!
危機的状況下にも関わらず、俺は声にならない感激に心躍らせていた。
全体重量としては重くなっているはずの身体の動作は想像以上に軽く、各部にフレームを付けていることさえ忘れてしまいそうなほど違和感はない。クリアな視界越しには必要な情報、弾数、燃料、稼働時間などの様々なデータ、敵の位置はおろか、それら武装までもの全てが精緻に表示されている。
そう、眼前の空の海を滑空するJ-20の位置を。
「それじゃあベッキー、コイツはありがたく使わせてもらうぜ」
「ふん、用意したもんは全部持ったな?」
「バックパックにぶっこんだ」
「よし……なら見せてみろ。お前達の力を」
ベッキーが小さく独り言ちた想いを、内蔵された高性能集音装置が拾う。
それは俺達に向けたのか、それとも作り上げた機械に向けて言ったのかは分からなかった。
それでも装着したアームフレームの親指を立てて見せたのは、俺なりに彼女からの協力に感謝している示しのつもりだったのかもしれない。
「必ず、必ず帰ってこい」
僅かに上擦った声が風圧の中でもよく聞き取れた。
死角を写す広角カメラが、罪悪感で泣き出しそうになっているアルシェの姿を写していた。
「私の出した占いなんて外したって構わない!だから絶対、彼女を救って見せろ!」
「あぁ、任せておけ!」
プライドなんて捨て去った感情にだけ任せた想いに、俺の声を反映させた高性能マイクがスピーカを通じて意志を表出させる。
絶対や必ずといった約束事は嫌いだったが、改心した幼い魔女が泣く姿を前にしては、流石の俺も素直な返事する他なかった。
「相変わず女の子に甘いよ」
「うぐっ……」
機体間のみに通ずる暗号回線越しにロナから毒を吐かれる。
それら様子を何の感慨も無く欠伸で眺めるアイリスは、フルヘッドギア越しで擦れぬ瞼に苦戦を強いられていた。
相変わらずのグダグダ具合に、いつもなら遠雷の如き怒号が飛んでくるところだが、ここに彼女はいない。
だからこそ絶対に取り戻す。アイツをここに。
「行くぞっ!」
締める一言を合図に、三体の武装人型兵器はハッチから飛び降りた。
上空五千メートルからの大海原へのダイブは、ほんの僅かな重力を感じさせた後にすぐさま反転する。
アーマーフレームの背に装備された可変式超振動弐枚羽が展開され、生み出された振動波を空気に伝えることによって昆虫の前縁渦を構築。それによって身体の両脇から押し上げられる形で揚力を得た身体は、まるで無重力空間に居るような自由をモノにすることができる。
その身軽さで変幻自在。突っ込んできたJ-20を前に俺達は三者同時に展開した。
見慣れない小型兵器、それも俊敏に空を疾駆する姿はパイロットの度肝を抜く。
「まずは一機」
前方の戦闘機が微かな動揺を見せつつも、一番追いやすかったロナに向けてミサイルを発射。
しかし、それとほぼ同時に誘爆を引き起こす。
戦闘機の斜め上を取る様に飛翔していた俺の左アームの三連M61A1バルカン砲が、ロナへと狙いを定めていたPL-12を撃ち落す。
それに合わせる形で動いていたアイリスのセミオートアンチマテリアルカノン。アンカースーツ専用ダブルヘキサグラム社特注で作らせたというそれは、3.59×279mmといった一発一万ドルはくだらない化け物弾を扱うための超長狙撃用ライフルだ。を、肩口のフレームと銃床をボルトロックさせ、大味なライフルとは思えない精密狙撃で戦闘機の片翼を捥ぎ取った。
黒煙を上げて空中分解する機体。緊急脱出した中国人の兵士が、まるで夢想状態にでも陥っているかのように呆然とこちらを見上げている。
広角カメラに映るその表情に感想を抱くことも無く、俺達は次の獲物へと備える。
前方に広がる雲の帳を掻き分けて、三機の機影が瞬く間に到来した。
墜とされた味方の仇討ちに引き返してきたJ-20。
その飛翔に今度こそ迷いはない。
眼の前に控える謎の兵器に対しても油断することなく、持てる力と経験を全てつぎ込んだ熟練パイロット達の猛攻が襲い掛かる。
「各位散開!一機ずつ、確実に潰していくぞ」
