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第3章:紡績街ナイングラッツ編
第079話 『その日、爆弾を撤去した』
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身体に力が入らない。敬愛する主人に失望されてしまった。私自身の言葉で、心からあの方に誓ったというのに……。
隣に立ちたいと願ったあの時の私の想いと誓いは、何処へ行ってしまったのか。
いつから私は、お嬢様が居なければ何もできないような腑抜けに、なってしまったのか。
あの方の知識に触れ、知見を増やし、得難い経験を経て、驕っていたのかもしれません。
お嬢様の仰った通り、私はあの時『浄化』では解決出来ないと理解した瞬間、諦めてしまいました。瘴気さえ取り除けば、爆発しないなどという何の根拠もない考えを言い訳にして。
お母様に心配された時もそうでした。お嬢様に全て任せてしまおうなど、従者以前に人として最低の考えを持つなど!
あの場に居たイングリット様に力を貸してもらう事や、お母様に相談する事など、まだ出来る事は山ほどあったのに。そのような考えに一切至れなかったのは、偏に自分の知識が他の追従を許さない等という、つまらない自己満足に酔い痴れていたから、でしょうね。
お嬢様に叱られて、ようやく自らの不義理を自覚するなど。
「……ア……ま」
嫌われて、しまったでしょうか。
お嬢様に叱られた時、目の前が真っ暗になってしまいました。あの時、お嬢様がどんな顔をしていたのか、怖くて思い出せません……。
私の傲慢さは、あの頃から……。里を出たあの頃から、まるで何も変わっていない……!
「アリシア様!」
『パシッ』
「アリシア様。お気を確かに」
「イ、イングリット様……?」
頬を、叩かれたのでしょうか、なにやら既視感を覚えます。
前にも、こんなことがあったような……。
「アリシア様、落ち込んでいる暇はありません。いつまでもこのままでは、シラユキ様に本当に失望されてしまいます!」
「……」
「アリシア様、言われっぱなしで悔しくはないのですか? 私は悔しいです、アリシア様がこの2日間、どんなに頑張っておられたのか、私はよく存じているつもりですから」
「イングリット様……ありがとうございます。ですが私は、お嬢様に嫌われて」
イングリット様に、ふわっと、優しく抱きしめられた。
「嫌われてなんていませんよ。本当にお嫌いなら、シラユキ様はあんなお辛そうな顔はされません」
「あんな顔……?」
「もしかして、見ていらっしゃらなかったのですか?」
「はい、怖くて……」
この街と家族を任された私が、無責任に解決をお嬢様に託し、危険物を放置してしまったからこそ、あの方は私に怒って、失望されたのです。
隣に立つと宣いながら肝心なところを全て、お嬢様に任せてしまうような愚かな私を。
「ふふ、大丈夫です。アリシア様は大事にされていますよ。それにシラユキ様も仰っていたでしょう? 普段通りのアリシア様なら、きっと解決できると。私もその言葉を信じていますから」
「……」
確かに、お嬢様はそう仰られていました。普段通りの私なら解決出来たはずだと。
……そう、ですね。
私は目は曇らせ、過ちを犯しました。
驕り昂り、自分の力だけを信じて、他者を信じず、都合の良い時だけお嬢様を頼るという最悪な事をしでかしました。
それでもお嬢様が、私を信じてチャンスを与えてくれたのです。これに応えられないようでは、今後お嬢様に従う以前に、メイドとしての矜持も見失ってしまうでしょう。
「イングリット様、ありがとうございます。ようやく目が覚めました。いつまでもウジウジと、このような醜態を晒し続ける方が、お嬢様にもっと嫌われてしまいます。私たちで、やれるだけ、やってみましょう」
「はい、その意気です」
少し前向きになれた気がする。そして彼女こそが、『聖女』にふさわしいとも、思ってしまった。
お嬢様曰く、職業の転職は、複雑な条件と職業レベル、あとは適切な試練さえこなせば誰にでもなれるとのことでしたが、こういった風に誰かを支えられるような事を、下心無く出来てしまう素養こそ、大事なのかもしれません。
「……では、早速で申し訳ありませんが、『浄化』についてを教えて頂けますか?」
「ええ、勿論です。ではまずは『浄化』の効果とイメージについてから……」
いつまでも落ち込んではいられない。お嬢様の期待に応えるべく、この井戸をなんとかしなくては!
