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風そよぐ 56
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「高雄は大丈夫ですか?」
「まあ、昨日の撮影は何とか終わったが、夕べ浅沼や日比野と檜山と打ち合わせで夜中だ」
「檜山さんもですか?」
秋山は少し意外そうに尋ねた。
『大いなる旅人』は第一弾から、工藤がまだキー局にいた頃からの知り合いでどちらも四十代の日比野が監督、脚本は浅沼が制作チームの柱となっているが、檜山匠は映画出演は今回が初めてという稀代の天才能楽師だ。
現在三十一歳、伝統ある能楽師の家に生まれながら、若くして家を離れ、新しい能楽を目指して孤軍奮闘している。
「今回は演舞のシーンが重要なカギになっているからな、檜山も積極的に意見を言ってくる」
工藤の話を聞くと、今の時間にここにいるには夜中に向こうを出たわけで、それくらい本谷のことが気がかりだとういうことなのかと、秋山は思いを巡らせる。
仕事だけを見れば確かに、今日のシーンは重要ではあるが。
キーマンとされる本谷が警部のアスカと何を見たのか思い出せるかもしれないと道玄坂を歩く途中、赤信号で待っている時に何者かに後ろから押されて危うく車にぶつかりそうになる、という内容だ。
原作の中で『道玄坂』という言葉が謎解きのキーワードになっていたため、ただでさえ人の多いこの地での撮影となった。
日曜日の早朝にもかかわらず、どうやら本谷のファンにとってはラッキーとなったらしい。
早く終わってくれないかな。
あちこちで増殖している本谷のファンに気を配りつつ、良太は撮影の時間を待った。
撮影は本谷のリテイクがいかに少なく済むかにかかっている。
あ………
ふと顔を向けると、秋山の横に工藤が立っている。
え、どうやってきたんだよ、あの人。
夜中に工藤から連絡が入った時、まだ京都だと言っていた。
早朝でも人は多いだろうことで事故などを警戒しろという指示だった。
俳優やスタッフ陣のことも無論だが、周囲の一般人に何かあったりなど言語道断だ。
人だかりと緊張の中で、撮影が始まった。
ファンもそこは心得ているらしく、撮影の時に騒ぐということはないようだ。
アスカと話しながら歩道を歩くというシーンだが、案の定、本谷は科白を噛んで、リテイクとなった。
アスカはポンポンと本谷の肩を優しく叩いて、再度、同じシーンに臨む。
そして、問題のシーンの撮影だ。
一時的に通行止めにして撮影を行っているのだが、信号を待っている本谷が何者かに背後から押されるというシーンでは、本谷が押されて声をあげ、前のめりに横断歩道に倒れ込んだところへ、俳優が運転するトラックが走ってくる。
とっさにアスカが本谷の腕を思いっきり引くと、トラックは辛うじてぶつかる寸前でハンドルを切り、怒号をあげ、クラクションを鳴らしながら走り去る。
カット、という声が響き渡ると、良太はほっと胸をなでおろした。
固唾をのんで見つめていた本谷のファンも、その声を合図にあちこちで動き始めた。
その時本谷がロケバスの方に歩いていくのを見て、追いかけようとするファンがいた。
すると、我も我もという感じで押し寄せてくるファンを、スタッフが「下がってください」と懸命に声を上げて静止する。
良太も声を大にして、「危険ですから下がってください」と声を張り上げた。
ロケバスの中でメイクアップの女性らやアスカと一緒におとなしくじっと座って状況が改善するのを待っていた本谷は、窓のカーテンの隙間から外を覗いた。
「わ、何か、どうしよう、これ」
「しょうがないわね、本谷くんの人気がすごいってことよ」
アスカは携帯をいじりながら何でもないことのように言った。
「貫禄ですね、中川さん。俺ちょっと怖いです」
「もっとすごいアイドルと撮影やった時は、さすがにいい加減にしてって思ったけどね」
しばらくそんな状況が続いたかと思うと、やがて通行止めが解除された頃、ロケバスに少しでも近づこうとするファンが数人、スタッフの静止を振り切ろうとして、そのうちの一人が歩道から車道に一歩足を踏み出してしまった。
その時車が突っ込んできたのだ。
「危ない!」
「きゃあ!」
悲鳴が上がる中、近くにいた良太は倒れそうになっていた女性の腕を思い切り引っ張った。
間一髪、車はクラクションを鳴らしながら走り去った。
まるでドラマのようなその状況に、本谷はロケバスの中で思わず立ち上がった。
「広瀬さん!」
アスカも本谷の声に窓に駆け寄った。
「どうしたの?!」
向かいの歩道に女性と良太が倒れ込んでいるのが二人にも見えた。
思い切り女性を引っ張った反動で二人とも歩道に倒れ込み、良太は街路樹の囲いに強か頭をぶつけた。
周りはただ遠巻きに二人を見つめている。
「良太!」
アスカは慌ててバスを飛び出した。
いち早く、良太に駆け寄ったのは工藤だった。
「良太! おい! 退け! 救急車!」
見守るばかりか、携帯で二人を撮っているような者もいる中、素早く救急車を呼んだのは秋山だ。
