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そんなお前が好きだった 43
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「あ、もちょい右あげて、あ、そうそう!」
紀子の指示に響は額を少し上げてフックを留めた。
「あ、いいじゃん、これ、俺も欲しいな」
紀子と並んでベネチアの絵を眺めながら、響が言った。
「ちょうど浸水してる頃に行ったことがあって、でも観光客も街の人も平気で歩いてるし、俺はひざ下まで水に浸かっちまって、早々にホテルに逃げたよ」
「他にもあちこち行ったんでしょ?」
「うん、ヨーロッパ中ってくらい、あちこち演奏旅行した。冬のノルウェーとかロシアの寒さって半端なかったな」
「わあ、あたしも行きたーい」
井原の耳にそんな二人の会話が聞こえてくる。
六時を過ぎるとあまり客も来ないのだが、ドアが開いて、観光客らしき二人連れが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
元気が対応すると、紀子はそそくさと取り替えた絵と、飾り付けた絵の箱をまとめて持ち上げようとした。
「こっち持つよ。傷がつくと大変だから」
外したサムホールの三枚の絵を大事そうに響が掲げた。
二人がカウンターの奥へ入っていくと、井原は立ち上がってムッとした顔のままコーヒー代を置いた。
「よし、俺も東にヨーロッパの絵、もらって飾るぞ!」
「何をお前張り合ってんだよ」
オーダーを取って戻ってきた元気が笑う。
「紀ちゃん情報だが、既に告ったやつがいるみたいだぞ?」
続けてボソリと元気が声を落として言った。
かっさらわれる…………!
井原はまた拳を固めた。
「カウンターは殴るな」
そこへ紀子と響が奥から出てきて何やら笑い合っている。
「響さん、家まで送ります」
妙に強張った声の井原をチラリとみた響は、「ここからなら歩いても行ける……」と言いかけたが、「送ります」と井原に再度言われて、「あ、そ」と響は頷かされた。
「お代はもういただいてます」
にっこりと笑って元気が言った。
「おい、たまには俺におごらせろよ」
「行きましょう」
響に答えもせず、井原は響の腕を取ってドアを開けた。
響は井原のようすが何となく変だとは思っていた。
井原は黙って駐車場まで歩き、後ろからついてきた響が助手席に座ると、らしくもなく黙りこくったまま、エンジンをかけた。
響の家の前まで来ると、井原は車を停めた。
「じゃあ、お疲れ様」
シートベルトを外した響が降りようとドアに手をかけた途端、井原がまた響の腕を掴んだ。
「井原?」
「………さっきの………違いますから」
井原は固い声で言った。
「え? 違うって何が?」
「荒川先生と俺は付き合ってなんかいないんで」
井原は吐き出すように言った。
「え…………あ、そう、なんだ」
響は井原を見つめた。
こいつらしくもなく何をそんな苦しそうな顔をしているんだ?
「響さん、告られたって、ほんとですか?」
「へ?」
響の方に顔を向けて、まじまじと見据える井原に、響はポケッとした顔になった。
「俺が? ああ、ひょっとして、寛斗のヤツのことか?」
「寛斗って、サッカー部兼ピアノ担当のあの生意気なガキのことですか?」
またらしくもない言い方で井原は怒ったように言った。
「あんなの、教師をからかって面白がってるだけだろ。誰が言ったんだ? そんなこと」
「いや、面白がってるだけとは限りませんよ? いや、いや、そんなことはどうでもいいんだ」
「どうかしたのか? 井原、何かお前変だぞ?」
響は笑った。
途端、井原は響の両肩をガシッと掴んだ。
「ずっと、響さんが好きだった。付き合ってください、俺と」
「おい、井原……お前まで人のことからかって……」
響は笑い流そうとして、井原の顔が強張っているのに気づいた。
「いい年して、からかうとかないから」
時間が止まったようなとはこういうことかなどと響は他人事のように思った。
視線を外すこともできず、井原と睨み合うように動くこともできないでいた。
あまりにも唐突で言うべき言葉もみつからない。
「なんか、もっと違うタイミングで言うつもりだったんだけど………」
井原はようやく手を離した。
「返事はすぐじゃなくてもいい。でも、マジなんで」
響はまだ身動きできずにいた。
頭も働いていない。
井原の言葉をきちんと理解できなかった。
「ゴメン、俺、下手するとこのまま響さんかっさらってどっか逃げてしまいそうなんで、すみません、とりあえず降りてください」
言われて響はようやくハッとして、慌ててドアを開けた。
「じゃあ、また明日」
響がドアを閉めると、早口で言って井原は車を出した。
車が見えなくなってもしばらく、響は門の前でそのまま佇んでいた。
