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風そよぐ 37
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いくらしっかりしてるっつったって、この業界じゃ新人なんだから、そこをフォローしなくてどうするのよ、とアスカも思っていたくらいだから、工藤も何かにつけ本谷を気遣っているのだろう。
にしたって、この良太の後ろ向き加減は尋常ではない。
それこそ本谷を攻撃していた竹野を良太が直球でやり込めたのは、見ていたアスカとしてもすかっとしたのだ。
周りには目が行くのに、自分のことになると、直球良太がちっとも出て来やしない。
「にしたって、ちょっとアラサー、とか言うのやめてよね、あたしの方が一つ上なんだから」
「だって事実ですし」
ほら。
人のことははっきり言うくせに。
このままだと、良太、ほんとに宇都宮の放った蜘蛛の巣に引っかかっちゃう。
それにしたって、工藤さんも工藤さんだわ、良太のこと大事ならいくら忙しくてももちょっと考えてやってもいいんじゃない?
ドラマ『田園』の中で、主人公の宇都宮と竹野の不倫を知ったいつも強気でいるはずの妻のひとみが、「もう私には愛なんてないのよ」と言うのに対して、後輩のアスカが、「何言ってるのよ、先輩がそんなんじゃ、ホントにダメになっちゃうわよ」と言うシーンを、アスカはふいに思い出した。
それってまるで私よね。
坂口がアスカがこの役にのってると勘違いをしたのか、シーンを増やされたのだ。
まあ、ひとみ本人はそんな弱音を吐く人じゃないけど。
「大丈夫ですよ。何があったって、俺、会社はやめたりしませんから」
良太はあれこれ考えてくれたのだろうアスカのことを改めていい人だなと思い、かろうじて笑みを浮かべた。
今のところ、工藤に借りている金を返さなければならないからには、おいそれと会社を辞めるわけにはいかないのだ。
大体、万年人手不足のあの会社に、俺が辞めて入ってくる人間がいるとは思えない。
それにこれまでの恩義を考えれば、あんな疲労困憊で黄昏てる工藤を放りだして辞めるなんてできないじゃんね。
「もう、十時になるし、俺そろそろ部屋戻りますね。今夜はごちそうさまでした」
「とにかく今夜は何も考えずに寝なさいよ。それ以上やつれたら良太じゃなくなっちゃうじゃない」
「おやすみなさい」
良太が部屋を出ていくと、アスカは残っている酒をグラスに注いでももどかしさとともに飲み干した。
「ああ、もう、すぐにも飛んで行って工藤さんに怒鳴ってやりたい!」
声に出しても、イライラは収まらない。
「しょうがない、とりあえず、ひとみさん待ちか」
一方、わざわざ高雄までやってきて工藤を捕まえたひとみは、ホテルに入っている日本料理の老舗で、工藤が良太に食わせてやろうと考えた特上の膳を前に鮎の塩焼きにかじりついていた。
「ちょっと、高広、ちゃんと食べなさいよ、まとめ役がそんなにやつれててどうするのよ」
「目の前でがっつくお前を見ていると、食欲も萎えるんだ」
いきなり現れて難癖をつけるひとみを一瞥した工藤は熱燗をぐい飲みに注いで飲んでいる。
「やっぱりこっちは涼しいっていうか、寒いわ」
「こんなところへ何しに来たんだ」
「高雄っていえばここの料理、一度食べたかったのよ。せっかく京都まで来てるんだし」
「明日も朝から撮影だろうが」
「タクシーでちょっとじゃない、平気よ」
この大女優に対して苦言など今更だ。
最近では新しい男を探すことにも興味を失ったのか、ストを起こして周りを振り回すようなこともない。
前の晩にどれだけ飲んでも、撮影はきっちりこなすのが彼女の信条だ。
まあ、寄る年波で撮影がある前の晩に飲み明かすようなことはしなくなったというのが正しいかもしれないが。
「ちょっと飲みが足りない」
そう言ってひとみは、今度は上の階にあるバーラウンジに工藤を引っ張ってきた。
最近、それこそあまり飲んでもいない工藤だが、悪友のようなひとみとサシ飲みも今の心境ならいいかも知れないと腕を組まれたまま店に入った。
「撮影はどうだ?」
久しぶりにラム酒を口にしながら、工藤は言った。
「そうねぇ、終わってから山根さんが良太ちゃんと何か話してたけど」
ひとみは上等のコニャックのいい香りを楽しんだ。
「本谷か」
「まあ、新人なんてあんなもんよ」
「お前から見て、どうだ? 本谷は」
「そうね、『田園』の方は思いのほかよかったわ。でも今のはドラマのジャンルが違うしね。それに、あの子がキーマンだから、本人も苦心してるんじゃない?」
切り抜けられるかどうかで、本谷の今後にも影響するだろう。
「にしたって、あの子のマネージャー、いくら何でも放りっぱなし過ぎない? いくら大手だっていってもあの事務所、何考えてるんだか」
ひとみは文句を言いながらグラスを空けると、お代わりを頼んだ。
「思いのほか今までの仕事が順調だったんで、本人に任せてれば何とかなると思ってるんだろう。あの事務所は人手不足というより、手を抜きすぎだ」
「ふーん、それで高広が本谷の面倒を見てるってわけ?」
何やら意味ありげなセリフに、工藤はひとみを見た。
「でもさ、本谷ばっかにかまけてないで、気にかけるべき相手は他にいるんじゃない?」
誰のことを言っているのかすぐにわかって、工藤は眉根を寄せた。
にしたって、この良太の後ろ向き加減は尋常ではない。
それこそ本谷を攻撃していた竹野を良太が直球でやり込めたのは、見ていたアスカとしてもすかっとしたのだ。
周りには目が行くのに、自分のことになると、直球良太がちっとも出て来やしない。
「にしたって、ちょっとアラサー、とか言うのやめてよね、あたしの方が一つ上なんだから」
「だって事実ですし」
ほら。
人のことははっきり言うくせに。
このままだと、良太、ほんとに宇都宮の放った蜘蛛の巣に引っかかっちゃう。
それにしたって、工藤さんも工藤さんだわ、良太のこと大事ならいくら忙しくてももちょっと考えてやってもいいんじゃない?
