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そんなお前が好きだった 46
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「それに、俺、去年の秋、祖父の葬式でベルリンから戻るまで十年この街離れてたからな、田村先生療養中だし」
すまなそうに響は頷いた。
「ベルリンからいきなりこの田舎ですか? キョー先生、やっぱり面白い」
青山が妙な感心の仕方をする。
「そういう面白い先生がいてくださって、私たちすごくラッキーなんだと思います」
瀬戸川がぴしっと言い切った。
「面白いと思ってくれて、俺の方こそありがたいよ」
ふっと響は笑う。
生徒たちと一緒にいると、和やかな時間を過ごすことができる。
「ただいま戻りましたあ!」
そこへ汗だくになった寛斗がコンビニの袋を掲げて走り込んできた。
休憩のあと、また皆が気合を入れて一度合わせると、今度は今までになくいい演奏になった。
最後に意見交換をして終わった時は五時を過ぎていた。
生徒たちが帰っていった後、響は戸締りをしながら、ふうっと溜息をついた。
静寂が訪れるとともに、響の頭の中に横たわっている大問題が頭をもたげてきた。
さすがにあんな告白をした翌日だからか、昼も井原は顔を見せなかった。
放課後は理科系の会議があるらしいし、今日は井原の顔を見ないで終わりそうだ。
もっとも響こそ、井原とどんな顔をして会えばいいかわらからなかったから、少し胸を撫でおろしていた。
ぼんやりしていたので、ドア口に人がいるのに気づかなかった。
「和田先生」
呼ばれて、ハッとして響は振り返った。
そこに立っていたのは荒川だった。
「あ、はい、何か……」
嫌な予感がした。
荒川の強い視線が響に向けられていた。
「少しお話いいですか?」
いいかと尋ねながら荒川は既に教室内に足を踏み入れていた。
「和田先生は井原先生のこと好きなんですか? 恋愛対象として」
まさしく単刀直入な言葉だった。
「………は? 俺と井原は高校時代からの友人というだけで……」
荒川の断罪するかのような物言いのせいで、響はごまかしがうまくできなかった。
「ほんとにそれだけですか? だったら、少し井原先生から離れていてくれませんか? 私が近づこうとしても、井原先生、すぐ、和田先生と約束があるからとか、かわしてしまうんです」
それって俺のせいか?
響はちょっとイラっとしたが、響にわざわざこんなことを言いに来るほど荒川も必死なのだろうということはよくわかった。
「それに、こんな田舎で男同士なんてリスクが高いんじゃないですか? 男同士で教員同士とか噂になったら立場的にもいろいろ問題あるでしょう」
切り口上に、荒川は言うだけ言うと、響の答えも聞かずに「失礼します」と踵を返した。
ドアが閉まった後、廊下を歩く靴音がしばらく響いていた。
音楽室の真ん中にポケッと突っ立っていた響は、その時、既に薄暗くなりつつある廊下の方にスカートがひらりと見えたような、誰かがいるような気がしたが、首を傾げながらとりあえず準備室からバッグを取ってくると、灯りを消して音楽室を出て施錠した。
玄関を出ようとした響は、ぽつりぽつりと零れてきた雨に気づいた。
傘を取りに戻るのも面倒だと思い、響がここに来た去年の秋からそこに置いてあるビニール傘数本のうち一本を借りることにした。
随分使ってないらしい傘らしくほこりをかぶっている。
ポンと音を立てて開いた傘をさすと、響はとぼとぼと歩いた。
「先生、さよなら」
門のあたりで部活の帰りらしい男子が響に声をかけた。
響がさよならを返すとやはり傘を忘れたようで自転車で濡れながら走って行く。
レインコートを着た三人ほどが笑い合いながら自転車で帰っていく。
元気な高校生たちは雨などモノともしないらしい。
ここのところ立て続けに少なくとも響にとっては衝撃的な出来事が起きたため、脳が働くようになるまでしばし時間が必要だった。
井原の告白で高みに連れていかれたと思ったら、ついさっきの荒川には断崖から突き落とされたような気分だった。
むしろ冷静になれただけ、マシだったかも知れない。
そういえば昨日、井原の車で帰る時、荒川がじっと見つめていたのを思い出した。
彼女にとっては自分は悪なのだろう。
井原を誘惑する、荒川から井原を奪ってしまう存在。
しかも男。
ネットが普及した現在でもダイバシティなんて言葉は、まだまだこんな田舎にまでは届かない。
確かに差別をなくそうといった言葉は既に高校生くらいには届いていても、ネットやSNSに興味すらないような年配の人間たちには理解の外だろう。
女性の方が年が結構離れているというだけで結婚なんてあり得ないとするようなこの街で、高校教師が、しかも男同士がつきあうとか、考えも及ばないに違いない。
先生なんて呼ばれるような人間じゃないと思っていた響だが、いつの間にかそう呼ばれることに慣れてしまった。
