56 / 75
風そよぐ 56
しおりを挟む
「高雄は大丈夫ですか?」
「まあ、昨日の撮影は何とか終わったが、夕べ浅沼や日比野と檜山と打ち合わせで夜中だ」
「檜山さんもですか?」
秋山は少し意外そうに尋ねた。
『大いなる旅人』は第一弾から、工藤がまだキー局にいた頃からの知り合いでどちらも四十代の日比野が監督、脚本は浅沼が制作チームの柱となっているが、檜山匠は映画出演は今回が初めてという稀代の天才能楽師だ。
現在三十一歳、伝統ある能楽師の家に生まれながら、若くして家を離れ、新しい能楽を目指して孤軍奮闘している。
「今回は演舞のシーンが重要なカギになっているからな、檜山も積極的に意見を言ってくる」
工藤の話を聞くと、今の時間にここにいるには夜中に向こうを出たわけで、それくらい本谷のことが気がかりだとういうことなのかと、秋山は思いを巡らせる。
仕事だけを見れば確かに、今日のシーンは重要ではあるが。
キーマンとされる本谷が警部のアスカと何を見たのか思い出せるかもしれないと道玄坂を歩く途中、赤信号で待っている時に何者かに後ろから押されて危うく車にぶつかりそうになる、という内容だ。
原作の中で『道玄坂』という言葉が謎解きのキーワードになっていたため、ただでさえ人の多いこの地での撮影となった。
日曜日の早朝にもかかわらず、どうやら本谷のファンにとってはラッキーとなったらしい。
早く終わってくれないかな。
あちこちで増殖している本谷のファンに気を配りつつ、良太は撮影の時間を待った。
撮影は本谷のリテイクがいかに少なく済むかにかかっている。
あ………
ふと顔を向けると、秋山の横に工藤が立っている。
え、どうやってきたんだよ、あの人。
夜中に工藤から連絡が入った時、まだ京都だと言っていた。
早朝でも人は多いだろうことで事故などを警戒しろという指示だった。
俳優やスタッフ陣のことも無論だが、周囲の一般人に何かあったりなど言語道断だ。
人だかりと緊張の中で、撮影が始まった。
ファンもそこは心得ているらしく、撮影の時に騒ぐということはないようだ。
アスカと話しながら歩道を歩くというシーンだが、案の定、本谷は科白を噛んで、リテイクとなった。
アスカはポンポンと本谷の肩を優しく叩いて、再度、同じシーンに臨む。
そして、問題のシーンの撮影だ。
一時的に通行止めにして撮影を行っているのだが、信号を待っている本谷が何者かに背後から押されるというシーンでは、本谷が押されて声をあげ、前のめりに横断歩道に倒れ込んだところへ、俳優が運転するトラックが走ってくる。
とっさにアスカが本谷の腕を思いっきり引くと、トラックは辛うじてぶつかる寸前でハンドルを切り、怒号をあげ、クラクションを鳴らしながら走り去る。
カット、という声が響き渡ると、良太はほっと胸をなでおろした。
固唾をのんで見つめていた本谷のファンも、その声を合図にあちこちで動き始めた。
その時本谷がロケバスの方に歩いていくのを見て、追いかけようとするファンがいた。
すると、我も我もという感じで押し寄せてくるファンを、スタッフが「下がってください」と懸命に声を上げて静止する。
良太も声を大にして、「危険ですから下がってください」と声を張り上げた。
ロケバスの中でメイクアップの女性らやアスカと一緒におとなしくじっと座って状況が改善するのを待っていた本谷は、窓のカーテンの隙間から外を覗いた。
「わ、何か、どうしよう、これ」
「しょうがないわね、本谷くんの人気がすごいってことよ」
アスカは携帯をいじりながら何でもないことのように言った。
「貫禄ですね、中川さん。俺ちょっと怖いです」
「もっとすごいアイドルと撮影やった時は、さすがにいい加減にしてって思ったけどね」
しばらくそんな状況が続いたかと思うと、やがて通行止めが解除された頃、ロケバスに少しでも近づこうとするファンが数人、スタッフの静止を振り切ろうとして、そのうちの一人が歩道から車道に一歩足を踏み出してしまった。
その時車が突っ込んできたのだ。
「危ない!」
「きゃあ!」
悲鳴が上がる中、近くにいた良太は倒れそうになっていた女性の腕を思い切り引っ張った。
間一髪、車はクラクションを鳴らしながら走り去った。
まるでドラマのようなその状況に、本谷はロケバスの中で思わず立ち上がった。
「広瀬さん!」
アスカも本谷の声に窓に駆け寄った。
「どうしたの?!」
向かいの歩道に女性と良太が倒れ込んでいるのが二人にも見えた。
思い切り女性を引っ張った反動で二人とも歩道に倒れ込み、良太は街路樹の囲いに強か頭をぶつけた。