響がようやく井原の告白をはっきり理解したのは、随分後になってからだった。
紀子の指示に響は額を少し上げてフックを留めた。
「あ、いいじゃん、これ、俺も欲しいな」
紀子と並んでベネチアの絵を眺めながら、響が言った。
「ちょうど浸水してる頃に行ったことがあって、でも観光客も街の人も平気で歩いてるし、俺はひざ下まで水に浸かっちまって、早々にホテルに逃げたよ」
「他にもあちこち行ったんでしょ?」
「うん、ヨーロッパ中ってくらい、あちこち演奏旅行した。冬のノルウェーとかロシアの寒さって半端なかったな」
「わあ、あたしも行きたーい」
井原の耳にそんな二人の会話が聞こえてくる。
六時を過ぎるとあまり客も来ないのだが、ドアが開いて、観光客らしき二人連れが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
元気が対応すると、紀子はそそくさと取り替えた絵と、飾り付けた絵の箱をまとめて持ち上げようとした。
「こっち持つよ。傷がつくと大変だから」
外したサムホールの三枚の絵を大事そうに響が掲げた。
二人がカウンターの奥へ入っていくと、井原は立ち上がってムッとした顔のままコーヒー代を置いた。
「よし、俺も東にヨーロッパの絵、もらって飾るぞ!」
「何をお前張り合ってんだよ」
オーダーを取って戻ってきた元気が笑う。
「紀ちゃん情報だが、既に告ったやつがいるみたいだぞ?」
続けてボソリと元気が声を落として言った。
かっさらわれる…………!
井原はまた拳を固めた。
「カウンターは殴るな」
そこへ紀子と響が奥から出てきて何やら笑い合っている。
「響さん、家まで送ります」
妙に強張った声の井原をチラリとみた響は、「ここからなら歩いても行ける……」と言いかけたが、「送ります」と井原に再度言われて、「あ、そ」と響は頷かされた。
「お代はもういただいてます」
にっこりと笑って元気が言った。
「おい、たまには俺におごらせろよ」
「行きましょう」
響に答えもせず、井原は響の腕を取ってドアを開けた。
響は井原のようすが何となく変だとは思っていた。
井原は黙って駐車場まで歩き、後ろからついてきた響が助手席に座ると、らしくもなく黙りこくったまま、エンジンをかけた。
響の家の前まで来ると、井原は車を停めた。
「じゃあ、お疲れ様」
シートベルトを外した響が降りようとドアに手をかけた途端、井原がまた響の腕を掴んだ。
「井原?」
「………さっきの………違いますから」
井原は固い声で言った。
「え? 違うって何が?」
「荒川先生と俺は付き合ってなんかいないんで」
井原は吐き出すように言った。
「え…………あ、そう、なんだ」
響は井原を見つめた。
こいつらしくもなく何をそんな苦しそうな顔をしているんだ?
「響さん、告られたって、ほんとですか?」
「へ?」
響の方に顔を向けて、まじまじと見据える井原に、響はポケッとした顔になった。
「俺が? ああ、ひょっとして、寛斗のヤツのことか?」
「寛斗って、サッカー部兼ピアノ担当のあの生意気なガキのことですか?」
またらしくもない言い方で井原は怒ったように言った。
「あんなの、教師をからかって面白がってるだけだろ。誰が言ったんだ? そんなこと」
「いや、面白がってるだけとは限りませんよ? いや、いや、そんなことはどうでもいいんだ」
「どうかしたのか? 井原、何かお前変だぞ?」
響は笑った。
途端、井原は響の両肩をガシッと掴んだ。
「ずっと、響さんが好きだった。付き合ってください、俺と」
「おい、井原……お前まで人のことからかって……」
響は笑い流そうとして、井原の顔が強張っているのに気づいた。
「いい年して、からかうとかないから」
時間が止まったようなとはこういうことかなどと響は他人事のように思った。
視線を外すこともできず、井原と睨み合うように動くこともできないでいた。
あまりにも唐突で言うべき言葉もみつからない。
「なんか、もっと違うタイミングで言うつもりだったんだけど………」
井原はようやく手を離した。
「返事はすぐじゃなくてもいい。でも、マジなんで」
響はまだ身動きできずにいた。
頭も働いていない。
井原の言葉をきちんと理解できなかった。
「ゴメン、俺、下手するとこのまま響さんかっさらってどっか逃げてしまいそうなんで、すみません、とりあえず降りてください」
言われて響はようやくハッとして、慌ててドアを開けた。
「じゃあ、また明日」
響がドアを閉めると、早口で言って井原は車を出した。
車が見えなくなってもしばらく、響は門の前でそのまま佇んでいた。
響がようやく井原の告白をはっきり理解したのは、随分後になってからだった。
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