上 下
42 / 61
第四幕【シシリューア共和国】

4-13【影(1)】

しおりを挟む
 エスティラが気分転換を終えたのは、日も傾きかけたところだった。

 ひとしきり弄ばれ、疲れ果てた表情のアデーレがエスティラの部屋まで付き添う。
 部屋の前では、ロベルトが二人を出迎えていた。

「それじゃあ、私はしばらく部屋で休むわ。夕食の準備が出来たら呼んで頂戴」
「かしこまりました」

 ロベルトに一通りの指示を出すと、エスティラは一人自室へと戻っていく。
 扉が閉められたところで、アデーレは心労を紛らわすように小さくため息をついた。

「お疲れ様です」

 うなだれるアデーレに、ロベルトが労いの言葉をかける。

「いえ、私も少しだけ胸のつかえが下りたので」

 悩みを振り切った。そう言いたげな笑顔をアデーレは浮かべていた。

 二人きりでのひと時は、エスティラとどう接すればいいか悩むアデーレにとって、それを解くきっかけとなった。
 故郷に魔獣の危機を呼び込んだことに納得したわけではないのかも知れない。
 だが、少なくともアデーレの中で、エスティラを守るという決意を固めることは出来た。

 そのことを、アデーレ自身が強く望んでいる。
 今は、それをはっきりと断言することができるだろう。

「そうですか……」

 事情を知るロベルトは、長い間エスティラを不憫に思っていたのだろう。
 晴れやかな様子のアデーレを見て、どことなく嬉しそうな表情を浮かべていた。

「それでは、私は書類仕事がありますので。アデーレさんは給仕の準備を進めておいてください」
「分かりました。準備が出来たら、ロベルトさんに知らせればいいんですね」

 「よろしくお願いします」と言い、ロベルトがうなずく。
 合わせてアデーレは一礼すると、早歩きで食堂の方へと向かう。

 夕食までは、残り一時間半といったところだろうか。
 テーブルの準備や、食器類の用意。やることはたくさんある。
 他の使用人が準備を始めているかもしれないが、それでも主人の食事というのはあらゆる面で時間がかかるものだ。

「んっ?」

 二階と三階の間に設けられた踊場に降りたアデーレ。
 彼女の前に、小柄な女性使用人が一人で立っていた。

 制服からして、掃除などの雑用を担当する使用人だ。
 しかしその様子はどこかおかしく、焦点の合わないうつろな瞳で、踊り場の窓から中庭を眺めているようだった。
 彼女の見るほうへ視線を向けるアデーレ。
 転生前にテレビで見かけた西欧風の東屋や、噴水に生垣。
 日和りのいい時ならばティータイムにも使われるそこは、夕日が建物により遮られているために薄暗く、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。

 だが、特に目を惹くようなものは存在しない。
 隣に立つ使用人が何を見ているのか。アデーレは気になり、その使用人の方へと向き直る。

「あ、ちょっと……」

 彼女の姿は隣になく、辺りを見渡すとおぼつかない足取りで階段を降り、一階へ向かおうといったところだった。

(もしかして、何かの病気かも)

 あんな調子で歩いていたら、転んで怪我をする可能性もある。
 アデーレは早足で彼女の後を追い、呼び止めようと手を伸ばす。

 しかし、アデーレの手が肩に触れようとしたその瞬間、先ほどとは違う確かな足取りで、勢いよく階段を駆け下りていく。

「ちょっと待って!」

 思わず声を荒げ、アデーレも走り出す。
 しかし使用人の脚は想像以上に早く、一階に降りた彼女はそのまま中庭へ続く扉へと向かい、開け放つ。
 彼女の姿が扉の向こうに消えるのを確認したアデーレは、急いで中庭の方へと向かう。

 薄暗い中庭の光景が視界に広がる。
 使用人の姿は、先ほど二階から見えた東屋の中にあった。
 後姿しか伺えないが、立ち止まって一点を見上げているようにも見える。

「ねぇ、どうしたの? 大丈夫?」

 様子のおかしい使用人に注意しつつ、ゆっくりと近寄っていくアデーレ。
 徐々に大きくなるその後ろ姿に、動く気配はない。

「ええっと……そこに、何かあるの?」

 既に手を伸ばせば届くくらいのところまで歩み寄ってきた。
 アデーレはゆっくりと、再び使用人の肩に手を伸ばす。

 恐る恐る伸ばした指先が、エプロンの肩ひもに触れる。
 そのまましっかりと肩を掴み、使用人をこちらへ振り返らせる。

「……えっ、アデーレさん? どうしました?」

 うつろだった使用人の目には、既に光が戻っていた。
 まるで自分の方が驚かされたかのように、目を丸くしながらアデーレの顔を見つめる使用人。

「どうしたのって、なんだか様子がおかしかったから……」

 何事もないことを確認し、胸を撫で下ろすアデーレ。

 ……だが、異変は彼女の背後で起きていた。

 使用人の背後には中庭……。
 そう、そこには中庭があるはずなのだ。
 なのに、アデーレの目の前には、夜闇すら生ぬるい漆黒が中庭を覆い尽くしていたのだ。

 警戒心が伝わり、全身がこわばるアデーレ。
 そのまま引き倒すように使用人を自分の方に寄せ、背後に回らせる。
 急なアデーレの接近に、使用人はほのかに頬を赤らめる。

「邪魔をするか。小娘」

 ……闇の方から、しゃがれた声が響いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

ようこそ、悲劇のヒロインへ

一宮 沙耶
大衆娯楽
女性にとっては普通の毎日のことでも、男性にとっては知らないことばかりかも。 そんな世界を覗いてみてください。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

父が死んだのでようやく邪魔な女とその息子を処分できる

兎屋亀吉
恋愛
伯爵家の当主だった父が亡くなりました。これでようやく、父の愛妾として我が物顔で屋敷内をうろつくばい菌のような女とその息子を処分することができます。父が死ねば息子が当主になれるとでも思ったのかもしれませんが、父がいなくなった今となっては思う通りになることなど何一つありませんよ。今まで父の威を借りてさんざんいびってくれた仕返しといきましょうか。根に持つタイプの陰険女主人公。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...