43 / 67
そんなお前が好きだった 43
しおりを挟む
「あ、もちょい右あげて、あ、そうそう!」
紀子の指示に響は額を少し上げてフックを留めた。
「あ、いいじゃん、これ、俺も欲しいな」
紀子と並んでベネチアの絵を眺めながら、響が言った。
「ちょうど浸水してる頃に行ったことがあって、でも観光客も街の人も平気で歩いてるし、俺はひざ下まで水に浸かっちまって、早々にホテルに逃げたよ」
「他にもあちこち行ったんでしょ?」
「うん、ヨーロッパ中ってくらい、あちこち演奏旅行した。冬のノルウェーとかロシアの寒さって半端なかったな」
「わあ、あたしも行きたーい」
井原の耳にそんな二人の会話が聞こえてくる。
六時を過ぎるとあまり客も来ないのだが、ドアが開いて、観光客らしき二人連れが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
元気が対応すると、紀子はそそくさと取り替えた絵と、飾り付けた絵の箱をまとめて持ち上げようとした。
「こっち持つよ。傷がつくと大変だから」
外したサムホールの三枚の絵を大事そうに響が掲げた。
二人がカウンターの奥へ入っていくと、井原は立ち上がってムッとした顔のままコーヒー代を置いた。
「よし、俺も東にヨーロッパの絵、もらって飾るぞ!」
「何をお前張り合ってんだよ」
オーダーを取って戻ってきた元気が笑う。
「紀ちゃん情報だが、既に告ったやつがいるみたいだぞ?」
続けてボソリと元気が声を落として言った。
かっさらわれる…………!
井原はまた拳を固めた。
「カウンターは殴るな」
そこへ紀子と響が奥から出てきて何やら笑い合っている。
「響さん、家まで送ります」
妙に強張った声の井原をチラリとみた響は、「ここからなら歩いても行ける……」と言いかけたが、「送ります」と井原に再度言われて、「あ、そ」と響は頷かされた。
「お代はもういただいてます」
にっこりと笑って元気が言った。
「おい、たまには俺におごらせろよ」
「行きましょう」
響に答えもせず、井原は響の腕を取ってドアを開けた。
響は井原のようすが何となく変だとは思っていた。
井原は黙って駐車場まで歩き、後ろからついてきた響が助手席に座ると、らしくもなく黙りこくったまま、エンジンをかけた。
響の家の前まで来ると、井原は車を停めた。
「じゃあ、お疲れ様」
シートベルトを外した響が降りようとドアに手をかけた途端、井原がまた響の腕を掴んだ。
「井原?」
「………さっきの………違いますから」
井原は固い声で言った。
「え? 違うって何が?」
「荒川先生と俺は付き合ってなんかいないんで」
井原は吐き出すように言った。
「え…………あ、そう、なんだ」
響は井原を見つめた。
こいつらしくもなく何をそんな苦しそうな顔をしているんだ?
「響さん、告られたって、ほんとですか?」
「へ?」
響の方に顔を向けて、まじまじと見据える井原に、響はポケッとした顔になった。
「俺が? ああ、ひょっとして、寛斗のヤツのことか?」
「寛斗って、サッカー部兼ピアノ担当のあの生意気なガキのことですか?」
またらしくもない言い方で井原は怒ったように言った。
「あんなの、教師をからかって面白がってるだけだろ。誰が言ったんだ? そんなこと」
「いや、面白がってるだけとは限りませんよ? いや、いや、そんなことはどうでもいいんだ」
「どうかしたのか? 井原、何かお前変だぞ?」
響は笑った。
途端、井原は響の両肩をガシッと掴んだ。
「ずっと、響さんが好きだった。付き合ってください、俺と」
「おい、井原……お前まで人のことからかって……」
響は笑い流そうとして、井原の顔が強張っているのに気づいた。
「いい年して、からかうとかないから」
時間が止まったようなとはこういうことかなどと響は他人事のように思った。
視線を外すこともできず、井原と睨み合うように動くこともできないでいた。
あまりにも唐突で言うべき言葉もみつからない。
「なんか、もっと違うタイミングで言うつもりだったんだけど………」
井原はようやく手を離した。
「返事はすぐじゃなくてもいい。でも、マジなんで」
響はまだ身動きできずにいた。
頭も働いていない。
井原の言葉をきちんと理解できなかった。
「ゴメン、俺、下手するとこのまま響さんかっさらってどっか逃げてしまいそうなんで、すみません、とりあえず降りてください」
言われて響はようやくハッとして、慌ててドアを開けた。
「じゃあ、また明日」
響がドアを閉めると、早口で言って井原は車を出した。
車が見えなくなってもしばらく、響は門の前でそのまま佇んでいた。
響がようやく井原の告白をはっきり理解したのは、随分後になってからだった。
紀子の指示に響は額を少し上げてフックを留めた。
「あ、いいじゃん、これ、俺も欲しいな」
紀子と並んでベネチアの絵を眺めながら、響が言った。
「ちょうど浸水してる頃に行ったことがあって、でも観光客も街の人も平気で歩いてるし、俺はひざ下まで水に浸かっちまって、早々にホテルに逃げたよ」
「他にもあちこち行ったんでしょ?」
「うん、ヨーロッパ中ってくらい、あちこち演奏旅行した。冬のノルウェーとかロシアの寒さって半端なかったな」
「わあ、あたしも行きたーい」
井原の耳にそんな二人の会話が聞こえてくる。
六時を過ぎるとあまり客も来ないのだが、ドアが開いて、観光客らしき二人連れが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
元気が対応すると、紀子はそそくさと取り替えた絵と、飾り付けた絵の箱をまとめて持ち上げようとした。
「こっち持つよ。傷がつくと大変だから」
外したサムホールの三枚の絵を大事そうに響が掲げた。
二人がカウンターの奥へ入っていくと、井原は立ち上がってムッとした顔のままコーヒー代を置いた。
「よし、俺も東にヨーロッパの絵、もらって飾るぞ!」
「何をお前張り合ってんだよ」
オーダーを取って戻ってきた元気が笑う。
「紀ちゃん情報だが、既に告ったやつがいるみたいだぞ?」
続けてボソリと元気が声を落として言った。
かっさらわれる…………!
