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第5章:魔法学園 入学騒乱編
第160話 『その日、成長を望んだ』
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『999年4月1日』
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
世界で一番美しく、人を惹きつける魅力と愛らしい容姿を持ち、最高峰の魔法の腕前がありながら、未だに成長途中という凄まじい潜在能力を持ち合わせた至高の御方。そしてその途方もない力を持った弊害か、不安定な心にも悩まされている、若き我が主。
シラユキお嬢様。
今日に至るまで、やむを得ない事情を除けば、片時も離れず側で見守ってきました。おはようからおやすみまで。
……いえ、おやすみからおはようまでも!
しかし、今日から魔法学園を中心とした生活が始まってしまいました。
この学園を拠点とし、魔法知識を振舞い世界を住みやすく改革していくのが、お嬢様の崇高なる目的。であるならば、私も全力で応援したい。……と言いたいところなのですが、お嬢様とほんの数時間でもお会い出来なくなるのは、非常に心苦しいです。胸が張り裂けそう。
寂しいという気持ちは勿論ありますが、それよりもお嬢様が心配でなりません。お嬢様は不安定な心をお持ちですから、寂しい思いをするとすぐにでも泣いてしまう可能性があります。
ソフィア様が近くで見守っていて下さるとは言え、不安はやはり消えません。
……であるならば、ここは『ローグ』のスキルを駆使して、お嬢様の事を遠くからでも見守ることにしましょう。
◇◇◇◇◇◇◇◇
お嬢様はやはり、輝いておられでした。
お嬢様の代表挨拶をされる姿は大変美しく、その晴れ姿を網膜に焼き付けるため、瞬きも惜しみました。お渡しした挨拶の内容を一字一句間違う事なく語り終えたお嬢様のお姿に、涙を禁じ得ません。
そんな時でした。
ふとイタズラを思いついた時のような可愛らしい笑顔の後に、お嬢様らしい盛大な爆弾を投下しました。
概要の方は、陛下とお嬢様の話し合いを聞いておりましたので、私は良かったのですが……。突然聞かされたソフィア様はたまったものではないでしょう。困惑されているご様子。
お母様やリリがこの場にいたら、どのような……。いえ、考えるまでもありませんでしたね。
そして騒めきは勿論、貴族だけには留まりませんでした。既に学園内で食い物とされていた少ない平民達は、お嬢様に期待の目を向けています。そして私の近くにいるご同業……。メイドや執事達もまた、様々な感情をお嬢様に向けておりました。
弱い立場の貴族であればあるほど、悪さを働く上位者達の、格好の標的にされやすいもの。そして彼ら彼女達は、率先して主人を守るべき立場にいます。お嬢様の活躍によっては、主人が危ない目に遭う可能性が少しでも減る可能性がある。なればこそ、期待せずにはいられないのでしょう。
一悶着ありましたが、無事に入学式が終わり教室へと向かいます。
それぞれの主人が教室へと向かうのを見送った私達も、専用に用意された教室へと向かいます。
学園内で直接主人の世話をするメイドや執事には、それ相応の学が求められます。時には戦いの素養も。
若い見習い達は、共に学ぶことを許され、同じ学生として入学をするようですが、ある程度の歳を取った者や、既に1度卒業を済ませた者は、皆こちら側に回されるのです。
そして主人と同じく、入学時や進学時の成績を元にクラス分けがされ、生徒よりは少ないですが魔法科1年だけでも従者のクラスは全部で3つもあるようです。
こちらはSがなく、A、B、Cの3つのようです。当然私はA。
お嬢様に恥をかかせるわけにはいきませんので、両方本気で挑ませていただきました。座学は450点、魔法実技も720万点ほどを頂戴しました。
魔法実技に関して、お嬢様には遠く及ばない数字ではありますが、ソフィア様やココナ様の倍以上の差をつけられましたので、個人的には満足です。お2人には負けていられません。
年季としても、お嬢様と過ごした時間も、愛情も関係も、何もかもです。
流石にこの点数は、座学に関しては学生を差し置いて1位。魔法実技に至っても2位という事もあってか、成績発表のボードには乗らなかったようです。
無用なトラブルは避けれて良かったですが、お嬢様は不満げでしたね。
不満げに顔を膨れさせるお嬢様の愛らしさと言ったら……。はあ、たまりません。
「あの、アリシア様……」
「リージェさん?」
「体調が悪いのではと、心配になったのです。その、鼻血が……」
あっ。
これは、お嬢様の愛くるしい顔を思い浮かべてしまった時によく出てしまうモノですね。お母様にも時折ご心配をかけてしまっていますが、お嬢様にはバレていないはず。
思い出し鼻血は、主にお嬢様のいないところで行っていますから。
「いえ、大丈夫です。ご心配をおかけしました。……『浄化』」
鏡を見ながら、自身にこっそりと『浄化』をかけ綺麗にする。本当にこの魔法は、私が汚れと認識したものが綺麗さっぱり無くなるので重宝しますね。
「お嬢様にはどうかご内密にお願いします」
「は、はい。勿論です。ですがどうか、ご無理はなさらないでくださいね」
「ええ。大事な身体があってこそ、主人の世話が出来るのですから」
隣に座るメイド、リージェさん。彼女はお嬢様のクラスメイトであり、その秘密を知る数少ない貴族の1人、アリエンヌ嬢の世話役を務める方でした。もう1人の側役、ダンという名の従者と違い、年齢の関係でこちらに回されたご様子。
彼女は、主人よりも一回り年齢が上の様ですし、仕方がありませんね。
試験の時に少しお話しをさせていただく機会があり、その時彼女から、私のファンである事を伺いました。あの時は私の事を、生きた伝説であるかのように熱く語られておりました。
なんでも、私が今までに仕えたことのある貴族の家名を、すべて暗唱できるのだとか。
私は特殊奴隷という枠で奴隷商に登録はしていましたが、メイドギルドとも連携は取っていました。特級の資格を持つメイドは貴重な人材でもある為、行動履歴はメイドギルドに報告され、登録が必須となっています。その上私は、それを誰にでも見られるよう開示していましたからね。
誰でも知り得る情報ですので、彼女が知っていてもおかしくはないのですが、暗唱となると……。
その膨大な数を思えば、驚きが勝ちますね。
それに、過去の自分を思うと少し恥ずかしくもあります。
手当たり次第に貴族の家へとスパイのように潜入しては、将来有望そうな御子息御息女に唾をつける。
中々に暴走していましたね。
お嬢様に惚れ込み、落ち着いた今だからこそわかりますが、あまりに節操がなかったように思えます。今後、二度とそういう事は起こり得ませんが、反省しなければ。
『ガラッ』
決意を新たにしていると、専任の教師と思われる方が入ってこられました。……見たことのある人物ですね。
確か、A級の執事資格を持つ男でしたか。