先生、なのだ。
井原と荒川が会っていたなどという噂も、生徒の間にあっという間に知られていた。
すまなそうに響は頷いた。
「ベルリンからいきなりこの田舎ですか? キョー先生、やっぱり面白い」
青山が妙な感心の仕方をする。
「そういう面白い先生がいてくださって、私たちすごくラッキーなんだと思います」
瀬戸川がぴしっと言い切った。
「面白いと思ってくれて、俺の方こそありがたいよ」
ふっと響は笑う。
生徒たちと一緒にいると、和やかな時間を過ごすことができる。
「ただいま戻りましたあ!」
そこへ汗だくになった寛斗がコンビニの袋を掲げて走り込んできた。
休憩のあと、また皆が気合を入れて一度合わせると、今度は今までになくいい演奏になった。
最後に意見交換をして終わった時は五時を過ぎていた。
生徒たちが帰っていった後、響は戸締りをしながら、ふうっと溜息をついた。
静寂が訪れるとともに、響の頭の中に横たわっている大問題が頭をもたげてきた。
さすがにあんな告白をした翌日だからか、昼も井原は顔を見せなかった。
放課後は理科系の会議があるらしいし、今日は井原の顔を見ないで終わりそうだ。
もっとも響こそ、井原とどんな顔をして会えばいいかわらからなかったから、少し胸を撫でおろしていた。
ぼんやりしていたので、ドア口に人がいるのに気づかなかった。
「和田先生」
呼ばれて、ハッとして響は振り返った。
そこに立っていたのは荒川だった。
「あ、はい、何か……」
嫌な予感がした。
荒川の強い視線が響に向けられていた。
「少しお話いいですか?」
いいかと尋ねながら荒川は既に教室内に足を踏み入れていた。
「和田先生は井原先生のこと好きなんですか? 恋愛対象として」
まさしく単刀直入な言葉だった。
「………は? 俺と井原は高校時代からの友人というだけで……」
荒川の断罪するかのような物言いのせいで、響はごまかしがうまくできなかった。
「ほんとにそれだけですか? だったら、少し井原先生から離れていてくれませんか? 私が近づこうとしても、井原先生、すぐ、和田先生と約束があるからとか、かわしてしまうんです」
それって俺のせいか?
響はちょっとイラっとしたが、響にわざわざこんなことを言いに来るほど荒川も必死なのだろうということはよくわかった。
「それに、こんな田舎で男同士なんてリスクが高いんじゃないですか? 男同士で教員同士とか噂になったら立場的にもいろいろ問題あるでしょう」
切り口上に、荒川は言うだけ言うと、響の答えも聞かずに「失礼します」と踵を返した。
ドアが閉まった後、廊下を歩く靴音がしばらく響いていた。
音楽室の真ん中にポケッと突っ立っていた響は、その時、既に薄暗くなりつつある廊下の方にスカートがひらりと見えたような、誰かがいるような気がしたが、首を傾げながらとりあえず準備室からバッグを取ってくると、灯りを消して音楽室を出て施錠した。
玄関を出ようとした響は、ぽつりぽつりと零れてきた雨に気づいた。
傘を取りに戻るのも面倒だと思い、響がここに来た去年の秋からそこに置いてあるビニール傘数本のうち一本を借りることにした。
随分使ってないらしい傘らしくほこりをかぶっている。
ポンと音を立てて開いた傘をさすと、響はとぼとぼと歩いた。
「先生、さよなら」
門のあたりで部活の帰りらしい男子が響に声をかけた。
響がさよならを返すとやはり傘を忘れたようで自転車で濡れながら走って行く。
レインコートを着た三人ほどが笑い合いながら自転車で帰っていく。
元気な高校生たちは雨などモノともしないらしい。
ここのところ立て続けに少なくとも響にとっては衝撃的な出来事が起きたため、脳が働くようになるまでしばし時間が必要だった。
井原の告白で高みに連れていかれたと思ったら、ついさっきの荒川には断崖から突き落とされたような気分だった。
むしろ冷静になれただけ、マシだったかも知れない。
そういえば昨日、井原の車で帰る時、荒川がじっと見つめていたのを思い出した。
彼女にとっては自分は悪なのだろう。
井原を誘惑する、荒川から井原を奪ってしまう存在。
しかも男。
ネットが普及した現在でもダイバシティなんて言葉は、まだまだこんな田舎にまでは届かない。
確かに差別をなくそうといった言葉は既に高校生くらいには届いていても、ネットやSNSに興味すらないような年配の人間たちには理解の外だろう。
女性の方が年が結構離れているというだけで結婚なんてあり得ないとするようなこの街で、高校教師が、しかも男同士がつきあうとか、考えも及ばないに違いない。
先生なんて呼ばれるような人間じゃないと思っていた響だが、いつの間にかそう呼ばれることに慣れてしまった。
先生、なのだ。
井原と荒川が会っていたなどという噂も、生徒の間にあっという間に知られていた。
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