そんなお前が好きだった

chatetlune

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そんなお前が好きだった 58

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「井原……」
 井原の顔を見た途端、響は不意に目頭が熱くなって、ポロリと涙が零れ落ちた。
 井原が持っているハンマーを見せて何か言っているが聞こえない。
 だが振り下ろす振りに響は頷いた。
 すぐにハンマーがサイドガラスを割り、やがて粉々に砕け散ると響は井原に引き出されて外に出た。
 井原は響を抱えたまま豪や東が引っ張るロープを掴んで水の中から這い出した。
「……助かった、悪……い……」
 まだ強い雨が落ちてくる地面に這いつくばるようにして声を出す響を井原は抱きしめた。
「ったく! 俺の方が死ぬかと思った!!!!」
 井原は吐き出すように言った。
 ずぶぬれになりながら響を離さない井原を放って、豪はもう一台の方へと水の中に入っていく。
 東が電柱に先を縛り付けたロープを握りしめて様子を窺うと、豪が中の運転手と手振りでコンタクトを取り、サイドガラスをハンマーで割った。
 乗っていたのは年配の女性とトイプードルで、豪はまずトイプードルを抱えて水量が増した水の中を引き返し、井原に渡した。
「響さん、この子ちょっと持ってて」
 響が井原からトイプードルを受け取ると、井原は豪のあとから女性の救助に向かった。
 トイプードルは震えていて、頼りない小さな犬を響はしっかり抱きしめていた。
 やがて豪が女性を中から引き摺りだすと、井原も女性の腕を取り、何とか水の中から上がることができた。
 しきりとありがとうございますを繰り返している女性と犬も一緒にジープに乗り込むと、まず女性をバイパスの向こうにある家まで送り届けてから、井原の新居へと取って返した。
 四人が帰ると元気が飛び出してきて驚いた。
「うわ、何、皆びしょぬれ! どうしたんだ? 帰ったら誰もいないし、携帯も出ないし」
「悪い、俺がドジ踏んじゃって」
 響が情けない顔で答えた。
「とにかくシャワー、響さんからどうぞ。着替えはみんな、俺ので申し訳ないが段ボールから出すから使って」
 井原がてきぱきと指示すると、さっき運び込んだ段ボールを出しに行った。
 とにかく響はずぶぬれのままバスルームへ飛び込んだ。
「響さん、Tシャツと短パン、それにバスタオルここに置くから」
 ぐっしょりなシャツやらパンツやらなので、バスルームの中で脱いでいた響は井原の声に、「悪いな」と返事をした。
 本当はタオルとかを買いに出たはずなのに、逆に迷惑をかけてしまったと、響は大きくため息をついた。
 それでも熱い湯は水の中で冷えた身体を少しずつまともにしていった。
 ここに着いた時、実際さっきのトイプードルではないが、小刻みに震えていた。
 いや、俺より、井原や豪の方が何度も水の中に入って、さっきの婦人を救助したりで、冷え切ってるに違いない。
 響は何とか寒気がおさまるくらい湯をかぶると、早々にバスルームを出た。
 さっき、豪が設置していた洗濯機の上に置かれたシャツやバスタオルを取ると、濡れた衣類を洗濯機に放り込み、バスタオルで身体を拭いた。
「お先。洗濯機に濡れた服放り込んだから、皆のと一緒にあとで洗うよ」
 リビングはエアコンで少し暖かくなっていた。
 三人は濡れたシャツを脱いで下だけになっていて、「お前ら、面倒だからまとめて入って来いよ」などと元気にうっとおしがられている。
「無理だろ。さすがにこのバスルーム、狭すぎ」
 井原は文句を言いつつ、豪に入れと促した。
「少しはあったまった?」
 リビングのテーブルには、鮨やサンドイッチなどが並べられ、すぐにも宴会に突入できそうになっていたが、我慢できなかったらしい東や豪、井原はポテトチップスなどを早速つまんでいる。
「車、冠水ですって? コーヒーとノンアルどっちがいい?」
「じゃあ、ノンアル」
 プルトップを抜いてノンアルコールビールを響に差し出しながら、元気が尋ねた。
「面目ない。うっかりアンダーパスなんかに入っちまったために、皆に迷惑かけて」
 恐縮しきりな響を、「いや、不可抗力ですよ。あれは誰も予測不可ですって。電光掲示板も俺らが辿り着いた時まだ、通行不可になってなかったし」と井原が庇う。
「確かに、最近の急激な雨量って半端ないし。響さんこそ、車ダメになっちゃったし、とんでもない災難でしたね」
「やっぱ、ああなると、使いもんにならないよな」
「まず、無理かな」
「まあ、安く買った中古だし。当分は歩くわ」
 サバサバと口にした響は、くしゃみを一つした。
「え、大丈夫ですか?」
 井原が心配して響に歩み寄った。
「平気……」
 ジムで鍛えたという井原の上半身をすぐそばに見て、響は何か言おうとして言葉を飲み込んだ。
 さらに微妙なタイミングで雨の中どさくさに紛れて抱きしめられたことがフラッシュバックして、かあっと顔が火照りだし、慌ててノンアルコールビールをゴクゴクと飲む。
「響さん、顔赤いですよ、やっぱ風邪引いたんじゃ」
 傍でおろおろする井原に、「ほんと、平気だから。鮨とか食えばもとに戻るし」と思い付きを口にする。
「え、じゃ、響さん、先に食べてください」
「いや、皆と一緒で大丈夫だって」
「上がった。次、入って」
 早く井原に離れてくれないかと思っていた響には救いの一言だった。
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