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第四幕【シシリューア共和国】

4-12【アデーレとエスティラ(3)】

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 屋敷の前庭には、広い芝生の他に観賞用の植物で彩られた庭園が存在する。
 花壇や生垣、二メートルほどはあろうかという蔦のアーチ。
 それらを眺めながら歩くことのできる石畳の通路を、エスティラがアデーレを引き連れて歩いている。

 アデーレはこの辺りに来たことがないため、文字通り貴族の庭園といった様相を呈するこの場所を、素直に美しいと感じていた。

「はぁ……」

 対するエスティラは、気分転換のはずなのにどこか浮かない顔だ。

 アデーレからすれば、エスティラには嫌われているという印象の方が強い。
 それなのに、何かと彼女はアデーレをあちこちに連れ回したがる。
 自分をこき使いたいという理由はあるのだろうが、好かない相手を気分転換にまで連れて行くのは少々違和感がある。

 こんな表情を見せるくらいなら、嫌っている相手を連れてくる必要はないのではないか。
 そんなことを思いながら、エスティラの後姿を見つめていた。

「ねぇ、アンタって今何歳よ?」

 突然振り返ったエスティラが、アデーレを見上げながら訪ねてくる。

「今年で十六になりましたが」
「……一つ上か」

 舌打ちの後、不服そうにつぶやくエスティラ。
 アデーレが年上と知り、敗北感でもあったのだろうか。

「ま、まぁ、所詮は一つ上だしね。うんうん」

 腕組みをしながら、自分を納得させるかのようにうなずく。
 その姿がどこか微笑ましくも思えてしまい、アデーレの口元がほんの少しだけ緩む。

 こういった微妙な変化を、エスティラは見逃さないのだ。

「こら、笑うな! 言っとくけど、年上だからってこの私が手心を加えるとは思わないことねっ」
「それは承知の上ですが……」

 年齢が多少離れていようが、貴族を敬うのは当然のことだ。
 それにアデーレは、アメリアのように長い間献身的に寄り添ってきたわけではない。
 あくまで雇用主と使用人。その程度の間柄なのだ。

 そんなことを考えていると、アデーレの眼前にエスティラの不満げな顔がいっぱいに広がる。

「アンタって、ホント物怖じしないわよね」
「そ、そんなことはありませんけど」

 現に今、少々怖気づいている。
 そんなことを考えていると、こちらを向いたままのエスティラが数歩後退する。

「何言ってんのよ。まずアンタ、お世辞とか全然言わないでしょ」

 そんなことはないと再び言おうとするも、考えてみれば世辞の類はあまり言ってなかったことに気付く。
 やはり元は二十一世紀、日本生まれの若者だ。
 身分の格差というものに対する実感があまりなく、そういった相手を敬う感情に乏しいのだろうか。

 とはいえ、使用人という仕事を続けていれば、アデーレも主人に対して相応の対応はしてきたつもりだった。
 あくまで、つもりという範囲だが。

「そういうの、あんまり好きじゃないから構わないけど……」

 世辞もなければ愛想もそれほど良くない。
 すぐに苦笑いを浮かべるし、どことなく舐めた態度を取ることもある。
 そんなアデーレを、エスティラは相変わらず不満げに睨みつけている。

 だが、明るい日差しの下で見る彼女からは、不思議と嫌悪感を向けられている気はしなかった。

「そういえば聞いたことなかったけど、そんなアンタが何でうちのメイドになったのよ?」
「えっ?」
「何よ、その間抜けな顔は。アンタみたいなのがメイドを始めるとか、変に思うに決まってるじゃない」