救急車がやがて到着し、良太は中に運ばれ、工藤も一緒に乗り込むと同時に救急車はサイレンを鳴らしてその場を後にした。
「まあ、昨日の撮影は何とか終わったが、夕べ浅沼や日比野と檜山と打ち合わせで夜中だ」
「檜山さんもですか?」
秋山は少し意外そうに尋ねた。
『大いなる旅人』は第一弾から、工藤がまだキー局にいた頃からの知り合いでどちらも四十代の日比野が監督、脚本は浅沼が制作チームの柱となっているが、檜山匠は映画出演は今回が初めてという稀代の天才能楽師だ。
現在三十一歳、伝統ある能楽師の家に生まれながら、若くして家を離れ、新しい能楽を目指して孤軍奮闘している。
「今回は演舞のシーンが重要なカギになっているからな、檜山も積極的に意見を言ってくる」
工藤の話を聞くと、今の時間にここにいるには夜中に向こうを出たわけで、それくらい本谷のことが気がかりだとういうことなのかと、秋山は思いを巡らせる。
仕事だけを見れば確かに、今日のシーンは重要ではあるが。
キーマンとされる本谷が警部のアスカと何を見たのか思い出せるかもしれないと道玄坂を歩く途中、赤信号で待っている時に何者かに後ろから押されて危うく車にぶつかりそうになる、という内容だ。
原作の中で『道玄坂』という言葉が謎解きのキーワードになっていたため、ただでさえ人の多いこの地での撮影となった。
日曜日の早朝にもかかわらず、どうやら本谷のファンにとってはラッキーとなったらしい。
早く終わってくれないかな。
あちこちで増殖している本谷のファンに気を配りつつ、良太は撮影の時間を待った。
撮影は本谷のリテイクがいかに少なく済むかにかかっている。
あ………
ふと顔を向けると、秋山の横に工藤が立っている。
え、どうやってきたんだよ、あの人。
夜中に工藤から連絡が入った時、まだ京都だと言っていた。
早朝でも人は多いだろうことで事故などを警戒しろという指示だった。
俳優やスタッフ陣のことも無論だが、周囲の一般人に何かあったりなど言語道断だ。
人だかりと緊張の中で、撮影が始まった。
ファンもそこは心得ているらしく、撮影の時に騒ぐということはないようだ。
アスカと話しながら歩道を歩くというシーンだが、案の定、本谷は科白を噛んで、リテイクとなった。
アスカはポンポンと本谷の肩を優しく叩いて、再度、同じシーンに臨む。
そして、問題のシーンの撮影だ。
一時的に通行止めにして撮影を行っているのだが、信号を待っている本谷が何者かに背後から押されるというシーンでは、本谷が押されて声をあげ、前のめりに横断歩道に倒れ込んだところへ、俳優が運転するトラックが走ってくる。
とっさにアスカが本谷の腕を思いっきり引くと、トラックは辛うじてぶつかる寸前でハンドルを切り、怒号をあげ、クラクションを鳴らしながら走り去る。
カット、という声が響き渡ると、良太はほっと胸をなでおろした。
固唾をのんで見つめていた本谷のファンも、その声を合図にあちこちで動き始めた。
その時本谷がロケバスの方に歩いていくのを見て、追いかけようとするファンがいた。
すると、我も我もという感じで押し寄せてくるファンを、スタッフが「下がってください」と懸命に声を上げて静止する。
良太も声を大にして、「危険ですから下がってください」と声を張り上げた。
ロケバスの中でメイクアップの女性らやアスカと一緒におとなしくじっと座って状況が改善するのを待っていた本谷は、窓のカーテンの隙間から外を覗いた。
「わ、何か、どうしよう、これ」
「しょうがないわね、本谷くんの人気がすごいってことよ」
アスカは携帯をいじりながら何でもないことのように言った。
「貫禄ですね、中川さん。俺ちょっと怖いです」
「もっとすごいアイドルと撮影やった時は、さすがにいい加減にしてって思ったけどね」
しばらくそんな状況が続いたかと思うと、やがて通行止めが解除された頃、ロケバスに少しでも近づこうとするファンが数人、スタッフの静止を振り切ろうとして、そのうちの一人が歩道から車道に一歩足を踏み出してしまった。
その時車が突っ込んできたのだ。
「危ない!」
「きゃあ!」
悲鳴が上がる中、近くにいた良太は倒れそうになっていた女性の腕を思い切り引っ張った。
間一髪、車はクラクションを鳴らしながら走り去った。
まるでドラマのようなその状況に、本谷はロケバスの中で思わず立ち上がった。
「広瀬さん!」
アスカも本谷の声に窓に駆け寄った。
「どうしたの?!」
向かいの歩道に女性と良太が倒れ込んでいるのが二人にも見えた。
思い切り女性を引っ張った反動で二人とも歩道に倒れ込み、良太は街路樹の囲いに強か頭をぶつけた。
周りはただ遠巻きに二人を見つめている。
「良太!」
アスカは慌ててバスを飛び出した。
いち早く、良太に駆け寄ったのは工藤だった。
「良太! おい! 退け! 救急車!」
見守るばかりか、携帯で二人を撮っているような者もいる中、素早く救急車を呼んだのは秋山だ。
救急車がやがて到着し、良太は中に運ばれ、工藤も一緒に乗り込むと同時に救急車はサイレンを鳴らしてその場を後にした。
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