◇◇◇◇◇◇◇◇
「イメージとしてはこういうものです。ただ、これは私にとってのイメージですし、お嬢様にはお嬢様のイメージがあります。ですからイングリット様にも、適したイメージがあると思いますので、参考までにとどめておいてください」
「……はい、仰りたいことは理解できたと思います」
試しに、お嬢様が取り払ったポンプの蓋の裏にこびり付いた穢れを落としてもらった。最初は恐る恐るといった様子でしたが、ゆっくりと確実に、穢れを落とすことに成功したようです。
流石に、私よりもスキル値が高いだけはありますね。
「素晴らしいですね。お嬢様のように魔法書を経て修得された方は、根本的に効果が異なるようですが、それでも私たちでも、穢れは落とせるのです。では、この井戸を早速2人で重ね掛けして、『浄化』してみましょう」
「魔法の重ね掛けですか……。教えではかなりの難易度が要求される技法ですね」
「私もその認識でいたのですが、そうでもないようなのです。お嬢様の教えの通りに魔法を使うと、さほど難しくはありませんよ。恐らく、お互いの魔力が安定しているためだと思われます」
「なるほど……。はい、私の準備は出来ております」
「では、参りましょうか」
2人で井戸を囲み、中に手をかざす。
「「『浄化』!!」」
覚えたての『浄化』ではありますが、それでも同じくらいの強い輝きですね。
昨日よりもさらに深くまで、水の中の邪気が祓えたように思えます。かなり深い所に淀みがあり、その深部にはやはり、『浄化』では太刀打ちできないと理解させられる何かがあるようです。
「見て下さい、アリシア様。あそこに何かがありますよ!」
「ええ、見えていますよ。昨日はアレに『浄化』の力が弾かれたのですね。そして今日も……」
「そうですね、私も弾かれた感覚があります。『浄化』では解決が出来ないと感じたアリシア様の気持ちが、痛いほどわかりました」
やはりというか、『浄化』を2人同時に実行したとしても、元凶を取り除く事は叶いませんでした。
しかし、1人で『浄化』をした昨日よりも、確実に『浄化』の結果が良い方向に変わりました。なぜなら、昨日は底に沈むアレの輪郭すらも見えていませんでしたからね……。
あの時の私は早々に諦めてしまいましたが、昨日あの場にはイングリット様も居ました。あの時に助力をお願いしていれば……。いえ、この仕事は任された私にしか出来ないなどと付け上がっていましたし、難しかったでしょう。挙句の果てに自分では解決出来ないと見切りをつけ、お嬢様に投げ渡すなど……。
「アリシア様! 落ち込んでいる暇はありませんよ」
「はい……」
「生返事ですね。仕方がありません、気分を変えましょう。例えばそうですね……あの毒を発生させるアレ、いつまでもアレと呼んでいては解りにくいです。名前をつけましょう。何が良いですかね?」
イングリット様はうんうんと唸っている。私が落ち込まないように気を使って下さっているようです。優しい方ですね。
「うーん……そうですね、『毒薬君』としましょう!」
「ど、『毒薬君』ですか?」
不思議なネーミングセンスですね。
「はい。『毒薬君』がいくら毒を生み出すと言っても、ずっと毒を発生させられるとは思いません。『浄化』を続ければその内薄まっていくのではないでしょうか」
「なるほど、確かに一理ありますね。私は問題ありませんが、イングリット様の魔力は大丈夫ですか?」
「はい、魔力回復のお薬をいっぱい貰ってきました!」
「素晴らしいですね。では、早速試してみましょう」
◇◇◇◇◇◇◇◇
何度目かの『浄化』を終え、改めて井戸の底を見るが、『毒薬君』に変化は起きません。いくら強い毒を持ち合わせている物質でも、これは流石におかしいですね。
「アリシア様、どうでしょうか……」
イングリット様は膝を付き、肩で息をしていますね。私も少し疲れてきました。
スキル値を満たして魔法書を使用すれば、その時初めて本物の魔法を修得することが出来、その結果魔法の質と効果は上昇します。が、それ以外にもメリットがあります。
それが魔力の消費量です。
見様見真似の魔法は本来の効果の半分以下しか発揮されず、更には魔力の消費量が増加するのです。私もイングリット様も『浄化』を習得していないため、『浄化』を連発すればすぐに息切れしてしまいます。
「駄目ですね、まるで変わりません。この方法ではない、ということでしょうか」
「『毒薬君』の正体がわかれば、対処方法も変わってくるのでしょうか……」
「正体、ですか……」
常に一定の毒を吐き出し続ける物。『毒薬君』は井戸の底から動いているようには思えませんから、生物ではなさそうです。毒を持った素材というには長持ちが過ぎますね。となると……。
「アリシアお姉ちゃーん」
「! ……リリ、ですか。それにお母様も。どうしました?」
お母様とリリがやってきたようですね。
2人とも心配そうな顔をしておりますが、今の私は、まだ取り乱したままなのでしょうか。いつものポーカーフェイスをしているつもりですが、通じていないようです。
「どうしたかじゃないわ、全くもう!」
「アリシアお姉ちゃん、目が真っ赤だよ!」
「!?」
しまった、そこは盲点でした。慌てて顔を押さえると、確かに乾いたような感触がします。知らないうちに泣いてしまったようですね。
私に泣く資格など無いというのに……。
「アリシアちゃん、シラユキちゃんと何かあったのね。話してくれる?」
「……これは私の失態が招いた事なのです。ですから、お母様は関係――」
「関係あるわ! だって私は2人のママだもの。娘達が喧嘩をしたなら、それはもう家族の問題よ」
「……」
家族……。お母様やリリとは家族だと思っていますが、お嬢様とは、どうなのでしょう……。
「シラユキちゃんもそうだったけど、どうしてアリシアちゃんも肝心なところで私達を頼ってくれないの? それともアリシアちゃんと家族だって思っていたのは、ママだけだったの?」
「そんなことはありません。お母様も、リリも、私にとって大事な家族です」
「……なら、話してくれる? 私たちは家族なんだから、遠慮しなくていいわ」
「……はい、お話しします」
◇◇◇◇◇◇◇◇
少しお話が長くなりそうだからということで、一旦井戸の上には、アリシアちゃん達に蓋をしてもらった。シラユキちゃんが外したポンプの蓋が野ざらしになっていたから、丁度良かったわ。
少し離れたところにあるベンチに腰掛けて、アリシアちゃんの話を聞く。
「なるほどね。……大体の事は解ったわ。シラユキちゃんは、危険な物をそのままにして、大事なところを自分に任せようとしたアリシアちゃんに怒ったのね」
「……はい」
「ちょっと言い過ぎだとは思うけど、シラユキちゃんが怒るのもわかるわ。それにママもちょっと、怒ってるもの」
こういうところは、本当にシラユキちゃんそっくりね。