「お待たせしました。さて、皆さんには、改めて学園の授業形態を説明する必要はないでしょう。ですので、主人のお世話をする上で必要となる事を、簡潔にご説明をします」
その男は、今月の授業の範囲とその予定表。それから寮の部屋の鍵を配られました。
……おや? 魔法の授業が初週は無いのですね。
「通常授業に関しては、皆さんは学生の様に授業を受ける必要はありません。ですが授業自体はしっかり行いますので、主人の復習の為に知識を詰め込み直すも良し。登校せずに部屋の掃除や買い出しを行うも良し。自由にしていただいて構いませんが、定期試験の際に成績が悪いとクラス変動もあり得ますので、主人に恥をかかさぬ様ご注意を。また、選択授業ですが、これは主人に付き添っていただく形となります。ここまでに何か質問はありますか? ……無いようですね。では、解散」
男の解散宣言とともに、全従者が次の行動へと移り始める。
流石は学園内で一番貴族が力を入れている学科の、従者専用のAクラス。澱みが全く感じられませんね。
さて……。
『鷹の目』、発動。
『聞き耳』、発動。
『鷹の目』は多角的視点から標的を監視し、建物内ですら動きを察知する能力。
『聞き耳』は聴覚を強化し、特定方向からの音を集約する能力。
どちらもお嬢様の状況をつぶさに把握し、呼び出しを受ければすぐさま駆けつける為に必要なスキル。現役の頃からそうでしたが、非常に重宝しております。
……ふむ、お嬢様はどうやらソフィア様と移動される様ですね。遠くから見守る様についていきましょうか。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その後、お嬢様はアリスティア王女殿下をいたく気に入り、妹にした上で全力で可愛がられました。お嬢様にかかれば、忌み子と同等の扱いを受けていた王女殿下でさえ、トラウマを越えさせられる様です。
流石です、お嬢様。
そしていつもはお食事時にひょっこりと顔を出されるスピカ様ですが、今日はお嬢様の感情に釣られて出てきてしまわれた様です。愛くるしいスピカ様は、お嬢様に似て誰でも魅了してしまう罪なお方ですね。
早速アリスティア様も、リリの友人として連れてこられたアーネスト様も、心を奪われてしまった様子。
しかし、アーネスト様から内緒話をされましたが、お嬢様の非公式ファンクラブですか。中々面白そうなことをしておりますね。
お嬢様を喜ばせる為と言うのであれば、認めます。頑張りなさい。
……え? 妹限定?
お嬢様に甘えるのではなく、甘やかす方だから私はダメ?
お母様はどちらも適性があるから問題なし……?
そ、そんな……。
でしたら『SAK』の発足を!
……え? 『SOO』が本人に公開されるまでは類似のファンクラブ設立を禁止?
学園長の許可も取ってある……?
くっ……!
◇◇◇◇◇◇◇◇
そんなこんなで、お嬢様の周りはとても賑やかでしたが、皆さんが帰ってしまわれると、胸がぽっかりと空いてしまった様で、寂しさを感じさせますね。温もりに敏感なお嬢様であれば、余計に感じてしまった事でしょう。
お風呂に入る時から、非常に距離が近くなり、いつも以上に甘えて来られました。
お嬢様のシミひとつない柔らかい肢体。
鼻孔をくすぐり、心臓を鷲掴みにする芳しい香り。
脳を麻痺させ、愛しさを爆発させるお嬢様の吐息。
押し倒したい衝動に駆らせる小悪魔の様に妖艶な唇に、世界の全てを敵に回しても守りたい、憂いのある瞳。
……その日の晩のことは、恥ずかしながら記憶がありません。
お嬢様に対する愛情が止まらなくなったことだけは、薄っすらと覚えていますが……どこまで致してしまったのでしょうか? 行為自体に忌避感はありませんが、覚えていない事が不甲斐ないです。
目覚めた時にはベッドのシーツがぐちゃぐちゃになっていて、多少の汚れがありましたが……。
「……」
どうやら、致しすぎる事はなかった様ですね。とりあえず汚れは『浄化』で誤魔化しておきましょう。しかし随分と、証拠隠滅が捗る魔法ですね。良いのでしょうか、この様な使い方ばかりして……。
いえ! お嬢様が掃除に使う様にと仰ったのです! 何も間違ってはおりません!
さて。
朝食の準備を整えた後、お嬢様を起こします。
普段ならお声を掛ければすぐに目を覚まされるのですが、今日はなんだかフニャフニャしておられます。……とても可愛らしいですが、それと同時に悔しさも感じます。
翌日に影響が出るほどに、昨晩はお乱れになられたのでしょうか!? お嬢様の事は全て見逃さないのが私の信条なのに、記憶のない自分が憎い……!
しかし、朝の日課に関しては寝ぼけたままでもしっかり対応してくれる様です。舌を絡ませれば、お嬢様もきちんと舌で迎え入れてくれます。いつもなら此処で、お嬢様は攻勢に出られるのですが……。流石に大人しいですね。
であるならば、今日は私が攻めさせていただきましょう。
『じゅるっ』
「んふっ!」
『じゅるるる』
「んんんっ……!」
「ん。……お嬢様の唾液、とても美味でございました」
いつもは吸われる側ですが、たまには吸うのも良いものですね。顔を赤らめ、身悶えするお嬢様を見ていると、少しムラムラして来ます。しかし、今日から本格的な授業が始まりますし、ここは我慢です。
「ありしぁ……」
「んくぅ……!」
トロけてるお嬢様、可愛すぎます!!!
我慢……我慢しなければ……!!
お嬢様へと伸ばしかけた手を必死に抑え、鋼の精神で耐えて見せる。
そうして欲望に必死に耐え、部屋を出ようとする時も、お嬢様はまだ、ぼんやりしておりました。ぼんやりお嬢様、かわ……んんっ!
ともかく、ここから先は危険です。
リビングで鉢合わせたソフィア様にお願いをしましょう。
彼女なら、いい感じに起こしてくれる事でしょう。
◇◇◇◇◇◇◇◇
……そう思っていたのですが。
お嬢様の、元気がない。
いえ、元気ではあるのでしょうか。
覇気がないと言うか、活力が見受けられません。
今までお嬢様が望めば、私もリリもお母様も、出会った様々な人達も。誰1人としてお嬢様を拒む者はおりませんでした。それが今朝、拒まれてしまったのです。
なんという意志の強さでしょうか。いえ、当人としては恥ずかしいからと言うのと、元々持ち合わせていた性格的な部分や、お嬢様との気楽な関係が噛み合い、今回の行動へと繋がったのでしょうが……。
この時ばかりは、拒絶されたお嬢様に対する心配よりも、ソフィア様への驚嘆が勝っておりました。
それはともかくとして、こうなったお嬢様を元気付ける方法が分かりません。
泣かれるならまだ良かった。全力で心から寄り添い、慰めれば良いのですから。
怒るでもまだ良かった。お嬢様は誠実な方です。少し時間が経てば自身の行動を省みて、きちんと反省し、謝罪までして下さいます。私の時のように。
ですが、落ち込まれるとなると……。初めてのパターンです。ですがここは慌てず、すぐに行動出来るよう全力でお嬢様を見守ることにしましょう。
そう考えていると、お嬢様に声をかけるタイミングを逸し、教室に到着してしまいました。
不覚……!
「アリシア様、おはよう御座います」
「おはようございます」
「如何されましたか? 何かご心配ごとでも……」
「いえ、何でもありませんよ」
『鷹の目』、発動。
『聞き耳』、発動。
瞑想をするように視界を閉じ、全力でお嬢様の様子を伺います。すると、なんと言う事でしょう。私、視てしまいました……!
ソフィア様による、怒涛の攻勢をっ!!
この能力では詳細な表情までは読み取れませんが、身体の動きや聞こえてくる音で、対象の感情を読み取ることが可能です。
手を引かれ、人気のないところへと連れて行かれるお嬢様。いつもの自信に満ち溢れているお嬢様と違い、どこか儚げで気弱な、深窓の令嬢であるかのような振る舞い。実にたまりません。庇護欲がそそられます……!
そしてお嬢様を押さえつけ、あろうことか壁ドンをするソフィア様……! なんと言うことでしょう。あのソフィア様がこの様な行動に出るなんて。
昔お世話をした御令嬢が成長した姿が見られると言うのは、各家のメイドを転々とした事で得られた喜びの一つです。この感情はいつ味わってもよい物ですが、今回は格別ですね。
それはそれとして壁ドンですよ壁ドンッ!!
お嬢様は攻めと受けで言えば、出会った当初から攻めっ気が強いお方でしたから、それが好きなのだと思い受けに回っていました。しかし、私が受けに回ることでいくつかお嬢様に対して、やりたくてもやれないシチュエーションというものがありました。壁ドンもその内の1つだったのです。
こちらから攻め立てれば、お嬢様も困惑したり嫌がったりするかと思って考えない様にしていましたが……。声から読み取れる感情だけでも分かります。
お嬢様は、喜んでいる……!
しかもとてつもなくッ!!
あんなに喜んでくださるなら、その喜びの初めては、私でありたかった……!
今朝の事でもそうでしたが、お嬢様は、攻められる事もお好きなのですね。これからは私も積極的に、行動させて頂きます……!!
◇◇◇◇◇◇◇◇
その後のお嬢様は、とてもご機嫌の様でした。
授業中も嬉しそうなお声でソフィア様に甘えておられましたし、昼食中や選択授業でも、いつもの調子を取り戻され常にニコニコされておりました。
王城に向かう時も、私からキスをするととても喜んでくださいましたし、お嬢様はずっと、私にこうして欲しかったのですね……。
王城では、いつも通り陛下に報告をし、ミカエラ様に専用装備を作られたお嬢様でしたが、私には何故か申し訳なさそうな顔をされます。理由を伺えば私よりも良い装備をプレゼントしてしまったから。との事でしたが、心配されているところがズレていますね。
お嬢様が私のことを想って、私のために丹精込めて作ってくださった物がある。それだけで十分嬉しい事なのです。ランクが良いものほど素晴らしいという価値観は理解できますが、性能よりも込められた想いが重要なのです。
そう告げるとお嬢様も納得して下さいました。
今の職業『グランドマスター』に就いてから、初めて作られた装備品が、私のナイフだったと言う事も知れました。その上でミカエラ様を嫉妬するなどしては、バチが当たるというものです。
今後もし、お嬢様に新たな装備を新調されたとしても、このナイフは私にとって1番の宝物であることに変わりはありませんね。そう伝えると、お嬢様は困った様な……。でも、嬉しそうにはにかんでくださいました。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、学園は騒然としておりました。
お嬢様とは交友のない学生達は皆、率先して闘技場へと赴き、教師達でさえ浮き足立ち、従者や親族達は困惑する。一大ハプニングとなりました。
陛下達もこうなるであろう事は予測出来たでしょうに……。学園の対応が、少し後手に回ってることから、対策は取れていなかった事が伺えます。きっと、悪巧みをする事に夢中になっていたのでしょう。仕方のない人達です。
そして約束通り、ミカエラ様達第二騎士団は、闘技場の全防衛を任されていたようです。
あの騎士団の団員達は、お嬢様と少なくない回数は顔を合わせていますし、なんなら全員がお嬢様には返しきれない恩を持っています。
今や貴族女性達の間で話題沸騰の、化粧品の最先端とも言える果実の香油。大貴族でさえ流通量の少なさから手に入れられた人は少ないにも関わらず、彼女達は全員がそれを常備しています。それにより彼女達の貴族女性としての発言力が、グンと増したとか。
そもそも流通源は、今のところお嬢様からだけですし。お嬢様が気に入った友人にしか渡していないので、出回っていないのは当然です。余った少量を、陛下に渡して配らせた程度。
そしてそれらの化粧水は、1つたりとも裏には回っていないそうです。
実に素晴らしい事ですね。
ミカエラ様は、第二騎士団は大恩があるということで自由裁量権をお嬢様に渡されましたが、恐らく香油の1件だけでも、彼女達は力を貸してくれた事でしょう。
先の貴族的立場の向上もそうですが、ミカエラ様が香油を使われたのです。
あの方はご自身の影響力を過小評価している節があります。元からその美貌は凄まじい物でしたが、例の香油パワーでその魅力は跳ね上がりました。
ミカエラ様がこれ以上なく美しくなる事は、団員達にとっては何よりの褒美だったでしょう。
「そんな2人には特別に、もっといい物を見せてあげるわ。アリシアとツヴァイもいらっしゃい」
「「はい」」
そうこう考えているうちに、お嬢様はソフィア様とアリスティア様に、例の武器をお見せする様でした。
あの杖は、見た目だけならとても可愛らしい武器だと思います。いかにもお嬢様が好きそうなデザインで、それを持つお嬢様を見ると、胸がときめきます。
「じゃあ今から、これに魔力を流すわねー」
そうしてお嬢様が、杖に魔力を流し込んだ。
すると同時に、杖から感じる威圧感は、過去に出会った最大級の化け物を彷彿とさせました。そう、お嬢様が激闘の末に討伐した、ピシャーチャの死骸。
死んで間もない奴から放たれるプレッシャーは、数多の修羅場をくぐり抜けた歴戦の私ですら、死を予感させるほどの存在感を持っていました。
リリやお母様も、よく気を失わなかったものです。
流石に、コレは最早ただの武器ですし、手にしているのもお嬢様。そして感じる威圧も奴のものではありますが、勢いは当時の1/10程度。あれほどの恐怖は覚えませんが、初見で恐怖を覚えるのは仕方がありません。
「アリシア。これのランクを聞く覚悟は出来た?」
お嬢様が問いかけてくる。
今まで、気にならなかった訳がない。お嬢様がなす偉大な事の1つ1つに触れていくと、感覚は麻痺してしまうのですが、それでもお嬢様が伝える事を思い止まられたこの杖に関しては、ずっと胸に引っかかっていた。
「はい。出来ております」
ですが、私も成長しているのです。受け止める覚悟はとっくに出来ているのです。たとえそのランクが幾つのものであっても、お嬢様を思う私の気持ちが変わることなどあり得ません。
私やツヴァイ、ソフィア様やアリスティア様の答えに満足されたのか、お嬢様は頷き、口を開く。
「この武器のランクは、16よ」
「その様な武器もお造りになられるとは。流石です、お嬢様」
私は特別意識する事なく、心から思った言葉を、お嬢様にお伝え出来た。
そしてお嬢様は満足そうに微笑んでくださいました。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の午後は、体力測定でした。
お嬢様の体操服姿は、とても愛らしく、抱きしめたい衝動に駆られました。それに飛び散る汗……あれは危険物です。周囲に振り撒く前に、このタオルで全て拭き取って差し上げなくては。
あのお姿のお嬢様はただそこにいるだけでアブナイです。野獣どもがお嬢様のあの姿を見て、平静を保てるとは思えません……!!
