たまにはクリスマスを

chatetlune

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たまにはクリスマスを 1

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 ただただ慌ただしい師走の半ばのことだ。
 大学のキャンパスにもびゅうびゅうと冷たい北風が吹きすさんでいた。
「おい、来週末、空けとけよ」
 急に上から降ってきた科白に、ここ数年来なかった寒さに震えながら、学食で熱いうどんをすすっていた小林千雪は、ああ? と胡乱気に顔を上げた。
 日替わり定食の大盛を乗せたトレーをテーブルにドンと置いて向かいに座った大柄な男は、すぐさまガツガツと食べ始めた。
 トンカツとキャベツ、大盛りのご飯は、見る見る平らげられていく。
「何言うてんね。毎年この時期、クソ忙しいんわかっとるやろ? 京助」
 無精髭にジャージの上下と、千雪とさして変わらない人相風体だが、この男の場合、いつもはしゃきっとイケメン、というイメージが根底にあるため、周りは、ああまた寝る間もなく忙しいんだな、とみてくれるのがこの綾小路京助だ。
 対して千雪の場合、いつもが上下のオッサンジャージ、オッサンスニーカー、黒縁メガネのモジャ頭、な人相風体なため、たまにしゃきっとスーツを着ていたとしても、周りはさほど今日はマシじゃないか、などとは見てくれない。
 まあ、千雪の場合あえてそれを狙っているので、むしろセーフなわけだが。
「毎年毎年俺らばっかクッソ忙しいとか、冗談じゃない。とにかく、来週末は空けておけ」
 とろとろと最後のうどんの一本を千雪が飲み込んだ頃には、命令口調で言いおいて京助はとっとと食べ終えて立ち上がった。
 学食もコンビニもまずいと吐き捨てて、常日頃自分で、もちろん千雪の分も弁当を作っている京助だが、いざとなったら食えないものは食えないと餓死しそうな千雪とは違い、食べようと思えば何でも食べる、サバイバルスキルと生存能力の高い男だ。
 法医学教室に籍を置き准教授としてモルグで日々ご遺体と格闘しているが、年末には容赦なく事件や事故が増加し、或いは自宅での急死などでも、死因不明の場合は行政解剖に回されたご遺体が運ばれてくる。
 ただでさえ不人気の法医学部だが、今年はそれでも進路を法医学に向けた優秀な人材が入ってくれたお陰で、富永教授、准教授の京助、同僚の助教山之内、その山之内と結婚した助教の牧村、以下ラボ内も多少活気づいている。
 だが、京助のやさぐれ感からもわかるように、モルグは活気というより馬車馬的に動かざるを得ない状況のようだ。
 法学部の宮島教授のもとで助教を務める千雪は、推理作家というもう一つの顔を持っており、師走に入ると連載を押し付けられた雑誌は年末進行なるスケジュールにのっとって執筆者を追い立てるし、新作の担当者までがこれまでのんびり書いてきた千雪に催促の電話を掛けてくる。
 何にせよ、講英社の担当編集者の多部にいろいろ知られてしまったことはそもそも失態だったと、千雪は未だにちょっと後悔していた。
 以前、千雪が幼馴染の江美子の死をきっかけに京助や研二のことで思考回路がシャットダウンしてしまい、あげくに文章が書けなくなったことがあり、当時は多少売れたとはいえまだ駆け出しに近い作家だったこともあって、書けないというと担当編集者は雑誌の掲載を止めてくれたものの、その時、次はないかも知れない的に言われ、事実上干されたという経緯があった。
 千雪としては最初に自分の作品を取り上げてくれた編集部だったので書いていたのだが、その編集者は千雪の珍妙なオヤジイメージを信じ切って、臭そうとでも思ったのか、編集部で打合せをして千雪が帰ろうとすると、座っていた椅子を除菌していたり、千雪の部屋には絶対入ろうとしなかったり、千雪が携帯を持っていないというのを真に受けて家電にしか電話してこなかったりで、機械的に原稿をネット経由で送り、バイク便で校正が届くというやり取りしかしていなかった。
 干されたとはいえ、それはそれで千雪はのんびりできると、かえってありがたかったわけだが、ぼんやり本を読んでいるだけの千雪を心配した京助は、千雪を可愛がっている法学部の宮島教授をたきつけて、千雪を連れてたったかニューヨークへ留学してしまった。
 日本を離れていたのは二年程、その間、千雪の小説を原作とした映画が封切られ、そこそこヒットし、ニューヨークへ千雪を訪ねてやってきたプロデューサーの工藤が紹介したのが、今の編集担当である講英社の多部だった。
 多部は千雪の小説のファンを名乗り、当時は書けるまで待つ、何か書けたら連絡をくれというスタンスだった。
 京助にとってはキャリアアップ、千雪にとっては充電期間の二年をニューヨークで過ごしたのち東京に帰ったのだが、千雪を待ち受けていたのは、留守の間に空き巣に荒らされたアパートだった。
 ピッキングされたドアや部屋中引っ掻き回された有様を見た千雪は、長年住み慣れたアパートを仕方なく離れることにした。
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