この子達はすっごく強いから、今まで他人に甘えたり助けを求めずに生きてきたのかしら? こういう事が苦手みたい。
でもシラユキちゃんの場合、出来ない事にぶつかるという事が想像が出来ないけれど。
「申し訳ありません……」
「あら、違うのよ。ママが怒っているのはそこじゃないわ」
「えっ……?」
「わからない? ヒントは、シラユキちゃんがどうして家族会議をしようって話をしたのか、ってことね」
家族会議は、お互いに今日起きた出来事や、見聞きした情報を共有するための物。それは、得た情報を共有することで家族の危険を事前に取り除くことでもあれば、自分だけでは解決出来そうにない事象を相談する事だって含まれている。
家族会議がどんな意味を持っているかなんて、頭のいいアリシアちゃんなら理解していたはずだわ。でも、きっと話を聞く側としての視点しか思い浮かんでいなくて、自分が相談する側になる事が想像できなかったのね。
頭の良い子供は手がかからないっていうけど、きっとそれは違うわ。思考力や能力が高いと、普通とは違う観点を持っている分、悩みも他の子達とは共有しにくいのよね。だから、ある意味当たり前の、困ったら相談する。なんてことが、出来なかったり、相談の仕方を知らなかったりするのね。
「……あっ」
アリシアちゃんも、なんとなく気付いたみたいね。シラユキちゃんが言ったように、本来のアリシアちゃんならすぐにでも気が付く事なのかもしれない。でも、こういうことはいざ自分の身に起きると、対応できない物なのよ。
「お母様やリリにも、相談するべきでした。申し訳ありませんでした」
「……アリシアちゃん。ママね、前々から思っていたんだけど、少し口調が堅いわ。私たちは母娘なんだから、もっと柔らかく出来ない?」
「えっと、ですが私は」
「メイドである事に誇りを持っているのは知ってるから、この際言葉遣いはいいわ。でも、家族なんだもの。申し訳ありませんでしたは、ママ、あんまりだと思うな?」
口を開いたり閉じたりして、何か言おうとして戸惑っている。家族かメイドか、迷っているのね。でも……。
「アリシアちゃん。ママ達の事を家族だって認めているなら、迷う事はないわ」
「……はい、ごめんなさい」
「うん、いいわ。ママ許しちゃう」
フフ、シラユキちゃんとアリシアちゃんの関係は複雑かもしれないけど、それでも私たちとアリシアちゃんの関係は単純な物だわ。出会ってからずっと、フランクに話してほしかったんだけど、ようやく第一歩ね。
「せっかくだから、シラユキちゃんにもそう言えればいいと思うな」
「ですが私は、お嬢様にお仕えするメイドですから……」
「それは勿論知ってるわ。でもアリシアちゃんとしては、シラユキちゃんとどんな関係でいたいの? 主従関係? それとも家族?」
「……」
「うーん、まだ難しいかな。でも、そこは大事な事だから、自分の想いとしっかり、向き合った方が良いと思うな」
「……はい、覚えておきます」
「よろしい」
さて、ここまで来たし、きちんと私達も手伝わなきゃ。えっとリリは……ふふ、イングリットさんに可愛がられているのね。
「お話終わったの?」
「ええ、終わったわ」
「あのね、アリシアお姉ちゃん。リリもお手伝いしたいの!」
「……ええ、お願いします。リリ」
アリシアちゃんは人に頼る事に慣れていないというのもあるけど、心のどこかではママ達の事を、足手まといに思っているかもしれないのよね。
でもママ達だって、シラユキちゃんと一緒に過ごしてきたんだもの。絶対に役に立ってみせるわ。
「イングリット様、魔力の方はどうですか?」
「はい、1、2回ほどなら大丈夫です!」
「ではもう一度行きましょう」
リリと2人で、少し離れたところから見守る。
アリシアちゃん達は蓋を外して、中に手をかざした。
「「『浄化』!」」
井戸の中が一瞬光ったのが見えたわ。もう大丈夫なのかしら?
「お母様、リリ。見ていただけますか?」
「見るの!」
「落ちないように気を付けてくださいね」
「大丈夫なの!」
リリと2人で覗き込むと、ちょっと濁った井戸水が見えた。ううん、ちょっとずつ濁りが増しているわね。
「この様に、『浄化』をしてもすぐに濁り始めてしまいまして、解決に至れていないのです」
「んー? 水の中に変なのがあるの」
え? ……本当だわ。何かが入ってるわね?
「ええ、リリも良く気付きましたね。あれが毒を発生させている原因の……」
「『毒薬君』です!」
「……其れのせいで、いつまで経っても毒が消し切れていないのです」
「うんー? 何だか、昨日リリが壊した物と同じような感じがするの」
……昨日リリが壊したものと言えば、奴らが持っていた水の魔道具ね。
あの人たちが領主様に連れていかれて有耶無耶になったけど、弁償しなくて済んで良かったわ。……ああ、でも後日改めて請求されたりしないかしら。ママ心配だわ。
「!? 魔道具ですか! 盲点でした……。確かに魔道具なら、魔石内部の魔力がなくなるまで、常に新しい毒を吐き出し続けることも可能。いずれ魔力が切れれば毒の流入は止まりますが、いつまで続くかはわかりませんね」
「しかしアリシア様、これほどの毒を出し続ける魔道具など聞き覚えがありません」
「イングリット様、世界は広いのです。このような魔道具が存在していても不思議ではありません。それに、現状考えられるものとしては一番可能性が高いです」
そうね、一昔前ならそんな魔道具の存在は信じられなかったけど、シラユキちゃんに色々見せられてきたものね。ママ達なら、その存在は疑えないわ。
「それじゃあ、リリが壊してもいい? 水の中だから壊しても大丈夫なの!」
「そうですね……いえ、やめておきましょう。水の魔道具のように中身が多少飛び散るくらいならいいですが、この毒は濃度と持続力、共に危険な物です。リリの魔法で壊した時、どういった挙動をするかわかりません」
「そっかぁ……やめとくの」
良かった。きっとすごいお値段がしそうだもの。重要な証拠品としてお国に提出とかする事になった時に壊れてしまってたら、ママ、倒れちゃうところだったわ。
「ではアリシア様、どうしましょう。魔石の中身が尽きるのはいつになるか分からず、壊すのも危険となっては……」
「そうですね、ならばこの井戸から取り出して、マジックバッグに封印するのが一番でしょう」
「確かにそうかもしれませんが、井戸の中に入るのですか? 危険すぎます!」
ここまで判断して、シラユキちゃんにお願いすれば良いのかしら? 一応解決策を見つけたし、これなら怒られないと思うな。それでもだめなら、ママが代わりに怒られてあげなきゃ。
あと、アリシアちゃんに期待しすぎているシラユキちゃんにも怒ってあげないといけないわね。
「いえ、何も入る必要はありません。それにこういったことが得意な人がいるのです」
「それはいったい……?」
うんうん、シラユキちゃんを呼ぶのね? あとはママに任せておきなさい!