井原はまた拳を固めた。
「カウンターは殴るな」
そこへ紀子と響が奥から出てきて何やら笑い合っている。
「響さん、家まで送ります」
妙に強張った声の井原をチラリとみた響は、「ここからなら歩いても行ける……」と言いかけたが、「送ります」と井原に再度言われて、「あ、そ」と響は頷かされた。
「お代はもういただいてます」
にっこりと笑って元気が言った。
「おい、たまには俺におごらせろよ」
「行きましょう」
響に答えもせず、井原は響の腕を取ってドアを開けた。
響は井原のようすが何となく変だとは思っていた。
井原は黙って駐車場まで歩き、後ろからついてきた響が助手席に座ると、らしくもなく黙りこくったまま、エンジンをかけた。
響の家の前まで来ると、井原は車を停めた。
「じゃあ、お疲れ様」
シートベルトを外した響が降りようとドアに手をかけた途端、井原がまた響の腕を掴んだ。
「井原?」
「………さっきの………違いますから」
井原は固い声で言った。
「え? 違うって何が?」
「荒川先生と俺は付き合ってなんかいないんで」
井原は吐き出すように言った。
「え…………あ、そう、なんだ」
響は井原を見つめた。
こいつらしくもなく何をそんな苦しそうな顔をしているんだ?
「響さん、告られたって、ほんとですか?」
「へ?」
響の方に顔を向けて、まじまじと見据える井原に、響はポケッとした顔になった。
「俺が? ああ、ひょっとして、寛斗のヤツのことか?」
「寛斗って、サッカー部兼ピアノ担当のあの生意気なガキのことですか?」
またらしくもない言い方で井原は怒ったように言った。
「あんなの、教師をからかって面白がってるだけだろ。誰が言ったんだ? そんなこと」
「いや、面白がってるだけとは限りませんよ? いや、いや、そんなことはどうでもいいんだ」
「どうかしたのか? 井原、何かお前変だぞ?」
響は笑った。
途端、井原は響の両肩をガシッと掴んだ。
「ずっと、響さんが好きだった。付き合ってください、俺と」
「おい、井原……お前まで人のことからかって……」
響は笑い流そうとして、井原の顔が強張っているのに気づいた。
「いい年して、からかうとかないから」
時間が止まったようなとはこういうことかなどと響は他人事のように思った。
視線を外すこともできず、井原と睨み合うように動くこともできないでいた。
あまりにも唐突で言うべき言葉もみつからない。
「なんか、もっと違うタイミングで言うつもりだったんだけど………」
井原はようやく手を離した。
「返事はすぐじゃなくてもいい。でも、マジなんで」
響はまだ身動きできずにいた。
頭も働いていない。
井原の言葉をきちんと理解できなかった。
「ゴメン、俺、下手するとこのまま響さんかっさらってどっか逃げてしまいそうなんで、すみません、とりあえず降りてください」
言われて響はようやくハッとして、慌ててドアを開けた。
「じゃあ、また明日」
響がドアを閉めると、早口で言って井原は車を出した。
車が見えなくなってもしばらく、響は門の前でそのまま佇んでいた。
響がようやく井原の告白をはっきり理解したのは、随分後になってからだった。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪

闇を照らす愛
モカ
BL
いつも満たされていなかった。僕の中身は空っぽだ。
与えられていないから、与えることもできなくて。結局いつまで経っても満たされないまま。
どれほど渇望しても手に入らないから、手に入れることを諦めた。
抜け殻のままでも生きていけてしまう。…こんな意味のない人生は、早く終わらないかなぁ。
六日の菖蒲
あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。
落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。
▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。
▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず)
▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。
▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。
▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。
▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。
【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる