風そよぐ

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風そよぐ 33

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 それから、工藤は山根や久保田と一言二言話をすると、また高雄に戻っていった。
 ロケ現場を離れる工藤の後ろ姿を本谷がしばらく見つめているのを、アスカもひとみも見逃さなかった。
 それだけなら憶測だけどね、くらいで済んだかもしれない。
 ホテルのレストランで食事をした後のことだ、エレベーターに乗ろうとしたアスカが聞いてしまったのだ。
「すみません、ありがとうございます、工藤さん」
 工藤? 本谷、工藤なんかと電話してるの?
 何かしら気になったアスカは、その声の方へこっそり近づいた。
 エレベーターホールの向こう側にある薄暗いスポットで、壁にもたれて携帯を握っていたのは本谷だった。
「あーあ、でも、やっぱ、好きなんだよな、工藤さん」
 携帯を切った後、本谷の口から洩れたセリフに、思わず声を上げそうになるのを必死で抑えて、アスカはエレベーターからゆっくり離れた。
 絨毯が足音を消してくれたのが幸いして、本谷が陰から出てきたところにさも今来たかのように声をかけた。
「あら、本谷くん、もうご飯食べたの?」
 そこは長年の経験をつんだ女優である、すました顔で微笑んだ。
「あ、いえ、あんまり食欲なくて」
「だめよ、本谷くん、ゲスト主役なんだから、ちゃんと食べないと、撮影も力入らないよ」
「はい、ありがとうございます」
 心なしか憂いを含んだ笑みを浮かべ、本谷はアスカに続いてエレベーターに乗り込んだ。
「お休みなさい」
「お休み、ちゃんと寝るのよ」
 本谷が先に降りると、自分の部屋がある階に着くのを待ちきれず、アスカは携帯でひとみを呼び出した。
「謎が解けたわ! とんでもないことになってるのよ!」
 それからひとみの部屋に飛んで行ったアスカはひとみと二人で、ああでもないこうでもないと話し込んだ。
「まさかと思うけど、工藤さん、心変わりとか、ないわよね」
 アスカが難しい顔で言った。
「うーん、どっちかっていうと、良太ちゃんが高広と本谷のことを邪推してってより、思い込んでるって気がする」
 ひとみは幾分冷静に判断した。
「もし、万が一にも心変わりとかなんて、あたし絶対許さないから!」
 アスカは両方の拳を握り、声を大にして宣言する。
「まあ、とにかく、明日、高雄に行って高広に問いただしてくるわ」
 ふう、とひとみは息をついてから、そう言った。
「あたしは、明日、良太を捕まえて聞き出してやる。だってあの子、日に日にやつれてきてたのよ? やっぱ仕事だけのことじゃなかったのよ」
 いつもはああしろこうしろと良太をいいように使っているアスカだが、良太は今やかわいい弟分、あくまでもアスカ側の見解だが、なのである。
 その良太が思い悩んで引っ越しまで考えているのにと思うと、気が気ではないのだ。
「気になるのはトシちゃんよ」
 ひとみがぽつりと言った。
「宇都宮さんがまさか良太をそういう目で見てるとは思わなかったわ」
「うーん、あの人、結構周り見てるからね、ひょっとして、高広と本谷のこと気づいているのかもよ」
 随分長いこと良太と工藤のことで策を練った二人だが、これ以上話していても早朝からの撮影に支障をきたすだけだと、携帯の画面が午前三時を示す頃、アスカはようやく部屋に戻った。
 それが昨夜のことだ。
 昼に現れた良太は、さらにげっそりしたような顔をしていて、もうその場で問い詰めてしまいたいほどだったが、そこはじっと我慢しつつ、本谷の様子もうかがっていた。
 良太に対する本谷は、誰が見ても好青年としか思えない雰囲気である。
 無論、本谷は工藤と良太のことは知らないだろうし、良太は良太で、『田園』の撮影の時も飲み会の時も、竹野から毒舌を浴びせられている本谷をうまくフォローしていた。
 でもいつ気づいたんだろう、良太。
 ひょっとして工藤と本谷の何かを見てしまったとか?
「寝不足ですか?」
 出番以外では、もうずっと想像をたくましくしながら、あくびを繰り返しているアスカに秋山が気づいた。
「ああ………ちょっとね、考え事してて」
「何か心配事でも?」
「う………ん………」
 アスカは煮え切らない返事をする。
 秋山さんに相談しても、当人同士のことですし、とか言いそうだしさぁ。




 その頃、良太はタクシーで高雄へ向かっていた。
 しばらく走り、中川トンネルを抜けたあたりでロケが行われているはずだった。
 北山地方は古くから林業を生業として受け継がれ、夏でもひんやりとした空間と清滝川など谷を流れる水といい、杉を育てるのに適しており、北山杉は室町時代の頃よりは茶の湯の文化とともに茶室などの数寄屋建築にも用いられたとされる。
 また神護寺、西明寺、高山寺、それに平岡八幡宮など、神社仏閣は国宝級だ。
 北山地方や北山杉についてはもっと調べたかったものの、結局時間がなく、新幹線の中でネットの知識を拝借した程度だ。
 京都の中心部から約一時間ほど、北山杉の里は閑として良太の知る世界とはまるで異質の空間がそこにあった。
 仕事とはいえ、こういうところに巷の人間が大挙して訪れること自体、空気を汚しているような思いがする。 
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