そんなお前が好きだった

chatetlune

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そんなお前が好きだった 40

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「それよりさ、井原のヤツ荒川センセと付き合ってるって?」
 避けたい話題を振る寛斗に、響の顔は曇る。
「これで、ガチであんた口説けるよな」
 わざと響の耳元で囁いて、寛斗はサッカー部が練習するグラウンドへと走って行った。
「あいつ、まだあんなこと! これでってなんだよ!」
 イラついて響は口にした。
「お先に失礼しまあす」
 やがて口々に声をかけて一年生が出て行くと、眉根を寄せたまま、響はまだ練習を続ける瀬戸川と志田、榎のところへ歩み寄った。
「川口さんがチェロやってみたいんですって」
 瀬戸川が言った。
「やってみるのはいいけど、楽器をどうするかだよな」
 瀬戸川や志田のチェロやヴァイオリンは自前だ。
 準備室には管楽器が主で、弦楽器はない。
「親に頼んだって言ってました」
 瀬戸川が言った。
「チェロって結構するんじゃないか? 部活でやるだけならどうだろうな」
「川口さん、お母さんがこの街のセレブなんですって。だからモノにならなかったら、チェロは音楽部に寄付するそうですよ?」
 志田が言った。
「太っ腹だな」
 響は笑った。
「週末に買いに行くって言ってました」
「けど、俺は弦楽器の専門じゃないし、やっぱそっちの専門家にも来てもらわないとだめじゃないのか?」
 考え込む響に、「川口さん、自分で教室に行くみたいだから大丈夫です」と瀬戸川が言った。
「私が教えてもらってる先生、紹介しました。それに、部活内なら私ができる限り指導しますよ」
「受験生にそこまで頼めないよ」
 響は瀬戸川の発言に驚いた。
「息抜きも必要だから、毎回じゃなくてもね」
「それに、あたしも少しは役に立つかと思います」
 志田も同じ弦楽器だからと言う。
「何か俺、立つ瀬がないな」
 響は笑って、じゃあ、お願いします、と頭を下げた。
「先生、あたし、先生のピアノ、ちょっと聞きたいな」
 唐突にそんなことを榎が言い出した。
「先生、授業でもさわりとかしか弾かないし」
 高校時代は昼休みなどによく弾いていたのだが、教える立場になってから、響はこの学校でフルに曲を弾いたことはなかった。
 学校はあくまでも生徒が学ぶところだと思っているからだ。
「ショパンが聞きたい」
 志田が言った。
「先生が今弾きたいって思ってるヤツ」
 瀬戸川までが期待に満ちた目で響を見た。
「学校は生徒が主役だからな」
「今は放課後だから、いいんです!」
 三人にせっつかれて、響は仕方なくピアノの前に座った。
 エチュードの一番から三番を弾いたあと、スケルツォの三番を弾き始める。
 細かな音が目に見えぬドレープを作り広がってゆく。
 古いピアノは時折響の耳にかすかな歪みを感じさせるが、それもまた音の羅列に表情を与えていく。
 最後の音を弾いてからふうっと息をした響は、はっと我に返った。
 一瞬シーンと静まり返ったその次には、拍手と歓声が聞こえた。
「すっごーい!」
「ホンモノだーー!」
「感動です!」
「ブラボー!」
 女子三名に加えて低い声が混じっている。
「やだ井原先生、目ウルウル!」
「いやマジ、よかった~」
 いつの間に来ていたのか、泣きそうな目で井原が立っていた。
 ほんとに、こいつは。
 だから憎めないってか………。
「井原センセ、部活行ったんじゃなかったのか」
 響は本気で目尻を拭っている井原にあきれた。
「ちゃんと行ってきたさ、うん、しかし贅沢だよな、片田舎の高校の分際で専属ピアニストとか!」
「なに言ってんだか。じゃあ、もう五時過ぎたし、今日はお疲れ様」
 ショパンには思い出したくもない記憶がある。
 あの頃、かなり真剣にショパンにのめり込んでいた。
 それが、コンクールまであと数日という時に、親友と思っていたやつに階段から突き落とされた。
 もし頭でも打って死んでたら、あのやろ、殺人犯だぞ!
 いや、十分傷害罪が成立するだろうが、残念ながらあいつが突き落としたという証拠もないし、騒ぎ立てるのもあほらしかった。
 しばらくショパンを弾くのも嫌だったのだ。
 それが女子三人の何の思惑もないリクエストのお陰で今回はすんなりと弾けたことを響はありがたく思った。
「ガリレオ先生、ほんとに泣いてるし」
「でもわかる! 私もちょっとうるっときたもん」
 からかわれながら女子と井原が屈託なく笑っているのを横目に、響は戸締りをして、準備室に向かう。
「響さん、一緒にか~えろ!」
 女子たちに手をひらひらさせながら井原が言うと、「ガリレオ先生、小学生みたい!」とまた廊下から笑い声が聞こえた。
「歩きでしょ? 俺今日、車だから」
 そう言われて響はちょっと躊躇したものの、結局は頷いていた。
「そだ、元気が、何か相談ごとがあるって言ってたし、ちょっと寄って行きましょうよ」
 駐車場に向かいがてら、井原が言った。
「相談ごと? 元気が?」
 何でも自分で決めてしまいそうな元気が相談とは何だろう。
 響は首を傾げながらも、ジープのナビシートに座る。
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