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第四幕【シシリューア共和国】
4-13【影(1)】
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エスティラが気分転換を終えたのは、日も傾きかけたところだった。
ひとしきり弄ばれ、疲れ果てた表情のアデーレがエスティラの部屋まで付き添う。
部屋の前では、ロベルトが二人を出迎えていた。
「それじゃあ、私はしばらく部屋で休むわ。夕食の準備が出来たら呼んで頂戴」
「かしこまりました」
ロベルトに一通りの指示を出すと、エスティラは一人自室へと戻っていく。
扉が閉められたところで、アデーレは心労を紛らわすように小さくため息をついた。
「お疲れ様です」
うなだれるアデーレに、ロベルトが労いの言葉をかける。
「いえ、私も少しだけ胸のつかえが下りたので」
悩みを振り切った。そう言いたげな笑顔をアデーレは浮かべていた。
二人きりでのひと時は、エスティラとどう接すればいいか悩むアデーレにとって、それを解くきっかけとなった。
故郷に魔獣の危機を呼び込んだことに納得したわけではないのかも知れない。
だが、少なくともアデーレの中で、エスティラを守るという決意を固めることは出来た。
そのことを、アデーレ自身が強く望んでいる。
今は、それをはっきりと断言することができるだろう。
「そうですか……」
事情を知るロベルトは、長い間エスティラを不憫に思っていたのだろう。
晴れやかな様子のアデーレを見て、どことなく嬉しそうな表情を浮かべていた。
「それでは、私は書類仕事がありますので。アデーレさんは給仕の準備を進めておいてください」
「分かりました。準備が出来たら、ロベルトさんに知らせればいいんですね」
「よろしくお願いします」と言い、ロベルトがうなずく。
合わせてアデーレは一礼すると、早歩きで食堂の方へと向かう。
夕食までは、残り一時間半といったところだろうか。
テーブルの準備や、食器類の用意。やることはたくさんある。
他の使用人が準備を始めているかもしれないが、それでも主人の食事というのはあらゆる面で時間がかかるものだ。
「んっ?」
二階と三階の間に設けられた踊場に降りたアデーレ。
彼女の前に、小柄な女性使用人が一人で立っていた。
制服からして、掃除などの雑用を担当する使用人だ。
しかしその様子はどこかおかしく、焦点の合わないうつろな瞳で、踊り場の窓から中庭を眺めているようだった。
彼女の見るほうへ視線を向けるアデーレ。
転生前にテレビで見かけた西欧風の東屋や、噴水に生垣。
日和りのいい時ならばティータイムにも使われるそこは、夕日が建物により遮られているために薄暗く、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。
だが、特に目を惹くようなものは存在しない。
隣に立つ使用人が何を見ているのか。アデーレは気になり、その使用人の方へと向き直る。
「あ、ちょっと……」
彼女の姿は隣になく、辺りを見渡すとおぼつかない足取りで階段を降り、一階へ向かおうといったところだった。
(もしかして、何かの病気かも)
あんな調子で歩いていたら、転んで怪我をする可能性もある。
アデーレは早足で彼女の後を追い、呼び止めようと手を伸ばす。
しかし、アデーレの手が肩に触れようとしたその瞬間、先ほどとは違う確かな足取りで、勢いよく階段を駆け下りていく。
「ちょっと待って!」
思わず声を荒げ、アデーレも走り出す。
しかし使用人の脚は想像以上に早く、一階に降りた彼女はそのまま中庭へ続く扉へと向かい、開け放つ。
彼女の姿が扉の向こうに消えるのを確認したアデーレは、急いで中庭の方へと向かう。
薄暗い中庭の光景が視界に広がる。
使用人の姿は、先ほど二階から見えた東屋の中にあった。
後姿しか伺えないが、立ち止まって一点を見上げているようにも見える。
「ねぇ、どうしたの? 大丈夫?」
様子のおかしい使用人に注意しつつ、ゆっくりと近寄っていくアデーレ。
徐々に大きくなるその後ろ姿に、動く気配はない。
「ええっと……そこに、何かあるの?」
既に手を伸ばせば届くくらいのところまで歩み寄ってきた。
アデーレはゆっくりと、再び使用人の肩に手を伸ばす。
恐る恐る伸ばした指先が、エプロンの肩ひもに触れる。
そのまましっかりと肩を掴み、使用人をこちらへ振り返らせる。
「……えっ、アデーレさん? どうしました?」
うつろだった使用人の目には、既に光が戻っていた。
まるで自分の方が驚かされたかのように、目を丸くしながらアデーレの顔を見つめる使用人。
「どうしたのって、なんだか様子がおかしかったから……」
何事もないことを確認し、胸を撫で下ろすアデーレ。
……だが、異変は彼女の背後で起きていた。
使用人の背後には中庭……。
そう、そこには中庭があるはずなのだ。
なのに、アデーレの目の前には、夜闇すら生ぬるい漆黒が中庭を覆い尽くしていたのだ。
警戒心が伝わり、全身がこわばるアデーレ。
そのまま引き倒すように使用人を自分の方に寄せ、背後に回らせる。
