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神々に魅入られし淑女《タイムレス ラヴ》
日米英首脳会合(ビギン カンスペリシィ)1
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御公務に追われる王女様の朝は早い。
スマホの時刻はまだ鶏ですら寝ているような時間を示している。
昨日の今日でほとんど眠れていない平民である俺は一日王女様であるセイナを連れ、東京都千代田区にあるイギリス大使館を訪れていた。
「きゃぁぁぁぁカワイイィィィィィィィィ!!!!」
欠伸をする俺の耳に聞き知った黄色い声が響く。
何故女性と言うのは歓喜するとワンオクターブ声の質が上がるのか?
部屋の外で小一時間以上待たされていた俺は、そんな愚問を考えては欠伸を繰り返していると、
「────入ってきていいわよ、フォルテ」
相棒に呼ばれて俺が部屋に入ると、ドレッシングルームにしては広々とした空間を彩る絢爛豪華な装飾達と、王女様を仕立てる取り巻き達が忙しなく働く姿が目に映る。
その中心で両手を広げて佇むセイナは、取り巻きのメイドに囲まれて顔だけがひょこっと姿を見せていた。まるで着せ替え人形のように仕立てや身なりの調整を任せている。
「ごめんね、朝から付き合わせちゃって」
「別にいいさ、遅かれ早かれ今日はこっちに来る予定もあったしな」
今日は元々、以前からベアードに頼まれていた日米英首脳会合の警備に着く予定だった。
警備と言っても別段大変というわけでもなく怪しい人物がいないかの見回り程度だから、この仕事も俺一人でやろうと思っていたのだが(お金も出ないので)結局セイナも会合に参加する関係から他の仲間も同行することになり、今も地下駐車場でロナとアイリスを待たせている。
「それで、長い長いおめかしは終わったのか?」
「ようやく半分が過ぎたところよ」
俺の問いにセイナではなく、取り巻きの背後から姿を見せたエリザベス三世がそう答える。
先ほどから娘に対して黄色い声を上げていた彼女は、滅紫の落ち着いたAラインドレスを身に着けていた。今日の仕事は移動が多く、それが理由で彼女にしては比較的軽装ということもあってすでに着付けは完了しているらしい。
「でも、ようやく男性であるあなたにも見せれるくらいまでには出来上がったから、一回拝ませてあげようと思ってね」
ウィンクして見せたエリザベスの言葉に、メイド達が一斉にセイナの正面から離れる。
露わになったその姿に眠気が嘘のように霧散した。
真白なシルクをベースにしたプリンセスライン。何重にもフリルをあしらったフレアスカートにローズピンクのバッスルコルセットが美しいコントラストを演出し、背中がバックリと空いたホルターネックの胸元には眼を奪われるようなレース模様が幾重にも描かれている。
ドレスに負けず劣らずの白い肌には薄く化粧が施され、花の着いたヘッドドレスから伸びる黄金色の髪は綺麗に梳かされ、毛先の一本一本が丁寧に手入れされていた。
一目で彼女が自分とは全く違う立場の人間であると理解できる。
「で?感想は?」
自慢の娘の両肩に手を置き、誇るように俺へとエリザベスは訊ねてくる。
その娘の結婚式の衣装を選ぶ姑のような口振りに、俺は僅かに難色を示す。
「いや、可愛いと思うんだけどよ……」
その言葉に「当然よ」と、自分のことでもないくせにエリザベスが得意げになり、気恥ずかしそうに腰に付けたバッスルコルセットと同じくらい頬を赤らめたセイナ。地味に作業をしながらこちらに聞き耳を立てていた周りのメイド達が小さくガッツポーズをした。
勿論俺も世辞で言ったわけではない。
疑いようもなくセイナは可愛い。
今回のケースのように、直接政治に関与することなく友好関係を表すための同席。表現としてはあまりよろしくないが、王女という飾りとしては及第点を遥かに超える仕上がりだ。
流石は双子、これなら世間様にもセイナが妹のリリーとバレることは無いだろう。
たゆんたゆん……
昨日の浴衣とはまた一味違った形貌に舌を巻くが、それと同時に俺はある一点から眼が離せなくなっていた。
たゆんたゆん……
「……っ……」
そう擬音が聞こえる程、ホルターネック内で揺れる二つのメロン。
ロナをも凌駕するほどの本来質量として存在しないそれに、この場にいる誰一人として突っ込まない光景があまりにもシュールだ。
たゆんたゆん……
「……ぶっ……」
「ん?どうかした?」
やば、思わず吹き出してしまった。
咄嗟に口を塞いだが、目敏いセイナはすぐに気づいてしまう。
心なしか、その瞳は笑っていて笑っていない。
「いや……別に」
「何よ、何かあるならハッキリ言いなさいよ?」
見た目は王女でも中身は変わらず。俺の曖昧な態度にセイナのご機嫌が悪くなる。
って言うかセイナ、それは俺に突っ込めって言っているのか?
