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月下の鬼人(ワールドエネミー)上
Disassembly《ブレット・トゥゲザァ》5
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「……えっ?」
想像していたのとは別の方向の答えに耳を疑う。
「五歳って、一、ニ、三、四、五の五歳?」
ベルはコクリと頷いて見せた。
嘘だろ……これまで俺のような年寄りは何度か見たことがあったが、その逆の若すぎる人間は見たことがなかったので、つい動揺を表に出してしまう。
だが、それなら確かに給湯器の使い方を知らなくても納得できる。
科学に疎いのではなく、人間生活そのものに彼女は疎かった……ということか。
本来の五歳児なら、一人で生活をこなせるわけがない……それゆえに俺は、ある程度のことを一人でこなせる(あまり進んでやろうとはしないが)ベルのことを、その体型も含めて勝手に成人以上の年齢と思い込んでいた。
「あくまで作られてから五年とちょっとだから、それを年齢と言っていいのか分からないんだけどね……ロシアで作られた私は「V2034」っていう番号で呼ばれていた。あ、今の名前は大統領がつけてくれたんだ!綺麗で白い私の髪にちなんで「ベルベット・アルヴィナ」なんだって」
そう言ってベルは、名前の由来になった白い絹のような髪束をふさり────と背中で揺らした。
「数百体の一人として生まれた私は、外の見えない空間の中、他の姉妹と共に勉学、語学、魔術と様々なものを叩き込まれた末に────」
ベルは一呼吸おいてから────
「その姉妹達と殺し合いをさせられた……」
重いその一言を発した。
「殺し合い……だと?」
身体の表面が冷たいと感じたのは、決して開放しっぱなしの冷蔵庫のせいだけではないだろう……
呟いた俺の言葉にベルは肯定するように大きく頷いた。
「もう思い出したくもないけど……上位種を選び抜くため間引きすることが目的だったらしいわ……」
普段の雰囲気とは違う真面目な印象と、話している内容の残虐さに俺は眼光を鋭くする。
「でも、私は運がいいことに、相手を殺さずに三人から勝ち進むことができた……殺しさえしなければ、きっと助けることができると……思っていた……でも、それは甘い考えだったとすぐに思い知らされた……」
「……」
黙って話しを聞いていた俺に、ベルは翡翠色の猫目を伏せる。
「殺し合いが終わった後、対戦相手が部屋にいないことに気づいた……研究所のスタッフに確認するとこう言われたわ「あれはこちらで処分した」とね……その時の言葉は今も耳から離れない……あの時、恐怖、絶望、憤怒の全てが押し寄せてきた時、私の感情表現に使う偏桃体が麻痺して、その場から動けなくなってしまった……そんな精神状態のまま、四人目との殺し合いに呼ばれた。相手は……研究所で一番仲の良かった親友だった……」
「……」
「ダメだった……私はあの子に魔術を向けることができなかった……結果、殺し合いを放棄した私は研究所から少し離れた処分場へと連れてかれた、これでようやくこんな思いから解放される……ぼんやりとそんなことを考えていた時だった、ベアード大統領が指示した特殊部隊が突入してきて、研究所を攻撃したのは……」
抱き寄せた胸元のアイスが、熱で軽く溶け出し始めている。
それはまるで、ベルにとっての心の壁を溶かしていくかのように……
「遠くで銃声や爆音、悲鳴や怒声が上がって、それが次第に小さくなって、気が付けば、生き残りは処分場にいた私一人だけだった……突入してきた男達が、牢屋越しに銃口を向けても抵抗する素振りすら見せない私を、心底不思議そうに見ていたよ……だから「早く殺してくれ、こんな世界はもうごめんだ」って言ったら、一人の女の人が歩み寄ってきた」
「女の人……?」
「うん、部隊のリーダーで茶髪の綺麗な人だった、「ドラゴン」ってコードネームで呼ばれてたその人は私に『折角生まれたのにそんなこと言うな、こんな真っ白くて狭い場所がお前の全てなんかじゃない。このロシアの雪原の向こうにはたくさんの世界がある、お前は……まだ何色にでも染まることができるんだ』初めて真剣に説教してくれた人だった……当時の私はそれにただ頷くことしかできなかったけど、今は違う。他の姉妹達の分まで私はこの世界を楽しもうって心から思うんだよね……」
