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#04 嬌飾の仮面【ストレガドッグ】
第32話
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ある程度の状況把握が済み、体育座りの膝へ顔を埋めた。
今日一日、何もかもが思い通りにならず、そして今尚絶望のどん底に突き落とされている。
「数年前と同じだ」
ポツリと吐露した心情、あぁそうだ。妙な既視感は妹と母親を失った時と同じ臭いがするからだろう。この鼻に付く嫌な感情は黯然銷魂の臭いだ。
逆らうことの敵わない運命という名の濁流は、足掻こうとする勇気すらも嘲笑う。
もういっそのこと、何もかも見捨てて他の連中と同じように逃げてしまおうか。
疲れ切った肢体を投げ出してそんなことを考えてみる。
たぶん三十分もあれば十キロ以上は逃げることができるだろうな。
『六階位様、組織より指令が入りました』
「警視総監からの直々のご依頼ってこと?」
クリシスの言葉に皮肉で返してみた。
ニヒルな口調にはどこか八つ当たりのようなものも入り混じっている。
『ご名答。流石です六階位《へクス》様』
嫌味が通じないどころか、あろうことか主人以上の皮肉を返されてしまう。
本当に今日は何もかもが思い通りにいかないな……
溜息吐く間も無く頭の中でコール音が鳴り響いた。毎度の如く正式な指令ってことらしい。たっぷり三度ほど息を吐いてから呼び掛けに応じる。
「……こちら、コールナンバー六階位」
『やるべきことは判っているね。六階位』
電話に出たのは小綺麗にまとめたような声音の優男からだ。
ホストめいた薄情な思いやりと、感情無く障害を処理するサイコパスの二面性を併せ持つその男からの言葉へ、呆れたよう俺は苦笑を漏らす。
「それ、俺の口から言わせる気ですか?白夜さん」
『全警察からたった一人選ばれた警視総監様から直々の命令だ。『殺せ』。この国に仇なす全てを赦さず、一切の妥協なく屠ることを命ずる……だってさ。じゃ、あとはいつものようにお願いね』
まるで子供の反抗期のような口振りにも、ファンタズマ長官である白夜は寛容な態度で咳払いする。たったそれだけの動作で電話の向こうの人物は、子供が一切口答えできない雰囲気を作り上げてしまう。
「……ちょっと待ってくれ」
指令だけ告げて消え去ろうとした白夜を呼び止める。
『どうしたの?これ以上は無駄に時間を浪費するだけだけど?』
「そうだな。けれど大事な話しだ」
『何だい、それは?』
「今回の仕事の報酬についてだ」
『……何を言っているんだい?』
嘲り嗤う気配が耳元で木霊する。
自分でも正気を疑うようなまさかの話しに、白夜自身も怒りも呆れも通りこしてしまったらしい。
『数日の学院生活で何があったかは知らないけど、何か自分の立場を勘違いしていないかい?君の命の価値はもう我々の、そして私のものであってそれ以上でもそれ以外でもない。どれだけ金を積もうとも君の妹が治ることは無いし、当初の契約以上の報酬も払うつもりはない、だから────』
「おい、てめぇの方こそなに勘違いしてやがる?俺が欲しいのは金じゃねえよ。それにこの状況の中で立場が分かっていねーのはそっちだろーがよ」
『なに?』
妹のことを引き合いに出されて感情の制御が効かず、おまけに勝手な尺度で俺の器を測られたことに怒りを覚え、普段なら絶対にしない白夜の言葉へ食い気味に噛み付いた。もともと虫の居所が悪かったのだ、反撃の狼煙がてら全力で反論させてもらおうじゃないか。
「よく考えてみろ、今回の事件の顛末、その操舵を握っているのは誰だ?少なくともアンタじゃない」
「…………それで?」
「当然、警視総監でも、ましてや双賀グレイでもない。全員生還させて奇跡で終わらすのも、半径十キロの生物が消失させる悪夢となるのも、全てこの俺が担っている。俺の意志一つでどうとでもできる。つまりアンタは上司でありながら部下の俺に嘆願するしかない。それ以外やれることは無い」
『驕るな、貴様の代わりなど他に幾らでも居る』