幸い、男女は離れた場所で行事を行うみたいですが、油断は出来ません。お嬢様の愛らしい姿を視界に納め、しかとこの瞳に焼き付けつつも、警戒は怠らない様にしなければ……!
ああっ、忙しい……! 体と目と手が足りません!
それにしても、お嬢様の汗を吸い取ったこのタオル……。『浄化』出来るとは到底思えません。何なら、邪魔者として認識したタオルの繊維を狙い撃ちしてしまい、全てが塵に還ってしまうかもしれませんね。
お嬢様の汗を、穢れだなんて思える訳がありません……! 何なら今すぐにでもこのタオルに飛び込んで深呼吸して……!
◇◇◇◇◇◇◇◇
体力測定の後、お嬢様は私とソフィア様、アリスティア様を連れて初心者ダンジョンへとやって参りました。ちなみに鮮血に染まったタオルは『浄化』で綺麗にし、証拠は隠滅しました。やはりこの魔法は便利ですね。
ダンジョンへの潜入は、調合の素材が潤沢に使えない事を先日嘆いておられましたね。決闘が終わるまで大手を振って活動も出来ない為、息抜きのためにやってきたと言う側面もあるかもしれません。
ダンジョンは普通、息抜きに使うものでは無いのですが、『初心者ダンジョン』であれば問題ないのでしょう。フェリス様とモニカ様の2人も、似た様な事をされている様ですし。
後は、お嬢様が仰っていた様にスキルの頭打ちの件もあるのでしょう。レベルが低ければその分、スキルの成長限界値も低いと言う話。魔法の修練をする過程で魔物との戦闘は避けられない為、本来であればスキルが最大値に追いつかれると言う事はないのですが、お嬢様の修練方法は洗練され過ぎています。
従来の数十倍。いえ、下手すれば数百倍の速度で成長する為アリスティア様のような試練すら終えられていない方はすぐにでもその壁にぶつかります。案の定、アリスティア様は私にだけこっそりと、今のままだとこれ以上の成長は望めないという漠然とした感覚があるのだと、愚痴をこぼされていました。
きっと姉であるソフィア様や、魔法を教えて下さったお嬢様には言い出しにくかったのでしょう。
成長限界のことは存じていましたので、解決策があると安心させたのですが……。アリスティア様の事は常々考えられていたのでしょう、それを見越してダンジョンに誘われたに違いありません。
流石です、お嬢様……!
その後は、ソフィア様とアリスティア様のレベル上げのお手伝いをするお嬢様を見ながら、私は調合に使える素材集めを行いました。
お嬢様が言うには、ダンジョンで得られる素材は、ダンジョンの難易度によって品質が変わるそうです。その為、どれだけ丁寧に採取をしようと『初心者ダンジョン』という最下級の場所では、どれだけ良くても『高品質』の物までしか採れないのだそうです。
しかし、少しでも雑に扱えば『普通』品質などになりかねない為、気を抜かずに採取していきましょう。
ダンジョンの地面は、外とは勝手が違う様で魔力を流して解す作業は、少し難易度が高い様です。それに、今はまだスローテンポですが、ソフィア様達の殲滅力が上がれば、その分進行速度も上がることでしょう。
私1人、採取に時間をかけ過ぎて遅れをとるわけにも行きません。素早く確実にこなし、練度の上昇に繋げなければ。
結局、私は1度も戦うことなくダンジョンをクリアしてしまいましたが、かなり充実した時間でした。集中できた事もあってか、土属性魔法は大きく成長出来ました。お嬢様の近接戦闘もこの目で拝めましたし。
……まあ、そこで満足しているとお嬢様から、周回の提案……。いえ、周回の強要が待っていたのですが。
終わった時にはソフィア様とアリスティア様は疲労から動けなくなり、私も表面上は隠せていたと思いますが、内心かなり疲れていました。
真逆にお嬢様は元気いっぱいでしたが。お嬢様が楽しそうで何よりです。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日はお風呂の事もあって少し気恥ずかしい事にもなりましたが、ぐっすりと休み、翌日からの2日間はお嬢様とのデートを堪能しました。1月ぶりに出会うイングリット様もリディエラ様も、お元気そうで何よりでした。
途中、お嬢様を阻むゴミが現れましたが、お嬢様の手を煩わせる事もない、塵芥のような存在でした。
怯えるお嬢様も、演技力が光っていました。あまりに自然すぎて、本当に怯えているようにも感じましたが……。モニカ様、騙されていないでしょうか?
そして、最後に現れたあの男。
理性で抑えてはいましたが、非常に好戦的な男でした。
まるでこちらを品定めをするかの様な、あの視線。それはまだ耐えられる物でしたが、突如興味を失い冷めた目でこちらを一瞥した後、あの男はお嬢様へと視線を向けられました。
……屈辱です。確かにお嬢様は私の何倍も強く美しい。けれど、お嬢様の専属メイドとして、家族として、護衛として。無粋な連中から、実力を見るまでもないと判断されるなど、あってはならないことです。
その後、部屋に帰ると同時にお嬢様は2人への挨拶もそこそこに、私の手を握って部屋へと戻られました。
「お嬢様……」
「うん」
「……あの男は、強いのですね」
「そうね、和国では割と有名な奴よ。まあ実力もあるけど、どちらかと言うと傍迷惑な意味で有名ね」
お嬢様が男の事を認識している。それだけでも、あの男への警戒心は高まりました。
「でも直接の面識はないわ。知ってると思うけど」
「……お嬢様」
「うん」
「私は、相手にするまでもないと、判断されました」
「……そうね」
「それが……悔しいです」
お嬢様は何も言わずに抱きしめてくださいました。
「もっと……。あの男に舐められないくらい、強く、なりたいです」
「……分かったわ。決闘が終われば、すぐにでも修行を始めましょ」
「はい……!」
その日、お嬢様に初めて膝枕をして頂きました。
それはとても心地よく、微睡の中へと沈んでいってしまいそうでした。……お嬢様が膝枕をせがむ理由が、よくわかった気がします。これはとても、幸せを感じますね。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
世界で一番美しく、人を惹きつける魅力と愛らしい容姿を持ち、最高峰の魔法の腕前がありながら、未だに成長途中という凄まじい潜在能力を持ち合わせた至高の御方。そしてその途方もない力を持った弊害か、不安定な心にも悩まされている、若き我が主。
シラユキお嬢様。
今日に至るまで、やむを得ない事情を除けば、片時も離れず側で見守ってきました。おはようからおやすみまで。
……いえ、おやすみからおはようまでも!
しかし、今日から魔法学園を中心とした生活が始まってしまいました。
この学園を拠点とし、魔法知識を振舞い世界を住みやすく改革していくのが、お嬢様の崇高なる目的。であるならば、私も全力で応援したい。……と言いたいところなのですが、お嬢様とほんの数時間でもお会い出来なくなるのは、非常に心苦しいです。胸が張り裂けそう。
寂しいという気持ちは勿論ありますが、それよりもお嬢様が心配でなりません。お嬢様は不安定な心をお持ちですから、寂しい思いをするとすぐにでも泣いてしまう可能性があります。
ソフィア様が近くで見守っていて下さるとは言え、不安はやはり消えません。
……であるならば、ここは『ローグ』のスキルを駆使して、お嬢様の事を遠くからでも見守ることにしましょう。
◇◇◇◇◇◇◇◇
お嬢様はやはり、輝いておられでした。
お嬢様の代表挨拶をされる姿は大変美しく、その晴れ姿を網膜に焼き付けるため、瞬きも惜しみました。お渡しした挨拶の内容を一字一句間違う事なく語り終えたお嬢様のお姿に、涙を禁じ得ません。
そんな時でした。
ふとイタズラを思いついた時のような可愛らしい笑顔の後に、お嬢様らしい盛大な爆弾を投下しました。
概要の方は、陛下とお嬢様の話し合いを聞いておりましたので、私は良かったのですが……。突然聞かされたソフィア様はたまったものではないでしょう。困惑されているご様子。
お母様やリリがこの場にいたら、どのような……。いえ、考えるまでもありませんでしたね。
そして騒めきは勿論、貴族だけには留まりませんでした。既に学園内で食い物とされていた少ない平民達は、お嬢様に期待の目を向けています。そして私の近くにいるご同業……。メイドや執事達もまた、様々な感情をお嬢様に向けておりました。
弱い立場の貴族であればあるほど、悪さを働く上位者達の、格好の標的にされやすいもの。そして彼ら彼女達は、率先して主人を守るべき立場にいます。お嬢様の活躍によっては、主人が危ない目に遭う可能性が少しでも減る可能性がある。なればこそ、期待せずにはいられないのでしょう。
一悶着ありましたが、無事に入学式が終わり教室へと向かいます。
それぞれの主人が教室へと向かうのを見送った私達も、専用に用意された教室へと向かいます。
学園内で直接主人の世話をするメイドや執事には、それ相応の学が求められます。時には戦いの素養も。
若い見習い達は、共に学ぶことを許され、同じ学生として入学をするようですが、ある程度の歳を取った者や、既に1度卒業を済ませた者は、皆こちら側に回されるのです。
そして主人と同じく、入学時や進学時の成績を元にクラス分けがされ、生徒よりは少ないですが魔法科1年だけでも従者のクラスは全部で3つもあるようです。
こちらはSがなく、A、B、Cの3つのようです。当然私はA。
お嬢様に恥をかかせるわけにはいきませんので、両方本気で挑ませていただきました。座学は450点、魔法実技も720万点ほどを頂戴しました。
魔法実技に関して、お嬢様には遠く及ばない数字ではありますが、ソフィア様やココナ様の倍以上の差をつけられましたので、個人的には満足です。お2人には負けていられません。
年季としても、お嬢様と過ごした時間も、愛情も関係も、何もかもです。
流石にこの点数は、座学に関しては学生を差し置いて1位。魔法実技に至っても2位という事もあってか、成績発表のボードには乗らなかったようです。
無用なトラブルは避けれて良かったですが、お嬢様は不満げでしたね。
不満げに顔を膨れさせるお嬢様の愛らしさと言ったら……。はあ、たまりません。
「あの、アリシア様……」
「リージェさん?」
「体調が悪いのではと、心配になったのです。その、鼻血が……」
あっ。
これは、お嬢様の愛くるしい顔を思い浮かべてしまった時によく出てしまうモノですね。お母様にも時折ご心配をかけてしまっていますが、お嬢様にはバレていないはず。
思い出し鼻血は、主にお嬢様のいないところで行っていますから。
「いえ、大丈夫です。ご心配をおかけしました。……『浄化』」
鏡を見ながら、自身にこっそりと『浄化』をかけ綺麗にする。本当にこの魔法は、私が汚れと認識したものが綺麗さっぱり無くなるので重宝しますね。
「お嬢様にはどうかご内密にお願いします」
「は、はい。勿論です。ですがどうか、ご無理はなさらないでくださいね」
「ええ。大事な身体があってこそ、主人の世話が出来るのですから」
隣に座るメイド、リージェさん。彼女はお嬢様のクラスメイトであり、その秘密を知る数少ない貴族の1人、アリエンヌ嬢の世話役を務める方でした。もう1人の側役、ダンという名の従者と違い、年齢の関係でこちらに回されたご様子。
彼女は、主人よりも一回り年齢が上の様ですし、仕方がありませんね。
試験の時に少しお話しをさせていただく機会があり、その時彼女から、私のファンである事を伺いました。あの時は私の事を、生きた伝説であるかのように熱く語られておりました。
なんでも、私が今までに仕えたことのある貴族の家名を、すべて暗唱できるのだとか。
私は特殊奴隷という枠で奴隷商に登録はしていましたが、メイドギルドとも連携は取っていました。特級の資格を持つメイドは貴重な人材でもある為、行動履歴はメイドギルドに報告され、登録が必須となっています。その上私は、それを誰にでも見られるよう開示していましたからね。
誰でも知り得る情報ですので、彼女が知っていてもおかしくはないのですが、暗唱となると……。
その膨大な数を思えば、驚きが勝ちますね。
それに、過去の自分を思うと少し恥ずかしくもあります。
手当たり次第に貴族の家へとスパイのように潜入しては、将来有望そうな御子息御息女に唾をつける。
中々に暴走していましたね。
お嬢様に惚れ込み、落ち着いた今だからこそわかりますが、あまりに節操がなかったように思えます。今後、二度とそういう事は起こり得ませんが、反省しなければ。
『ガラッ』
決意を新たにしていると、専任の教師と思われる方が入ってこられました。……見たことのある人物ですね。
確か、A級の執事資格を持つ男でしたか。
「お待たせしました。さて、皆さんには、改めて学園の授業形態を説明する必要はないでしょう。ですので、主人のお世話をする上で必要となる事を、簡潔にご説明をします」
その男は、今月の授業の範囲とその予定表。それから寮の部屋の鍵を配られました。
……おや? 魔法の授業が初週は無いのですね。
