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そんなお前が好きだった 61
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「んじゃ、俺、そろそろ帰るわ」
「俺も夕方から教室あるし」
元気と東がそれぞれそう言って玄関に向かう。
「あ、元気、また清算してくれ」
「実業家の井原には微々たるもんだけど、引っ越し祝いってことで」
元気の返事に井原は苦笑した。
「じゃあ、俺も。明日は東京なんで、そろそろ」
豪もゴミ袋をキッチンに置いてくるとそう言ってたったか出て行く。
「おう、みんな、ありがとう、助かった!」
出遅れた響は、俺も、と言いかけて、「あ、車、ないんだった」と思わず口にした。
「俺が送って行きますよ。さっき濡れたシートは拭いたから大丈夫」
「あ、悪い………」
響がそう言った時にはもう、三人は出て行ったあとだった。
唐突にシーンと部屋の空気が静まり返る。
うわ、何だこの、シーンって感じ。
響は何か言おうとしたが、井原と二人きりというこの状況に頭が真っ白になって言葉が出てこない。
何で、何も言わないんだよっ!
響は振り返ることもできなくて、心の中で喚いた。
「あ、そうだ、あの、コーヒー、飲みませんか? さっき、ついでに元気が買ってきてくれたんで」
ようやく井原はそういうと、そそくさとキッチンに向かった。
自分のシャツとパンツを抱えたまま、響は「あ、ありがとう」とやっとのことで口にした。
ソファに戻って響はほっと一つ息をつくと、部屋を見回した。
大きな家具はほぼあるべき場所に納まって、かなり落ち着いたが、ラグやカーテン、それにスリッパなどもないから、皆裸足で歩いていた。
スリッパやタオルを買ってこようと思ったのに、あんなことになってしまい、響はやはり申し訳なさが募る。
「あのさ、後日でよければ、俺、スリッパとか何か必要なもの、買ってくるよ」
響はキッチンにいる井原に声をかけた。
「ああ、ありがとう」
そう返事をしてから、井原は今使おうとしているマグカップが二客なのに気づいた。
個包装のドリップコーヒーの他に、湯沸かしや片手鍋があり、それに冷蔵庫には牛乳に卵、ハム、ソーセージ、チーズなども入っている。
冷蔵庫の上にはフランスパンが置いてある。
それらすべて元気が揃えてくれたものだが、マグカップが二客であることに、何か元気の意図を感じて、井原は「あのやろう」と呟いた。
さらにあっという間に三人ともたったか帰って行ったことも、示し合わせたらしいと思わざるを得ない。
元気の性格なら、車がない響に、乗って行きますか、とでも聞かないのはおかしい。
どうやら響と二人にするために、元気がお膳立てしたに違いないと今さらながらに思い知った。
「どうぞ。元気のコーヒーとは比べないでくださいよ」
井原は冗談めかしながら響の前にコーヒーを置いた。
「ありがとう」
井原は響の斜め右に座り、自分もコーヒーを飲んだ。
「あ、あの、俺、何か、気が利かないから、引っ越し祝いとか考えてなくて」
一口コーヒーを飲むと、響がぽつりと言った。
「何言ってるんです? 手伝いに来てくれただけで充分ですって」
井原が笑った。
「あ、でも、そしたら、今度、カーテンとかラグとか買うの一緒に行ってくれます?」
こういうところが、元気に言わせると調子のいい奴、な井原なのだが、そんな井原が響に対して、ここぞというところでブレーキをかけているのが元気には不思議だったのだ。
井原にしてみたら、響のことを大切にしたいからこそ、と思って十年経ってしまったわけなのだが、おかしなことに、いつかはきっとという妙な自信が井原にはあった。
在学時も響が自分のことを好きでいてくれるというのも口には出さなかったが何故か確信があった。
だからクラウスが現れた時はカッとなって突っ走ってしまった。
響に断られた時は頭が真っ白になったが、荒川の事件を知って、荒川には悪いがほっとしたのも確かだ。
今度こそ失敗しない。
こんな絶好のチャンスをみすみす逃すつもりはないが、いきなり襲い掛かって響を怖がらせるようなことはしたくなかった。
「そんなことでよければ……」
響は小さな声で言った。
「響さんの都合のいい時で。あと、オーディオセットを揃えるつもりなんだけど、まだ、どれにするか迷ってて」
響の答えに満足した井原は続けた。
「こっちに、東の絵を飾るんだ? あと、緑があった方がいいんじゃないか?」
「お、それそれ。なるべく手間のかからないやつね。俺、下手して枯らしちゃったことがあるし」
井原が軽く笑うと響もつられて笑う。
「手間かからないやつ、いくらでもあるんじゃないか?」
「だな。あと、キーボード、今、メンテに出してて、一応、書斎にでも置くかとは思ってるんだけど」
「そうなんだ? そういえば見当たらないと思ってた」
「結構、年季入ってて、愛着もあるんだ。Moogのやつ。響さんのピアノみたく送ったりするの大変でもないから、向こうから持ってきたんだけど」
「ピアノは届いてからも調律師に来てもらったりして、めんどくさいよ」
響は思い出したようにコーヒーを飲む。
「俺も夕方から教室あるし」
元気と東がそれぞれそう言って玄関に向かう。
「あ、元気、また清算してくれ」
「実業家の井原には微々たるもんだけど、引っ越し祝いってことで」
元気の返事に井原は苦笑した。
「じゃあ、俺も。明日は東京なんで、そろそろ」
豪もゴミ袋をキッチンに置いてくるとそう言ってたったか出て行く。
「おう、みんな、ありがとう、助かった!」
出遅れた響は、俺も、と言いかけて、「あ、車、ないんだった」と思わず口にした。
「俺が送って行きますよ。さっき濡れたシートは拭いたから大丈夫」
「あ、悪い………」
響がそう言った時にはもう、三人は出て行ったあとだった。
唐突にシーンと部屋の空気が静まり返る。
うわ、何だこの、シーンって感じ。
響は何か言おうとしたが、井原と二人きりというこの状況に頭が真っ白になって言葉が出てこない。
何で、何も言わないんだよっ!