「お母様、お願いします」
「……え?」
え? ママを呼んだ?
「えっと、シラユキちゃんを呼んでくればいいのよね?」
「いいえ、お嬢様を呼ぶのは解決してからです。さぁお母様、私も手伝うので『毒薬君』の撤去作業をお願いします」
「え、えええ!? ママが? 『毒薬君』を?」
マ、ママお話聞いていなかったかしら? ここでシラユキちゃんを呼ぶんじゃないの??
「はい。お母様ならきっとできます。先日水の中に浮かんだ獲物を引き寄せたではありませんか。それと同じです」
「……あ」
それって、魚の事ね!? 確かにママ、似たようなことをしていたわ。でもあれは……。
「あれは魔力を川に流して、川の水を操作して持ってきたのよ。でも井戸の水は遥か下だし、それに直接触ることが出来ないわ」
「いいえ、それならば手元まで繋げばいいのです。『ウォーターランス』」
アリシアちゃんの手から、下方の井戸水に向けて、とっても長い水の槍が生まれた。
本来攻撃に使うランス系魔法と違って、凄く長い。これじゃあ攻撃する時に、上手く飛ばせられない。でも、こうすることで井戸水に直接触れる事無く、『ウォーターランス』を通じて魔力を流すことが出来る。
さすがアリシアちゃんだわ。ママ、そんな発想できないもの。
「さあお母様、昨日と同じようにしましょう。お手を」
「うん、ママ頑張るね」
目を瞑り、アリシアちゃんの『ウォーターランス』を直接握る。
『ウォーターランス』の内側はアリシアちゃんの魔力で満ちているから、その外側を辿って魔力を流し込む。ゆっくりと下へと魔力を通していき、井戸水に辿り着くと、植物が根を下ろすように底に沈む異物を探し出す。
もう目視では見えないくらい濁っているけど、魔力でも同じね。毒に染まった場所は、私の魔力が通れそうに無いわ。
「毒が濃すぎて、これ以上降りられないわ」
「任せてください。……『浄化』!!」
イングリットさんの魔法で、水の中の濁りが徐々に消え、道が開けた。そのまま拓けた道を伝っていく。
「見つけたわ、今から運び出すわね!」
魔力で異物を認識する力は、シラユキちゃんと旅に出てすぐ、『リト草』採取の時に学んだこと。
そして魔力を操作し、認識した異物を運ぶために対象を包み込み、器とする。これはシェルリックスの宿で練習を始めた魔力防御の時に学んだこと。
直接『毒薬君』が見えていなくても、自分の魔力で纏った異物を、通ってきた魔力の道に沿って上へと運んでいく。
ゆっくり、ゆっくり。落ち着いてすれば、確実に運んでいける。
アリシアちゃんの『ウォーターランス』に辿り着いた。あとはこのまま外周部を上っていくだけ。
……あっ、異物から滲み出てきたものが、徐々に私の器を蝕んでいく。そしてどんどん私の制御を離れていく。
「もう一度、『浄化』! くっ、駄目です、もう魔力が……!」
「私も頑張るわ!」
『ウォーターランス』にもっと魔力を籠め、井戸水に残した魔力も使って器に水を足し、大きな器とする。
……重い! 水の総量が増えた分、上る速度も目に見えて減った。
着実に登ってきているけれど、もう、限界……。
ああっ、だめ、落ちちゃう……!
「リリ、今です!」
「確保なの!」
『ブチン!』
……あら? 魔力制御が、途切れた……?
「お母様、成功です!」
目を開け放心していると、満面の笑みのリリがマジックバッグを掲げている姿が見えた。
「ママすごーい!」
「はい、とても素晴らしかったです!」
リリが飛びついてきて、イングリットさんも歓喜の声を上げているわ。
……どうなったの?
「えっと、『毒薬君』は?」
「はい、リリが持っているマジックバッグに、お母様の魔力水ごと入れました」
マジックバッグに手を入れると、確かに見慣れない物が表示されている。
「『死毒の霧・生成器(弱)』……? これの事かしら」
「そのようです。そしてこの毒ですら(弱)がついているとは。本来の性能が発揮される完成品だと、いったいどのような事になっていたのか……恐ろしい話ですね」
死毒……。これがママ達がかかっていた奇病の名前なのね。
なんて恐ろしい名前なのかしら。死ぬ事が決まっている毒だなんて。
これをあの人が、私に……。
「本当ですね……。しかし、これでこの井戸は元通りです。あとは2人できっちり『浄化』して、シラユキ様に報告しましょう!」
「……いえ、この街にはまだ毒に侵された井戸が残っています。このまま戻れば先ほどの二の舞です、きっちり全て片付けてから、報告に行きましょう」
「アリシアお姉ちゃんは心配性なの。お姉ちゃんなら、きっと褒めてくれるの」
そうね、ミスリル鉱石を大量に採ってきたときも、シラユキちゃんが想定外の量にビックリしていたものね。
「……だとしてもです。どうせなら、一番褒めてくれることをしてもらいましょう」
「それもそうなの!」
「お母様、魔力の方はどうですか?」
「大丈夫よ、それにさっきの操作でかなりスキルが上がったわ。次はもっと楽に出来るかも」
「それは心強いですね。まずはこの井戸の『浄化』から済ませてしまいましょう」
ふふ、アリシアちゃん生き生きしているわ。この子が笑顔だとママも嬉しくなっちゃう。
やっぱりこの子も、私の娘だわ。
隣に立ちたいと願ったあの時の私の想いと誓いは、何処へ行ってしまったのか。
いつから私は、お嬢様が居なければ何もできないような腑抜けに、なってしまったのか。
あの方の知識に触れ、知見を増やし、得難い経験を経て、驕っていたのかもしれません。
お嬢様の仰った通り、私はあの時『浄化』では解決出来ないと理解した瞬間、諦めてしまいました。瘴気さえ取り除けば、爆発しないなどという何の根拠もない考えを言い訳にして。
お母様に心配された時もそうでした。お嬢様に全て任せてしまおうなど、従者以前に人として最低の考えを持つなど!