「通常授業に関しては、皆さんは学生の様に授業を受ける必要はありません。ですが授業自体はしっかり行いますので、主人の復習の為に知識を詰め込み直すも良し。登校せずに部屋の掃除や買い出しを行うも良し。自由にしていただいて構いませんが、定期試験の際に成績が悪いとクラス変動もあり得ますので、主人に恥をかかさぬ様ご注意を。また、選択授業ですが、これは主人に付き添っていただく形となります。ここまでに何か質問はありますか? ……無いようですね。では、解散」
男の解散宣言とともに、全従者が次の行動へと移り始める。
流石は学園内で一番貴族が力を入れている学科の、従者専用のAクラス。澱みが全く感じられませんね。
さて……。
『鷹の目』、発動。
『聞き耳』、発動。
『鷹の目』は多角的視点から標的を監視し、建物内ですら動きを察知する能力。
『聞き耳』は聴覚を強化し、特定方向からの音を集約する能力。
どちらもお嬢様の状況をつぶさに把握し、呼び出しを受ければすぐさま駆けつける為に必要なスキル。現役の頃からそうでしたが、非常に重宝しております。
……ふむ、お嬢様はどうやらソフィア様と移動される様ですね。遠くから見守る様についていきましょうか。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その後、お嬢様はアリスティア王女殿下をいたく気に入り、妹にした上で全力で可愛がられました。お嬢様にかかれば、忌み子と同等の扱いを受けていた王女殿下でさえ、トラウマを越えさせられる様です。
流石です、お嬢様。
そしていつもはお食事時にひょっこりと顔を出されるスピカ様ですが、今日はお嬢様の感情に釣られて出てきてしまわれた様です。愛くるしいスピカ様は、お嬢様に似て誰でも魅了してしまう罪なお方ですね。
早速アリスティア様も、リリの友人として連れてこられたアーネスト様も、心を奪われてしまった様子。
しかし、アーネスト様から内緒話をされましたが、お嬢様の非公式ファンクラブですか。中々面白そうなことをしておりますね。
お嬢様を喜ばせる為と言うのであれば、認めます。頑張りなさい。
……え? 妹限定?
お嬢様に甘えるのではなく、甘やかす方だから私はダメ?
お母様はどちらも適性があるから問題なし……?
そ、そんな……。
でしたら『SAK』の発足を!
……え? 『SOO』が本人に公開されるまでは類似のファンクラブ設立を禁止?
学園長の許可も取ってある……?
くっ……!
◇◇◇◇◇◇◇◇
そんなこんなで、お嬢様の周りはとても賑やかでしたが、皆さんが帰ってしまわれると、胸がぽっかりと空いてしまった様で、寂しさを感じさせますね。温もりに敏感なお嬢様であれば、余計に感じてしまった事でしょう。
お風呂に入る時から、非常に距離が近くなり、いつも以上に甘えて来られました。
お嬢様のシミひとつない柔らかい肢体。
鼻孔をくすぐり、心臓を鷲掴みにする芳しい香り。
脳を麻痺させ、愛しさを爆発させるお嬢様の吐息。
押し倒したい衝動に駆らせる小悪魔の様に妖艶な唇に、世界の全てを敵に回しても守りたい、憂いのある瞳。
……その日の晩のことは、恥ずかしながら記憶がありません。
お嬢様に対する愛情が止まらなくなったことだけは、薄っすらと覚えていますが……どこまで致してしまったのでしょうか? 行為自体に忌避感はありませんが、覚えていない事が不甲斐ないです。
目覚めた時にはベッドのシーツがぐちゃぐちゃになっていて、多少の汚れがありましたが……。
「……」
どうやら、致しすぎる事はなかった様ですね。とりあえず汚れは『浄化』で誤魔化しておきましょう。しかし随分と、証拠隠滅が捗る魔法ですね。良いのでしょうか、この様な使い方ばかりして……。
いえ! お嬢様が掃除に使う様にと仰ったのです! 何も間違ってはおりません!
さて。
朝食の準備を整えた後、お嬢様を起こします。
普段ならお声を掛ければすぐに目を覚まされるのですが、今日はなんだかフニャフニャしておられます。……とても可愛らしいですが、それと同時に悔しさも感じます。
翌日に影響が出るほどに、昨晩はお乱れになられたのでしょうか!? お嬢様の事は全て見逃さないのが私の信条なのに、記憶のない自分が憎い……!
しかし、朝の日課に関しては寝ぼけたままでもしっかり対応してくれる様です。舌を絡ませれば、お嬢様もきちんと舌で迎え入れてくれます。いつもなら此処で、お嬢様は攻勢に出られるのですが……。流石に大人しいですね。
であるならば、今日は私が攻めさせていただきましょう。
『じゅるっ』
「んふっ!」
『じゅるるる』
「んんんっ……!」
「ん。……お嬢様の唾液、とても美味でございました」
いつもは吸われる側ですが、たまには吸うのも良いものですね。顔を赤らめ、身悶えするお嬢様を見ていると、少しムラムラして来ます。しかし、今日から本格的な授業が始まりますし、ここは我慢です。
「ありしぁ……」
「んくぅ……!」
トロけてるお嬢様、可愛すぎます!!!
我慢……我慢しなければ……!!
お嬢様へと伸ばしかけた手を必死に抑え、鋼の精神で耐えて見せる。
そうして欲望に必死に耐え、部屋を出ようとする時も、お嬢様はまだ、ぼんやりしておりました。ぼんやりお嬢様、かわ……んんっ!
ともかく、ここから先は危険です。
リビングで鉢合わせたソフィア様にお願いをしましょう。
彼女なら、いい感じに起こしてくれる事でしょう。
◇◇◇◇◇◇◇◇
……そう思っていたのですが。
お嬢様の、元気がない。
いえ、元気ではあるのでしょうか。
覇気がないと言うか、活力が見受けられません。
今までお嬢様が望めば、私もリリもお母様も、出会った様々な人達も。誰1人としてお嬢様を拒む者はおりませんでした。それが今朝、拒まれてしまったのです。
なんという意志の強さでしょうか。いえ、当人としては恥ずかしいからと言うのと、元々持ち合わせていた性格的な部分や、お嬢様との気楽な関係が噛み合い、今回の行動へと繋がったのでしょうが……。
この時ばかりは、拒絶されたお嬢様に対する心配よりも、ソフィア様への驚嘆が勝っておりました。
それはともかくとして、こうなったお嬢様を元気付ける方法が分かりません。
泣かれるならまだ良かった。全力で心から寄り添い、慰めれば良いのですから。
怒るでもまだ良かった。お嬢様は誠実な方です。少し時間が経てば自身の行動を省みて、きちんと反省し、謝罪までして下さいます。私の時のように。
ですが、落ち込まれるとなると……。初めてのパターンです。ですがここは慌てず、すぐに行動出来るよう全力でお嬢様を見守ることにしましょう。
そう考えていると、お嬢様に声をかけるタイミングを逸し、教室に到着してしまいました。
不覚……!
