風そよぐ

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風そよぐ 65

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 ロケは朝方か夜に行われるが、本谷のロケに対しては、良太の入院中にいち早く工藤の命を受けた秋山が制作スタッフを増員して、本谷のファンが現れても事故や怪我をさせることのないようにと万全の態勢で向かうことになった。
 本谷は初めて浜野と一緒に車で現れ、浜野は俳優陣、監督や制作スタッフに改めて頭を下げて回っていた。
「心配することもなかったみたいだな」
「どうかしら。今日はさすがに顔を見せないとって感じじゃない?」
 ぼそっと口にした良太の独り言を聞きつけて、腕組みをしたアスカが言った。
 次のカットまで出番はなく、二人は隅で撮影の様子を見ていた。
「浜野のもう一人の担当、小佐田亮子ってさ、社長の義理の姪なんだって。だから我儘も通るし、身体が弱いのは確からしいけど、浜野さんになついてるらしいわ。あんまりパッとしないし結構いい歳なのに、お嬢様扱い」
「だったら、本谷くんのマネ、新しくつけてやればいいのに」
「そこが難しいところよね。だって新しいマネがいいやつとも限らないしさ」
「まあ、それはその時になってみないと」
「あそこさ、ミタエンタープライズの、尾野健斗と水嶋ゆりかが看板だからね、他はその他大勢扱いみたい。本谷ももちょっと人気、実力上げないと」
「そうなんですか」
 尾野健斗や水嶋ゆりかはともに三十代、どちらもトップテンに入る人気俳優だ。
 アスカは、藤堂に負けず劣らず、業界のことなら裏も表も詳しい秋山に聞いたのだろう。
 青山プロ関連の仕事ではこの二人にオファーをしたことはないが、数年先までスケジュールが埋まっているという噂なら良太も聞いたことがある。
「本谷、ここが正念場よね。第一関門突破すれば、ちょっとは待遇もよくなるかもよ」
「だったらほんと、頑張ってもらわないと」
 アスカはそんな良太を見てくすりと笑う。
「なんですか?」
 良太はアスカを振り返った。
「だから良太好きよ」
「意味不明!」
「明日は高雄に行くんでしょ?」
「ええ、まあ」
 あんまり喜んでいるのを表に出したくはない。
「檜山匠ってさ、知ってる?」
「ああ、能楽師の? 俺も予備知識しか。能楽のシテ方狩野流家元の次男で家を飛び出して自己流で新しい能楽師を目指してるとか。確か宗家は鎌倉にいるって」
 アスカは「それは表向き」という。
「何、また、何か裏があるんですか?」
「当り前よ、芸事とかには必ず実はってのがつきものなの。檜山匠は実は幼少の頃から天才って言われてて、でも宗家には長男がいたのよ」
「嫌だな、また、それ、お家騒動とかじゃないですよね?」
「そのものよ」
「実は檜山匠は婚外子とか? それで家を出たとか」
「逆なんだよね、それが。嫡出子として届けられてるけど婚外子は長男で、宗家の愛人の子供だったのよ。奥さんに子供がなかなかできなくて、その子を次期宗家として引き取ったんだけど、そしたら次男が生まれて、これが天才児だったってわけ」
「うわあ、事実は小説よりってやつ?」
「どうやら家の中は匠を押す派と長男を押す愛人派の対立とかでドロドロだったみたい。で、匠はそういうのが嫌で家を出て、亡くなった母方の家、これがまた由緒ある名士で跡継ぎがなかったもんだから祖父の養子になっちゃったのよ。それが檜山家。それでね……」
「わあ、もういいですよ。沢村んちのゴタゴタ聞いただけでも腹いっぱいってとこだったし、宗家を継ぐ継がないの争いとかミステリーじみた話はもう」
 良太は首を横に振った。
「だからさ、ユキ経由で出演決まったんだって」
「へ? そうなんですか?」
 それはちょっと聞きづてならなかった。
 小林千雪の関係者?
 アスカは昔から小林千雪のことをユキと呼んでいる。
 せっかく工藤に会えるのを、いや、高雄行きを楽しみにしてるのに、今度は千雪関係?
「まあ、とにかく、どんなすごい人なのか、見ておいでよ。私も気になってるんだよね」
 アスカのお陰で檜山匠のあれやこれやをタブレットで片っ端から拾いながら、良太は翌日の午前十時にはまた新幹線京都駅のホームに立っていた。
 タクシーで高雄に向かって約一時間。
 いつぞや手を振って迎えてくれた奈々が、今日もまた、「良太ちゃーん!」と呼びながらかけてきた。
「ああ、よかったあ、元気そうで。怪我したって聞いて心配したんだよ」
「ありがとう。もうこの通り、元気いっぱい」
「今日、こっち来るって聞いたから、退院祝い」
 奈々がはい、と差し出した紙袋を覗くと、ラッピングした透明の袋に、クッキーが入っている。
「え、これ、もしかして、手作り?」
「うん、お休みもらったから、いろいろ作っちゃった!」
「ありがとう。嬉しい」
 何だか瞼の奥が熱くなりかけた。
「良太」
 危うくこぼしそうになった涙も、鬼の一声で止まるというものだ。
「あ、お疲れ様です」
 工藤の横には志村と小杉、そして良太より少し目線が下がるほどのほっそりとした青年が立っていた。
 青年というのは予備知識があったからで、少し長めの黒髪を後ろで束ねたその人は一見するとお人形のような可愛らしさというか綺麗さがあり、何か儚げと思えるような気配を漂わせていた。
「うちの広瀬良太だ、能楽師の檜山匠」
 工藤は簡単に両者に紹介をした。
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