笑いを堪えようと抑えていた口元と連動して、両肩まで小刻みに震えだす。
辛い……これ以上はもう我慢できない。
薄っすらと浮かべた涙に意を決した俺は、できる限り刺激しないよう言葉を選別する。
「それは何枚入れているのかなって────」
「あ゛ぁ゛?」
「いえ、何でもありません」
心の弱い者なら心臓が止まってしまいそうな三白眼で凄まれ、俺はすぐさま訂正した。
やはり本人が一番気にしているらしい。
そんな俺達のやり取りにメイド達の嘆息が部屋の中で小さく木霊する。
この部屋で男性は俺一人。
たかが胸一つで蔑んだ視線を向けなければならないというのはいかがなものか……
「ダメじゃないセイナ」
その光景に待ったをかけたのはエリザベスだった。
流石は聖母。娘の愚行を正すため、優しく諭すように微笑みかける。
「今日はちゃんと王女様になってもらわないと、それは怒るときも同じよ?」
……いや指摘そこ?
「申し訳御座いません、お母様」
三白眼がにっこりとした細目のアーチへと切り替わる。
親愛なる母親の言葉には、あれだけ頑固なセイナがいともたやすく口調を修正する。
気に入らないことだと誰彼構わず突っかかる狂犬振りは何処へやら、まるで忠犬のような尻尾の振りようだ。
「ほら、ちゃんと言い直しなさい」
「分かりました、お母様」
エリザベスの繊細な両指が、セイナの大胆にも露出されたドレスの肩口に添えられる。
ふぅ……と一呼吸置いた口元が不自然な曲線を描き出した。
「あんまり面白いこと言っていますと、ブチ殺しますわよ?」
貴族らしい優雅な口調でそう告げたセイナは、こめかみに青筋を浮かべたままにっこりと微笑んだ。
大人数を想定して設計された、イギリス大使館の広々とした休憩所の一角。
空になったブラックコーヒーの代わりに、俺は新しいものを自販機で買う。
王族の機嫌を損ねた平民である俺はドレッシングルームから追い出されてしまった。
もう少し、彼女の着飾った姿を眺めていたかった口惜しさを、流し込むコーヒーの苦みと共に感じつつ、俺は近くにあった手頃な長椅子に腰掛ける。
これからまだまだ衣装の準備や会合に必要な打ち合わせなど、本来であれば数週間にも及ぶ準備をセイナは一夜漬けしなければならないのだ。寧ろ俺と喋っている暇なんて少しも無いはずなのに、それでも時間を取ってくれたのは彼女のささやかな優しさなのだろう。
もう一口コーヒーを啜る。
これだけ広々としているのに、喉の音が響くほど人気のない休憩所を見渡す。
なんでもセイナの存在を知っている者のみを急遽大使館に配備したため、早朝とはいえほとんど人の姿はない。
いっそのこと仮眠でも取ってしまおうか。
ベアードからの仕事にはまだ時間がある。ロナとアイリスも地下駐車場に止めた車の中で眠っている。
カフェインが効くまでの数十分だけでも寝ておこうと腰掛けていた長椅子に寝そべると。
……ん?