周りはただ遠巻きに二人を見つめている。
「良太!」
アスカは慌ててバスを飛び出した。
いち早く、良太に駆け寄ったのは工藤だった。
「良太! おい! 退け! 救急車!」
見守るばかりか、携帯で二人を撮っているような者もいる中、素早く救急車を呼んだのは秋山だ。
救急車がやがて到着し、良太は中に運ばれ、工藤も一緒に乗り込むと同時に救急車はサイレンを鳴らしてその場を後にした。
「まあ、昨日の撮影は何とか終わったが、夕べ浅沼や日比野と檜山と打ち合わせで夜中だ」
「檜山さんもですか?」
秋山は少し意外そうに尋ねた。
『大いなる旅人』は第一弾から、工藤がまだキー局にいた頃からの知り合いでどちらも四十代の日比野が監督、脚本は浅沼が制作チームの柱となっているが、檜山匠は映画出演は今回が初めてという稀代の天才能楽師だ。
現在三十一歳、伝統ある能楽師の家に生まれながら、若くして家を離れ、新しい能楽を目指して孤軍奮闘している。
「今回は演舞のシーンが重要なカギになっているからな、檜山も積極的に意見を言ってくる」
工藤の話を聞くと、今の時間にここにいるには夜中に向こうを出たわけで、それくらい本谷のことが気がかりだとういうことなのかと、秋山は思いを巡らせる。
仕事だけを見れば確かに、今日のシーンは重要ではあるが。
キーマンとされる本谷が警部のアスカと何を見たのか思い出せるかもしれないと道玄坂を歩く途中、赤信号で待っている時に何者かに後ろから押されて危うく車にぶつかりそうになる、という内容だ。
原作の中で『道玄坂』という言葉が謎解きのキーワードになっていたため、ただでさえ人の多いこの地での撮影となった。
日曜日の早朝にもかかわらず、どうやら本谷のファンにとってはラッキーとなったらしい。
早く終わってくれないかな。
あちこちで増殖している本谷のファンに気を配りつつ、良太は撮影の時間を待った。
撮影は本谷のリテイクがいかに少なく済むかにかかっている。
あ………
ふと顔を向けると、秋山の横に工藤が立っている。
え、どうやってきたんだよ、あの人。
夜中に工藤から連絡が入った時、まだ京都だと言っていた。
早朝でも人は多いだろうことで事故などを警戒しろという指示だった。
俳優やスタッフ陣のことも無論だが、周囲の一般人に何かあったりなど言語道断だ。
人だかりと緊張の中で、撮影が始まった。
ファンもそこは心得ているらしく、撮影の時に騒ぐということはないようだ。
アスカと話しながら歩道を歩くというシーンだが、案の定、本谷は科白を噛んで、リテイクとなった。
アスカはポンポンと本谷の肩を優しく叩いて、再度、同じシーンに臨む。
そして、問題のシーンの撮影だ。
一時的に通行止めにして撮影を行っているのだが、信号を待っている本谷が何者かに背後から押されるというシーンでは、本谷が押されて声をあげ、前のめりに横断歩道に倒れ込んだところへ、俳優が運転するトラックが走ってくる。
とっさにアスカが本谷の腕を思いっきり引くと、トラックは辛うじてぶつかる寸前でハンドルを切り、怒号をあげ、クラクションを鳴らしながら走り去る。
カット、という声が響き渡ると、良太はほっと胸をなでおろした。
固唾をのんで見つめていた本谷のファンも、その声を合図にあちこちで動き始めた。
その時本谷がロケバスの方に歩いていくのを見て、追いかけようとするファンがいた。
すると、我も我もという感じで押し寄せてくるファンを、スタッフが「下がってください」と懸命に声を上げて静止する。
良太も声を大にして、「危険ですから下がってください」と声を張り上げた。
ロケバスの中でメイクアップの女性らやアスカと一緒におとなしくじっと座って状況が改善するのを待っていた本谷は、窓のカーテンの隙間から外を覗いた。
「わ、何か、どうしよう、これ」
「しょうがないわね、本谷くんの人気がすごいってことよ」
アスカは携帯をいじりながら何でもないことのように言った。
「貫禄ですね、中川さん。俺ちょっと怖いです」
「もっとすごいアイドルと撮影やった時は、さすがにいい加減にしてって思ったけどね」
しばらくそんな状況が続いたかと思うと、やがて通行止めが解除された頃、ロケバスに少しでも近づこうとするファンが数人、スタッフの静止を振り切ろうとして、そのうちの一人が歩道から車道に一歩足を踏み出してしまった。
その時車が突っ込んできたのだ。
「危ない!」
「きゃあ!」
悲鳴が上がる中、近くにいた良太は倒れそうになっていた女性の腕を思い切り引っ張った。
