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#04 嬌飾の仮面【ストレガドッグ】

第36話

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「……ミーア」

 それはつい数日前、出会ったただの少女。
 それはつい先日、互いに結託を誓い合った少女。
 それはつい先刻、組織の標的となった少女。

「なんで……なんでお前なんだよ。そんなに……俺のことをからかって愉しいのか……」

「ごめんなさい」

「謝るくらいならどうして!」

わたくし自身もよく分かっていないの。三年前からの記憶を失くしたわたくしには……」

「三年前から……?」

 それは俺が全て喪った日と同じ。
 少女はあの日からこれまでの記憶が綺麗サッパリと抜け落ちていた。

「けれど、このストレガドッグの装束と姿には朧気ながら記憶が残っていた。世間一般に知れ渡っていたその行いが、その意思が。だから記憶を失う前のわたくし自身がそうしていたように、またこの仮面を付けたの。でもその正体がまさか、イチルの家族を奪っていたなんて……」

「隠していた俺の秘密というのもまさか……」

「えぇ、わたくしが潜入しようとしていた組織で偶然、イチルがその姿で人を殺めているのを見てしまったの……」

「だから昨日、俺が人を殺した時もあまり驚かなかったのか……」

「そう…よ。貴方が本物で私が偽物なんだと思っていたから……」

「それで俺のことを調査しようと近づいてきた」

「それは……違う」

 ミーアは小さく頭を振った。

「イチルに近づこうとしたのは本当に偶然だった。初めてあったあの日から単純に興味を持った。わたくしの目的のためにも、その秘めた力はとても魅力を感じたのよ。だから決してこのストレガドッグ格好は関係ない」

 震える唇から漏れ出た言葉。
 そこにはミーアの怯えがハッキリと宿っている。
 とても嘘を付いている人間が表現できる感情では無かった。

「でも例えお前が忘れても俺は忘れてないぞ、確かに俺の母親と妹を襲撃したのは、いま目の前に居るお前の姿だ。なのにそのことを覚えていないだと?俺の大切なものを奪っておいて、そんなの無いだろ……ッ」

 ようやく報われるはずだったのに。
 あの日から始まった地獄ような日々から。
 だというのにその終着点がこんな、後味の悪いものだとは思いもしなかった。
 これではただ幼気な少女一人を嬲り殺しにするだけであって、決してあの日の仇敵を殺すことにはならない。なっていいはずが無い。
 知らず知らずの内にそうした犯人像願望に縋っていた心はあまりに脆く、握っていたはずの刃もすっかり持てない程に重く身体を縛り付ける。
 抑えることのできないほど溜め込んでいた殺意も、瞳から流れたものと共に全部抜け落ちてしまう。
 俺はミーアの上に跨ったままただ項垂れることしかできず、失意のどん底へ突き落とされた思考は考えることを放棄してしまっていた。

「……ッ、イチル後ろッ!!」

 喚起の声を上げたミーアに、俺は無防備のままその場を振り返ってしまう。
 その背後に広がっていた
 蒼白く熱を伴った光の軌跡が仮面の半分を、左眼のあった場所を悠々と抉り去っていったのだ。

「ッッッッ!!!!あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」

「イチル!!」

 痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
 駆け寄るミーアを振り払ってしまうほどの激痛が全神経を駆け巡り、俺は倒れたまま虫のように地べたを這いずり回る。
 左眼の在ったあたりがゴッソリと抉られ、そこからドクドクと湯水のような血が溢れ出している。どれだけ強く抑えても治まる気配は無い、焦げた血の鉄臭さだけが鼻腔を埋め尽くしていく。

「────外したか、残念。キッチリ頭部を狙ったつもりだったのに。やはり試作段階の武器ではアテにならんな」

「双賀……グレイ……ッ」

 一本道の通路から姿を見せたのは、今回の事件の首謀者当人。
 数日前に目撃された時と同じくテイラードスーツを纏う双賀は、両手に持つ軽量型電磁誘導加速照射砲ライトカスタムレールガンの銃身をガチャリッと展開させる。

「しかしまさか、かのストレガドッグが一匹のみならず二匹居たとは……思いもしなかった。なるほど確かに、それならこれまでの表裏一体、まるでコインの裏表のような行動にも説明が付けられる」

 剥き出しとなった内部機構から蒸気が溢れ出し、発射の反動で赤く熱を伴った銃身が放熱される。威力を得る代わりの代償として連射が利かない設計らしい。
 けれど今の俺にそんな情報は何の価値も生み出さない。
 残った右眼に映るくだらない情報も、涙目で呼びかけるミーアの表情も、その何もかもが左眼の在ったことを訴える痛みで塗り潰されていく。

 あぁ、そっか。
 これが死ぬってことなんだ。

「イチルしっかりしなさい、ダメよ……意識を手放さないでっ!!」

 なんだよミーア。
 普段はあんなにクールぶっておいて、そんな必死な声出すこともできたのかよ。
 折角なら、仮面で見えないその表情も最期に拝んでおきたかったぜ。

「逃げ……ろ……はや……く」

「バカ、貴方一人おいていけるわけがないでしょ……」

 突き離そうとした指先を逆に取られ、その場から引き起こそうとミーアは試みる。けれど力の入らない俺の体躯は鉛のように重く、地面に縛り付けられたように動かない。
 必死なミーアの息遣いと、ポタリと仮面に堕ちた何か水音のだけが、やけに耳に残った。

「往生際ってやつを知れ、お嬢さん」

 双賀はスーツの胸元から煙草を取り出し、それを白熱している銃身へと押し付け火を付ける。そして自らの勝ちを確信した紫煙を夜闇へと燻らせた。

「まんまと罠にハマったマヌケな正義心を呪うんだな」

「……なんですって?」

「あれ、まさか気づいてなかったのか?俺達『カルペ・ディエム』が仕掛けたこの盛大な招待状に」

 嘲笑めいた態度で双賀は語らい始めた。
 その全ての物事を、手のひらの上で転がしているように。

「我らの狙いは初めからお前達、ストレガドッグの存在そのものだ。下の人質も、周囲の市民も、この時間も、そしてそこにある美麗荘厳な輝きを放つ魔結晶も。何もかもがお前をここに呼び出す口実でしかない」

「一体どうしてそんなことを……」

「おいおい、まさかこの期に及んで惚けるつもりかい?それとも本命はそっちの片割れの方だったということか?まぁどっちでもいいけど、どっちにしたってここで両方死んでもらうことに変わり無いんだからな」

 二吸いしたタバコを捨て、双賀は開放していた軽量型電磁誘導加速照射砲ライトカスタムレールガンの銃身をカタタタタと閉じ始める。

「どうせなら最期くらい二人まとめてあの世に送ってやる。コイツの最大出力フルパワーでな」

 無駄話もするつもりはないらしい。

「さぁ、犬死する前に残す言葉はあるかい?」

「残念だけど、わたくしを殺してくれる相手には先約がいるの。間違っても貴方じゃないわ」

「そうかい。けどその予定はキャンセルだな」

 構えた砲身から再び放たれる弾丸は亜音速を超え、衝撃破が周囲の残骸を巻き上げていく。
 躱すことも避けることも許さない不可避の一撃は、銃身の直径を遥かに超える熱量で触れるもの全てを滅却していく。
 それをミーアは真正面から迎え撃つ。
 両手を引き上げるように下から上へと動かし、ユラユラとカーテンのように蠢く影の障壁を構築させる。

「そんな間に合わせの防御で、この世界随一に匹敵する一撃を防げると思っているのか!」

 無論、それはミーアも判っている。
 だからこそ彼女は弾丸が障壁に接触した途端、瞬時にそれを平面から鋭角な形へと構成を変化させた。一見それは実に簡単な理屈だが、眼では到底捉え切れないスピードと破壊力を伴った物で行う度胸と技術は生半なものではない。
 やってることはガラス窓で戦車砲弾を弾いているようなものだ。繊細な魔術操作、判断、受け流しの角度、何かが寸分と違えた瞬間、両者の『死』は必定のものとなる。