耳に届いたのは多人数の足音。
総計十二人。
それも全部男だ。
革靴の響きから無意識にそう推測した俺は、差して興味を抱くことなくそのまま瞳を閉じていると、休憩室に入ってきたその集団はあろうことかこっちに近づいてくる。
自販機の前で寝ころんだのが良くなかったか、それとも喫煙所の近くだったのが悪かったか。とりあえず狸寝入りでやり過ごそうと、長椅子の背もたれに半身に向け、少しでも目立たない様に息を殺す。
だが、その集団は自販機にも喫煙所に行くことなく、真っ直ぐとこちらへと近づいてきた。
男にしては小綺麗な、女にしては力強い。そんな人柄を示すような歩調と装備した武具の奏でる金物の音を先頭に、寝ころんだ俺を取り囲む。
殺気は感じないが、あまり穏やかな視線じゃねぇな。
「君がフォルテだな」
弦楽器を撫でるような優雅な響きを帯びた声。歩調から紐づけて、いかにも貴族という立ち振る舞いの男に名指しで呼ばれた俺は、内心で嘆息を漏らす。
「空寝で誤魔化そうとしたって無駄だ。西洋剣術を身に着けている私には、その呼吸は眠っている人間のそれとは違うと一目で分かるぞ」
「……空寝じゃねえ、いま寝ようとしていたんだ」
俺は鬱陶しいという気持ちを隠そうともせず、欠伸を見せつけるように身を起こす。
眩しい照明の下で眼に映ったのは、声音や仕草で想像していた通りの王族の姿と、その取り巻きらしき側近達。おそらく今ここにいるということは、セイナやエリザベスとも類縁の人物なのだろう。黒の現代的なモーニングスーツと、不釣り合いな中世的装飾の施されたフロードソードの鞘。見覚えのある黄金色の中髪から覗く彫刻のように整った目鼻立ちをした青年は、いかにも王族という姿を成している。
だが、その青い瞳には貴族的慈悲ではなく、蔑むような敵意が剥き出しとなっていた。
「それで俺に何の用だ?えーと……」
やべぇ、眠気で回ってない頭と野郎に対しての興味無さでコイツが誰なのか全く分からん。
口籠る俺の様子に、取り巻き達の表情が一変する。
「貴様ッ!このお方をどなたと心得る」
「やはりこのような蛮族を神聖なるイギリスの地に招いたのは誤り、今すぐにでも排除してくれようか」
殺気立つ側近達。
確かに俺は世間ではお尋ね者であり、ここにいること自体よく思わない連中も多いだろう。隠れて陰口を叩かれるくらいなら、ここまであからさまだと寧ろ心地いいくらいだ。
しかし王族の青年はそれに一切便乗することなく、片手で難なくその喧騒を抑えて見せた。
「平民であるならば、私の名くらい知っているであろうと思っていたが、その程度の教育すら受けることもままならない環境で育ったのだろう」
こちらの感情を逆撫でするような口調に思わずカチンッとくる。
何よりそれを嫌味ではなく本気で言っている様相なのが輪をかけて神経に障る。
確信した。俺はコイツが大嫌いだ。
「哀れな愚民である貴様へ仕方ないが名乗ってやろう。崇拝と畏敬の念をもって聞き及ぶがいい。私の名前はクリストファー・R・クロブナー。若くしてウェストミンスターの位を授かりし公爵にして────」
全く興味の湧かない口上に無視して寝ようとした俺は、その男のある言葉が耳に引っかかった。
「セイナ王女の許婚だ」
スマホの時刻はまだ鶏ですら寝ているような時間を示している。
昨日の今日でほとんど眠れていない平民である俺は一日王女様であるセイナを連れ、東京都千代田区にあるイギリス大使館を訪れていた。
「きゃぁぁぁぁカワイイィィィィィィィィ!!!!」
欠伸をする俺の耳に聞き知った黄色い声が響く。
何故女性と言うのは歓喜するとワンオクターブ声の質が上がるのか?
部屋の外で小一時間以上待たされていた俺は、そんな愚問を考えては欠伸を繰り返していると、
「────入ってきていいわよ、フォルテ」
相棒に呼ばれて俺が部屋に入ると、ドレッシングルームにしては広々とした空間を彩る絢爛豪華な装飾達と、王女様を仕立てる取り巻き達が忙しなく働く姿が目に映る。
その中心で両手を広げて佇むセイナは、取り巻きのメイドに囲まれて顔だけがひょこっと姿を見せていた。まるで着せ替え人形のように仕立てや身なりの調整を任せている。
「ごめんね、朝から付き合わせちゃって」
「別にいいさ、遅かれ早かれ今日はこっちに来る予定もあったしな」