 それを言われたら、アデーレも納得せざるを得ない。
 使用人の仕事に向いてない人柄だというのは、自分自身が一番よく分かっているのだから。

 しかし、わざわざ嘘をついて誤魔化す必要もない話だ。

「今年は畑が不作だから、仕事を探してたらメリナさんに誘われて」
「そういえば、人手が足りないからって探してたわね、あの子」

 腕組みをするエスティラは、納得した様子で頷いている。
 そこで、アデーレは少し踏み込んだ話をしてみようと思いつく。

「はい。急な移住だったと聞いて」

 理由自体は、ロベルトとの会話で知っている。
 しかし、アデーレはエスティラの口から直接、今回の移住についての考えを知りたいと思ったのだ。

 自分が狙われているからという、隠すべき事情を話すことはないだろう。
 それでも彼女が何を思い、そして何を背負ってこの島に赴いたのか。
 その片鱗だけでも知りたかったのだ。ロントゥーサ島の住人として。

「急な移住、ね……」

 そうつぶやくエスティラの表情は、どこか憂いを帯びているように感じられた。
 命を狙われている極限状態から来る悲壮か、家族と離れて暮らすという孤独か。
 少なくとも、納得した上での移住とは言い難い。そんな表情だった。

 しかし、すぐにいつも通りの自信にあふれた不敵な笑みを浮かべる。

「まっ、バルダート家の長女ともなれば、そういうこともあるってことよ」
「はぁ……」
「って、だからそういう反応が癪に障るって言ってるのよ!」

 エスティラのひんやりとした両手がアデーレの頬に当てられ、そのまま顔をもみくちゃにしてくる。
 アデーレの整った顔は蹂躙され、面白い顔に変えられていく。

「お、お嬢様、やめてくだひゃい」
「うっさい。私より年上だしでかいし、色々とむかつくのよっ」

 アデーレを弄ぶエスティラが笑う。

「そんな無茶苦茶な……」
「諦めなさい。どんな事情があろうとも、今のアンタは私のメイドなんだから」
「こ、これは使用人の仕事じゃないかと」
「私を楽しませるのも立派な仕事よ!」

 ひとしきりもみくちゃにされた後、エスティラがアデーレの顔を解放する。
 アデーレが自然と自分の頬に手を伸ばす。
 痛みはなかったが、顔面マッサージというには乱暴なものだった。

 勝ち誇った表情を浮かべるエスティラが、再びアデーレの顔を覗き込んでくる。

「どう、少しは顔の筋肉もやわらかくなったんじゃない?」
「そ、そんな固いつもりもありませんが……」
「そう思うなら、もっとうまく笑えるようになりなさいよ」

 笑うエスティラを見て、ふとアデーレは思う。
 先ほどまでの憂鬱な様子だったエスティラが、自分をからかうことでこんなにも笑ってみせている。
 気分転換に連れて来た理由というのは、そういうことだったのだろうか。

 思えば、素性を知られる前のエスティラは、常にどこか不機嫌そうな様子を見せていた。
 今ならそれが、自分が狙われているという過度のストレスに晒されながらも、親元を離れる選択をした故のことだったのだろうと察することは出来る。

 そんな彼女が、アデーレを相手にしているときは色々な表情を見せている。
 それがどのような感情から来るものなのか、それは分からない。
 しかし、アデーレは思う。

(それなりに、必要にされているのかな。私も)

 出会いは最悪。
 世辞もなければ愛想もそれほど良くない。
 すぐに苦笑いを浮かべるし、どことなく舐めた態度を取ることもある。
 そんなアデーレが、エスティラにとってはある意味特別な存在なのかもしれない。

 そしてアデーレにとっても、明かせぬ事情を背負ってロントゥーサ島に来た彼女は、特別な存在と言えるのではないだろうか。

(……今は、守ることだけを考える。それでいいのかな)

 不可抗力とはいえ、分かっていながら故郷に危機をもたらした。
 今はそのことを胸にしまい、彼女が気に入るヴェスティリアとして、全力で守り切る。

 憎らしくも愛らしい。そんなエスティラを前に、アデーレはほんの少しだけ決意を固める。
 自分にとって。そしてエスティラにとっても、少しは良い未来が訪れると信じて。
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