「「了解」」
飛ばした指示に俺達は散開しながら敵を迎え撃つ。
幕が切って落とされた乱戦は、まず初めに敵に主導権を握られる。
連中、俺のことを瞬時に指揮官と認めたらしく、後方から迫る二機がねちっこく追いかけ回してくる。
『使用者の技量』
ベッキーが言っていた通り、どれほど強固で万能な兵器を扱っていたところで、俺達は所詮空中戦の素人だ。
本気になった戦闘機を軽く往なせるほど強いはずがなく、むしろ、アンカースーツのおかげで対等に近い均衡を保てているに過ぎない。
「ちぃっ!」
斜め上から到来したミサイルを三連M61A1バルカン砲で爆破しつつ、後方に突かれていた一機の機銃は、誘爆したミサイルの爆風を推進力に身を翻すことで何とかやり過ごす。
緊迫の汗が額より流れ落ちる。
死への危機感よりも、焦燥感の方が身を焦がしていた。
弾薬はもちろん、飛行するためエネルギーも有限であるため、尽きれば眼下の海へと真っ逆さま。
おまけに歩兵装備で満帆のバックパックにはパラシュートなんて入れるスペースが無かった以上、着陸できなければ死を意味する。
アンカースーツといえど、高度五千メートル以上からコンクリート並みの強度を誇る海面に叩きつけられれば助かる見込みは無い。
そうなれば、セイナを救う唯一の手段が失われてしまう。
今はそれが一番怖い。
自分の命などよりも……
煩わしさを騙すように吐いた呼吸、冷静な瞳は敵とは別の味方へと────ロナ達の状況を視認する。
こちらに反してロナ達は追う側。
注意引き付けるための敵の一機が、二体のアンカースーツ相手に逃げの一手に徹している。
反撃こそないほとんどないが同時に撃ち落すこともできない停滞状態に陥っていた。
しかも、背を向けようものならすかさず転身するという器用さ。恐らくはこの部隊の長だと戦闘の勘が囁く。
流石にヤバい案件に投入された部隊なだけあって、その実力も折り紙付きらしいな。
「だからと言って、俺達が負けるはずがない」
口にしたかも分からない独り言はフルヘッドギアの中で霧散し、命じられた機械のように身体が反応し合う。
素人なのは空中戦という条件だけで、戦闘という大分類であればこちらの方が数段上だと断言できる。
指示を直接暗号回線で告げなくても、各々のやるべきことは判っているはずだ。
きた……っ!
正面、巨大な積雲を吹き飛ばして青空を翔けるロナと、合流させまいと背に付いた敵機、こちらの背中に付けさせていた敵機とで進路が交錯する。
このままだと正面衝突はおろか、少しでも進路を変えようものなら互いの背に付けた敵機に狙い撃ちされるのがオチだ。
それでも俺達は一ミリたりとも進路を曲げない。
ヘッドギア越しに鳴り響く衝突及びロックオンアラートも無視して、ただただ真っ直ぐ互いに目掛けて突っ込む。
究極のチキンレースは晴天を衝くような激突で終わりを迎えた。
しかし、それは同時に反撃の狼煙を上げた合図でもあった。
俺とロナのアンカースーツがマッハ2に近い速度の中で、俺達は互いの足裏を合わせる。
そのまま戦闘機では成すことのできない挙動無しの進路変更によって、俺は上空に、ロナは海面に向けて驀進した。
「くっ……!」
「ぅ……」
とてつもないGに身体を侵されながら眼を見開く。
敵機は機体を軸に翼を回してで何とか僚機との衝突を躱したようだったが、直線から九十度進路を外した俺達の視界には、獲物の腹をハッキリと捉えている。
動物が弱点を見せたら終わりであるように、戦闘機だって同じこと。
回避も武装による反撃もできないその場所に向けて、俺の三連M61A1バルカン砲と、ロナの装備する787番ゲージ仮帽付徹甲弾仕様のポンプアップショットガンが真夏の日差しが霞むような火花を散らす。
同時に翼を捥がれた二機の戦闘機は搭乗者だけを吐き出して、錐揉みしながら海の藻屑と化した。
と、撃墜の不意を突いて、海面上空からロナや僚機の死骸とすれ違う形で、ベクタード・スラストを用いて最後の一機が俺へと猛追する。
敵将をさえ討ち取ることができれば!