あの場に居たイングリット様に力を貸してもらう事や、お母様に相談する事など、まだ出来る事は山ほどあったのに。そのような考えに一切至れなかったのは、偏に自分の知識が他の追従を許さない等という、つまらない自己満足に酔い痴れていたから、でしょうね。
お嬢様に叱られて、ようやく自らの不義理を自覚するなど。
「……ア……ま」
嫌われて、しまったでしょうか。
お嬢様に叱られた時、目の前が真っ暗になってしまいました。あの時、お嬢様がどんな顔をしていたのか、怖くて思い出せません……。
私の傲慢さは、あの頃から……。里を出たあの頃から、まるで何も変わっていない……!
「アリシア様!」
『パシッ』
「アリシア様。お気を確かに」
「イ、イングリット様……?」
頬を、叩かれたのでしょうか、なにやら既視感を覚えます。
前にも、こんなことがあったような……。
「アリシア様、落ち込んでいる暇はありません。いつまでもこのままでは、シラユキ様に本当に失望されてしまいます!」
「……」
「アリシア様、言われっぱなしで悔しくはないのですか? 私は悔しいです、アリシア様がこの2日間、どんなに頑張っておられたのか、私はよく存じているつもりですから」
「イングリット様……ありがとうございます。ですが私は、お嬢様に嫌われて」
イングリット様に、ふわっと、優しく抱きしめられた。
「嫌われてなんていませんよ。本当にお嫌いなら、シラユキ様はあんなお辛そうな顔はされません」
「あんな顔……?」
「もしかして、見ていらっしゃらなかったのですか?」
「はい、怖くて……」
この街と家族を任された私が、無責任に解決をお嬢様に託し、危険物を放置してしまったからこそ、あの方は私に怒って、失望されたのです。
隣に立つと宣いながら肝心なところを全て、お嬢様に任せてしまうような愚かな私を。
「ふふ、大丈夫です。アリシア様は大事にされていますよ。それにシラユキ様も仰っていたでしょう? 普段通りのアリシア様なら、きっと解決できると。私もその言葉を信じていますから」
「……」
確かに、お嬢様はそう仰られていました。普段通りの私なら解決出来たはずだと。
……そう、ですね。
私は目は曇らせ、過ちを犯しました。
驕り昂り、自分の力だけを信じて、他者を信じず、都合の良い時だけお嬢様を頼るという最悪な事をしでかしました。
それでもお嬢様が、私を信じてチャンスを与えてくれたのです。これに応えられないようでは、今後お嬢様に従う以前に、メイドとしての矜持も見失ってしまうでしょう。
「イングリット様、ありがとうございます。ようやく目が覚めました。いつまでもウジウジと、このような醜態を晒し続ける方が、お嬢様にもっと嫌われてしまいます。私たちで、やれるだけ、やってみましょう」
「はい、その意気です」
少し前向きになれた気がする。そして彼女こそが、『聖女』にふさわしいとも、思ってしまった。
お嬢様曰く、職業の転職は、複雑な条件と職業レベル、あとは適切な試練さえこなせば誰にでもなれるとのことでしたが、こういった風に誰かを支えられるような事を、下心無く出来てしまう素養こそ、大事なのかもしれません。
「……では、早速で申し訳ありませんが、『浄化』についてを教えて頂けますか?」
「ええ、勿論です。ではまずは『浄化』の効果とイメージについてから……」
いつまでも落ち込んではいられない。お嬢様の期待に応えるべく、この井戸をなんとかしなくては!
