そんなお前が好きだった

chatetlune

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そんなお前が好きだった 47

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 もし、井原と付き合うなんてことになったら、すぐに知れ渡ってしまうだろう。
 荒川の言葉は確かなのだ。
 井原には、悪い噂なんか似合わない。
 生徒らにまで奇異な目を向けられたりしてはいけないんだ。
 雨は次第に強くなった。
 家に辿り着いた頃には、結構濡れていた。
 ざっとシャワーを浴びてから、レッスンの生徒を迎えた。
 いつものように二人のレッスンを見て、食事を済ませて部屋に戻った。
 朱莉の店で買ってきたおもちゃをにゃー助は気に入ってくれたようで、時々一人遊びをしている。
 動いていても寝ていても可愛い。
 猫ってこんな可愛い生き物だったんだ、と改めて思う。
 意を決して携帯を取った時には十一時を過ぎていたが、ともかく返事だけ早く伝えてしまいたかった。
 何回かのコールのあと、井原が出た。
「俺、響だけど」
「響さん? どうした?」
 どうしたと聞きながら、井原には響が何でこんな時間に電話をしたのか、すぐにわかったようだ。
「昨日の、ことだけど、俺、やっぱ、無理だ。ゴメンな」
「え………そう、そうか…………」
 どれだけかの沈黙のあと、わかった、と消え入るような声が聞こえた。
 じゃあ、と、響は電話を切った。
 切った後しばらくまた思考がとまっていた。
「今度は本当にもう井原とは終わり、だな」
 そんな言葉がやっと口から出た。
 友達でいようなんて、詭弁もいいとこだ。
 もう金輪際、そんな熱い想いを向けられることも、目いっぱいの笑顔を向けられることもないかも知れないが、仕方ない。
 二日続けて、クラウスのくれた酒に頼ることになろうとは。
 響は苦笑した。
 クラウスに罵詈雑言浴びせて別れたりした罰かな。
 いや、そもそも奥さんや子供がいるのにそういうのが大嫌いな俺とつきあうとか、いい根性している。
 奥さんや子供のところに戻るべきだろう。
 仮に、本当に俺のことを愛してくれたとしても、俺には応えられなかったのだ。
 マグカップに半分ほどを飲み干して、また注ぐ。
 いや、この街で井原と再会できたことだって、奇跡のようなものだ。
 しかも井原に告られるなんて。
 そんな奇跡あり得ないのに。
 そんな奇跡を断ってしまったら、もう未来永劫、井原と笑い合えることなんてない。
 そしてこの街をまた出て行ったら、もう帰るつもりはない。
 だからもう。
 井原とはもう二度と会うことはない。
 もう二度と会えないのだ。
 マグカップが空になっていてまた酒を注ぐ。
 三杯目を飲み干したけれど、なかなか眠れない。
「未来永劫、もう井原と巡り合うことなんかないんだ」
 そう口にすると、唐突に深い断崖が脳裏にぱっくり現れた。
 むしろその断崖に身を躍らせてもいいと思うほどに、深淵の深みが響を呼んでいるような気がした。
 未来永劫。
 未来永劫。
 恐ろしいほどに体が冷えていく。
 身体が浮遊する。
 どんどん深淵に落ちていく。
 怖い、怖いよ、井原!
 助けてくれ!
 井原………!
 目を空けるとベッドに横たわっているだけだった。
「井原はもう、来てくれないんだっけ……」
 ハハハと響は空笑いした。
 ふと手にしていた携帯に気づいた響は、誰かの言葉が聞きたくなった。
 酔っているのでためらいもなく、一つの番号を押した。
 五回目のコールで、声が聞こえた。
「響さん? どうしたんですか? こんな時間に」
「なんかさ……深淵の底から俺が呼ばれてるみたいな気がしてさ………」
「響さん! 今、どこ?」
 途端、相手の声が大きくなる。
「え、どこって……うち……」
「ちょっと今から行きますから!」
 そういうと電話は切れてしまった。
「え……うち、くるって、何で???」
 五分ほど経ってから、チャイムが鳴った。
「え、はーい」
 響はふらついてテーブルや壁に手をつきながら、ペットゲートを開けた。
 すぐ後ろににゃー助がいるのに気づいて、抱き上げて玄関の鍵を開ける。
 にゃー助を脱走させないようにという意識だけは頭にあった。
 ドアを開けると、そこに息を切らせた元気が立っていた。
「元気い、元気そうで何より!」
 へらへらと笑う響を怪訝そうに見た元気はドアを閉めて、にゃー助を抱いて戻っていく響のあとからついて中に入った。
 鍵を閉め、ペットゲートも閉めると、元気はグランドピアノが二台交互に並ぶ横を通り、奥のソファに座っている響を見下ろした。
 するりとにゃー助は響の腕から降りて、爪とぎまで行くとバリバリとやり始めた。
「あ、元気も飲む? クラウスに餞別にもらった酒、なかなかいけるよ」
 響はよたよたと寝室に向かい、酒を持って戻ってきた。
「そんなに酒、強くないでしょ? どんだけ飲んだんです?」
 元気は渡されたボトルを見て、「ヘネシー、シシャール? げ……」と元気は呟いた。
 のたのたと響がキッチンの棚からマグカップを一つ持って来て元気に差し出した。
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