その気概がキャノピー越しにこちらを射抜く敵のパイロット姿は、死ねば諸共、躍起に操縦桿を握りしめていた。
このパイロットにも、命を懸けてくれる仲間や己が生を賭けても護りたい人がいるのだろう。
でも、生憎とそれは俺も同じ。むざむざ殺られるつもりなんてない。
青い空に舞う蝶のような優雅さで、俺は宙返りを繰り出す。その背、太陽との間でセミオートアンチマテリアルカノンを構えたアンカースーツの姿に、パイロットは絶望した。
二発の雷鳴は正確に翼へ命中し、天を目指す鈍色の怪鳥は両翼を捥がれて堕ちていく。
中国から送り込まれた四機の精鋭部隊は、その謎の人型騎兵によって為すすべなく朽ち果てていくのだった。
勝敗は決した戦場に、場違いな口笛がスピーカー越しに響く。
『最高。さいっこうだよお前は……お前達は……っ!』
喜悦の浸るベッキーの賞賛が耳を舐める様にこびり付く。
「これだよ……私が求めた最高の人材はぁ……あぁ」
荒い息遣いまで聞こえるのは、彼女が通信機に舌を這わせんばかりに興奮のボルテージを上げているからだろう。
「俺達の投下という目的は済んだのだから、これ以上この海域に留まるのは危険だ。さっさと退却を────」
「できるかぁ!これほどの力を見せつけておいてぇ!さぁ、もっとだ。もっと見せてくれフォルテ・S・エルフィー!!」
良い伏せるような叫びに理路正論は無い。
さっきまでの計算高い様子がまるで嘘のように……いや、こっちが本当の彼女の姿なのかもしれないと、俺は内心で溜息をついた。
「なら精々落とされない様に注意しておけよ。さて、こっからが本番だ。あとは任せるぞセバス。もうそっちに気を遣う余裕なんて無いからな」
分かったというセバスの短い返事に通信を切り、俺達は西の空へと視線を向ける。
夏の陽光を覆う巨躯。群がる戦闘機を前に圧倒的力量差でその全てを薙ぎ払う神の箱舟。
あの中にセイナが居る。
俺達三機は互いに視線だけで意志を通わせ、大混戦に身を投じるべく一斉に空へと駆け上っていった。
ドガァァァァァァァァァァン!!!!!!
窓の青空が黒煙で染まる。
飛来してきたミサイルによる爆風の渦。
幸い直撃は免れたものの、近くで爆発したそれは穏やかだった空に突然の爆風を生み出した。
「ぐぅッ!?」
地響きのように揺れる機体。
アンカースーツは固定ベルトで拘束されているので問題は無く、幸い他の皆は近くのものに捕まっていたおかげで怪我をした様子は無かった。
「一体何が!?」
まだヨトゥンヘイムが視界に入るまで距離があるはず。
その意を含んだロナの叫びに誰かが答えるよりも先に、機外の黒煙を四つの疾風が駆け抜けていく。
「J-20の空対空誘導ミサイル。恐らくは《PL-12》だろうな。どうやら人民解放軍のお出ましのようだな」
人民解放軍、中国の特殊部隊を指す精鋭集団。
ちらりと一瞥しただけで機種すら言い当てて見せたベッキーが、まるで自身に関係ないような客観視でそう告げた。
「どうして俺達を攻撃するんだ?連中の目的は飛空戦艦だろ!?」
「中国からすれば全てが標的になるんじゃないか?飛空戦艦からの宣戦布告は向こうにも筒抜けだったわけだし、まだあっち領海の外とはいえ、ご近所さんでドンパチやってれば少なからずあの短気な連中が行動するだろうと踏んでいたけど」
まさかここまでとは。と、呆れたようにベッキーが呟く。
その姿は危機に晒されているにも関わらず嗤っていた。
「セバス!三機のうち一機が引き返してくる。こちらを撃った機体でミサイル残弾三、機銃装備────」
そんな彼女とは別窓に食いつき、第二射撃を予見して運転席へ叫ぶ。
矢継ぎ早に躱すために必要な情報だけを伝えていく最中、こちらを仕留めそこなって一機が弧を描いて転身、尻拭いのための機銃が頭上から降り注いだ。
それをセバスは敢えて停止飛行でチヌークの進行を止める。
緩急をつけた機体の前方を、火薬の雨とJ-20がほぼ同時に通り抜けていく。
間一髪の攻防は両者の操縦技術があってこそ成り立つ曲技のように美しく、心臓を鷲掴みにされる恐怖が入り混じる光景だった。
