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第四幕【シシリューア共和国】
4-9【故郷を思うのは誰なのか】
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皆が寝静まった頃。
アデーレは一人、月を眺めていた。
屋敷の一番高い屋根の上に腰を下ろし、欠けた月をぼんやりと見上げる。
夏場の夜風は心地よく、複雑な胸中をわずかになだめてくれるようだった。
「人間というのは、悩み多き存在だよね」
傍らに置かれたアンロックンが、静かに語り掛けてくる。
きっと、アデーレが抱える苦悩も、お得意の神様の力でお見通しだろう。
そんな何でも知っているという態度が、アデーレにはほんの少しだけ腹立たしく感じられた。
「ロックンは知ってたの?」
「魔女のことかい? 召喚者が島にいるとは思っていたけれど、国の事情が絡んでいるとは知らなかったよ」
「神様のくせに?」
「神様が何でもお見通しっていうのは、人間の勝手な想像だよ」
ケタケタと笑うように、金属音を響かせるアンロックン。
「僕らはね、依り代からしかこの世界を知ることができない。自分を祭る教会や礼拝堂、聖遺物。そしてこの錠前のようにね」
「空の上から何でもお見通し……じゃないと?」
そういうことと、アンロックンが笑う。
「だから、こっちが助けてほしい時に助けてくれない訳だ」
世の不条理の原理を理解し、乾いた笑い声をあげるアデーレ。
頭の中に浮かぶのは、夢半ばで命を落としたあの光景。
あのような不条理ですら、神は手を差し伸べてはくれなかった。
それだけではない。幼少期のネグレクトやいじめ。自分ではどうしようもなかった、あらゆる不幸。
助けを求められていることに神が気が付いていないのならば、助けがないのは当然のことだ。
そして、そんな神に比べたら、よほど自分の助けになってくれているのがこの錠前だった。
「……前世の記憶を取り戻してから、自分がこの世界の人間だって意識が薄れることがあるの」
「それは仕方ないことだよ。記憶を取り戻した転生者は、その違和感と一生付き合わないといけないものだ」
「一生、か……」
笑えない話だと、アデーレがため息をつく。
「ロベルトさんと話していた時、無性に腹が立った」
会話中の自分を思い出す。
言葉の端々に、魔獣の危機を持ち込んだバルダート家の者に対する怒りがにじみ出てしまったこと。
「自分でも驚いた。まだ日本人としての気持ちが抜けきっていないと思ってたのに、この島がとばっちりを受けてたと知って、こんなに腹が立つなんて」
「記憶を取り戻すまではロントゥーサ島の島民として育ったんだから、当然だよ」
「そうかな……そうかもしれない。だけどさ……」
自分の手のひらをじっと見つめる。
「本当に、今の私はアデーレを上書きして生まれた別人みたいな……そういうものじゃないんだよね?」
「それは保障する。君は間違いなくアデーレ・サウダーテとして生まれ変わっただけだよ」
元々存在した赤の他人を犠牲にして、転生した存在ではない。
神様が言うのなら、間違いはないのだろう。
しかし、それでも故郷の危機に憤る自分を、冷静に観察するもう一人の自分がいるような感覚が付きまとう。
その違和感が、どうしようもなく気持ち悪く思えた。
「お嬢様に腹を立ててるのがアデーレで、同情しているのが良太……そういう訳じゃないんだ」
怒りも同情も、全て自分自身が抱く感情。
エスティラに対する複雑な感情は、決して自分の特殊な生まれによるものではない。
「どうすればいいんだろうなぁ……」
だとすれば、このまま素直にエスティラに仕える使用人として働き続けることに、耐えることは出来るのだろうか。
自分の故郷に危険をもたらした相手に、素直に付き従えるのか。
そのことが、常に頭の中から離れなかった。
「そう簡単に許せるものではないよね、今回のことは」
「また人の頭の中勝手に……まぁ、そうなんだけど」
「そこは諦めてよ」
今すぐ投げ捨ててやろうかと思いつつ、アデーレがアンロックンを手に取る。
月明かりに晒しながら見るその姿は、銀色に美しく輝いていた。
「とりあえずさ、今はあのお嬢様を魔女を倒すために利用していると割り切るのが正解だと思うよ」