◇◇◇◇◇◇◇◇
「イメージとしてはこういうものです。ただ、これは私にとってのイメージですし、お嬢様にはお嬢様のイメージがあります。ですからイングリット様にも、適したイメージがあると思いますので、参考までにとどめておいてください」
「……はい、仰りたいことは理解できたと思います」
試しに、お嬢様が取り払ったポンプの蓋の裏にこびり付いた穢れを落としてもらった。最初は恐る恐るといった様子でしたが、ゆっくりと確実に、穢れを落とすことに成功したようです。
流石に、私よりもスキル値が高いだけはありますね。
「素晴らしいですね。お嬢様のように魔法書を経て修得された方は、根本的に効果が異なるようですが、それでも私たちでも、穢れは落とせるのです。では、この井戸を早速2人で重ね掛けして、『浄化』してみましょう」
「魔法の重ね掛けですか……。教えではかなりの難易度が要求される技法ですね」
「私もその認識でいたのですが、そうでもないようなのです。お嬢様の教えの通りに魔法を使うと、さほど難しくはありませんよ。恐らく、お互いの魔力が安定しているためだと思われます」
「なるほど……。はい、私の準備は出来ております」
「では、参りましょうか」
2人で井戸を囲み、中に手をかざす。
「「『浄化』!!」」
覚えたての『浄化』ではありますが、それでも同じくらいの強い輝きですね。
昨日よりもさらに深くまで、水の中の邪気が祓えたように思えます。かなり深い所に淀みがあり、その深部にはやはり、『浄化』では太刀打ちできないと理解させられる何かがあるようです。
「見て下さい、アリシア様。あそこに何かがありますよ!」
「ええ、見えていますよ。昨日はアレに『浄化』の力が弾かれたのですね。そして今日も……」
「そうですね、私も弾かれた感覚があります。『浄化』では解決が出来ないと感じたアリシア様の気持ちが、痛いほどわかりました」
やはりというか、『浄化』を2人同時に実行したとしても、元凶を取り除く事は叶いませんでした。
しかし、1人で『浄化』をした昨日よりも、確実に『浄化』の結果が良い方向に変わりました。なぜなら、昨日は底に沈むアレの輪郭すらも見えていませんでしたからね……。
あの時の私は早々に諦めてしまいましたが、昨日あの場にはイングリット様も居ました。あの時に助力をお願いしていれば……。いえ、この仕事は任された私にしか出来ないなどと付け上がっていましたし、難しかったでしょう。挙句の果てに自分では解決出来ないと見切りをつけ、お嬢様に投げ渡すなど……。
「アリシア様! 落ち込んでいる暇はありませんよ」
「はい……」
「生返事ですね。仕方がありません、気分を変えましょう。例えばそうですね……あの毒を発生させるアレ、いつまでもアレと呼んでいては解りにくいです。名前をつけましょう。何が良いですかね?」
イングリット様はうんうんと唸っている。私が落ち込まないように気を使って下さっているようです。優しい方ですね。
「うーん……そうですね、『毒薬君』としましょう!」
「ど、『毒薬君』ですか?」
不思議なネーミングセンスですね。
「はい。『毒薬君』がいくら毒を生み出すと言っても、ずっと毒を発生させられるとは思いません。『浄化』を続ければその内薄まっていくのではないでしょうか」
「なるほど、確かに一理ありますね。私は問題ありませんが、イングリット様の魔力は大丈夫ですか?」
「はい、魔力回復のお薬をいっぱい貰ってきました!」
「素晴らしいですね。では、早速試してみましょう」
◇◇◇◇◇◇◇◇
何度目かの『浄化』を終え、改めて井戸の底を見るが、『毒薬君』に変化は起きません。いくら強い毒を持ち合わせている物質でも、これは流石におかしいですね。
「アリシア様、どうでしょうか……」
イングリット様は膝を付き、肩で息をしていますね。私も少し疲れてきました。
スキル値を満たして魔法書を使用すれば、その時初めて本物の魔法を修得することが出来、その結果魔法の質と効果は上昇します。が、それ以外にもメリットがあります。
それが魔力の消費量です。
見様見真似の魔法は本来の効果の半分以下しか発揮されず、更には魔力の消費量が増加するのです。私もイングリット様も『浄化』を習得していないため、『浄化』を連発すればすぐに息切れしてしまいます。
「駄目ですね、まるで変わりません。この方法ではない、ということでしょうか」
「『毒薬君』の正体がわかれば、対処方法も変わってくるのでしょうか……」
「正体、ですか……」
常に一定の毒を吐き出し続ける物。『毒薬君』は井戸の底から動いているようには思えませんから、生物ではなさそうです。毒を持った素材というには長持ちが過ぎますね。となると……。
「アリシアお姉ちゃーん」
「! ……リリ、ですか。それにお母様も。どうしました?」
お母様とリリがやってきたようですね。
2人とも心配そうな顔をしておりますが、今の私は、まだ取り乱したままなのでしょうか。いつものポーカーフェイスをしているつもりですが、通じていないようです。
「どうしたかじゃないわ、全くもう!」
「アリシアお姉ちゃん、目が真っ赤だよ!」
「!?」
しまった、そこは盲点でした。慌てて顔を押さえると、確かに乾いたような感触がします。知らないうちに泣いてしまったようですね。
私に泣く資格など無いというのに……。
「アリシアちゃん、シラユキちゃんと何かあったのね。話してくれる?」
「……これは私の失態が招いた事なのです。ですから、お母様は関係――」
「関係あるわ! だって私は2人のママだもの。娘達が喧嘩をしたなら、それはもう家族の問題よ」
「……」
家族……。お母様やリリとは家族だと思っていますが、お嬢様とは、どうなのでしょう……。
「シラユキちゃんもそうだったけど、どうしてアリシアちゃんも肝心なところで私達を頼ってくれないの? それともアリシアちゃんと家族だって思っていたのは、ママだけだったの?」
「そんなことはありません。お母様も、リリも、私にとって大事な家族です」
「……なら、話してくれる? 私たちは家族なんだから、遠慮しなくていいわ」
「……はい、お話しします」
◇◇◇◇◇◇◇◇
少しお話が長くなりそうだからということで、一旦井戸の上には、アリシアちゃん達に蓋をしてもらった。シラユキちゃんが外したポンプの蓋が野ざらしになっていたから、丁度良かったわ。
少し離れたところにあるベンチに腰掛けて、アリシアちゃんの話を聞く。
「なるほどね。……大体の事は解ったわ。シラユキちゃんは、危険な物をそのままにして、大事なところを自分に任せようとしたアリシアちゃんに怒ったのね」
「……はい」
「ちょっと言い過ぎだとは思うけど、シラユキちゃんが怒るのもわかるわ。それにママもちょっと、怒ってるもの」
こういうところは、本当にシラユキちゃんそっくりね。
この子達はすっごく強いから、今まで他人に甘えたり助けを求めずに生きてきたのかしら? こういう事が苦手みたい。
でもシラユキちゃんの場合、出来ない事にぶつかるという事が想像が出来ないけれど。
「申し訳ありません……」
「あら、違うのよ。ママが怒っているのはそこじゃないわ」
「えっ……?」
「わからない? ヒントは、シラユキちゃんがどうして家族会議をしようって話をしたのか、ってことね」
家族会議は、お互いに今日起きた出来事や、見聞きした情報を共有するための物。それは、得た情報を共有することで家族の危険を事前に取り除くことでもあれば、自分だけでは解決出来そうにない事象を相談する事だって含まれている。
家族会議がどんな意味を持っているかなんて、頭のいいアリシアちゃんなら理解していたはずだわ。でも、きっと話を聞く側としての視点しか思い浮かんでいなくて、自分が相談する側になる事が想像できなかったのね。
頭の良い子供は手がかからないっていうけど、きっとそれは違うわ。思考力や能力が高いと、普通とは違う観点を持っている分、悩みも他の子達とは共有しにくいのよね。だから、ある意味当たり前の、困ったら相談する。なんてことが、出来なかったり、相談の仕方を知らなかったりするのね。
「……あっ」
アリシアちゃんも、なんとなく気付いたみたいね。シラユキちゃんが言ったように、本来のアリシアちゃんならすぐにでも気が付く事なのかもしれない。でも、こういうことはいざ自分の身に起きると、対応できない物なのよ。
「お母様やリリにも、相談するべきでした。申し訳ありませんでした」
「……アリシアちゃん。ママね、前々から思っていたんだけど、少し口調が堅いわ。私たちは母娘なんだから、もっと柔らかく出来ない?」
「えっと、ですが私は」
「メイドである事に誇りを持っているのは知ってるから、この際言葉遣いはいいわ。でも、家族なんだもの。申し訳ありませんでしたは、ママ、あんまりだと思うな?」
口を開いたり閉じたりして、何か言おうとして戸惑っている。家族かメイドか、迷っているのね。でも……。
「アリシアちゃん。ママ達の事を家族だって認めているなら、迷う事はないわ」
「……はい、ごめんなさい」
「うん、いいわ。ママ許しちゃう」
フフ、シラユキちゃんとアリシアちゃんの関係は複雑かもしれないけど、それでも私たちとアリシアちゃんの関係は単純な物だわ。出会ってからずっと、フランクに話してほしかったんだけど、ようやく第一歩ね。
「せっかくだから、シラユキちゃんにもそう言えればいいと思うな」
「ですが私は、お嬢様にお仕えするメイドですから……」
「それは勿論知ってるわ。でもアリシアちゃんとしては、シラユキちゃんとどんな関係でいたいの? 主従関係? それとも家族?」
「……」
「うーん、まだ難しいかな。でも、そこは大事な事だから、自分の想いとしっかり、向き合った方が良いと思うな」
「……はい、覚えておきます」
「よろしい」
さて、ここまで来たし、きちんと私達も手伝わなきゃ。えっとリリは……ふふ、イングリットさんに可愛がられているのね。
「お話終わったの?」
「ええ、終わったわ」
「あのね、アリシアお姉ちゃん。リリもお手伝いしたいの!」
「……ええ、お願いします。リリ」
アリシアちゃんは人に頼る事に慣れていないというのもあるけど、心のどこかではママ達の事を、足手まといに思っているかもしれないのよね。
でもママ達だって、シラユキちゃんと一緒に過ごしてきたんだもの。絶対に役に立ってみせるわ。
「イングリット様、魔力の方はどうですか?」
「はい、1、2回ほどなら大丈夫です!」
「ではもう一度行きましょう」
リリと2人で、少し離れたところから見守る。
アリシアちゃん達は蓋を外して、中に手をかざした。
「「『浄化』!」」
井戸の中が一瞬光ったのが見えたわ。もう大丈夫なのかしら?
「お母様、リリ。見ていただけますか?」
「見るの!」
「落ちないように気を付けてくださいね」
「大丈夫なの!」
リリと2人で覗き込むと、ちょっと濁った井戸水が見えた。ううん、ちょっとずつ濁りが増しているわね。
「この様に、『浄化』をしてもすぐに濁り始めてしまいまして、解決に至れていないのです」
「んー? 水の中に変なのがあるの」
え? ……本当だわ。何かが入ってるわね?
「ええ、リリも良く気付きましたね。あれが毒を発生させている原因の……」
「『毒薬君』です!」
「……其れのせいで、いつまで経っても毒が消し切れていないのです」
「うんー? 何だか、昨日リリが壊した物と同じような感じがするの」
……昨日リリが壊したものと言えば、奴らが持っていた水の魔道具ね。
あの人たちが領主様に連れていかれて有耶無耶になったけど、弁償しなくて済んで良かったわ。……ああ、でも後日改めて請求されたりしないかしら。ママ心配だわ。
「!? 魔道具ですか! 盲点でした……。確かに魔道具なら、魔石内部の魔力がなくなるまで、常に新しい毒を吐き出し続けることも可能。いずれ魔力が切れれば毒の流入は止まりますが、いつまで続くかはわかりませんね」
「しかしアリシア様、これほどの毒を出し続ける魔道具など聞き覚えがありません」
「イングリット様、世界は広いのです。このような魔道具が存在していても不思議ではありません。それに、現状考えられるものとしては一番可能性が高いです」
そうね、一昔前ならそんな魔道具の存在は信じられなかったけど、シラユキちゃんに色々見せられてきたものね。ママ達なら、その存在は疑えないわ。
「それじゃあ、リリが壊してもいい? 水の中だから壊しても大丈夫なの!」
「そうですね……いえ、やめておきましょう。水の魔道具のように中身が多少飛び散るくらいならいいですが、この毒は濃度と持続力、共に危険な物です。リリの魔法で壊した時、どういった挙動をするかわかりません」
「そっかぁ……やめとくの」
良かった。きっとすごいお値段がしそうだもの。重要な証拠品としてお国に提出とかする事になった時に壊れてしまってたら、ママ、倒れちゃうところだったわ。
「ではアリシア様、どうしましょう。魔石の中身が尽きるのはいつになるか分からず、壊すのも危険となっては……」
「そうですね、ならばこの井戸から取り出して、マジックバッグに封印するのが一番でしょう」
「確かにそうかもしれませんが、井戸の中に入るのですか? 危険すぎます!」
ここまで判断して、シラユキちゃんにお願いすれば良いのかしら? 一応解決策を見つけたし、これなら怒られないと思うな。それでもだめなら、ママが代わりに怒られてあげなきゃ。
あと、アリシアちゃんに期待しすぎているシラユキちゃんにも怒ってあげないといけないわね。
「いえ、何も入る必要はありません。それにこういったことが得意な人がいるのです」
「それはいったい……?」
うんうん、シラユキちゃんを呼ぶのね? あとはママに任せておきなさい!