「フォルテ、これ以上は防げないぞ」
セバスが柄にもなく運転席からがなり立てる。
冷静さを失っている彼の態度から判る通り、確かに今の状況は非常にマズい。
一撃目は距離があったから避けることができた。
二撃目は技量があったから避けることができた。
三撃目は────
あれだけの高性能の機体を以てしても墜とせなかった輸送ヘリ。
連中からすればハエ程度を殺せなかったことに値する。
そんなプライドをズタズタに引き裂かれた精鋭パイロットの意志を映し出すように、少々乱暴な軌道で転身しつつ再びこちらを狙おうとするJ-20。
こうなってしまうと非武装のこちらに為す術はない。
仮に武装があったとしても飛行速度の遅い輸送ヘリが勝てるはずなんて────
いや……あるじゃないか。勝つための方法が俺達の目の前に。
「セバス、後方ハッチを開けろ」
説明するよりも先に、俺はアンカースーツを装着しに掛かる。
目配せでロナ達に合図を送ると、同意見らしく素早く行動に移し始める。
「本気か?この状況だと放り出すのと大差ないぞ!?」
「だからと言ってこのままだと犬死だ。他に防ぐ方法があるなら十文字以内でこの場の全員を納得させて見せろ!」
装着自体は三秒も掛からない。
各フレームが三秒足らずで装着し終えた瞬間。
「くっ……」
刹那の躊躇いを見せたセバスの左手が、後部ハッチの開閉ボタンを押した。
何処までも広がる海と空のコントラストが、頭に装着したフルヘッドギア越しに映し出される。
アルシェとベッキーが見守る中、全身に装着されたフレームがガチリッガチリッと、風圧をものともしない軽快な動作で後部ハッチ際に移動した。
すごい……!
危機的状況下にも関わらず、俺は声にならない感激に心躍らせていた。
全体重量としては重くなっているはずの身体の動作は想像以上に軽く、各部にフレームを付けていることさえ忘れてしまいそうなほど違和感はない。クリアな視界越しには必要な情報、弾数、燃料、稼働時間などの様々なデータ、敵の位置はおろか、それら武装までもの全てが精緻に表示されている。
そう、眼前の空の海を滑空するJ-20の位置を。
「それじゃあベッキー、コイツはありがたく使わせてもらうぜ」
「ふん、用意したもんは全部持ったな?」
「バックパックにぶっこんだ」
「よし……なら見せてみろ。お前達の力を」
ベッキーが小さく独り言ちた想いを、内蔵された高性能集音装置が拾う。
それは俺達に向けたのか、それとも作り上げた機械に向けて言ったのかは分からなかった。
それでも装着したアームフレームの親指を立てて見せたのは、俺なりに彼女からの協力に感謝している示しのつもりだったのかもしれない。
「必ず、必ず帰ってこい」
僅かに上擦った声が風圧の中でもよく聞き取れた。
死角を写す広角カメラが、罪悪感で泣き出しそうになっているアルシェの姿を写していた。
「私の出した占いなんて外したって構わない!だから絶対、彼女を救って見せろ!」
「あぁ、任せておけ!」
プライドなんて捨て去った感情にだけ任せた想いに、俺の声を反映させた高性能マイクがスピーカを通じて意志を表出させる。
絶対や必ずといった約束事は嫌いだったが、改心した幼い魔女が泣く姿を前にしては、流石の俺も素直な返事する他なかった。
「相変わず女の子に甘いよ」
「うぐっ……」
機体間のみに通ずる暗号回線越しにロナから毒を吐かれる。
それら様子を何の感慨も無く欠伸で眺めるアイリスは、フルヘッドギア越しで擦れぬ瞼に苦戦を強いられていた。
相変わらずのグダグダ具合に、いつもなら遠雷の如き怒号が飛んでくるところだが、ここに彼女はいない。
だからこそ絶対に取り戻す。アイツをここに。
「行くぞっ!」
締める一言を合図に、三体の武装人型兵器はハッチから飛び降りた。
上空五千メートルからの大海原へのダイブは、ほんの僅かな重力を感じさせた後にすぐさま反転する。