間一髪、車はクラクションを鳴らしながら走り去った。
まるでドラマのようなその状況に、本谷はロケバスの中で思わず立ち上がった。
「広瀬さん!」
アスカも本谷の声に窓に駆け寄った。
「どうしたの?!」
向かいの歩道に女性と良太が倒れ込んでいるのが二人にも見えた。
思い切り女性を引っ張った反動で二人とも歩道に倒れ込み、良太は街路樹の囲いに強か頭をぶつけた。
周りはただ遠巻きに二人を見つめている。
「良太!」
アスカは慌ててバスを飛び出した。
いち早く、良太に駆け寄ったのは工藤だった。
「良太! おい! 退け! 救急車!」
見守るばかりか、携帯で二人を撮っているような者もいる中、素早く救急車を呼んだのは秋山だ。
救急車がやがて到着し、良太は中に運ばれ、工藤も一緒に乗り込むと同時に救急車はサイレンを鳴らしてその場を後にした。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
バレンタインバトル
chatetlune
BL
工藤×良太、限りなく傲慢なキスの後エピソードです。
万年人手不足で少ない社員で東奔西走している青山プロダクションだが、2月になれば今年もバレンタインデーなるものがやってくる。相変わらず世の中のアニバサリーなどには我関せずの工藤だが、所属俳優宛の多量なプレゼントだけでなく、業界で鬼と言われようが何故か工藤宛のプレゼントも毎年届いている。仕分けをするのは所属俳優のマネージャーや鈴木さんとオフィスにいる時は良太も手伝うのだが、工藤宛のものをどうするか本人に聞いたところ、以前、工藤の部屋のクローゼットに押し込んであったプレゼントの中に腐るものがあったらしく、中を見て適当にみんなで分けろという。しかし義理ならまだしも、関わりのあった女性たちからのプレゼントを勝手に開けるのは良太も少し気が引けるのだが。それにアニバサリーに無頓着なはずの工藤が、クリスマスに勝手に良太の部屋の模様替えをしてくれたりしたお返しに良太も何か工藤に渡してみたい衝動に駆られていた。
逢いたい
chatetlune
BL
工藤×良太、いつかそんな夜が明けても、の後エピソードです。
厳寒の二月の小樽へ撮影に同行してきていた良太に、工藤から急遽札幌に来るという連絡を受ける。撮影が思いのほか早く終わり、時間が空いたため、準主役の青山プロダクション所属俳優志村とマネージャー小杉が温泉へ行く算段をしている横で、良太は札幌に行こうかどうしようか迷っていた。猫の面倒を見てくれている鈴木さんに土産を買った良太は、意を決して札幌に行こうとJRに乗った。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
ある夏、迷い込んできた子猫を守り通したら恋人どうしになりました~マイ・ビューティフル・カフェーテラス~
松本尚生
BL
ひと晩の寝床を求めて街をさ迷う二十歳の良平は危うくて、素直で純情だった。初恋を引きずっていた貴広はそんな良平に出会い――
祖父の喫茶店を継ぐため、それまで勤めた会社を辞め札幌にやってきた貴広は、8月のある夜追われていた良平を助ける。毎夜の寝床を探して街を歩いているのだと言う良平は、とても危うくて、痛々しいように貴広には見える。ひと晩店に泊めてやった良平は、朝にはいなくなっていた。
良平に出会ってから、「あいつ」を思い出すことが増えた。好きだったのに、一線を踏みこえることができず失ったかつての恋。再び街へ繰りだした貴広は、いつもの店でまた良平と出くわしてしまい。
お楽しみいただければ幸いです。
表紙画像は、青丸さまの、
「青丸素材館」
http://aomarujp.blog.fc2.com/
からいただきました。
彼と僕の最上の欠点
神雛ジュン@元かびなん
BL
中学生の母親から生まれた月瀬幸輝は厳しい祖父母のもと、母親とは離れ離れにされた上、誰にも甘えることが出来ない境遇に置かれて過ごしてきた。
そんな複雑な環境のせいで真に心を寄せられる相手が作れなかった幸輝は、孤独という環境に適応できない心の病を患ってしまう。
社会人となって一人暮しをしても、一人になると孤独感に押し潰され食事も満足に取ることもできない。そこまで弱ってしまった幸輝を救ったのは、新しい職場で出会った十九歳年上の無骨な男・各務誠一だった。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる