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赤き羽毛の復讐者《スリーピングスナイパー》
バンゾック・フォールズ13
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────あの少女はやめた方がいい。
────いつか必ず後悔するぞ。
「……っ!」
突然脳内に、数日前の夢で聞いた二つの言葉が再生される。
その言葉の意味も、誰が言ったのかすらも理解できていなかったが、後悔という部分に、自身の身体が強く反応した。
「……きゃっ!?」
蜜柑の果汁で濡れた、あで艶のある唇。それに触れる寸前、まるで条件反射のように、セイナの身体を俺は両手で引きはがしていた。
刃物を使った鍔迫り合いでは、ほとんどの相手をねじ伏せる程に力の強いセイナが、小さく悲鳴を上げながら、後ろによろめく。その小っちゃい両肩に手を置いたまま、顔を背けた俺は脳内で叫んでいた。
今、俺は一体何をしようとしていた!?
一瞬だけ冷静になった脳が、数瞬前の自分の行動を鮮明にフラッシュバックさせる。勢いに任せての愚かな行為に対する罪悪感、一線を越えかけた動揺で目は泳ぎまくり、恥ずかしさで鏡を見なくても分かるくらい、火照り切った赤い顔。雪崩のように、怒涛の勢いで押し寄せてきた感情が、俺を表現するための器から溢れて洪水を起こし、脳の機能が完全にマヒしていた。
「……あ……その……」
早く何か言わないと────こんなことして、セイナが絶対黙っているはずがない。
過去に何度かこういったケース……セイナの入浴中に裸を見てしまったり、戦闘時に胸に触れてしまったことは何回もあった。その時は必ず、俺のことを確実に殺りに来る。それが仮に不可抗力であったとしてもセイナには関係ない。寧ろ今日まで俺は、セイナにそういった行為を故意で及んだことは一度も無かった。
だからこそ、今の俺は弁明するどころか恐怖のあまり、セイナの顔を直視することすらできずにいた。一体、いま彼女がどういった顔をしているのか、これから何をされるのか、人が想像できる範疇を越えている!
それらの積み重なりと、故意でやった自覚から、いつもと違って素直に謝ることもさえもできず、黙りこくったまま何秒も過ぎていく。その結果、さらに焦りの感情も混じって、もう俺の脳が捌ける情報量を遥かに超えてしまっていた。
結局、答えを見出せないまま、弁明するタイミングを完全に逃してしまう。
未だ双肩を掴んだままの両腕に、小刻みな震えが走り始める。それがもう俺の(恐怖の)震えなのかセイナの(怒りの)震えなのかも判別することができない。おそらく両方だろうけど。
でも、もしかしたらこれで良かったのかもしれないな……
俺のしたことは、未遂だとしても決して許されるものではない。それを適当な言葉で誤魔化そうとする根性が、そもそも間違っている。下される罰、例えそれが死に至るレベルだったとしても、俺にはそれを素直に受ける義務がある。
だから……逃げないっ!
ジープの黒いフロアマットを映していた右眼を固く閉じ、下される制裁に身を捧げる。
銃殺、刺殺、電殺、殴殺、絞殺、扼殺、轢殺、爆殺、抉殺……思いつく限りのあらゆる殺し方が、レストランのメニューでも眺めるくらいの軽さで、パラパラと脳内を駆け巡る。
だが、最後までみっともない姿を見せられないと、逃げたい気持ちを何とか奮い立たせ、何とかその場から逃げず、セイナの反応をただじっと待つ────
本気で死を覚悟した途端、数瞬前まで頭を埋め尽くしていた余計な邪心が全て、タンポポの綿が飛ぶようにふぁあっ……と解き放たれ、世界が真っ白な無へと誘われる。
冗談抜きで俺は、たった今この瞬間────セイナから齎されるであろう「死」を受け入れたのだ。簡単に言うと「この人になら殺されてもいい」って状態に近い。
そこまですんなりと覚悟できた自分に少しだけ驚いたが、決して悪い気分ではなかった。
自分の頬が、心なしか緩んだ気がした────
「……」
あれ……?数分は待ったはずだが、何もされないぞ……?
もしかして、もうすでに俺は死んでいるのか……?と思ったが、右眼を開けるとそこは、さっきまで見ていたジープの黒いフロアマットが映る。決して地面に頭が転がっているわけでもなく、しっかり首もくっついている。
両肩を掴んだままだから分かるが、セイナも俺のすぐ目の前にいるはず……
沈黙に耐え切れなくなった俺が、恐怖を押し殺しながら、ゆっくりと顔を上げた。
「……あっ……」
視線の先……セイナ……というよりも、十六歳の少女は、吃驚の中に、憂慮を数滴たらしたような表情で固まっていた。
焦点が俺に合っていないセイナは、放心状態のまま、口元をわなわなと動かしているだけで、逃げることも襲い掛かることもしなかった。
「……セ、セイナ?」
ある意味想定外の反応に、心配になった俺が声をかけると、パチリパチリと瞼が数回動いた後に、ようやく俺にピントが合っていき────
「ひゃっ!?」
ここの密林でも聞いたことのない、珍獣のような悲鳴を上げた後、ポップコーンのように座席から数十センチ跳ね上がるセイナ。いつの間に頬は、茹でだこに負けないくらいの赤色に染め上がっていた。
「フォ、フォフォフォフォ………フォルテ!?アンタ、今!……キ、キキキキ……キ……ス、しようと────」
ブルーサファイアの瞳を丸くして慌てるセイナは、顔だけでなく、露出した手や首元、プリーツスカートと黒いニーソックスの間に見える絶対領域までも真っ赤に染め上げた状態で、誰が見ても分かるくらい動揺していた。それは、普段はあまり見せたことのないセイナの素顔。何処にでもいるような、一人の少女に過ぎなかった。
「ご、ごめん!!」
特別なことはなにも考えてなかった俺が、自分でもびっくりするくらい、すんなりとその言葉が出た。
セイナの双肩から、ようやく離した両手を膝の上に置き、頭を下げる俺……数か月前の新宿の時にはできなかったことに「えっ」と漏らすセイナ。本人は意識してないのかもしれないが、曲げた細腕がファイティングポーズに近い、乙女のポーズを取っていた。
ロナ辺りがやるとぶりっ子ポーズだが、セイナがやると、いつもの凛々しい姿のギャップで可愛さマシマシ、有名ファッション雑誌の表紙を飾れるくらいには破壊力抜群だった。
「今のは、その……ごめん、忘れてくれ……!ちょっとした気の迷いだったんだ……!」
「……えっ……」
俺のその一言に、セイナの表情がガクンッと「明」から「暗」へと切り替わった。な、何で!?
しかも、最近俺に対して何故か機嫌が悪かった時とは違う、そして、これもまた今までで見たことのない、花が萎れたかのようなどんよりした顔。セイナというよりも、しつこ過ぎて俺が拒絶した時にロナが見せるものとかなり似ていた。
「……さっきのは……本気じゃなかったってこと……?」
顔を伏せ、胸元でギュッと両手を握ったセイナが、悲しみが溶け込んだ瞳を前髪に隠し、少し上擦ったような声を漏らし、鼻を小さく啜った。なんかよく分からないけど、良くない方向にコトが進んでいるのは流石に理解できた俺は、あろうことか────
「お、お前じゃなかったらあんなことしねーよ!」
車内に流れていた風がピタッと音を立てて止まる。
俺の言葉を聞いたセイナは、眦を決してまた固まっていた。
さっきの負のオーラはだいぶ消えてたけど、俺、そんなに変なこと言ったのか?と思うくらいには固まっている……って、あれ────さっきなんて言ったんだ……いま……おまえじゃ……なかったら……あんなこと……はっ!?
ようやくそこで自分が、とんでもないことを呟いていたことに、コンマ数秒で気づき、セイナと同時に俺は顔を背ける。
突然風が止んで無風になった車内で、心臓の音が痛い程に聞こえてる。デカすぎて、誰かに聞こえてしまうんじゃないかと思うくらいだ。酒に酔いつぶれた時のように全身が紅潮して暑い……こういう時に限って、怪鳥などの動物も一切鳴かないから、いつもよりも沈黙が長く感じて、辛いと思うのも久しぶりだった。
大体、なんで俺はこんなに恥ずかしい思いをしているんだ……!
別にそんなおかしなことを言ったつもりは無かった……いや、待てよ?おかしなことを言ったつもりが無いということは、それはつまり────
「そそそそそそ……それって……つつつつつ……つまり……?」
映し鏡と間違うかのように赤くなったセイナが、逸らした顔のままボソボソと漏らす。
どうやら俺の言おうとしていたことに気づいているようだった。
俺も生唾をぐっと飲み込み、その言葉の続きを……セイナが言わんとしている俺自身の本心を、意を決して続ける。
「それは、つまり……お前のことが────」
────いつか必ず後悔するぞ。
「……っ!」
突然脳内に、数日前の夢で聞いた二つの言葉が再生される。
その言葉の意味も、誰が言ったのかすらも理解できていなかったが、後悔という部分に、自身の身体が強く反応した。
「……きゃっ!?」
蜜柑の果汁で濡れた、あで艶のある唇。それに触れる寸前、まるで条件反射のように、セイナの身体を俺は両手で引きはがしていた。
刃物を使った鍔迫り合いでは、ほとんどの相手をねじ伏せる程に力の強いセイナが、小さく悲鳴を上げながら、後ろによろめく。その小っちゃい両肩に手を置いたまま、顔を背けた俺は脳内で叫んでいた。
今、俺は一体何をしようとしていた!?
一瞬だけ冷静になった脳が、数瞬前の自分の行動を鮮明にフラッシュバックさせる。勢いに任せての愚かな行為に対する罪悪感、一線を越えかけた動揺で目は泳ぎまくり、恥ずかしさで鏡を見なくても分かるくらい、火照り切った赤い顔。雪崩のように、怒涛の勢いで押し寄せてきた感情が、俺を表現するための器から溢れて洪水を起こし、脳の機能が完全にマヒしていた。
「……あ……その……」
早く何か言わないと────こんなことして、セイナが絶対黙っているはずがない。
過去に何度かこういったケース……セイナの入浴中に裸を見てしまったり、戦闘時に胸に触れてしまったことは何回もあった。その時は必ず、俺のことを確実に殺りに来る。それが仮に不可抗力であったとしてもセイナには関係ない。寧ろ今日まで俺は、セイナにそういった行為を故意で及んだことは一度も無かった。
だからこそ、今の俺は弁明するどころか恐怖のあまり、セイナの顔を直視することすらできずにいた。一体、いま彼女がどういった顔をしているのか、これから何をされるのか、人が想像できる範疇を越えている!
それらの積み重なりと、故意でやった自覚から、いつもと違って素直に謝ることもさえもできず、黙りこくったまま何秒も過ぎていく。その結果、さらに焦りの感情も混じって、もう俺の脳が捌ける情報量を遥かに超えてしまっていた。
結局、答えを見出せないまま、弁明するタイミングを完全に逃してしまう。
未だ双肩を掴んだままの両腕に、小刻みな震えが走り始める。それがもう俺の(恐怖の)震えなのかセイナの(怒りの)震えなのかも判別することができない。おそらく両方だろうけど。
でも、もしかしたらこれで良かったのかもしれないな……
俺のしたことは、未遂だとしても決して許されるものではない。それを適当な言葉で誤魔化そうとする根性が、そもそも間違っている。下される罰、例えそれが死に至るレベルだったとしても、俺にはそれを素直に受ける義務がある。
だから……逃げないっ!
ジープの黒いフロアマットを映していた右眼を固く閉じ、下される制裁に身を捧げる。
銃殺、刺殺、電殺、殴殺、絞殺、扼殺、轢殺、爆殺、抉殺……思いつく限りのあらゆる殺し方が、レストランのメニューでも眺めるくらいの軽さで、パラパラと脳内を駆け巡る。
だが、最後までみっともない姿を見せられないと、逃げたい気持ちを何とか奮い立たせ、何とかその場から逃げず、セイナの反応をただじっと待つ────
本気で死を覚悟した途端、数瞬前まで頭を埋め尽くしていた余計な邪心が全て、タンポポの綿が飛ぶようにふぁあっ……と解き放たれ、世界が真っ白な無へと誘われる。
冗談抜きで俺は、たった今この瞬間────セイナから齎されるであろう「死」を受け入れたのだ。簡単に言うと「この人になら殺されてもいい」って状態に近い。
そこまですんなりと覚悟できた自分に少しだけ驚いたが、決して悪い気分ではなかった。
自分の頬が、心なしか緩んだ気がした────
「……」
あれ……?数分は待ったはずだが、何もされないぞ……?
もしかして、もうすでに俺は死んでいるのか……?と思ったが、右眼を開けるとそこは、さっきまで見ていたジープの黒いフロアマットが映る。決して地面に頭が転がっているわけでもなく、しっかり首もくっついている。
両肩を掴んだままだから分かるが、セイナも俺のすぐ目の前にいるはず……
沈黙に耐え切れなくなった俺が、恐怖を押し殺しながら、ゆっくりと顔を上げた。
「……あっ……」
視線の先……セイナ……というよりも、十六歳の少女は、吃驚の中に、憂慮を数滴たらしたような表情で固まっていた。
焦点が俺に合っていないセイナは、放心状態のまま、口元をわなわなと動かしているだけで、逃げることも襲い掛かることもしなかった。
「……セ、セイナ?」
ある意味想定外の反応に、心配になった俺が声をかけると、パチリパチリと瞼が数回動いた後に、ようやく俺にピントが合っていき────
「ひゃっ!?」
ここの密林でも聞いたことのない、珍獣のような悲鳴を上げた後、ポップコーンのように座席から数十センチ跳ね上がるセイナ。いつの間に頬は、茹でだこに負けないくらいの赤色に染め上がっていた。
「フォ、フォフォフォフォ………フォルテ!?アンタ、今!……キ、キキキキ……キ……ス、しようと────」
ブルーサファイアの瞳を丸くして慌てるセイナは、顔だけでなく、露出した手や首元、プリーツスカートと黒いニーソックスの間に見える絶対領域までも真っ赤に染め上げた状態で、誰が見ても分かるくらい動揺していた。それは、普段はあまり見せたことのないセイナの素顔。何処にでもいるような、一人の少女に過ぎなかった。
「ご、ごめん!!」
特別なことはなにも考えてなかった俺が、自分でもびっくりするくらい、すんなりとその言葉が出た。
セイナの双肩から、ようやく離した両手を膝の上に置き、頭を下げる俺……数か月前の新宿の時にはできなかったことに「えっ」と漏らすセイナ。本人は意識してないのかもしれないが、曲げた細腕がファイティングポーズに近い、乙女のポーズを取っていた。
ロナ辺りがやるとぶりっ子ポーズだが、セイナがやると、いつもの凛々しい姿のギャップで可愛さマシマシ、有名ファッション雑誌の表紙を飾れるくらいには破壊力抜群だった。
「今のは、その……ごめん、忘れてくれ……!ちょっとした気の迷いだったんだ……!」
「……えっ……」
俺のその一言に、セイナの表情がガクンッと「明」から「暗」へと切り替わった。な、何で!?
しかも、最近俺に対して何故か機嫌が悪かった時とは違う、そして、これもまた今までで見たことのない、花が萎れたかのようなどんよりした顔。セイナというよりも、しつこ過ぎて俺が拒絶した時にロナが見せるものとかなり似ていた。
「……さっきのは……本気じゃなかったってこと……?」
顔を伏せ、胸元でギュッと両手を握ったセイナが、悲しみが溶け込んだ瞳を前髪に隠し、少し上擦ったような声を漏らし、鼻を小さく啜った。なんかよく分からないけど、良くない方向にコトが進んでいるのは流石に理解できた俺は、あろうことか────
「お、お前じゃなかったらあんなことしねーよ!」
車内に流れていた風がピタッと音を立てて止まる。
俺の言葉を聞いたセイナは、眦を決してまた固まっていた。
さっきの負のオーラはだいぶ消えてたけど、俺、そんなに変なこと言ったのか?と思うくらいには固まっている……って、あれ────さっきなんて言ったんだ……いま……おまえじゃ……なかったら……あんなこと……はっ!?
ようやくそこで自分が、とんでもないことを呟いていたことに、コンマ数秒で気づき、セイナと同時に俺は顔を背ける。
突然風が止んで無風になった車内で、心臓の音が痛い程に聞こえてる。デカすぎて、誰かに聞こえてしまうんじゃないかと思うくらいだ。酒に酔いつぶれた時のように全身が紅潮して暑い……こういう時に限って、怪鳥などの動物も一切鳴かないから、いつもよりも沈黙が長く感じて、辛いと思うのも久しぶりだった。
大体、なんで俺はこんなに恥ずかしい思いをしているんだ……!
別にそんなおかしなことを言ったつもりは無かった……いや、待てよ?おかしなことを言ったつもりが無いということは、それはつまり────
「そそそそそそ……それって……つつつつつ……つまり……?」
映し鏡と間違うかのように赤くなったセイナが、逸らした顔のままボソボソと漏らす。
どうやら俺の言おうとしていたことに気づいているようだった。
俺も生唾をぐっと飲み込み、その言葉の続きを……セイナが言わんとしている俺自身の本心を、意を決して続ける。
「それは、つまり……お前のことが────」
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