風そよぐ

chatetlune

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風そよぐ 45

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「あ、あの、びっくりしました。小林先生がまるで別人で、あんな、綺麗な方だったなんて」
 本谷は俯きがちにそんなことを言った。
「ああ、まあな、人にはそれぞれ、何だかだと厄介を抱えているもんだ。まあ、千雪は極端だが、そっとしておいてやってくれ」
 アスカは工藤が千雪に対しては、かなり保護者的な態度になるのがわかっていた。
 以前、良太がそうだったように、千雪を守ろうとするかのような工藤の言い方は、誤解を招きかねない。
 本谷の場合そっちへミスリードされてくれれば、この計画も概ね成功なのだ。
 だって、可哀そうだけどさ本谷、しょうがないじゃない。
「工藤さんはまだ京都に?」
 本谷が聞いた。
「ああ、俺も明日の夜には東京に戻る。おい、ひとみ、いい加減なところで切り上げろよ」
 そういうと、工藤はまた山根らのテーブルに戻り、撮影の打ち合わせを始めた。
「ったくもう、呆れるほど仕事人間なんだから」
 ひとみは工藤の背中を睨み付けながらボソリと言って、グラスに残っていたワインを飲み干した。
 チラリと目が合ったひとみが、何か言いたそうな顔をしているのに、工藤もようやく気が付いた。
 おそらくひとみだけでなくアスカも、暗に良太のことを何とかしろとでも言いたいのだろうが。
 打ち合わせをしながらも、実は工藤の意識は良太に行っていた。
 ここに来る前にも、良太に電話をしたが、相変わらず業務連絡ですという態度で、取り付く島もない。
 第一、電話口で、ああでもないこうでもないと言い連ねたところで埒も開かないのだ。
 ひとみに言われなくても、本音を言えば良太を手放したくはない。
 だが、自分の執着が良太の行くべき道を曲げてしまうのではないか。
 そんなことを考えないではないのだ。
 ガキのイロコイなら、何も考えずに突っ走ろうがいいさ。
 フン、年を取れば、昔は突っ走ったこともできなくなるんだ。
 だが、宇都宮のことはどうにも許せないものがあった。
 良太が宇都宮を選ぶというのなら、致し方ないかも知れないが。
 明日東京に戻るとしても、高雄の明日の撮影は安倍晴明が現れる重要なシーンでもあり、撮影が終わるまで工藤が離れるわけにも行かないだろう。
 晴明の生まれ変わりというその役を依頼したのは能楽師の檜山匠だ。
 幼い頃から天才と言われながら主流から離れて一人新たな世界を造ろうとしている若手である。
 この映画の核ともなる晴明の登場を見極める必要があり、スケジュールさえ何とかなれば、良太にも見せておきたいところだったのだが。
 このところ互いに忙しすぎて、仕事上の話さえできない状況だ。
 少し、話をしなければな。




 ある意味工藤よりずっと手厳しい秋山が容赦なくお開きにしますと宣言し、川床料理の店を出ると、ひとみと須永を先にタクシーに乗せ、本谷とアスカを後部座席に促して、秋山はタクシーの助手席に乗り込んでホテルまで送っていった。
 工藤は山根や久保田とまだ話があるようで、山根が最近見つけたというお気に入りの店へと三人は向かったらしい。
「向こうの映画もかなり難ありらしいのに、工藤さんが高雄から降りてきたのは千雪さんが顔を見せたということもありますが、やはり本谷くんのことが気になるんでしょうね」
 エレベーターに乗り、本谷が先の階で降りると、アスカと二人きりになった秋山がそんなことを言った。
「気になるって、何がよ」
 工藤と本谷と良太のことばかりここのところ考えていたアスカは、つい、そんな言い方になった。
「本谷くんがなかなか殻を突き破れないでいることでしょう、当然」
「ああ…。まあ、そうね、ちょっと良くなった感じはするけど」
「だがまだ、彼の中で暗中模索状態なんでしょうね。ただ、あの本谷くんが、暗中模索状態まで来ていることには、少々驚きですけどね」
 秋山はアスカを送って部屋の前まできて苦笑した。
「何気にちょっとひどい言い方じゃない? あんなに伸びると思わなかったとか?」
「そうですね、あの手の大きな事務所ではちょっと人気が出れば、いきなりドラマの主役を張らせたり、それでものにならなければすっと梯子をおろす。タレントは使い捨てですからね。でも……」
 秋山は腕組みをして続けた。
「誰しも飛躍のチャンスはどこかにあるので、ただ、それを生かせるか生かせないかで決まるんでしょう。彼が事務所につぶされずにすんでいるのは、チャンスの糸口を掴んだからです。工藤高広というね」
 その言葉にもアスカは反応してムッとした顔をする。
「本谷が、これから大俳優に化けるだろう磨きがいのあるダイヤモンドだとでも言いたいわけ?」
 秋山は「そんなことは言ってませんよ」とアスカの発言を即座に否定した。
「工藤さん、知り合いに頼みこまれて本谷主演ドラマに関係することになった当初、学芸会以下だとかクソミソだったって、良太が言ってたの覚えてませんか。実際そうだったんですけどね、工藤さんにどやしつけられても、本谷、意外と打たれ強かったんでしょうね、多分、営業で鍛えられたって言ってましたから、功を奏したのかも。それが、工藤さんの本谷に対する印象を変えたんでしょう」
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