「だったらそっちで連れてくるんだな。俺以外のコールナンバーで動ける者をな」
外国から渡日してくる国際テロリストの抹殺、国家代表クラスの要人警護などに比べれば、たかが数百人程度の事件に駆り出せるようなメンバーは居ない。
警察の代わりに軍隊を揃えるのにも時間が足りない。
あと縋れるのは都合の良い英雄だけ。
だけど、現実でそんなものを宛にする連中はいない。
折れろ、折れてくれ……。
隊入してから初めての反論への興奮と焦燥が入り混じる感情が、心拍数を加速させる。
初めて悪いことをした時のような子供の感覚に近い。
悪いこと、悪いことか……
そう言えばいつだっけかなぁ、親に内緒で家を飛び出してそれから……何かとてつもなく悪いことをしたような気がするけど、どうしてかそれの詳細を思い出すことが出来ない。
ボンヤリと浮かんでは繋がらない記憶の断片。
思い出せそうで思い出せないもどかしい情景には、誰かへ手を差し伸べる自身の姿だけが残されていた。
「…………分かった。今回は君の言葉にのってやる」
願いが通じたのか、長い沈黙の末にようやく長官が折れてくれた。
思わず張り詰めていたものを吐き出しかけたが、こちらの腹の内を知られないようにグッと堪える。
「ただし任務に失敗した場合は覚悟しろ、貴様の所持する全ての権利を剥奪されると思え」
「了解」
声音が弾みかける。
今日一日の中で初めて、運命の風向きが変わった気がした。
「それで、君が今回の件で求める報酬は何だい?」
「俺が求めるもの、それは────」
◇ ◇ ◇
吹き抜け下の噴水周辺へと集められた人質達。
彼らを照らす光を除いてショッピングモールは夜の帳を下ろしている。
皆の恐怖を管理するのは無数の兵士達。
歯向かうものを容赦無く射殺し、トリガーを引くこと以外の感情を排除したその様に、騒ぎを起こそうとする愚か者は居ない。
ましてや、スマホ等の通信機器を奪われて情報遮断していたこともあって、彼ら自身あと三十分の命だという事実を知る者は居なかった。
勿論────この場を支配したと思い込んでいる兵士達も同様に。
『『マエストロ』から『G7』へ、そっちの状況を伝えろ』
数年は遊んで暮らせるくらい破格の金額で双賀グレイに雇われたテロリストもとい傭兵は、見回りに出た仲間へと無線を飛ばす。
しかし、返事は帰ってこない。
それもこれで三人目だった。
『Damn it、どこで油売ってやがるんだアイツらは?もういい、俺が探しに行く』
痺れを切らして通信が途切れた五階の服飾店へ。
明かりの落ちた店舗に、人型を模したトルソーが不気味な無表情で突っ立っている。
概ねいつもみたいに面白いものでも見つけて遊んでいるか、隠れて捕まえた女とヤっているか。全く戦闘しか脳ミソが無い部下を管理するのは大変だな。
溜息を吐きながら店舗の中へ、普段は客で賑わっているであろうこの場所も、今は寂れたように冷たい空気だけしか残されていなかった。
「おい、ここに居るのはわかってんだぞ『G7』さっさと────」
突然、頭上背後から忍び寄る何かに気づき、咄嗟に前転しようと身体を傾けた。
が、しかし、逃げようとした首元へ透明な糸のようなものが巻き付く。
「く……ッ」
キリキリと食い込むワイヤーのように硬質で絹糸のように軟性を兼ね備えたものがキリキリと首を絞めていく。酸欠で薄れた視界の端には、泡拭いて絶命している部下達が転がっていた。
つまり三人は抵抗しようとして勝てなかった。そう判断して男は首元の糸から手を離し、懐の銃を握る。首の骨が圧し折られるよりも先、糸の伸びる方向目掛けて乱射。
ピンッ────と張りつめていた糸が途切れ、何とか身体の自由と酸素を勝ち取る。
『なんだ!?』
『銃声だ』
嘔吐く喉を抑えながら部下達の無線が頭の中で鳴り響く。
何とか生き残った、そう安堵する身体に今度は鮮烈な衝撃が襲う。
「ぐはっ……!」
店舗外の照明元へ叩き出される。まるでTKO寸前のボクサーだ。リングロープのように寄りかかったのは、階下の人質達の様子が鮮明に映るガラス壁だった。
「────」
