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#01 交差する運命線【クロスレンジ】

第5話

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「────おーい外部編入生、もうホームルーム終わったぞ」

「……んっ……」

 野太い手に揺り起こされて数時間ぶりに頭を起こす。
 午前中の入学式と昼食後のHRを終え、初日のカリキュラムは終わりだ。
 講義室の一番後ろの窓側席に着いた俺は、そのほとんどを適当に寝て過ごしていたのだが、大欠伸と伸びをしながら見た窓の外には黄昏の陽が堕ちようとしていた。

「って、誰だっけ、アンタ?」

「オイオイ、今日一日隣で一緒に授業受けてたってのにそりゃないぜ」

 起こしてきた隣の男は大袈裟に両手を広げて見せる。
 黒髪を短く狩り揃えた清潔感のある好青年、服の上からでも盛り上がって見える肉体は、相当鍛えていることを雄弁に語っているようだ。

「俺は伊嶋佑聖いしまゆうせいって、さっきこの一ー三クラスの自己紹介時に話しただろ?」

「あぁ、確かそんなこと言ってた気がする……俺は────」

「狛戌一縷だろ?さっき聞いたよ。外部編入生ってのも回りくどいから、呼び方はイチルでいいのか?」

「うん、よろしく。いし、ま……?」

「何だか締まらない呼び方だな……」

 ボヤきながら無造作に後頭部をかいている伊嶋だったが、新しい友達ができたと思っているその表情は少しだけ嬉しそうだった。

「そんなんだから柳教授がずっと、お前の態度に『不良がうちのクラスに……』ってずっと涙目だったんぞ?」

「やなぎ?、誰だっけそれ?」

「誰ってウチのクラスの担任だよ!お前さては入学式が終わった後から今の今までずっと寝てやがったな?そんな態度だとすぐ教授達の噂になって面倒なことになるぞ?」

「……もう充分、入学式の朝から面倒ごとに巻き込まれてるよ」

 ぼやくようにそう告げると、なにか得心したように伊嶋が「あっ!」と声を上げた。

「それってまさか、ミーア・獅子峰・ラグナージを倒した奴がいるっていう純潔の黒獅子ブラックエンプレス撃退事件の話しのことか!?」

 ブラックエンプレスその名を聞いて全身に身震いが走る。
 幸いなことにあの腹黒幼女(いま考えた)はこのクラスではなかったことで油断していたが、らしくもなくあから様に感情を露わにしてしまった。そのことを否定しようと試みるも、それより先に周囲のクラスメイト達の視線が一斉にこっちを振り向いた……気がした。
 まるで、口にしてはならない禁忌タブーにでも触れた人物を見るように。
 村八分のような危機感を覚えた俺は、咄嗟に伊嶋の口を塞ぎ込んだ。

「伊嶋、いいか静かに答えろ」

 小柄な俺にビクともせず押さえつけられている事に目を丸くしながらも、伊嶋はこくこくと黙って頷いた。

「よし、そのミーアなんちゃらっていうのは一体どんな奴だ?」

「『ミーア・獅子峰・ラグナージ』な。この学院で知らないのはお前くらいだぞ?長年魔学の探求と研鑽を積み重ねている名家『獅子峰家』と『ラグナージ家』とのご令嬢にして、中等部元生徒会長、全国模試一位や変動の激しい魔学闘争ミスティックタクティクスランクにおいても一桁台を常にキープしている才色兼備。その実力から純潔の黒獅子ブラックエンプレスって二つ名が付いているくらいだ。で、そんな天才様と今朝決闘紛いのいざこざを起こして撃退した外部編入生ベンダーがいるらしいって。それが純潔の黒獅子ブラックエンプレス撃退事件。もう学院中の話題になってるぜ」

「マジか……」

 ただの金持ち程度にしか思っていなかったが、今朝俺が退治した相手はこの学院内で教授を除けば最も敵対してはならないヤバイ奴だったらしい。オマケに俺はそれを撃退してしまった……ことになっている。
 言い逃れできないレベルの失態に思わず額を抑えてしまう。っていうか、幼女体型アレで同学年なのかよ。

「イチル、やっぱその撃退した学院生って────」

「……人違いです」

「でも今年の編入生ベンダーは確か一人しかいないはずだけど?」

「うぐ……」

 いとも容易く論破されてしまい押し黙る俺。
 学院歴十年目の伊嶋からすれば、今日編入したばかりの俺の知識なんてひよっこ同然だろう。

「まぁ何でもいいじゃねえか、別に悪いことしたわけじゃないんだからよ!」

 しかし伊嶋いしまはこちらの気持ちを汲んでくれたらしく、快活な破願と共にガシガシとこちらの肩を叩いて見せた。
 ズカズカと人のパーソナルエリアに踏み込んでくる姿勢は一見するとやや不愉快だが、それを一切感じさせない態度と人柄は伊嶋いしまが持つ一種の才能なのだろう。真似しようと思ってできる芸当ではない。久しく見た裏表を読む必要のない性格に、思わずちょっとだけ口元を緩めてしまいそうになったのも思い違いじゃないのだろう。