急なアデーレの接近に、使用人はほのかに頬を赤らめる。
「邪魔をするか。小娘」
……闇の方から、しゃがれた声が響いた。
ひとしきり弄ばれ、疲れ果てた表情のアデーレがエスティラの部屋まで付き添う。
部屋の前では、ロベルトが二人を出迎えていた。
「それじゃあ、私はしばらく部屋で休むわ。夕食の準備が出来たら呼んで頂戴」
「かしこまりました」
ロベルトに一通りの指示を出すと、エスティラは一人自室へと戻っていく。
扉が閉められたところで、アデーレは心労を紛らわすように小さくため息をついた。
「お疲れ様です」
うなだれるアデーレに、ロベルトが労いの言葉をかける。
「いえ、私も少しだけ胸のつかえが下りたので」
悩みを振り切った。そう言いたげな笑顔をアデーレは浮かべていた。
二人きりでのひと時は、エスティラとどう接すればいいか悩むアデーレにとって、それを解くきっかけとなった。
故郷に魔獣の危機を呼び込んだことに納得したわけではないのかも知れない。
だが、少なくともアデーレの中で、エスティラを守るという決意を固めることは出来た。
そのことを、アデーレ自身が強く望んでいる。
今は、それをはっきりと断言することができるだろう。
「そうですか……」
事情を知るロベルトは、長い間エスティラを不憫に思っていたのだろう。
晴れやかな様子のアデーレを見て、どことなく嬉しそうな表情を浮かべていた。
「それでは、私は書類仕事がありますので。アデーレさんは給仕の準備を進めておいてください」
「分かりました。準備が出来たら、ロベルトさんに知らせればいいんですね」
「よろしくお願いします」と言い、ロベルトがうなずく。
合わせてアデーレは一礼すると、早歩きで食堂の方へと向かう。
夕食までは、残り一時間半といったところだろうか。
テーブルの準備や、食器類の用意。やることはたくさんある。
他の使用人が準備を始めているかもしれないが、それでも主人の食事というのはあらゆる面で時間がかかるものだ。
「んっ?」
二階と三階の間に設けられた踊場に降りたアデーレ。
彼女の前に、小柄な女性使用人が一人で立っていた。
制服からして、掃除などの雑用を担当する使用人だ。
しかしその様子はどこかおかしく、焦点の合わないうつろな瞳で、踊り場の窓から中庭を眺めているようだった。
彼女の見るほうへ視線を向けるアデーレ。
転生前にテレビで見かけた西欧風の東屋や、噴水に生垣。
日和りのいい時ならばティータイムにも使われるそこは、夕日が建物により遮られているために薄暗く、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。
だが、特に目を惹くようなものは存在しない。
隣に立つ使用人が何を見ているのか。アデーレは気になり、その使用人の方へと向き直る。
「あ、ちょっと……」
彼女の姿は隣になく、辺りを見渡すとおぼつかない足取りで階段を降り、一階へ向かおうといったところだった。
(もしかして、何かの病気かも)
あんな調子で歩いていたら、転んで怪我をする可能性もある。
アデーレは早足で彼女の後を追い、呼び止めようと手を伸ばす。
しかし、アデーレの手が肩に触れようとしたその瞬間、先ほどとは違う確かな足取りで、勢いよく階段を駆け下りていく。
「ちょっと待って!」
思わず声を荒げ、アデーレも走り出す。
しかし使用人の脚は想像以上に早く、一階に降りた彼女はそのまま中庭へ続く扉へと向かい、開け放つ。
彼女の姿が扉の向こうに消えるのを確認したアデーレは、急いで中庭の方へと向かう。
薄暗い中庭の光景が視界に広がる。
使用人の姿は、先ほど二階から見えた東屋の中にあった。
後姿しか伺えないが、立ち止まって一点を見上げているようにも見える。
「ねぇ、どうしたの? 大丈夫?」
様子のおかしい使用人に注意しつつ、ゆっくりと近寄っていくアデーレ。
徐々に大きくなるその後ろ姿に、動く気配はない。
「ええっと……そこに、何かあるの?」
既に手を伸ばせば届くくらいのところまで歩み寄ってきた。
アデーレはゆっくりと、再び使用人の肩に手を伸ばす。
恐る恐る伸ばした指先が、エプロンの肩ひもに触れる。
そのまましっかりと肩を掴み、使用人をこちらへ振り返らせる。
「……えっ、アデーレさん? どうしました?」
うつろだった使用人の目には、既に光が戻っていた。
まるで自分の方が驚かされたかのように、目を丸くしながらアデーレの顔を見つめる使用人。
「どうしたのって、なんだか様子がおかしかったから……」
何事もないことを確認し、胸を撫で下ろすアデーレ。
……だが、異変は彼女の背後で起きていた。
使用人の背後には中庭……。
そう、そこには中庭があるはずなのだ。
なのに、アデーレの目の前には、夜闇すら生ぬるい漆黒が中庭を覆い尽くしていたのだ。
警戒心が伝わり、全身がこわばるアデーレ。
そのまま引き倒すように使用人を自分の方に寄せ、背後に回らせる。
急なアデーレの接近に、使用人はほのかに頬を赤らめる。
「邪魔をするか。小娘」
……闇の方から、しゃがれた声が響いた。
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