そう言って顔を上げたベルの表情は、いつも見ている楽しそうな笑顔。
周りに拡散するような、不思議な力を持ったその表情の裏には、そんな秘密があったのか……
「だから、お前はいつも楽しそうにしてるって訳か……でもなんで、わざわざこんな危ない部隊に入ったんだ?働き口なんて、もっといっぱいあっただろうに……」
そもそも五歳児を働かせること自体が問題だと思うが……ベルはもう既に大人と同じくらい精神も肉体も成熟しているので、それは今回置いておこう。
「うーん……なんて言えばいいのかな……私と同じ境遇の人がもう二度と出さないためには、ここで働くことが一番だと思ったんだ。私を救ってくれたあの人のように……」
ベルから弾けたような笑顔が返ってくる。
仮初のものでは無い、心から楽しむようにする。
それが、唯一この世に遺された彼女の義務であり、生き甲斐なのだろう……
生き甲斐か……
俺はもう失ってしまった生き甲斐……その経緯を知るだけでも、ベルが見せた笑顔は普段とは全く違うものに見えてくる。
────ただの能天気って訳じゃなかったんだな……
「なるほどな……それで、その命の恩人とはまた会うことができたのか?」
「ドラゴン」と呼ばれ女性について訊ねると、ベルは首を横に振った。
「うんうん、結局は会えたのはその一度きりで、そのあとは会えてないんだ……大統領に聞いてみたら、「野良猫の名前を覚えるほど、私も暇じゃない」とか言って、全然教えてくれないんだ……」
それはまた随分とおかしな話だな……わざわざ正体を隠す必要があるのか?
「あーでも、特徴は覚えてるから、いつかきっと出会えるって信じてるんだ……そう言えばあの人も、隊長と同じでそれを腰に差してたよ」
「コイツを……?」
俺が腰に差していたのは太刀「村正」
日本刀を持った女性……ってことなのか……?
「うん、見た目や長さは違うけど、綺麗な刀身だった……研究所と同じ白でも、私は……あそこまで輝いて見える白銀の刀身は見たことなかった────って、隊長……聞いてる?」
放心していた俺にベルが顔を覗き込んできた。
「あ、あぁ……ごめん、ちょっとな……」
茶髪……日本刀……女性……
俺の脳裏に一瞬だけ、かつて師と呼んでいた人物が映る……
「ドラゴン」というコードネーム引っかかる……
────いや、あの人はもういないんだ……
俺はその幻想を振り払ってから、踵を返す。
「色々と教えてくれてありがとうなベル」
「うん、あんまり気持ちのいい話しでは無かったけどね……」
ベルの苦笑を背に、俺が自室に向かって歩き出そうとしてると……
「あのさ……隊長はこの部隊に入る前は何をやってたの?」
ベルの素朴な質問に、俺の足がピタッ……と止まる。
五歳児である彼女にとって、月下の鬼人がどのようなものかは知らない。
俺がどれだけ汚い人間であるかを……
「別に……ただのうのうと人生を過ごしていただけさ……」
無垢な彼女にはどうも過去を話す気にはなれず、突き放すような俺の言い方に、ベルは残念そうに俯いた。
「そうなんだ……その、月下の鬼人についての話しはレクスから聞いた……でも、私は隊長がそんな人には感じられな────」
「ベル……ッ」
言葉を途中で切るように俺がそう呼びかける。
表に出さないつもりが、つい口調に力が入ってしまった……
「お前の純粋な気持ちをあまり汚したくはないが、人って奴は見かけによらない……善人が悪人になることもあれば、その逆もある……お前が思っているほど、俺はまともじゃないだ……」
俺も……初めからギャング狩りをしていたわけではない……
この右眼を手に入れたことにも、左眼と左腕を失ったことも、全てに理由がある。
ただ……その人生の失敗を、俺はどうしても人には話したくなかった。
────ベルは自分のことを包み隠さず教えてくれたのに……俺は弱い人間だな……
いや、もう人間であるのかも疑わしい。
「それでも、私は隊長が「いい人」だって信じてるにゃ……!」
振り返ることができなかった。
俺にはその笑顔を見る資格がない……そう思った。
「分かった、そこまで言うなら教えてやる……」
「にゃ?」
いつもの口調に戻っていたベルが素っ頓狂な声で首を傾げた。
「明日は予定が早まったから、始末書、それまでに作成して出せよ」
「にゃッ!?」
ガーンと聞こえてきそうなほどに絶望したベルが、空になっていたアイスカップを床に落とした。
だから言ったろ?俺はまともじゃないって────
想像していたのとは別の方向の答えに耳を疑う。
「五歳って、一、ニ、三、四、五の五歳?」
ベルはコクリと頷いて見せた。
嘘だろ……これまで俺のような年寄りは何度か見たことがあったが、その逆の若すぎる人間は見たことがなかったので、つい動揺を表に出してしまう。
だが、それなら確かに給湯器の使い方を知らなくても納得できる。
科学に疎いのではなく、人間生活そのものに彼女は疎かった……ということか。
本来の五歳児なら、一人で生活をこなせるわけがない……それゆえに俺は、ある程度のことを一人でこなせる(あまり進んでやろうとはしないが)ベルのことを、その体型も含めて勝手に成人以上の年齢と思い込んでいた。
「あくまで作られてから五年とちょっとだから、それを年齢と言っていいのか分からないんだけどね……ロシアで作られた私は「V2034」っていう番号で呼ばれていた。あ、今の名前は大統領がつけてくれたんだ!綺麗で白い私の髪にちなんで「ベルベット・アルヴィナ」なんだって」
そう言ってベルは、名前の由来になった白い絹のような髪束をふさり────と背中で揺らした。
「数百体の一人として生まれた私は、外の見えない空間の中、他の姉妹と共に勉学、語学、魔術と様々なものを叩き込まれた末に────」
ベルは一呼吸おいてから────
「その姉妹達と殺し合いをさせられた……」
重いその一言を発した。
「殺し合い……だと?」
身体の表面が冷たいと感じたのは、決して開放しっぱなしの冷蔵庫のせいだけではないだろう……
呟いた俺の言葉にベルは肯定するように大きく頷いた。
「もう思い出したくもないけど……上位種を選び抜くため間引きすることが目的だったらしいわ……」
普段の雰囲気とは違う真面目な印象と、話している内容の残虐さに俺は眼光を鋭くする。
「でも、私は運がいいことに、相手を殺さずに三人から勝ち進むことができた……殺しさえしなければ、きっと助けることができると……思っていた……でも、それは甘い考えだったとすぐに思い知らされた……」
「……」
黙って話しを聞いていた俺に、ベルは翡翠色の猫目を伏せる。
「殺し合いが終わった後、対戦相手が部屋にいないことに気づいた……研究所のスタッフに確認するとこう言われたわ「あれはこちらで処分した」とね……その時の言葉は今も耳から離れない……あの時、恐怖、絶望、憤怒の全てが押し寄せてきた時、私の感情表現に使う偏桃体が麻痺して、その場から動けなくなってしまった……そんな精神状態のまま、四人目との殺し合いに呼ばれた。相手は……研究所で一番仲の良かった親友だった……」
「……」
「ダメだった……私はあの子に魔術を向けることができなかった……結果、殺し合いを放棄した私は研究所から少し離れた処分場へと連れてかれた、これでようやくこんな思いから解放される……ぼんやりとそんなことを考えていた時だった、ベアード大統領が指示した特殊部隊が突入してきて、研究所を攻撃したのは……」
抱き寄せた胸元のアイスが、熱で軽く溶け出し始めている。
それはまるで、ベルにとっての心の壁を溶かしていくかのように……
「遠くで銃声や爆音、悲鳴や怒声が上がって、それが次第に小さくなって、気が付けば、生き残りは処分場にいた私一人だけだった……突入してきた男達が、牢屋越しに銃口を向けても抵抗する素振りすら見せない私を、心底不思議そうに見ていたよ……だから「早く殺してくれ、こんな世界はもうごめんだ」って言ったら、一人の女の人が歩み寄ってきた」
「女の人……?」
「うん、部隊のリーダーで茶髪の綺麗な人だった、「ドラゴン」ってコードネームで呼ばれてたその人は私に『折角生まれたのにそんなこと言うな、こんな真っ白くて狭い場所がお前の全てなんかじゃない。このロシアの雪原の向こうにはたくさんの世界がある、お前は……まだ何色にでも染まることができるんだ』初めて真剣に説教してくれた人だった……当時の私はそれにただ頷くことしかできなかったけど、今は違う。他の姉妹達の分まで私はこの世界を楽しもうって心から思うんだよね……」
そう言って顔を上げたベルの表情は、いつも見ている楽しそうな笑顔。
周りに拡散するような、不思議な力を持ったその表情の裏には、そんな秘密があったのか……