アーマーフレームの背に装備された可変式超振動弐枚羽が展開され、生み出された振動波を空気に伝えることによって昆虫の前縁渦を構築。それによって身体の両脇から押し上げられる形で揚力を得た身体は、まるで無重力空間に居るような自由をモノにすることができる。
その身軽さで変幻自在。突っ込んできたJ-20を前に俺達は三者同時に展開した。
見慣れない小型兵器、それも俊敏に空を疾駆する姿はパイロットの度肝を抜く。
「まずは一機」
前方の戦闘機が微かな動揺を見せつつも、一番追いやすかったロナに向けてミサイルを発射。
しかし、それとほぼ同時に誘爆を引き起こす。
戦闘機の斜め上を取る様に飛翔していた俺の左アームの三連M61A1バルカン砲が、ロナへと狙いを定めていたPL-12を撃ち落す。
それに合わせる形で動いていたアイリスのセミオートアンチマテリアルカノン。アンカースーツ専用ダブルヘキサグラム社特注で作らせたというそれは、3.59×279mmといった一発一万ドルはくだらない化け物弾を扱うための超長狙撃用ライフルだ。を、肩口のフレームと銃床をボルトロックさせ、大味なライフルとは思えない精密狙撃で戦闘機の片翼を捥ぎ取った。
黒煙を上げて空中分解する機体。緊急脱出した中国人の兵士が、まるで夢想状態にでも陥っているかのように呆然とこちらを見上げている。
広角カメラに映るその表情に感想を抱くことも無く、俺達は次の獲物へと備える。
前方に広がる雲の帳を掻き分けて、三機の機影が瞬く間に到来した。
墜とされた味方の仇討ちに引き返してきたJ-20。
その飛翔に今度こそ迷いはない。
眼の前に控える謎の兵器に対しても油断することなく、持てる力と経験を全てつぎ込んだ熟練パイロット達の猛攻が襲い掛かる。
「各位散開!一機ずつ、確実に潰していくぞ」
「「了解」」
飛ばした指示に俺達は散開しながら敵を迎え撃つ。
幕が切って落とされた乱戦は、まず初めに敵に主導権を握られる。
連中、俺のことを瞬時に指揮官と認めたらしく、後方から迫る二機がねちっこく追いかけ回してくる。
『使用者の技量』
ベッキーが言っていた通り、どれほど強固で万能な兵器を扱っていたところで、俺達は所詮空中戦の素人だ。
本気になった戦闘機を軽く往なせるほど強いはずがなく、むしろ、アンカースーツのおかげで対等に近い均衡を保てているに過ぎない。
「ちぃっ!」
斜め上から到来したミサイルを三連M61A1バルカン砲で爆破しつつ、後方に突かれていた一機の機銃は、誘爆したミサイルの爆風を推進力に身を翻すことで何とかやり過ごす。
緊迫の汗が額より流れ落ちる。
死への危機感よりも、焦燥感の方が身を焦がしていた。
弾薬はもちろん、飛行するためエネルギーも有限であるため、尽きれば眼下の海へと真っ逆さま。
おまけに歩兵装備で満帆のバックパックにはパラシュートなんて入れるスペースが無かった以上、着陸できなければ死を意味する。
アンカースーツといえど、高度五千メートル以上からコンクリート並みの強度を誇る海面に叩きつけられれば助かる見込みは無い。
そうなれば、セイナを救う唯一の手段が失われてしまう。
今はそれが一番怖い。
自分の命などよりも……
煩わしさを騙すように吐いた呼吸、冷静な瞳は敵とは別の味方へと────ロナ達の状況を視認する。
こちらに反してロナ達は追う側。
注意引き付けるための敵の一機が、二体のアンカースーツ相手に逃げの一手に徹している。
反撃こそないほとんどないが同時に撃ち落すこともできない停滞状態に陥っていた。
しかも、背を向けようものならすかさず転身するという器用さ。恐らくはこの部隊の長だと戦闘の勘が囁く。
流石にヤバい案件に投入された部隊なだけあって、その実力も折り紙付きらしいな。
「だからと言って、俺達が負けるはずがない」
口にしたかも分からない独り言はフルヘッドギアの中で霧散し、命じられた機械のように身体が反応し合う。
素人なのは空中戦という条件だけで、戦闘という大分類であればこちらの方が数段上だと断言できる。
指示を直接暗号回線で告げなくても、各々のやるべきことは判っているはずだ。
きた……っ!