「お母様、お願いします」
「……え?」
え? ママを呼んだ?
「えっと、シラユキちゃんを呼んでくればいいのよね?」
「いいえ、お嬢様を呼ぶのは解決してからです。さぁお母様、私も手伝うので『毒薬君』の撤去作業をお願いします」
「え、えええ!? ママが? 『毒薬君』を?」
マ、ママお話聞いていなかったかしら? ここでシラユキちゃんを呼ぶんじゃないの??
「はい。お母様ならきっとできます。先日水の中に浮かんだ獲物を引き寄せたではありませんか。それと同じです」
「……あ」
それって、魚の事ね!? 確かにママ、似たようなことをしていたわ。でもあれは……。
「あれは魔力を川に流して、川の水を操作して持ってきたのよ。でも井戸の水は遥か下だし、それに直接触ることが出来ないわ」
「いいえ、それならば手元まで繋げばいいのです。『ウォーターランス』」
アリシアちゃんの手から、下方の井戸水に向けて、とっても長い水の槍が生まれた。
本来攻撃に使うランス系魔法と違って、凄く長い。これじゃあ攻撃する時に、上手く飛ばせられない。でも、こうすることで井戸水に直接触れる事無く、『ウォーターランス』を通じて魔力を流すことが出来る。
さすがアリシアちゃんだわ。ママ、そんな発想できないもの。
「さあお母様、昨日と同じようにしましょう。お手を」
「うん、ママ頑張るね」
目を瞑り、アリシアちゃんの『ウォーターランス』を直接握る。
『ウォーターランス』の内側はアリシアちゃんの魔力で満ちているから、その外側を辿って魔力を流し込む。ゆっくりと下へと魔力を通していき、井戸水に辿り着くと、植物が根を下ろすように底に沈む異物を探し出す。
もう目視では見えないくらい濁っているけど、魔力でも同じね。毒に染まった場所は、私の魔力が通れそうに無いわ。
「毒が濃すぎて、これ以上降りられないわ」
「任せてください。……『浄化』!!」
イングリットさんの魔法で、水の中の濁りが徐々に消え、道が開けた。そのまま拓けた道を伝っていく。
「見つけたわ、今から運び出すわね!」
魔力で異物を認識する力は、シラユキちゃんと旅に出てすぐ、『リト草』採取の時に学んだこと。
そして魔力を操作し、認識した異物を運ぶために対象を包み込み、器とする。これはシェルリックスの宿で練習を始めた魔力防御の時に学んだこと。
直接『毒薬君』が見えていなくても、自分の魔力で纏った異物を、通ってきた魔力の道に沿って上へと運んでいく。
ゆっくり、ゆっくり。落ち着いてすれば、確実に運んでいける。
アリシアちゃんの『ウォーターランス』に辿り着いた。あとはこのまま外周部を上っていくだけ。
……あっ、異物から滲み出てきたものが、徐々に私の器を蝕んでいく。そしてどんどん私の制御を離れていく。
「もう一度、『浄化』! くっ、駄目です、もう魔力が……!」
「私も頑張るわ!」
『ウォーターランス』にもっと魔力を籠め、井戸水に残した魔力も使って器に水を足し、大きな器とする。
……重い! 水の総量が増えた分、上る速度も目に見えて減った。
着実に登ってきているけれど、もう、限界……。
ああっ、だめ、落ちちゃう……!
「リリ、今です!」
「確保なの!」
『ブチン!』
……あら? 魔力制御が、途切れた……?
「お母様、成功です!」
目を開け放心していると、満面の笑みのリリがマジックバッグを掲げている姿が見えた。
「ママすごーい!」
「はい、とても素晴らしかったです!」
リリが飛びついてきて、イングリットさんも歓喜の声を上げているわ。
……どうなったの?
「えっと、『毒薬君』は?」
「はい、リリが持っているマジックバッグに、お母様の魔力水ごと入れました」
マジックバッグに手を入れると、確かに見慣れない物が表示されている。
「『死毒の霧・生成器(弱)』……? これの事かしら」
「そのようです。そしてこの毒ですら(弱)がついているとは。本来の性能が発揮される完成品だと、いったいどのような事になっていたのか……恐ろしい話ですね」
死毒……。これがママ達がかかっていた奇病の名前なのね。
なんて恐ろしい名前なのかしら。死ぬ事が決まっている毒だなんて。
これをあの人が、私に……。
「本当ですね……。しかし、これでこの井戸は元通りです。あとは2人できっちり『浄化』して、シラユキ様に報告しましょう!」
「……いえ、この街にはまだ毒に侵された井戸が残っています。このまま戻れば先ほどの二の舞です、きっちり全て片付けてから、報告に行きましょう」
「アリシアお姉ちゃんは心配性なの。お姉ちゃんなら、きっと褒めてくれるの」
そうね、ミスリル鉱石を大量に採ってきたときも、シラユキちゃんが想定外の量にビックリしていたものね。
「……だとしてもです。どうせなら、一番褒めてくれることをしてもらいましょう」
「それもそうなの!」
「お母様、魔力の方はどうですか?」
「大丈夫よ、それにさっきの操作でかなりスキルが上がったわ。次はもっと楽に出来るかも」
「それは心強いですね。まずはこの井戸の『浄化』から済ませてしまいましょう」
ふふ、アリシアちゃん生き生きしているわ。この子が笑顔だとママも嬉しくなっちゃう。
やっぱりこの子も、私の娘だわ。
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