ドラマ『田園』の中で、主人公の宇都宮と竹野の不倫を知ったいつも強気でいるはずの妻のひとみが、「もう私には愛なんてないのよ」と言うのに対して、後輩のアスカが、「何言ってるのよ、先輩がそんなんじゃ、ホントにダメになっちゃうわよ」と言うシーンを、アスカはふいに思い出した。
それってまるで私よね。
坂口がアスカがこの役にのってると勘違いをしたのか、シーンを増やされたのだ。
まあ、ひとみ本人はそんな弱音を吐く人じゃないけど。
「大丈夫ですよ。何があったって、俺、会社はやめたりしませんから」
良太はあれこれ考えてくれたのだろうアスカのことを改めていい人だなと思い、かろうじて笑みを浮かべた。
今のところ、工藤に借りている金を返さなければならないからには、おいそれと会社を辞めるわけにはいかないのだ。
大体、万年人手不足のあの会社に、俺が辞めて入ってくる人間がいるとは思えない。
それにこれまでの恩義を考えれば、あんな疲労困憊で黄昏てる工藤を放りだして辞めるなんてできないじゃんね。
「もう、十時になるし、俺そろそろ部屋戻りますね。今夜はごちそうさまでした」
「とにかく今夜は何も考えずに寝なさいよ。それ以上やつれたら良太じゃなくなっちゃうじゃない」
「おやすみなさい」
良太が部屋を出ていくと、アスカは残っている酒をグラスに注いでももどかしさとともに飲み干した。
「ああ、もう、すぐにも飛んで行って工藤さんに怒鳴ってやりたい!」
声に出しても、イライラは収まらない。
「しょうがない、とりあえず、ひとみさん待ちか」
一方、わざわざ高雄までやってきて工藤を捕まえたひとみは、ホテルに入っている日本料理の老舗で、工藤が良太に食わせてやろうと考えた特上の膳を前に鮎の塩焼きにかじりついていた。
「ちょっと、高広、ちゃんと食べなさいよ、まとめ役がそんなにやつれててどうするのよ」
「目の前でがっつくお前を見ていると、食欲も萎えるんだ」
いきなり現れて難癖をつけるひとみを一瞥した工藤は熱燗をぐい飲みに注いで飲んでいる。
「やっぱりこっちは涼しいっていうか、寒いわ」
「こんなところへ何しに来たんだ」
「高雄っていえばここの料理、一度食べたかったのよ。せっかく京都まで来てるんだし」
「明日も朝から撮影だろうが」
「タクシーでちょっとじゃない、平気よ」
この大女優に対して苦言など今更だ。
最近では新しい男を探すことにも興味を失ったのか、ストを起こして周りを振り回すようなこともない。
前の晩にどれだけ飲んでも、撮影はきっちりこなすのが彼女の信条だ。
まあ、寄る年波で撮影がある前の晩に飲み明かすようなことはしなくなったというのが正しいかもしれないが。
「ちょっと飲みが足りない」
そう言ってひとみは、今度は上の階にあるバーラウンジに工藤を引っ張ってきた。
最近、それこそあまり飲んでもいない工藤だが、悪友のようなひとみとサシ飲みも今の心境ならいいかも知れないと腕を組まれたまま店に入った。
「撮影はどうだ?」
久しぶりにラム酒を口にしながら、工藤は言った。
「そうねぇ、終わってから山根さんが良太ちゃんと何か話してたけど」
ひとみは上等のコニャックのいい香りを楽しんだ。
「本谷か」
「まあ、新人なんてあんなもんよ」
「お前から見て、どうだ? 本谷は」
「そうね、『田園』の方は思いのほかよかったわ。でも今のはドラマのジャンルが違うしね。それに、あの子がキーマンだから、本人も苦心してるんじゃない?」
切り抜けられるかどうかで、本谷の今後にも影響するだろう。
「にしたって、あの子のマネージャー、いくら何でも放りっぱなし過ぎない? いくら大手だっていってもあの事務所、何考えてるんだか」
ひとみは文句を言いながらグラスを空けると、お代わりを頼んだ。
「思いのほか今までの仕事が順調だったんで、本人に任せてれば何とかなると思ってるんだろう。あの事務所は人手不足というより、手を抜きすぎだ」
「ふーん、それで高広が本谷の面倒を見てるってわけ?」
何やら意味ありげなセリフに、工藤はひとみを見た。
「でもさ、本谷ばっかにかまけてないで、気にかけるべき相手は他にいるんじゃない?」
誰のことを言っているのかすぐにわかって、工藤は眉根を寄せた。
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