風そよぐ

chatetlune

文字の大きさ
上 下
17 / 75

風そよぐ 17

しおりを挟む
 すると大澤は良太に寄ってきて、小声で聞いた。
「なあ、あいつ、大丈夫なのかよ?」
「は?」
 良太は振り返って、まだ座ったままぼんやりしている、あいつ、を見た。
「本谷さんですか?」
「そうだよ。なんか最近やたらあちこち出まくってるけど、今回の役って結構キーマンだろ? 事務所に無理やりやらされたドラマみたい、周りがよいしょしてフォローしてくれるような現場じゃねぇだろ?」
 大澤としては最近しっかりした演技が定着して、この役にもかなり愛着をもっているようなので、ポッと出の新人にドラマを壊されたくないというのが本音だろう。
「大丈夫ですよ。本谷さん、人気だけであちこち出てるわけじゃないですから。どっかに姿をくらまして撮影に穴をあけるようなバカなことはしませんよ」
 すると大澤は、「あ、やっぱお前、あの時のことまだ根に持ってるんだろ」と言い出した。
「俺ががーがー言ったから、まさか、お前、もうドラマなんかやりません、とかってんじゃないだろうな? いいか、あの時は、もう暑くて死にそうで、撮影はタイトだし、ついつい文句が出ただけってか、それに何かお前妨害工作されてたって聞いたぞ?」
 何だか必死に弁解してくる大澤に良太は苦笑せざるを得ない。
「いやほんと、今は制作の仕事が面白いんで。二度と俳優なんかやりませんってか、俺にはそういう技量はないし」
「俳優なんかってお前、やっぱ根に持ってんじゃん。あれからあちこちの監督とか脚本家がお前を探してたって聞いたぞ。技量がないわけないだろうがよ」
「本谷さんは、ちゃんとそういう技量がある人ですから、心配ないです。工藤のお墨付きですから」
 尚も食い下がる大澤に、良太はつい、そんなことを口にした。
「工藤のお墨付き? あいつを買ってて、この役に抜擢したってか?」
 そう言われて良太はちょっと言葉に詰まる。
「いや、なんてか、工藤の場合、あんまり怒鳴り散らさなくなったら、その人を認めたってことなんだろ。本谷さん、これから成長していくんじゃないですか?」
「へえ」
「だから、まあ、科白はどうでも文句言わずに、演技、見てやってくださいよ、大澤さんももう実績あるんだし」
 大澤はそこでマネージャーに呼ばれて行ってしまったが、良太は、何でこんなに本谷のことを弁解してるんだろう、と自分でも首をかしげる。
 だが、今自分で言葉にしてから、工藤が本谷を俳優として成長する器だと認めたのだろうと、不意に思い知る。
 工藤はダメだと思う者に対しては辛らつだが、滅多に人を褒めそやしたりしない。
 ただ、認めている人間に対しては何も言わない。
 現に、主に竹野と折り合いが悪いという理由であれだけキャスティングが難航しても、竹野の演技を認めているから何も言わないのだ。
 俺なんか、これに商品価値がどこにある、だったもんな。
 ちぇ、わかってるって、俺なんか俳優とかやるような器じゃないって。
 あーあ、俺にちょっとでもそんな気配があったら、本谷みたいに、見守ってやろうとか思ってくれたのかな。
 とか。
「あ、すみません、千雪さん、行きましょう」
 大澤のせいで千雪をぼっと突っ立たせていたのだった。
「ああ、良太、お前、大丈夫か?」
「え、何がです?」
「何か、お前、やっぱおかしいで。疲労だけやのうて、何かあった?」
 これだから、千雪は妙に鋭い。
「ありませんよ。いや、ほんと、スケジュール手一杯で、あ、でも明日能登に行くんですよ。仕事ですけどね。でも温泉で一泊するし、魚も旨そうだしちょっと楽しみなんです」
 笑顔を取り繕う術をもう少し養うべきだろう。
 良太は一瞬ひきつってしまった笑いを取り戻すのにてこずった。
「あの、広瀬さん」
 エレベーターを待っている時に、またしても良太は声をかけられて振り返る。
 広瀬なんて呼んでくれる人には礼を言いたいくらいだが。
「はい、何でしょう、本谷さん」
「また、よろしくお願いします。なんか、今度はすごく重要な役で、俺、ちょっと頑張んないとって」
 うーん、やっぱりこの人は真面目で素直なんだ。
「だーいじょうぶですよ。何しろ、本谷さん、原作者のこの小林先生がお名指しされたんですから」
 千雪はそこで初めて、あっと思いだしたようだ。
 疲労困憊の二人でオフィスでグダグダやっていた時に、良太がテレビをつけるから、この人って指で指し示せというので、ノリでやったのだが、ほんとに良太がキャスティングしてしまったのかと。
「え、ほんとですか? あ、すみません、小林先生、申し遅れました、私、ミタエンタープライズの本谷和正と申します。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
 一瞬、明るい笑顔を見せてから深々と頭を下げる本谷に、千雪は「はあ、よろしゅうに」と返す。
 エレベーターが開くととりあえず三人一緒に乗り込んだ。
「本谷さん、今日もおひとりなんですか?」
 黙っているのも気まずくて、良太はたずねた。
「ええ、今日はもう帰るだけなので……。あの……」
「はい?」
「工藤さん、ずっと京都なんですね」
 エアコンよりも低く、すーっと良太の中で冷えていくものがあった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

離縁するので構いません

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,272pt お気に入り:1,427

死者からのロミオメール

ミステリー / 完結 24h.ポイント:213pt お気に入り:41

異世界王女に転生したけど、貧乏生活から脱出できるのか

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:1,179

5分で読める短編小説集 風刺編

SF / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

転生令嬢は騎士からの愛に気付かない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:3,404

傾国の美女─范蠡と西施─

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:370pt お気に入り:1

拝啓、可愛い妹へ。お兄ちゃんはそれなりに元気です。

BL / 連載中 24h.ポイント:184pt お気に入り:2,992

君と会える幸せを

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:3

処理中です...