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神々に魅入られし淑女《タイムレス ラヴ》
混沌が始まる日3
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前触れなく目覚めた身体に、カーテンの隙間から零れる容赦のない朝日が差し込んでいた。
「……っ」
気怠さと太陽の威光を前にして眼を擦る俺ことフォルテ・S・エルフィーは、ぬくりとした布団の恋しさを患うことなく跳ね起きた。
ベッドのスプリングを軋ませ、見渡した視界は病棟を思わせる寝具が列挙された空間。
見知らぬその広々とした一室に他者の姿は無く、どうやら俺は一人、窓際の隅で眠らされていたらしい。
これは一体どういうことだ?
混乱する頭を鎮める様に、俺は一度だけ大きく深呼吸を入れる。
余程快眠だったのか、いつもよりずっとクリアな脳裏が記憶を呼び起こすのに、そう時間は掛からなかった。
そうだ、かつての部下であったシャドーが実は師匠の竜であり、彼女が俺の前に立ちはだかったのだ。
つい数舜前のことのように、鮮明に焼き付いた彼女の気迫。
死闘の末、俺はそんな彼女に打ち勝ち、そしてセイナを、セイナを……
────彩芽に連れ去られたのだった。
「セイナ……ッ」
彼女の名に感化された俺はベッドから勢いよく飛び出していた。
拘束の類は無く、それどころか義手もご丁寧に装着されたまま。
服装も黒い野戦服ではなく、普通にいつも着用しているようなジーパンにTシャツ姿だった。
急な目覚めで多少錯乱もあったようだが、冷静に思考すればここは敵地で無いことは理解できる。
だとして、ここは一体どこなのだろうか?
見た感じでは、学校の保健室を思わせるような広々とした一室だが。
部屋外の扉の向こう側では、幾人かの集団が慌ただしく駆けずり回っているシルエットが見て取れる。それも一つ二つではなく、右から左、左から右、多人数に少人数と人の往来は途切れることがない。
不意に、窓から差し込む朝日につられるようにして向けた視線の先、窓外には高層建築やら塀に囲まれた広場が新緑と夏風に彩られていた。
その眩し過ぎる光景とは裏腹に、俺は心の底で絶句した。
セミの声も鳴りやまない夏真っ盛り。
竜との一騎打ちで俺は自身の限界以上に魔眼を酷使していた。その証拠に、死すらも厭わない決死を体現するような乱用に身体が耐え切れず、最後は半ば倒れるような形で気を失っていた。
数分で数日、ベトナムの時なんて一か月は寝込んでいたというのに、外の景色はどうだ?
倒れる前と変わらぬ風景ということは、少なからず一年。またはそれ以上寝込んでいた可能性も否定はできない。身体の不調も見当たらないからそうとしか言えなかった。
何処か慌ただしい建物全体の雰囲気に呑まれるように、俺の焦燥感もより一層強くなっていく。
そんな折、広場に視線を向けたまま呆然と立ち尽くす俺の視界に、一台のリムジンが塀の外からやってきた。
余程焦っていたのか、優雅さの欠片も無い荒々しい運転でこの高層ビルの入り口に付けたかと思うと、そこそこ歳のいった(自身のことは差し置いといて)二人の男女が飛び出していった。
白髪交じりに眼鏡をしたスーツの男性と、それに仕える黒髪の秘書といった具合に見えなくもないが……
あれって確か、日本の防衛大臣と政務官だよな……?
川野小太郎と松下まり。
直接話したことは無いが、セブントリガー時代やマスメディアを通じて何度か見たことがあるから、まず彼らで間違いないだろう。
それにしても、どうして彼らがこんなところに?
不毛とも言える質問がパッと浮かんで思考する間も無く消えようとした時、ガラリと背後から扉の開く音がした。
「おや、ようやく目覚めたのかい?」
「……アイリス」
ダウナー系の落ち着いた声音が特徴的である一人の少女。アイリスの姿がそこにあった。
元部下レクスの愛弟子であり、今はうちのスナイパーとして行動を共にする仲間である彼女は、真夏だというのに首元を分厚いマフラーが何重にも巻かれている。暑くないのそれ?
口元の傷を隠したいという理由があるのは十分理解しているが、季節感も何もあったものではない。
そこに差された父の形見である鮮紅色の羽が、どこか申し訳なさそうに外の微風に揺らめいている。
「そろそろだと思っていたけど……その様子だとまだ、今の状況が飲み込めていないようだね」
戦闘時のようなキリキリした口調でそう告げたアイリスに、俺は僅かばかり眼を眇める。
というのも、普段から抜けている性格と魔力障害を持ち合わせていることから、マフラーをした状態でお風呂に入って後、半裸のままリビングを徘徊することもある強烈な寝ぼけ癖の持ち主だ。
勿論そんな場面に出くわしたら、俺がセイナ達にボディスラムやら目つぶしといった制裁を受けるわけであるのだが……今の彼女にそうした様子は一片も無いようだった。
具体的には未だ理解できていないが、今の状況があまり芳しくない。というのは確かだろう。
緊迫した中でも何とか口を開くことができたのは、きっと無事な仲間の姿を見て少し安堵したからだろう。
「セイナ達はどうなった?」
「……」
言葉を濁すように俯くアイリス。
その反応を前にして、苦々しさで噛み締めた奥歯が軋む。
砕けていたはずのそれはすっかり元通りになっていた。
アイリスは言葉を整理するように俯いたまま。
答えを待っている余裕もない俺はそんな少女の下へと足を運ぶ。
珍しく紙のように軽い身体はあっと言う間に彼女の双肩に手を掛けていた。
「教えてくれよアイリス。セイナは、竜は、一体どうなったんだ!?」
握った両肩は柔らかく、ボーイッシュさとは違う少女らしい丸みを帯びている。
思わず折ってしまいそうなほど華奢な痩躯は微かに震えていた。
「君は一番近くで見ていたから分かっていると思うが、セイナは彩芽に連れ去られた。君の師匠に関しても津波に呑まれたまま遺骸は見つかっていない。それは君が眠っていた間、ずっと変わっていない事実だよ」
くらっとその場に倒れてしまいそうになる事実に、俺は彼女の身体から手を放した。
これ以上掴んでいると、本気で折ってしまいかねない程その両手には力が篭められていたからだ。
「どれだけだ……」
「……?」
「あれから一体どれだけの時間が経ったんだ?」
事実を確認するようにアイリスに問うと、何度か渋った後、十本の指を立てて見せた。
背筋が凍る。その意味を理解することに脳が拒否反応を起こしている証拠だ。
「十か月か?」
彼女はぶるぶると首を振る。
動悸による耳鳴りがセミの声と重なり、ここに居るという現実感がどんどん薄れていく。
十か月で無いのなら、それ以上。つまりは十年間、俺は────
「十時間」
眠っていたことに…………ん?
「……い、今なんて?」
「…………」
「え、ちょっと待って。え?たったの十時間?」
信じられない聞き違いと思い込んでは何度も訊き返すと、アイリスは言葉の代わりにムッとした半眼を向けてきた。
彼女が怒っている意思表示をする時に見せる顔だ。
「そうだよ。君は十時間も爆睡していたんだ。大した怪我では無かったからそこまで心配してなかったけど、君はまだ寝足りないというのかい?確かに十時間は大した睡眠時間ではない。でもボクは君と違ってあれから一度も眠っていないんだよ?」
どうやら先刻から彼女の様子がおかしかったのは、別にセイナが捕まってどうこうという訳ではなく、単に俺が爆睡していたことに腹を立てていたらしい。
いや、確かにお前がよく寝るのは周知の事実だが……それにしたって十時間を短い睡眠時間と揶揄するのはお前とフランス人くらいだぞ?アイリス。
しかし、アイリスには悪いが今はそんなことどうでも良かった。
大した怪我では無かった。その辺りが非常に気がかりで仕方なかった。
「怪我?あぁ、君と僕が津波に流されたあと、色々あってここに保護されたんだけど、怪我自体は大したことなかったからこうして救護室で……って、どうしたの?そんな難しい顔して?」
それら簡潔な説明に神妙な面持ちとなっていた俺にアイリスが顔を覗き込んでくる。
「いや、何でもない……」
有りえない。
俺の身体は動かすどころか立つことすら困難な程にボロボロだったことは覚えている。
骨は何カ所も砕け、筋肉繊維はバチバチと千切れ、歯や爪は砕けていたことを、意識を失う寸前まで覚えていた。
だが同時に、その記憶が顕在であることが矛盾している。
魔眼の過労で昏睡から目覚めた時、まず俺は自身の名前を思い出すところからスタートするくらい記憶障害が著しい。しかし、今回は割とハッキリしていることからアイリスの言う十時間もおそらく正しい。
俺の身体に何が起きているんだ?