満身創痍の身体目掛け、店舗から白い何かが飛び出してくる。
まるで死神、いや……これが『双賀』の言っていた例の────
「お前が魔戌か……ッ!」
今日一日、何もかもが思い通りにならず、そして今尚絶望のどん底に突き落とされている。
「数年前と同じだ」
ポツリと吐露した心情、あぁそうだ。妙な既視感は妹と母親を失った時と同じ臭いがするからだろう。この鼻に付く嫌な感情は黯然銷魂の臭いだ。
逆らうことの敵わない運命という名の濁流は、足掻こうとする勇気すらも嘲笑う。
もういっそのこと、何もかも見捨てて他の連中と同じように逃げてしまおうか。
疲れ切った肢体を投げ出してそんなことを考えてみる。
たぶん三十分もあれば十キロ以上は逃げることができるだろうな。
『六階位様、組織より指令が入りました』
「警視総監からの直々のご依頼ってこと?」
クリシスの言葉に皮肉で返してみた。
ニヒルな口調にはどこか八つ当たりのようなものも入り混じっている。
『ご名答。流石です六階位《へクス》様』
嫌味が通じないどころか、あろうことか主人以上の皮肉を返されてしまう。
本当に今日は何もかもが思い通りにいかないな……
溜息吐く間も無く頭の中でコール音が鳴り響いた。毎度の如く正式な指令ってことらしい。たっぷり三度ほど息を吐いてから呼び掛けに応じる。
「……こちら、コールナンバー六階位」
『やるべきことは判っているね。六階位』
電話に出たのは小綺麗にまとめたような声音の優男からだ。
ホストめいた薄情な思いやりと、感情無く障害を処理するサイコパスの二面性を併せ持つその男からの言葉へ、呆れたよう俺は苦笑を漏らす。
「それ、俺の口から言わせる気ですか?白夜さん」
『全警察からたった一人選ばれた警視総監様から直々の命令だ。『殺せ』。この国に仇なす全てを赦さず、一切の妥協なく屠ることを命ずる……だってさ。じゃ、あとはいつものようにお願いね』
まるで子供の反抗期のような口振りにも、ファンタズマ長官である白夜は寛容な態度で咳払いする。たったそれだけの動作で電話の向こうの人物は、子供が一切口答えできない雰囲気を作り上げてしまう。
「……ちょっと待ってくれ」
指令だけ告げて消え去ろうとした白夜を呼び止める。
『どうしたの?これ以上は無駄に時間を浪費するだけだけど?』
「そうだな。けれど大事な話しだ」
『何だい、それは?』
「今回の仕事の報酬についてだ」
『……何を言っているんだい?』
嘲り嗤う気配が耳元で木霊する。
自分でも正気を疑うようなまさかの話しに、白夜自身も怒りも呆れも通りこしてしまったらしい。
『数日の学院生活で何があったかは知らないけど、何か自分の立場を勘違いしていないかい?君の命の価値はもう我々の、そして私のものであってそれ以上でもそれ以外でもない。どれだけ金を積もうとも君の妹が治ることは無いし、当初の契約以上の報酬も払うつもりはない、だから────』
「おい、てめぇの方こそなに勘違いしてやがる?俺が欲しいのは金じゃねえよ。それにこの状況の中で立場が分かっていねーのはそっちだろーがよ」
『なに?』
妹のことを引き合いに出されて感情の制御が効かず、おまけに勝手な尺度で俺の器を測られたことに怒りを覚え、普段なら絶対にしない白夜の言葉へ食い気味に噛み付いた。もともと虫の居所が悪かったのだ、反撃の狼煙がてら全力で反論させてもらおうじゃないか。
「よく考えてみろ、今回の事件の顛末、その操舵を握っているのは誰だ?少なくともアンタじゃない」
「…………それで?」
「当然、警視総監でも、ましてや双賀グレイでもない。全員生還させて奇跡で終わらすのも、半径十キロの生物が消失させる悪夢となるのも、全てこの俺が担っている。俺の意志一つでどうとでもできる。つまりアンタは上司でありながら部下の俺に嘆願するしかない。それ以外やれることは無い」
『驕るな、貴様の代わりなど他に幾らでも居る』
「だったらそっちで連れてくるんだな。俺以外のコールナンバーで動ける者をな」
外国から渡日してくる国際テロリストの抹殺、国家代表クラスの要人警護などに比べれば、たかが数百人程度の事件に駆り出せるようなメンバーは居ない。