「だから、お前はいつも楽しそうにしてるって訳か……でもなんで、わざわざこんな危ない部隊に入ったんだ?働き口なんて、もっといっぱいあっただろうに……」
そもそも五歳児を働かせること自体が問題だと思うが……ベルはもう既に大人と同じくらい精神も肉体も成熟しているので、それは今回置いておこう。
「うーん……なんて言えばいいのかな……私と同じ境遇の人がもう二度と出さないためには、ここで働くことが一番だと思ったんだ。私を救ってくれたあの人のように……」
ベルから弾けたような笑顔が返ってくる。
仮初のものでは無い、心から楽しむようにする。
それが、唯一この世に遺された彼女の義務であり、生き甲斐なのだろう……
生き甲斐か……
俺はもう失ってしまった生き甲斐……その経緯を知るだけでも、ベルが見せた笑顔は普段とは全く違うものに見えてくる。
────ただの能天気って訳じゃなかったんだな……
「なるほどな……それで、その命の恩人とはまた会うことができたのか?」
「ドラゴン」と呼ばれ女性について訊ねると、ベルは首を横に振った。
「うんうん、結局は会えたのはその一度きりで、そのあとは会えてないんだ……大統領に聞いてみたら、「野良猫の名前を覚えるほど、私も暇じゃない」とか言って、全然教えてくれないんだ……」
それはまた随分とおかしな話だな……わざわざ正体を隠す必要があるのか?
「あーでも、特徴は覚えてるから、いつかきっと出会えるって信じてるんだ……そう言えばあの人も、隊長と同じでそれを腰に差してたよ」
「コイツを……?」
俺が腰に差していたのは太刀「村正」
日本刀を持った女性……ってことなのか……?
「うん、見た目や長さは違うけど、綺麗な刀身だった……研究所と同じ白でも、私は……あそこまで輝いて見える白銀の刀身は見たことなかった────って、隊長……聞いてる?」
放心していた俺にベルが顔を覗き込んできた。
「あ、あぁ……ごめん、ちょっとな……」
茶髪……日本刀……女性……
俺の脳裏に一瞬だけ、かつて師と呼んでいた人物が映る……
「ドラゴン」というコードネーム引っかかる……
────いや、あの人はもういないんだ……
俺はその幻想を振り払ってから、踵を返す。
「色々と教えてくれてありがとうなベル」
「うん、あんまり気持ちのいい話しでは無かったけどね……」
ベルの苦笑を背に、俺が自室に向かって歩き出そうとしてると……
「あのさ……隊長はこの部隊に入る前は何をやってたの?」
ベルの素朴な質問に、俺の足がピタッ……と止まる。
五歳児である彼女にとって、月下の鬼人がどのようなものかは知らない。
俺がどれだけ汚い人間であるかを……
「別に……ただのうのうと人生を過ごしていただけさ……」
無垢な彼女にはどうも過去を話す気にはなれず、突き放すような俺の言い方に、ベルは残念そうに俯いた。
「そうなんだ……その、月下の鬼人についての話しはレクスから聞いた……でも、私は隊長がそんな人には感じられな────」
「ベル……ッ」
言葉を途中で切るように俺がそう呼びかける。
表に出さないつもりが、つい口調に力が入ってしまった……
「お前の純粋な気持ちをあまり汚したくはないが、人って奴は見かけによらない……善人が悪人になることもあれば、その逆もある……お前が思っているほど、俺はまともじゃないだ……」
俺も……初めからギャング狩りをしていたわけではない……
この右眼を手に入れたことにも、左眼と左腕を失ったことも、全てに理由がある。
ただ……その人生の失敗を、俺はどうしても人には話したくなかった。
────ベルは自分のことを包み隠さず教えてくれたのに……俺は弱い人間だな……
いや、もう人間であるのかも疑わしい。
「それでも、私は隊長が「いい人」だって信じてるにゃ……!」
振り返ることができなかった。
俺にはその笑顔を見る資格がない……そう思った。
「分かった、そこまで言うなら教えてやる……」
「にゃ?」
いつもの口調に戻っていたベルが素っ頓狂な声で首を傾げた。
「明日は予定が早まったから、始末書、それまでに作成して出せよ」
「にゃッ!?」
ガーンと聞こえてきそうなほどに絶望したベルが、空になっていたアイスカップを床に落とした。
だから言ったろ?俺はまともじゃないって────
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