本来であれば喜ぶべき状況のはずが、拭いきれない違和感が影を落とす結果を俺は素直に受け入れることができずにいた。
「そう、ならとにかく来て。これまでにあったこと、説明するから」
「……っ」
気怠さと太陽の威光を前にして眼を擦る俺ことフォルテ・S・エルフィーは、ぬくりとした布団の恋しさを患うことなく跳ね起きた。
ベッドのスプリングを軋ませ、見渡した視界は病棟を思わせる寝具が列挙された空間。
見知らぬその広々とした一室に他者の姿は無く、どうやら俺は一人、窓際の隅で眠らされていたらしい。
これは一体どういうことだ?
混乱する頭を鎮める様に、俺は一度だけ大きく深呼吸を入れる。
余程快眠だったのか、いつもよりずっとクリアな脳裏が記憶を呼び起こすのに、そう時間は掛からなかった。
そうだ、かつての部下であったシャドーが実は師匠の竜であり、彼女が俺の前に立ちはだかったのだ。
つい数舜前のことのように、鮮明に焼き付いた彼女の気迫。
死闘の末、俺はそんな彼女に打ち勝ち、そしてセイナを、セイナを……
────彩芽に連れ去られたのだった。
「セイナ……ッ」
彼女の名に感化された俺はベッドから勢いよく飛び出していた。
拘束の類は無く、それどころか義手もご丁寧に装着されたまま。
服装も黒い野戦服ではなく、普通にいつも着用しているようなジーパンにTシャツ姿だった。
急な目覚めで多少錯乱もあったようだが、冷静に思考すればここは敵地で無いことは理解できる。
だとして、ここは一体どこなのだろうか?
見た感じでは、学校の保健室を思わせるような広々とした一室だが。
部屋外の扉の向こう側では、幾人かの集団が慌ただしく駆けずり回っているシルエットが見て取れる。それも一つ二つではなく、右から左、左から右、多人数に少人数と人の往来は途切れることがない。
不意に、窓から差し込む朝日につられるようにして向けた視線の先、窓外には高層建築やら塀に囲まれた広場が新緑と夏風に彩られていた。
その眩し過ぎる光景とは裏腹に、俺は心の底で絶句した。
セミの声も鳴りやまない夏真っ盛り。
竜との一騎打ちで俺は自身の限界以上に魔眼を酷使していた。その証拠に、死すらも厭わない決死を体現するような乱用に身体が耐え切れず、最後は半ば倒れるような形で気を失っていた。
数分で数日、ベトナムの時なんて一か月は寝込んでいたというのに、外の景色はどうだ?
倒れる前と変わらぬ風景ということは、少なからず一年。またはそれ以上寝込んでいた可能性も否定はできない。身体の不調も見当たらないからそうとしか言えなかった。
何処か慌ただしい建物全体の雰囲気に呑まれるように、俺の焦燥感もより一層強くなっていく。
そんな折、広場に視線を向けたまま呆然と立ち尽くす俺の視界に、一台のリムジンが塀の外からやってきた。
余程焦っていたのか、優雅さの欠片も無い荒々しい運転でこの高層ビルの入り口に付けたかと思うと、そこそこ歳のいった(自身のことは差し置いといて)二人の男女が飛び出していった。
白髪交じりに眼鏡をしたスーツの男性と、それに仕える黒髪の秘書といった具合に見えなくもないが……
あれって確か、日本の防衛大臣と政務官だよな……?
川野小太郎と松下まり。
直接話したことは無いが、セブントリガー時代やマスメディアを通じて何度か見たことがあるから、まず彼らで間違いないだろう。
それにしても、どうして彼らがこんなところに?
不毛とも言える質問がパッと浮かんで思考する間も無く消えようとした時、ガラリと背後から扉の開く音がした。
「おや、ようやく目覚めたのかい?」
「……アイリス」
ダウナー系の落ち着いた声音が特徴的である一人の少女。アイリスの姿がそこにあった。
元部下レクスの愛弟子であり、今はうちのスナイパーとして行動を共にする仲間である彼女は、真夏だというのに首元を分厚いマフラーが何重にも巻かれている。暑くないのそれ?