警察の代わりに軍隊を揃えるのにも時間が足りない。
あと縋れるのは都合の良い英雄だけ。
だけど、現実でそんなものを宛にする連中はいない。
折れろ、折れてくれ……。
隊入してから初めての反論への興奮と焦燥が入り混じる感情が、心拍数を加速させる。
初めて悪いことをした時のような子供の感覚に近い。
悪いこと、悪いことか……
そう言えばいつだっけかなぁ、親に内緒で家を飛び出してそれから……何かとてつもなく悪いことをしたような気がするけど、どうしてかそれの詳細を思い出すことが出来ない。
ボンヤリと浮かんでは繋がらない記憶の断片。
思い出せそうで思い出せないもどかしい情景には、誰かへ手を差し伸べる自身の姿だけが残されていた。
「…………分かった。今回は君の言葉にのってやる」
願いが通じたのか、長い沈黙の末にようやく長官が折れてくれた。
思わず張り詰めていたものを吐き出しかけたが、こちらの腹の内を知られないようにグッと堪える。
「ただし任務に失敗した場合は覚悟しろ、貴様の所持する全ての権利を剥奪されると思え」
「了解」
声音が弾みかける。
今日一日の中で初めて、運命の風向きが変わった気がした。
「それで、君が今回の件で求める報酬は何だい?」
「俺が求めるもの、それは────」
◇ ◇ ◇
吹き抜け下の噴水周辺へと集められた人質達。
彼らを照らす光を除いてショッピングモールは夜の帳を下ろしている。
皆の恐怖を管理するのは無数の兵士達。
歯向かうものを容赦無く射殺し、トリガーを引くこと以外の感情を排除したその様に、騒ぎを起こそうとする愚か者は居ない。
ましてや、スマホ等の通信機器を奪われて情報遮断していたこともあって、彼ら自身あと三十分の命だという事実を知る者は居なかった。
勿論────この場を支配したと思い込んでいる兵士達も同様に。
『『マエストロ』から『G7』へ、そっちの状況を伝えろ』
数年は遊んで暮らせるくらい破格の金額で双賀グレイに雇われたテロリストもとい傭兵は、見回りに出た仲間へと無線を飛ばす。
しかし、返事は帰ってこない。
それもこれで三人目だった。
『Damn it、どこで油売ってやがるんだアイツらは?もういい、俺が探しに行く』
痺れを切らして通信が途切れた五階の服飾店へ。
明かりの落ちた店舗に、人型を模したトルソーが不気味な無表情で突っ立っている。
概ねいつもみたいに面白いものでも見つけて遊んでいるか、隠れて捕まえた女とヤっているか。全く戦闘しか脳ミソが無い部下を管理するのは大変だな。
溜息を吐きながら店舗の中へ、普段は客で賑わっているであろうこの場所も、今は寂れたように冷たい空気だけしか残されていなかった。
「おい、ここに居るのはわかってんだぞ『G7』さっさと────」
突然、頭上背後から忍び寄る何かに気づき、咄嗟に前転しようと身体を傾けた。
が、しかし、逃げようとした首元へ透明な糸のようなものが巻き付く。
「く……ッ」
キリキリと食い込むワイヤーのように硬質で絹糸のように軟性を兼ね備えたものがキリキリと首を絞めていく。酸欠で薄れた視界の端には、泡拭いて絶命している部下達が転がっていた。
つまり三人は抵抗しようとして勝てなかった。そう判断して男は首元の糸から手を離し、懐の銃を握る。首の骨が圧し折られるよりも先、糸の伸びる方向目掛けて乱射。
ピンッ────と張りつめていた糸が途切れ、何とか身体の自由と酸素を勝ち取る。
『なんだ!?』
『銃声だ』
嘔吐く喉を抑えながら部下達の無線が頭の中で鳴り響く。
何とか生き残った、そう安堵する身体に今度は鮮烈な衝撃が襲う。
「ぐはっ……!」
店舗外の照明元へ叩き出される。まるでTKO寸前のボクサーだ。リングロープのように寄りかかったのは、階下の人質達の様子が鮮明に映るガラス壁だった。
「────」
満身創痍の身体目掛け、店舗から白い何かが飛び出してくる。
まるで死神、いや……これが『双賀』の言っていた例の────
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