今日は元々、以前からベアードに頼まれていた日米英首脳会合の警備に着く予定だった。
警備と言っても別段大変というわけでもなく怪しい人物がいないかの見回り程度だから、この仕事も俺一人でやろうと思っていたのだが(お金も出ないので)結局セイナも会合に参加する関係から他の仲間も同行することになり、今も地下駐車場でロナとアイリスを待たせている。
「それで、長い長いおめかしは終わったのか?」
「ようやく半分が過ぎたところよ」
俺の問いにセイナではなく、取り巻きの背後から姿を見せたエリザベス三世がそう答える。
先ほどから娘に対して黄色い声を上げていた彼女は、滅紫の落ち着いたAラインドレスを身に着けていた。今日の仕事は移動が多く、それが理由で彼女にしては比較的軽装ということもあってすでに着付けは完了しているらしい。
「でも、ようやく男性であるあなたにも見せれるくらいまでには出来上がったから、一回拝ませてあげようと思ってね」
ウィンクして見せたエリザベスの言葉に、メイド達が一斉にセイナの正面から離れる。
露わになったその姿に眠気が嘘のように霧散した。
真白なシルクをベースにしたプリンセスライン。何重にもフリルをあしらったフレアスカートにローズピンクのバッスルコルセットが美しいコントラストを演出し、背中がバックリと空いたホルターネックの胸元には眼を奪われるようなレース模様が幾重にも描かれている。
ドレスに負けず劣らずの白い肌には薄く化粧が施され、花の着いたヘッドドレスから伸びる黄金色の髪は綺麗に梳かされ、毛先の一本一本が丁寧に手入れされていた。
一目で彼女が自分とは全く違う立場の人間であると理解できる。
「で?感想は?」
自慢の娘の両肩に手を置き、誇るように俺へとエリザベスは訊ねてくる。
その娘の結婚式の衣装を選ぶ姑のような口振りに、俺は僅かに難色を示す。
「いや、可愛いと思うんだけどよ……」
その言葉に「当然よ」と、自分のことでもないくせにエリザベスが得意げになり、気恥ずかしそうに腰に付けたバッスルコルセットと同じくらい頬を赤らめたセイナ。地味に作業をしながらこちらに聞き耳を立てていた周りのメイド達が小さくガッツポーズをした。
勿論俺も世辞で言ったわけではない。
疑いようもなくセイナは可愛い。
今回のケースのように、直接政治に関与することなく友好関係を表すための同席。表現としてはあまりよろしくないが、王女という飾りとしては及第点を遥かに超える仕上がりだ。
流石は双子、これなら世間様にもセイナが妹のリリーとバレることは無いだろう。
たゆんたゆん……
昨日の浴衣とはまた一味違った形貌に舌を巻くが、それと同時に俺はある一点から眼が離せなくなっていた。
たゆんたゆん……
「……っ……」
そう擬音が聞こえる程、ホルターネック内で揺れる二つのメロン。
ロナをも凌駕するほどの本来質量として存在しないそれに、この場にいる誰一人として突っ込まない光景があまりにもシュールだ。
たゆんたゆん……
「……ぶっ……」
「ん?どうかした?」
やば、思わず吹き出してしまった。
咄嗟に口を塞いだが、目敏いセイナはすぐに気づいてしまう。
心なしか、その瞳は笑っていて笑っていない。
「いや……別に」
「何よ、何かあるならハッキリ言いなさいよ?」
見た目は王女でも中身は変わらず。俺の曖昧な態度にセイナのご機嫌が悪くなる。
って言うかセイナ、それは俺に突っ込めって言っているのか?
笑いを堪えようと抑えていた口元と連動して、両肩まで小刻みに震えだす。
辛い……これ以上はもう我慢できない。
薄っすらと浮かべた涙に意を決した俺は、できる限り刺激しないよう言葉を選別する。
「それは何枚入れているのかなって────」
「あ゛ぁ゛?」
「いえ、何でもありません」
心の弱い者なら心臓が止まってしまいそうな三白眼で凄まれ、俺はすぐさま訂正した。
やはり本人が一番気にしているらしい。
そんな俺達のやり取りにメイド達の嘆息が部屋の中で小さく木霊する。
この部屋で男性は俺一人。
たかが胸一つで蔑んだ視線を向けなければならないというのはいかがなものか……
「ダメじゃないセイナ」
その光景に待ったをかけたのはエリザベスだった。
流石は聖母。娘の愚行を正すため、優しく諭すように微笑みかける。
「今日はちゃんと王女様になってもらわないと、それは怒るときも同じよ?」
……いや指摘そこ?