「アリシア様、おはよう御座います」
「おはようございます」
「如何されましたか? 何かご心配ごとでも……」
「いえ、何でもありませんよ」
『鷹の目』、発動。
『聞き耳』、発動。
瞑想をするように視界を閉じ、全力でお嬢様の様子を伺います。すると、なんと言う事でしょう。私、視てしまいました……!
ソフィア様による、怒涛の攻勢をっ!!
この能力では詳細な表情までは読み取れませんが、身体の動きや聞こえてくる音で、対象の感情を読み取ることが可能です。
手を引かれ、人気のないところへと連れて行かれるお嬢様。いつもの自信に満ち溢れているお嬢様と違い、どこか儚げで気弱な、深窓の令嬢であるかのような振る舞い。実にたまりません。庇護欲がそそられます……!
そしてお嬢様を押さえつけ、あろうことか壁ドンをするソフィア様……! なんと言うことでしょう。あのソフィア様がこの様な行動に出るなんて。
昔お世話をした御令嬢が成長した姿が見られると言うのは、各家のメイドを転々とした事で得られた喜びの一つです。この感情はいつ味わってもよい物ですが、今回は格別ですね。
それはそれとして壁ドンですよ壁ドンッ!!
お嬢様は攻めと受けで言えば、出会った当初から攻めっ気が強いお方でしたから、それが好きなのだと思い受けに回っていました。しかし、私が受けに回ることでいくつかお嬢様に対して、やりたくてもやれないシチュエーションというものがありました。壁ドンもその内の1つだったのです。
こちらから攻め立てれば、お嬢様も困惑したり嫌がったりするかと思って考えない様にしていましたが……。声から読み取れる感情だけでも分かります。
お嬢様は、喜んでいる……!
しかもとてつもなくッ!!
あんなに喜んでくださるなら、その喜びの初めては、私でありたかった……!
今朝の事でもそうでしたが、お嬢様は、攻められる事もお好きなのですね。これからは私も積極的に、行動させて頂きます……!!
◇◇◇◇◇◇◇◇
その後のお嬢様は、とてもご機嫌の様でした。
授業中も嬉しそうなお声でソフィア様に甘えておられましたし、昼食中や選択授業でも、いつもの調子を取り戻され常にニコニコされておりました。
王城に向かう時も、私からキスをするととても喜んでくださいましたし、お嬢様はずっと、私にこうして欲しかったのですね……。
王城では、いつも通り陛下に報告をし、ミカエラ様に専用装備を作られたお嬢様でしたが、私には何故か申し訳なさそうな顔をされます。理由を伺えば私よりも良い装備をプレゼントしてしまったから。との事でしたが、心配されているところがズレていますね。
お嬢様が私のことを想って、私のために丹精込めて作ってくださった物がある。それだけで十分嬉しい事なのです。ランクが良いものほど素晴らしいという価値観は理解できますが、性能よりも込められた想いが重要なのです。
そう告げるとお嬢様も納得して下さいました。
今の職業『グランドマスター』に就いてから、初めて作られた装備品が、私のナイフだったと言う事も知れました。その上でミカエラ様を嫉妬するなどしては、バチが当たるというものです。
今後もし、お嬢様に新たな装備を新調されたとしても、このナイフは私にとって1番の宝物であることに変わりはありませんね。そう伝えると、お嬢様は困った様な……。でも、嬉しそうにはにかんでくださいました。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、学園は騒然としておりました。
お嬢様とは交友のない学生達は皆、率先して闘技場へと赴き、教師達でさえ浮き足立ち、従者や親族達は困惑する。一大ハプニングとなりました。
陛下達もこうなるであろう事は予測出来たでしょうに……。学園の対応が、少し後手に回ってることから、対策は取れていなかった事が伺えます。きっと、悪巧みをする事に夢中になっていたのでしょう。仕方のない人達です。
そして約束通り、ミカエラ様達第二騎士団は、闘技場の全防衛を任されていたようです。
あの騎士団の団員達は、お嬢様と少なくない回数は顔を合わせていますし、なんなら全員がお嬢様には返しきれない恩を持っています。
今や貴族女性達の間で話題沸騰の、化粧品の最先端とも言える果実の香油。大貴族でさえ流通量の少なさから手に入れられた人は少ないにも関わらず、彼女達は全員がそれを常備しています。それにより彼女達の貴族女性としての発言力が、グンと増したとか。
そもそも流通源は、今のところお嬢様からだけですし。お嬢様が気に入った友人にしか渡していないので、出回っていないのは当然です。余った少量を、陛下に渡して配らせた程度。
そしてそれらの化粧水は、1つたりとも裏には回っていないそうです。
実に素晴らしい事ですね。
ミカエラ様は、第二騎士団は大恩があるということで自由裁量権をお嬢様に渡されましたが、恐らく香油の1件だけでも、彼女達は力を貸してくれた事でしょう。
先の貴族的立場の向上もそうですが、ミカエラ様が香油を使われたのです。
あの方はご自身の影響力を過小評価している節があります。元からその美貌は凄まじい物でしたが、例の香油パワーでその魅力は跳ね上がりました。
ミカエラ様がこれ以上なく美しくなる事は、団員達にとっては何よりの褒美だったでしょう。
「そんな2人には特別に、もっといい物を見せてあげるわ。アリシアとツヴァイもいらっしゃい」
「「はい」」
そうこう考えているうちに、お嬢様はソフィア様とアリスティア様に、例の武器をお見せする様でした。
あの杖は、見た目だけならとても可愛らしい武器だと思います。いかにもお嬢様が好きそうなデザインで、それを持つお嬢様を見ると、胸がときめきます。
「じゃあ今から、これに魔力を流すわねー」
そうしてお嬢様が、杖に魔力を流し込んだ。
すると同時に、杖から感じる威圧感は、過去に出会った最大級の化け物を彷彿とさせました。そう、お嬢様が激闘の末に討伐した、ピシャーチャの死骸。
死んで間もない奴から放たれるプレッシャーは、数多の修羅場をくぐり抜けた歴戦の私ですら、死を予感させるほどの存在感を持っていました。
リリやお母様も、よく気を失わなかったものです。
流石に、コレは最早ただの武器ですし、手にしているのもお嬢様。そして感じる威圧も奴のものではありますが、勢いは当時の1/10程度。あれほどの恐怖は覚えませんが、初見で恐怖を覚えるのは仕方がありません。
「アリシア。これのランクを聞く覚悟は出来た?」
お嬢様が問いかけてくる。
今まで、気にならなかった訳がない。お嬢様がなす偉大な事の1つ1つに触れていくと、感覚は麻痺してしまうのですが、それでもお嬢様が伝える事を思い止まられたこの杖に関しては、ずっと胸に引っかかっていた。
「はい。出来ております」
ですが、私も成長しているのです。受け止める覚悟はとっくに出来ているのです。たとえそのランクが幾つのものであっても、お嬢様を思う私の気持ちが変わることなどあり得ません。
私やツヴァイ、ソフィア様やアリスティア様の答えに満足されたのか、お嬢様は頷き、口を開く。
「この武器のランクは、16よ」
「その様な武器もお造りになられるとは。流石です、お嬢様」
私は特別意識する事なく、心から思った言葉を、お嬢様にお伝え出来た。
そしてお嬢様は満足そうに微笑んでくださいました。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の午後は、体力測定でした。
お嬢様の体操服姿は、とても愛らしく、抱きしめたい衝動に駆られました。それに飛び散る汗……あれは危険物です。周囲に振り撒く前に、このタオルで全て拭き取って差し上げなくては。
あのお姿のお嬢様はただそこにいるだけでアブナイです。野獣どもがお嬢様のあの姿を見て、平静を保てるとは思えません……!!