響は振り返ることもできなくて、心の中で喚いた。
「あ、そうだ、あの、コーヒー、飲みませんか? さっき、ついでに元気が買ってきてくれたんで」
ようやく井原はそういうと、そそくさとキッチンに向かった。
自分のシャツとパンツを抱えたまま、響は「あ、ありがとう」とやっとのことで口にした。
ソファに戻って響はほっと一つ息をつくと、部屋を見回した。
大きな家具はほぼあるべき場所に納まって、かなり落ち着いたが、ラグやカーテン、それにスリッパなどもないから、皆裸足で歩いていた。
スリッパやタオルを買ってこようと思ったのに、あんなことになってしまい、響はやはり申し訳なさが募る。
「あのさ、後日でよければ、俺、スリッパとか何か必要なもの、買ってくるよ」
響はキッチンにいる井原に声をかけた。
「ああ、ありがとう」
そう返事をしてから、井原は今使おうとしているマグカップが二客なのに気づいた。
個包装のドリップコーヒーの他に、湯沸かしや片手鍋があり、それに冷蔵庫には牛乳に卵、ハム、ソーセージ、チーズなども入っている。
冷蔵庫の上にはフランスパンが置いてある。
それらすべて元気が揃えてくれたものだが、マグカップが二客であることに、何か元気の意図を感じて、井原は「あのやろう」と呟いた。
さらにあっという間に三人ともたったか帰って行ったことも、示し合わせたらしいと思わざるを得ない。
元気の性格なら、車がない響に、乗って行きますか、とでも聞かないのはおかしい。
どうやら響と二人にするために、元気がお膳立てしたに違いないと今さらながらに思い知った。
「どうぞ。元気のコーヒーとは比べないでくださいよ」
井原は冗談めかしながら響の前にコーヒーを置いた。
「ありがとう」
井原は響の斜め右に座り、自分もコーヒーを飲んだ。
「あ、あの、俺、何か、気が利かないから、引っ越し祝いとか考えてなくて」
一口コーヒーを飲むと、響がぽつりと言った。
「何言ってるんです? 手伝いに来てくれただけで充分ですって」
井原が笑った。
「あ、でも、そしたら、今度、カーテンとかラグとか買うの一緒に行ってくれます?」
こういうところが、元気に言わせると調子のいい奴、な井原なのだが、そんな井原が響に対して、ここぞというところでブレーキをかけているのが元気には不思議だったのだ。
井原にしてみたら、響のことを大切にしたいからこそ、と思って十年経ってしまったわけなのだが、おかしなことに、いつかはきっとという妙な自信が井原にはあった。
在学時も響が自分のことを好きでいてくれるというのも口には出さなかったが何故か確信があった。
だからクラウスが現れた時はカッとなって突っ走ってしまった。
響に断られた時は頭が真っ白になったが、荒川の事件を知って、荒川には悪いがほっとしたのも確かだ。
今度こそ失敗しない。
こんな絶好のチャンスをみすみす逃すつもりはないが、いきなり襲い掛かって響を怖がらせるようなことはしたくなかった。
「そんなことでよければ……」
響は小さな声で言った。
「響さんの都合のいい時で。あと、オーディオセットを揃えるつもりなんだけど、まだ、どれにするか迷ってて」
響の答えに満足した井原は続けた。
「こっちに、東の絵を飾るんだ? あと、緑があった方がいいんじゃないか?」
「お、それそれ。なるべく手間のかからないやつね。俺、下手して枯らしちゃったことがあるし」
井原が軽く笑うと響もつられて笑う。
「手間かからないやつ、いくらでもあるんじゃないか?」
「だな。あと、キーボード、今、メンテに出してて、一応、書斎にでも置くかとは思ってるんだけど」
「そうなんだ? そういえば見当たらないと思ってた」
「結構、年季入ってて、愛着もあるんだ。Moogのやつ。響さんのピアノみたく送ったりするの大変でもないから、向こうから持ってきたんだけど」
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