「それは……」
「同情してしまう気持ちが邪魔するのは分かるよ」
俯くアデーレに、アンロックンは言葉を続ける。
「でもね、お嬢様が覚悟の上で家族から離れた場所に移住したのなら、あえてその覚悟を利用することも、お嬢様の為になると思うよ」
その言葉で、アデーレは一つの疑問が残されていたことに気が付く。
ロベルトの話では、最終的にロントゥーサ島へ移住することを決めたのは、エスティラ自身の意志だったという。
自分を守ってくれる者の少ないロントゥーサ島へ赴くのは、自身の身を危険にさらすことに他ならない。
むしろエスティラの行動は、自身を囮にしているようにも見える。
なぜ、エスティラは自らの危険を顧みず、ロントゥーサ島へ移住してきたのか。
アンロックンは、それを彼女の覚悟だと考えているようだ。
もしその通りならば、魔女が姿を現すことをむしろ望んでいるのではとも考えられる。
「君の言うヒーローらしくないのかも知れないけれど、現状を利用することだけを考えようよ」
「そうすれば、早く島の安全を取り戻すことができる、か」
「そうそう。分かってるじゃないか、アデーレ」
「そういう訳じゃないけど……はぁ」
ため息をつきつつ、屋根の上に横たわるアデーレ。
アンロックンを持つ腕を掲げ、三日月にかざす。
「……守るべき相手を選ぶのも、ヒーローらしくないよなぁ」
自らの力の源を見つめつつ、今の自分が普通の人間ではないことを改めて思い起こす。
火竜の巫女、ヴェスティリア。
与えられた力で人々を守り、島の平和を取り戻す。
それだけは、決して違えることののない自らに与えられた使命だ。
今更ながら、面倒なものを押し付けられたと苦笑を浮かべるアデーレ。
しかし、勝手に与えられたその力が、自分の悩みを解決する唯一の手段なのだ。
「ほら、明日も仕事があるんだろう。早く寝たほうがいい」
「……うん」
アデーレが体を起こし、屋根の上に立つ。
もう一度月を見上げた後、その場から一気に飛び降りる。
地面へと落ちる直前、アンロックンから一瞬放たれた赤いオーラによって落下速度を減速させ、ゆっくりと着地する。
「ホント便利だよね」
「そこはほら、これでも神様だから」
「それもそっか」
アンロックンの軽口に、アデーレは笑顔で答えた。
実に頼りがいのある、相棒である。
アデーレは一人、月を眺めていた。
屋敷の一番高い屋根の上に腰を下ろし、欠けた月をぼんやりと見上げる。
夏場の夜風は心地よく、複雑な胸中をわずかになだめてくれるようだった。
「人間というのは、悩み多き存在だよね」
傍らに置かれたアンロックンが、静かに語り掛けてくる。
きっと、アデーレが抱える苦悩も、お得意の神様の力でお見通しだろう。
そんな何でも知っているという態度が、アデーレにはほんの少しだけ腹立たしく感じられた。
「ロックンは知ってたの?」
「魔女のことかい? 召喚者が島にいるとは思っていたけれど、国の事情が絡んでいるとは知らなかったよ」
「神様のくせに?」
「神様が何でもお見通しっていうのは、人間の勝手な想像だよ」
ケタケタと笑うように、金属音を響かせるアンロックン。
「僕らはね、依り代からしかこの世界を知ることができない。自分を祭る教会や礼拝堂、聖遺物。そしてこの錠前のようにね」
「空の上から何でもお見通し……じゃないと?」
そういうことと、アンロックンが笑う。
「だから、こっちが助けてほしい時に助けてくれない訳だ」
世の不条理の原理を理解し、乾いた笑い声をあげるアデーレ。
頭の中に浮かぶのは、夢半ばで命を落としたあの光景。
あのような不条理ですら、神は手を差し伸べてはくれなかった。
それだけではない。幼少期のネグレクトやいじめ。自分ではどうしようもなかった、あらゆる不幸。
助けを求められていることに神が気が付いていないのならば、助けがないのは当然のことだ。
そして、そんな神に比べたら、よほど自分の助けになってくれているのがこの錠前だった。
「……前世の記憶を取り戻してから、自分がこの世界の人間だって意識が薄れることがあるの」
「それは仕方ないことだよ。記憶を取り戻した転生者は、その違和感と一生付き合わないといけないものだ」
「一生、か……」
笑えない話だと、アデーレがため息をつく。
「ロベルトさんと話していた時、無性に腹が立った」