「なぁイチル、気分転換がてらこのあとクラスの連中と遊びに行くんだけどよ。学校近くのショッピングモール、ほら、最近『魔結晶』が展示されてるとこ」

「それってあれか、最近流行りの次世代型エネルギーとして注目されているあのキラキラした鉱物見たいなの奴のことか?」

「そうそう、ニュースでもよく話題になっているだろ?みんなでどんなものか見に行くって話しになってるんだ。良かったらお前も来ないか?」

 通常魔力は肉眼で捉えることはできない。術者が魔力の質を上げることで濃縮された際に初めて認識みることができるのだ。もちろん、濃縮できる質や量もその術者次第で千差万別。一概に魔力とはこういう形状をしていると表現することは難しい。
 が、しかし、近年この魔力が自然界で形となったものが発見された。それこそが『魔結晶』であり、その魔力質量は人が成せるものの数千倍の濃度と言われている。まともに触れれば魔力を逆に吸い取られて一瞬でお陀仏といった危険物であることから一般公開はされないのが通例だが、最近見つかったそれを近くのショッピングモールに期間限定で展示しているとか。その美しさを一目見ようと見物客は後を絶たない、というのをさっきクラスの誰かが話しているのを耳にした。
 それにしても、友人に誘われるなんて何年ぶりだろうか。
 思わず頷きかけたところで、あることを思い出してハッと現実に引き戻される。

「折角だが、学院の後に仕事があるんだ」

「仕事?バイトか何かか?」

「んー、まぁそんなとこ。学費面でちょっとね」

 都立クロノス学院の学費は馬鹿みたいに高い。
 俺のような何の実績もない編入生にとって、学院以外の時間は少しでも多く稼いで負担を軽減しておく必要がある。

「そっか。じゃあしょうがねぇな」

 少々残念そうに表情を曇らせたものの、伊嶋はそれ以上引き留めることなく「また明日な」とその場を後にしようとする。

「おーい、ゆうぅぅぅせぇぇぇぇいいい!」

 そんな空気を読んでくれた彼に向って突然、前の席から講義室のガヤに敗けない少女の声が近づいてくる。
 幼い体型と元気いっぱいな女児を思わせる両手開き走り。それに合わせて茶髪のボブカットがゆさゆさと揺れる。そして、一番特徴的だったのは

「おぅ、どした?」

 背後から抱き着かれた伊嶋はその少女の頭をガシガシと撫でる。
 まるで子供をあやしているお父さんのような風景だ。
 父さん、か。
 一度も会ったことない俺が言うのもおかしな話だけど、何となく二人の姿はそんな親子のような関係に見えていた。

「遊び行くの提案した張本人が来ないってみんな待ってるです!早く行くです!」

「分かったからそんな引っ張るな、それよりもお前、ちゃんとイチルに挨拶しろ」

「いちる?あっ────」

 大はしゃぎだった少女がビクンッと跳ね上がる。
 どうやら俺の存在に気づいていなかったらしい。

「あ、あわ、ああ……」

「?」

 さっきまでとはうって変わってド緊張した様子で口をもごつかせる少女。最後はその場の空気に耐えられなくなって伊嶋の影へと隠れてしまう。

「お、おい………たくっ、悪いなイチル、こいつ極度の人見知りでよ」

 呆れる伊嶋の背後が安全と見做したらしく、人見知りの少女は袖の影からこちらをじっと見つめている。
 試しに視線を逸らしてみると、その動きに連動して少女は身を乗り出してくる。
 どうやら興味はあるらしい。

 くいっ、
 ささ!
 くいっ、
 ささ!
 ……くいっ

「はわっ?!」

 ワンテンポ振り向くタイミングをずらしたらばっちり顔が合ってしまい大慌てでまた隠れてしまう。
 ちょっと意地悪し過ぎたかな?

「その亜人種アニマーリか?」

「……え?」

 話しかけれらたことに驚きつつもゆっくりと姿を見せる少女。
 側頭部に備わったドーナツ型のくま耳が、俺の話しに興味津々とばかりにぴょこぴょこお辞儀をしていた。

「やっぱそうか。俺の身内にも居るんだ。だから警戒しなくていいよ」

 亜人種アニマーリ
 極まれに生まれる特殊な魔力を持つ者が成るとされる人種。その姿は人間をベースに他種族の部位が合わさったものが多いとされている。言い伝えではご先祖の生まれ変わりとされているが詳しいメカニズムは未だ解明されていない。

「イチル、お前も亜人種アニマーリだったのか?」

「いいや、化けい────祖母が亜人種アニマーリなだけだ。だから耳とか尻尾は付いてないから、そうやって不用意に触ろうとすんじゃねぇ」

 無造作に俺の頭に手を置こうとした伊嶋の手をパシパシ払う。
 亜人種アニマーリは何かしらの潜在能力を秘めた優秀な存在だが、その稀有な見た目に差別を受けることもある。たぶんこの子も俺がそうなんじゃないかと警戒していたのだろう。
 だが同族と知ってか少しだけ警戒心が和らいだらしく、恐る恐る伊嶋の影から顔を覗かせる。

「……リアなのです。星熊ほしぐまアリア……」

 何度か勢いを付けてようやくアリアことリアは、か細い声ながら自己紹介をしてくれた。

「俺は狛戌一縷だ。まぁよろしくな」

 軽い挨拶と試しに手を差し出してみたが、ささっと再び隠れてしまう。
 これは慣れるまで結構時間が掛かりそうだな……

「たくっ、飛び級とはいえ同じ学年なんだからしゃんとしろ」

「飛び級?年齢が違うのか?」

 腰をガッチリ掴まれたままの伊嶋が無理矢理リアを俺の前へと差し出そうとするが、彼女は器用にそのデカい図体を這いまわり、その死角から出てこようとしない。

「そうだよ、こいつは俺達の一個下で有名な魔刀匠グラムレフォルマの孫娘なんだ」

「ま、まだまだ見習いなのです、でも、仲良くしてくれたら嬉しい、です」

 ちょうど黄昏に照らされたぎこちない笑顔は彼女なりの精一杯の誠意。
 嫌な気など起こるはずも無く、珍しく素直に頷いて見せた。
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