口元の傷を隠したいという理由があるのは十分理解しているが、季節感も何もあったものではない。
そこに差された父の形見である鮮紅色の羽が、どこか申し訳なさそうに外の微風に揺らめいている。
「そろそろだと思っていたけど……その様子だとまだ、今の状況が飲み込めていないようだね」
戦闘時のようなキリキリした口調でそう告げたアイリスに、俺は僅かばかり眼を眇める。
というのも、普段から抜けている性格と魔力障害を持ち合わせていることから、マフラーをした状態でお風呂に入って後、半裸のままリビングを徘徊することもある強烈な寝ぼけ癖の持ち主だ。
勿論そんな場面に出くわしたら、俺がセイナ達にボディスラムやら目つぶしといった制裁を受けるわけであるのだが……今の彼女にそうした様子は一片も無いようだった。
具体的には未だ理解できていないが、今の状況があまり芳しくない。というのは確かだろう。
緊迫した中でも何とか口を開くことができたのは、きっと無事な仲間の姿を見て少し安堵したからだろう。
「セイナ達はどうなった?」
「……」
言葉を濁すように俯くアイリス。
その反応を前にして、苦々しさで噛み締めた奥歯が軋む。
砕けていたはずのそれはすっかり元通りになっていた。
アイリスは言葉を整理するように俯いたまま。
答えを待っている余裕もない俺はそんな少女の下へと足を運ぶ。
珍しく紙のように軽い身体はあっと言う間に彼女の双肩に手を掛けていた。
「教えてくれよアイリス。セイナは、竜は、一体どうなったんだ!?」
握った両肩は柔らかく、ボーイッシュさとは違う少女らしい丸みを帯びている。
思わず折ってしまいそうなほど華奢な痩躯は微かに震えていた。
「君は一番近くで見ていたから分かっていると思うが、セイナは彩芽に連れ去られた。君の師匠に関しても津波に呑まれたまま遺骸は見つかっていない。それは君が眠っていた間、ずっと変わっていない事実だよ」
くらっとその場に倒れてしまいそうになる事実に、俺は彼女の身体から手を放した。
これ以上掴んでいると、本気で折ってしまいかねない程その両手には力が篭められていたからだ。
「どれだけだ……」
「……?」
「あれから一体どれだけの時間が経ったんだ?」
事実を確認するようにアイリスに問うと、何度か渋った後、十本の指を立てて見せた。
背筋が凍る。その意味を理解することに脳が拒否反応を起こしている証拠だ。
「十か月か?」
彼女はぶるぶると首を振る。
動悸による耳鳴りがセミの声と重なり、ここに居るという現実感がどんどん薄れていく。
十か月で無いのなら、それ以上。つまりは十年間、俺は────
「十時間」
眠っていたことに…………ん?
「……い、今なんて?」
「…………」
「え、ちょっと待って。え?たったの十時間?」
信じられない聞き違いと思い込んでは何度も訊き返すと、アイリスは言葉の代わりにムッとした半眼を向けてきた。
彼女が怒っている意思表示をする時に見せる顔だ。
「そうだよ。君は十時間も爆睡していたんだ。大した怪我では無かったからそこまで心配してなかったけど、君はまだ寝足りないというのかい?確かに十時間は大した睡眠時間ではない。でもボクは君と違ってあれから一度も眠っていないんだよ?」
どうやら先刻から彼女の様子がおかしかったのは、別にセイナが捕まってどうこうという訳ではなく、単に俺が爆睡していたことに腹を立てていたらしい。
いや、確かにお前がよく寝るのは周知の事実だが……それにしたって十時間を短い睡眠時間と揶揄するのはお前とフランス人くらいだぞ?アイリス。
しかし、アイリスには悪いが今はそんなことどうでも良かった。
大した怪我では無かった。その辺りが非常に気がかりで仕方なかった。
「怪我?あぁ、君と僕が津波に流されたあと、色々あってここに保護されたんだけど、怪我自体は大したことなかったからこうして救護室で……って、どうしたの?そんな難しい顔して?」
それら簡潔な説明に神妙な面持ちとなっていた俺にアイリスが顔を覗き込んでくる。
「いや、何でもない……」
有りえない。
俺の身体は動かすどころか立つことすら困難な程にボロボロだったことは覚えている。
骨は何カ所も砕け、筋肉繊維はバチバチと千切れ、歯や爪は砕けていたことを、意識を失う寸前まで覚えていた。
だが同時に、その記憶が顕在であることが矛盾している。
魔眼の過労で昏睡から目覚めた時、まず俺は自身の名前を思い出すところからスタートするくらい記憶障害が著しい。しかし、今回は割とハッキリしていることからアイリスの言う十時間もおそらく正しい。
俺の身体に何が起きているんだ?
本来であれば喜ぶべき状況のはずが、拭いきれない違和感が影を落とす結果を俺は素直に受け入れることができずにいた。
「そう、ならとにかく来て。これまでにあったこと、説明するから」
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