「申し訳御座いません、お母様」
三白眼がにっこりとした細目のアーチへと切り替わる。
親愛なる母親の言葉には、あれだけ頑固なセイナがいともたやすく口調を修正する。
気に入らないことだと誰彼構わず突っかかる狂犬振りは何処へやら、まるで忠犬のような尻尾の振りようだ。
「ほら、ちゃんと言い直しなさい」
「分かりました、お母様」
エリザベスの繊細な両指が、セイナの大胆にも露出されたドレスの肩口に添えられる。
ふぅ……と一呼吸置いた口元が不自然な曲線を描き出した。
「あんまり面白いこと言っていますと、ブチ殺しますわよ?」
貴族らしい優雅な口調でそう告げたセイナは、こめかみに青筋を浮かべたままにっこりと微笑んだ。
大人数を想定して設計された、イギリス大使館の広々とした休憩所の一角。
空になったブラックコーヒーの代わりに、俺は新しいものを自販機で買う。
王族の機嫌を損ねた平民である俺はドレッシングルームから追い出されてしまった。
もう少し、彼女の着飾った姿を眺めていたかった口惜しさを、流し込むコーヒーの苦みと共に感じつつ、俺は近くにあった手頃な長椅子に腰掛ける。
これからまだまだ衣装の準備や会合に必要な打ち合わせなど、本来であれば数週間にも及ぶ準備をセイナは一夜漬けしなければならないのだ。寧ろ俺と喋っている暇なんて少しも無いはずなのに、それでも時間を取ってくれたのは彼女のささやかな優しさなのだろう。
もう一口コーヒーを啜る。
これだけ広々としているのに、喉の音が響くほど人気のない休憩所を見渡す。
なんでもセイナの存在を知っている者のみを急遽大使館に配備したため、早朝とはいえほとんど人の姿はない。
いっそのこと仮眠でも取ってしまおうか。
ベアードからの仕事にはまだ時間がある。ロナとアイリスも地下駐車場に止めた車の中で眠っている。
カフェインが効くまでの数十分だけでも寝ておこうと腰掛けていた長椅子に寝そべると。
……ん?
耳に届いたのは多人数の足音。
総計十二人。
それも全部男だ。
革靴の響きから無意識にそう推測した俺は、差して興味を抱くことなくそのまま瞳を閉じていると、休憩室に入ってきたその集団はあろうことかこっちに近づいてくる。
自販機の前で寝ころんだのが良くなかったか、それとも喫煙所の近くだったのが悪かったか。とりあえず狸寝入りでやり過ごそうと、長椅子の背もたれに半身に向け、少しでも目立たない様に息を殺す。
だが、その集団は自販機にも喫煙所に行くことなく、真っ直ぐとこちらへと近づいてきた。
男にしては小綺麗な、女にしては力強い。そんな人柄を示すような歩調と装備した武具の奏でる金物の音を先頭に、寝ころんだ俺を取り囲む。
殺気は感じないが、あまり穏やかな視線じゃねぇな。
「君がフォルテだな」
弦楽器を撫でるような優雅な響きを帯びた声。歩調から紐づけて、いかにも貴族という立ち振る舞いの男に名指しで呼ばれた俺は、内心で嘆息を漏らす。
「空寝で誤魔化そうとしたって無駄だ。西洋剣術を身に着けている私には、その呼吸は眠っている人間のそれとは違うと一目で分かるぞ」
「……空寝じゃねえ、いま寝ようとしていたんだ」
俺は鬱陶しいという気持ちを隠そうともせず、欠伸を見せつけるように身を起こす。
眩しい照明の下で眼に映ったのは、声音や仕草で想像していた通りの王族の姿と、その取り巻きらしき側近達。おそらく今ここにいるということは、セイナやエリザベスとも類縁の人物なのだろう。黒の現代的なモーニングスーツと、不釣り合いな中世的装飾の施されたフロードソードの鞘。見覚えのある黄金色の中髪から覗く彫刻のように整った目鼻立ちをした青年は、いかにも王族という姿を成している。
だが、その青い瞳には貴族的慈悲ではなく、蔑むような敵意が剥き出しとなっていた。
「それで俺に何の用だ?えーと……」
やべぇ、眠気で回ってない頭と野郎に対しての興味無さでコイツが誰なのか全く分からん。
口籠る俺の様子に、取り巻き達の表情が一変する。
「貴様ッ!このお方をどなたと心得る」
「やはりこのような蛮族を神聖なるイギリスの地に招いたのは誤り、今すぐにでも排除してくれようか」
殺気立つ側近達。
確かに俺は世間ではお尋ね者であり、ここにいること自体よく思わない連中も多いだろう。隠れて陰口を叩かれるくらいなら、ここまであからさまだと寧ろ心地いいくらいだ。
しかし王族の青年はそれに一切便乗することなく、片手で難なくその喧騒を抑えて見せた。
「平民であるならば、私の名くらい知っているであろうと思っていたが、その程度の教育すら受けることもままならない環境で育ったのだろう」
こちらの感情を逆撫でするような口調に思わずカチンッとくる。
何よりそれを嫌味ではなく本気で言っている様相なのが輪をかけて神経に障る。
確信した。俺はコイツが大嫌いだ。
「哀れな愚民である貴様へ仕方ないが名乗ってやろう。崇拝と畏敬の念をもって聞き及ぶがいい。私の名前はクリストファー・R・クロブナー。若くしてウェストミンスターの位を授かりし公爵にして────」
全く興味の湧かない口上に無視して寝ようとした俺は、その男のある言葉が耳に引っかかった。
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