会話中の自分を思い出す。
言葉の端々に、魔獣の危機を持ち込んだバルダート家の者に対する怒りがにじみ出てしまったこと。
「自分でも驚いた。まだ日本人としての気持ちが抜けきっていないと思ってたのに、この島がとばっちりを受けてたと知って、こんなに腹が立つなんて」
「記憶を取り戻すまではロントゥーサ島の島民として育ったんだから、当然だよ」
「そうかな……そうかもしれない。だけどさ……」
自分の手のひらをじっと見つめる。
「本当に、今の私はアデーレを上書きして生まれた別人みたいな……そういうものじゃないんだよね?」
「それは保障する。君は間違いなくアデーレ・サウダーテとして生まれ変わっただけだよ」
元々存在した赤の他人を犠牲にして、転生した存在ではない。
神様が言うのなら、間違いはないのだろう。
しかし、それでも故郷の危機に憤る自分を、冷静に観察するもう一人の自分がいるような感覚が付きまとう。
その違和感が、どうしようもなく気持ち悪く思えた。
「お嬢様に腹を立ててるのがアデーレで、同情しているのが良太……そういう訳じゃないんだ」
怒りも同情も、全て自分自身が抱く感情。
エスティラに対する複雑な感情は、決して自分の特殊な生まれによるものではない。
「どうすればいいんだろうなぁ……」
だとすれば、このまま素直にエスティラに仕える使用人として働き続けることに、耐えることは出来るのだろうか。
自分の故郷に危険をもたらした相手に、素直に付き従えるのか。
そのことが、常に頭の中から離れなかった。
「そう簡単に許せるものではないよね、今回のことは」
「また人の頭の中勝手に……まぁ、そうなんだけど」
「そこは諦めてよ」
今すぐ投げ捨ててやろうかと思いつつ、アデーレがアンロックンを手に取る。
月明かりに晒しながら見るその姿は、銀色に美しく輝いていた。
「とりあえずさ、今はあのお嬢様を魔女を倒すために利用していると割り切るのが正解だと思うよ」
「それは……」
「同情してしまう気持ちが邪魔するのは分かるよ」
俯くアデーレに、アンロックンは言葉を続ける。
「でもね、お嬢様が覚悟の上で家族から離れた場所に移住したのなら、あえてその覚悟を利用することも、お嬢様の為になると思うよ」
その言葉で、アデーレは一つの疑問が残されていたことに気が付く。
ロベルトの話では、最終的にロントゥーサ島へ移住することを決めたのは、エスティラ自身の意志だったという。
自分を守ってくれる者の少ないロントゥーサ島へ赴くのは、自身の身を危険にさらすことに他ならない。
むしろエスティラの行動は、自身を囮にしているようにも見える。
なぜ、エスティラは自らの危険を顧みず、ロントゥーサ島へ移住してきたのか。
アンロックンは、それを彼女の覚悟だと考えているようだ。
もしその通りならば、魔女が姿を現すことをむしろ望んでいるのではとも考えられる。
「君の言うヒーローらしくないのかも知れないけれど、現状を利用することだけを考えようよ」
「そうすれば、早く島の安全を取り戻すことができる、か」
「そうそう。分かってるじゃないか、アデーレ」
「そういう訳じゃないけど……はぁ」
ため息をつきつつ、屋根の上に横たわるアデーレ。
アンロックンを持つ腕を掲げ、三日月にかざす。
「……守るべき相手を選ぶのも、ヒーローらしくないよなぁ」
自らの力の源を見つめつつ、今の自分が普通の人間ではないことを改めて思い起こす。
火竜の巫女、ヴェスティリア。
与えられた力で人々を守り、島の平和を取り戻す。
それだけは、決して違えることののない自らに与えられた使命だ。
今更ながら、面倒なものを押し付けられたと苦笑を浮かべるアデーレ。
しかし、勝手に与えられたその力が、自分の悩みを解決する唯一の手段なのだ。
「ほら、明日も仕事があるんだろう。早く寝たほうがいい」
「……うん」
アデーレが体を起こし、屋根の上に立つ。
もう一度月を見上げた後、その場から一気に飛び降りる。
地面へと落ちる直前、アンロックンから一瞬放たれた赤いオーラによって落下速度を減速させ、ゆっくりと着地する。
「ホント便利だよね」
「そこはほら、これでも神様だから」
「それもそっか」
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