幸い、男女は離れた場所で行事を行うみたいですが、油断は出来ません。お嬢様の愛らしい姿を視界に納め、しかとこの瞳に焼き付けつつも、警戒は怠らない様にしなければ……!
ああっ、忙しい……! 体と目と手が足りません!
それにしても、お嬢様の汗を吸い取ったこのタオル……。『浄化』出来るとは到底思えません。何なら、邪魔者として認識したタオルの繊維を狙い撃ちしてしまい、全てが塵に還ってしまうかもしれませんね。
お嬢様の汗を、穢れだなんて思える訳がありません……! 何なら今すぐにでもこのタオルに飛び込んで深呼吸して……!
◇◇◇◇◇◇◇◇
体力測定の後、お嬢様は私とソフィア様、アリスティア様を連れて初心者ダンジョンへとやって参りました。ちなみに鮮血に染まったタオルは『浄化』で綺麗にし、証拠は隠滅しました。やはりこの魔法は便利ですね。
ダンジョンへの潜入は、調合の素材が潤沢に使えない事を先日嘆いておられましたね。決闘が終わるまで大手を振って活動も出来ない為、息抜きのためにやってきたと言う側面もあるかもしれません。
ダンジョンは普通、息抜きに使うものでは無いのですが、『初心者ダンジョン』であれば問題ないのでしょう。フェリス様とモニカ様の2人も、似た様な事をされている様ですし。
後は、お嬢様が仰っていた様にスキルの頭打ちの件もあるのでしょう。レベルが低ければその分、スキルの成長限界値も低いと言う話。魔法の修練をする過程で魔物との戦闘は避けられない為、本来であればスキルが最大値に追いつかれると言う事はないのですが、お嬢様の修練方法は洗練され過ぎています。
従来の数十倍。いえ、下手すれば数百倍の速度で成長する為アリスティア様のような試練すら終えられていない方はすぐにでもその壁にぶつかります。案の定、アリスティア様は私にだけこっそりと、今のままだとこれ以上の成長は望めないという漠然とした感覚があるのだと、愚痴をこぼされていました。
きっと姉であるソフィア様や、魔法を教えて下さったお嬢様には言い出しにくかったのでしょう。
成長限界のことは存じていましたので、解決策があると安心させたのですが……。アリスティア様の事は常々考えられていたのでしょう、それを見越してダンジョンに誘われたに違いありません。
流石です、お嬢様……!
その後は、ソフィア様とアリスティア様のレベル上げのお手伝いをするお嬢様を見ながら、私は調合に使える素材集めを行いました。
お嬢様が言うには、ダンジョンで得られる素材は、ダンジョンの難易度によって品質が変わるそうです。その為、どれだけ丁寧に採取をしようと『初心者ダンジョン』という最下級の場所では、どれだけ良くても『高品質』の物までしか採れないのだそうです。
しかし、少しでも雑に扱えば『普通』品質などになりかねない為、気を抜かずに採取していきましょう。
ダンジョンの地面は、外とは勝手が違う様で魔力を流して解す作業は、少し難易度が高い様です。それに、今はまだスローテンポですが、ソフィア様達の殲滅力が上がれば、その分進行速度も上がることでしょう。
私1人、採取に時間をかけ過ぎて遅れをとるわけにも行きません。素早く確実にこなし、練度の上昇に繋げなければ。
結局、私は1度も戦うことなくダンジョンをクリアしてしまいましたが、かなり充実した時間でした。集中できた事もあってか、土属性魔法は大きく成長出来ました。お嬢様の近接戦闘もこの目で拝めましたし。
……まあ、そこで満足しているとお嬢様から、周回の提案……。いえ、周回の強要が待っていたのですが。
終わった時にはソフィア様とアリスティア様は疲労から動けなくなり、私も表面上は隠せていたと思いますが、内心かなり疲れていました。
真逆にお嬢様は元気いっぱいでしたが。お嬢様が楽しそうで何よりです。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日はお風呂の事もあって少し気恥ずかしい事にもなりましたが、ぐっすりと休み、翌日からの2日間はお嬢様とのデートを堪能しました。1月ぶりに出会うイングリット様もリディエラ様も、お元気そうで何よりでした。
途中、お嬢様を阻むゴミが現れましたが、お嬢様の手を煩わせる事もない、塵芥のような存在でした。
怯えるお嬢様も、演技力が光っていました。あまりに自然すぎて、本当に怯えているようにも感じましたが……。モニカ様、騙されていないでしょうか?
そして、最後に現れたあの男。
理性で抑えてはいましたが、非常に好戦的な男でした。
まるでこちらを品定めをするかの様な、あの視線。それはまだ耐えられる物でしたが、突如興味を失い冷めた目でこちらを一瞥した後、あの男はお嬢様へと視線を向けられました。
……屈辱です。確かにお嬢様は私の何倍も強く美しい。けれど、お嬢様の専属メイドとして、家族として、護衛として。無粋な連中から、実力を見るまでもないと判断されるなど、あってはならないことです。
その後、部屋に帰ると同時にお嬢様は2人への挨拶もそこそこに、私の手を握って部屋へと戻られました。
「お嬢様……」
「うん」
「……あの男は、強いのですね」
「そうね、和国では割と有名な奴よ。まあ実力もあるけど、どちらかと言うと傍迷惑な意味で有名ね」
お嬢様が男の事を認識している。それだけでも、あの男への警戒心は高まりました。
「でも直接の面識はないわ。知ってると思うけど」
「……お嬢様」
「うん」
「私は、相手にするまでもないと、判断されました」
「……そうね」
「それが……悔しいです」
お嬢様は何も言わずに抱きしめてくださいました。
「もっと……。あの男に舐められないくらい、強く、なりたいです」
「……分かったわ。決闘が終われば、すぐにでも修行を始めましょ」
「はい……!」
その日、お嬢様に初めて膝枕をして頂きました。
それはとても心地よく、微睡の中へと沈んでいってしまいそうでした。……お嬢様が膝枕をせがむ理由が、よくわかった気がします。これはとても、幸せを感じますね。
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