風そよぐ

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風そよぐ 55

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「良太ちゃん、自分が何とかしなきゃって、ちょっと肩に力入り過ぎなんだよ」
 今までみんなにもそれらしきことを言われてきたのだが、ここにきてやっと宇都宮の言うことばがすんなり良太の胸に入っていく。
「それに話さなくちゃいけない人にちゃんと言いたいこと言わないと」
 言われて良太はハッとする。
 そうだ、工藤から誘われた二度とも、仕事とかにかこつけて逃げたのだ。
 きっともうダメなんだって思って。
「まあ、良太ちゃんの好きな人が俺じゃないってのはちょっと、いやあ、かなーり、残念だけどね」
 そんな決め台詞を残して宇都宮はちょうど通りかかったタクシーを拾った。
「あ、鍋の約束は有効だよね、じゃあ、おやすみ」
 良太はしばしタクシーが走り去るのを見ていたが、トボトボと会社のエレベーターへと向かった。
「出る幕がないってこのことだな」
 良太がエレベーターに消えるのを見届けてから、木立の影から出てきた秋山はそんなことを呟いた。
「しかし、宇都宮さんて、素が既にカッコいいのか? 不自然さもなくあんな言葉を吐いて、わざとらしさも違和感がないとは」
 首を傾げて感心しつつ、今さら駐車場に戻る理由を思いつく余裕もなかったため、秋山は仕方なくタクシーを拾った。




 スタッフは真夜中から準備を進め、俳優陣もそろそろ現地に集まり始めていた。
 ドラマ『からくれないに』のロケが行われる渋谷区道玄坂に、良太が到着したのは朝の三時半を過ぎた頃だった。
 車を近くのパーキングに置いて現場に向かうと、既にどこから情報を得たのか、やはり本谷のファンらしき若い女性らがロケの現場を遠巻きにしつつもそこここに固まっているのが良太にも確認できた。
 邪魔さえしてくれなければ、ファンとは有り難いものなのだが、ところが当の本谷の姿がまだ見えなかった。
「おはようございます、本谷くん、見てませんか?」
 あくびをしているアスカと、傍に立つ秋山に良太は声をかけた。
「まだ見てないけど」
「寝坊したんじゃない?」
 アスカは事も無げに言い放つ。
「大丈夫よ、まだ一時間くらいは余裕だから」
「しかし集合時間は過ぎてますね。彼、今日も一人でこっちに向かってるんでしょうか」
 呑気なアスカの発言を遮って、秋山が言った。
「おそらく。タクシーを使うようには言ってあるんですが」
 顔合わせの日もちょこっと挨拶しただけですぐに消えてしまったのだが、マネージャーは担当しているもう一人の女優にかかりきりで、本谷はにはスケジュールを渡し、電話で指示だけをして、あとは本人に任せているというのが、実情らしい。
 本谷もこれまで一人で動くことも多いせいか、あまりマネージャーが構ってくれないことをさほど不便に思ったことがないようだ。
 良太は念のために本谷に電話を入れた。
 長くコールしたあと、本谷が出た。
「おはようございます。広瀬です。今、どちらですか?」
「……おはようございます、広瀬さん……えっと、今、起きたところですが、道玄坂に六時でしたよね?」
 案の定、本谷は勘違いしていたようだ。
「すみません、すぐにタクシー拾って向かってください。六時から撮影です」
「え!? すみません! すぐに向かいます!」
 本谷は会社員だった頃から世田谷の祖師谷に住んでいて、今まで小田急線を使って行き来していたが、最近CMなどでも人目に晒されることが多くなってから、ファンに囲まれたり追いかけられたりすることもあったりで、なるべく公共交通機関を使わないようにとマネージャーからも言われていたのを、本人はそんなことはたまたまだからと、未だに電車を利用したりしている。
「大丈夫かな。迎えに行った方がよかったかな」
 良太は時計を見ながら呟いた。
 スムースに来られればこの時間、早ければ約三十分だ。
 空も明るくなりつつある。
 良太は時間を気にしつつ周囲に注意していたのだが、おそらく本谷のファンだろう女性があちらこちらで増えている気がした。
 やがてタクシーが到着し、本谷が降り立った頃には既に辺りはすっかり明るくなり、誰かが本谷に気づくと、タクシーの近くにいた女性ファンがどっと移動し、今にも本谷を取り囲むかと思われた。
 タクシーに気づいていた良太は本谷が降りるなりファンから庇うようにしてスタッフ陣が待ち構える現場へ連れて行った。
 衣装とメイクの係りの女性が慌てて本谷に駆け寄ると、ロケバスに乗り込んだ。
「ったく、新人が、重役出勤かよ」
「ちょっと人気が出るとこれだからな」
 スタッフ陣の中からそんな声が良太にも聞こえてきた。
 今日はアスカや脇の何人かとの撮影なので大澤流らはいないのだが、流がいたらもっと文句が出ていたかも知れない。
「ギリギリセーフじゃない?」
 アスカは余裕の科白である。
「何かあったのか?」
 アスカと横にいた秋山はその声に振り返った。
「いえ、別に。工藤さん、こっちに戻るのは昼頃かと思ってました」
「タクシーで来た」
 そう答える工藤の顔には明らかに疲労の影が見える。
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