「────ぅ……く……ッ」

 全神経を接触する障壁と弾頭との間に一点集中するミーアから、健気にも堪えようとしている声音が聞こえてくる。

「絶対に……ッ、やらせは……しないッ!」

 どうしてそこまで必死になるのか。
 無風でも消えてしまいそうな風前の灯に、どうしてそこまで執着するのか。
 薄れゆく意識の中、ぼんやりそんなことを考えていた。
 たかだか数日の付き合いの相手にどうして……。

「やらせるもんですかぁッ!!!」

 似つかわしく無い魂からの咆哮を分岐点に、物理法則を無視した熱線が僅かに逸れ始める。
 しかしそれでもほんの僅かな角度。
 なんとか二人して直撃することはなかったものの、レーザーはミーアの肩口を大きく焼き払って表皮の肉を喰らう。骨まで到達する直前まで削いだ後はショッピングモールのガラス窓を溶かし、さらに隣接する別の高層ビルまでも外壁をドロドロに溶かしてしまう。

「ちっ、ホントに往生際の悪い奴らだな。そんな頑張ったところでお前達の運命は変わらないというのに。どうしてそこまでして抗う?どうして甘美なる死を受け入れようとしない?」

 銃身をフルオープンさせることで再び冷却期間に入った双賀が眉間へ皺を寄せる。
 ミーアは何とか絶対不可避の一撃を防いで見せたものの、その代償はあまりに大きい。
 右腕の二の腕を熱傷、魔力も大きく疲弊したことが相まってその場へ蹲る他なかった。

「……ク、ソ……」

 共倒れした二人のストレガドッグ達に三射目を防ぐ術はない。
 残りの冷却完了までの時間こそが、命のタイムリミットと言っても過言では無い。
 しかし俺の方は血を流し過ぎた影響からか、もう意識が────

「まだ、死ぬには早いわよ……イチル」

 銀灰の髪が俺の頬へと降りかかる。
 遠のく意識を僅かながら繋ぎ止めたのは、自身の命を顧みずに盾となってくれた少女の真剣な面持ちだった。

「よく聞いて、私の力だけではあの男を倒すことはできない。だから貴方の力を借りたいの」

 倒れた身体の上に覆い被さりながら少女は呟く。
 でも俺にどうしろってんだ。
 顔の半分も、左眼も、血も、そして三年間抱え続けていた復讐心も、何もかもを失い、空の器と化した男にやれることは何一つない。
 それを口にする気力も削がれて声すら出せないというのに、ミーアは俺の意志を別の何かで感じ取り、同時に鋭利な爪を双肩へと突き立てる。

「貴方にはまだ、護るべき者が残っているでしょ」

 護るべき者?

「大切にしている妹が……ッ!」

「……ッ」

 そう……だった。
 俺は復讐にばかり囚われてしまうあまり一番大切な存在を見過ごしていた。
 楓花は、どんな姿になろうと俺にとってたった一人の肉親であり、かけがえのない妹だ。
 例え余命幾許かの生い先短い人生だとしても、俺が理由でそれを奪っていい道理は無い。

「ようやく良い右眼その気になったわね。いいわそれ……凄く魅力的よ。それでこそ、わたくしが見込んだだけのことはあるわ」

「……おれ、は……なにを……すれば……」

 ミーアは片方の人指し指で俺の口を軽く塞ぎ、血で汚れることも躊躇わずにもう片方の手で左眼の在った箇所を優しく抑える。伝わる彼女の体温ねつが心地よく、心なしか痛みが和らいでいくように感じる。

「よく聞きなさい。これは契約。今この場で力を授ける代わりに失った左眼に悪魔の呪いを施す。生かすも殺すも貴方次第。当然呪いはイチルの運命を大きく侵食し、結果として残酷な結末が待ち構えているかもしれない。知らなくても良かった真実を見ることになるかもしれない。それでもこの力を欲するというのなら……」

 口上を待たずして俺は顔に触れている彼女の手を強く握り返す。
 妹の存在を思い出したその時から、もう覚悟は決まっていた。

「いい……ぜ、悪魔だろうが、神だろうが、俺の…全部、ミーアにくれてやる……」
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