正面、巨大な積雲を吹き飛ばして青空を翔けるロナと、合流させまいと背に付いた敵機、こちらの背中に付けさせていた敵機とで進路が交錯する。
このままだと正面衝突はおろか、少しでも進路を変えようものなら互いの背に付けた敵機に狙い撃ちされるのがオチだ。
それでも俺達は一ミリたりとも進路を曲げない。
ヘッドギア越しに鳴り響く衝突及びロックオンアラートも無視して、ただただ真っ直ぐ互いに目掛けて突っ込む。
究極のチキンレースは晴天を衝くような激突で終わりを迎えた。
しかし、それは同時に反撃の狼煙を上げた合図でもあった。
俺とロナのアンカースーツがマッハ2に近い速度の中で、俺達は互いの足裏を合わせる。
そのまま戦闘機では成すことのできない挙動無しの進路変更によって、俺は上空に、ロナは海面に向けて驀進した。
「くっ……!」
「ぅ……」
とてつもないGに身体を侵されながら眼を見開く。
敵機は機体を軸に翼を回してで何とか僚機との衝突を躱したようだったが、直線から九十度進路を外した俺達の視界には、獲物の腹をハッキリと捉えている。
動物が弱点を見せたら終わりであるように、戦闘機だって同じこと。
回避も武装による反撃もできないその場所に向けて、俺の三連M61A1バルカン砲と、ロナの装備する787番ゲージ仮帽付徹甲弾仕様のポンプアップショットガンが真夏の日差しが霞むような火花を散らす。
同時に翼を捥がれた二機の戦闘機は搭乗者だけを吐き出して、錐揉みしながら海の藻屑と化した。
と、撃墜の不意を突いて、海面上空からロナや僚機の死骸とすれ違う形で、ベクタード・スラストを用いて最後の一機が俺へと猛追する。
敵将をさえ討ち取ることができれば!
その気概がキャノピー越しにこちらを射抜く敵のパイロット姿は、死ねば諸共、躍起に操縦桿を握りしめていた。
このパイロットにも、命を懸けてくれる仲間や己が生を賭けても護りたい人がいるのだろう。
でも、生憎とそれは俺も同じ。むざむざ殺られるつもりなんてない。
青い空に舞う蝶のような優雅さで、俺は宙返りを繰り出す。その背、太陽との間でセミオートアンチマテリアルカノンを構えたアンカースーツの姿に、パイロットは絶望した。
二発の雷鳴は正確に翼へ命中し、天を目指す鈍色の怪鳥は両翼を捥がれて堕ちていく。
中国から送り込まれた四機の精鋭部隊は、その謎の人型騎兵によって為すすべなく朽ち果てていくのだった。
勝敗は決した戦場に、場違いな口笛がスピーカー越しに響く。
『最高。さいっこうだよお前は……お前達は……っ!』
喜悦の浸るベッキーの賞賛が耳を舐める様にこびり付く。
「これだよ……私が求めた最高の人材はぁ……あぁ」
荒い息遣いまで聞こえるのは、彼女が通信機に舌を這わせんばかりに興奮のボルテージを上げているからだろう。
「俺達の投下という目的は済んだのだから、これ以上この海域に留まるのは危険だ。さっさと退却を────」
「できるかぁ!これほどの力を見せつけておいてぇ!さぁ、もっとだ。もっと見せてくれフォルテ・S・エルフィー!!」
良い伏せるような叫びに理路正論は無い。
さっきまでの計算高い様子がまるで嘘のように……いや、こっちが本当の彼女の姿なのかもしれないと、俺は内心で溜息をついた。
「なら精々落とされない様に注意しておけよ。さて、こっからが本番だ。あとは任せるぞセバス。もうそっちに気を遣う余裕なんて無いからな」
分かったというセバスの短い返事に通信を切り、俺達は西の空へと視線を向ける。
夏の陽光を覆う巨躯。群がる戦闘機を前に圧倒的力量差でその全てを薙ぎ払う神の箱舟。
あの中にセイナが居る。
俺達三機は互いに視線だけで意志を通わせ、大混戦に身を投じるべく一斉に空へと駆け上っていった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
11
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる