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そんなお前が好きだった 38
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「皆からカンパ募って、仔猫、病院で診てもらったりして、里親探してみんな無事もらわれてった」
「よかったですね」
「井原んち、とにかくワンコも保護犬ばっか、今はどうなのかわからないが」
昔、何度か行ったことがある井原の家、家族はとにかく明るさに満ちていた。
響はあの頃も、明るさとは縁のない自分の家族と比べていた。
響には結婚とか子供とかは程遠い上、父親とは折り合いが悪いとくれば、いずれまた響はあの家を出ることになるだろう。
そしてこの街も。
わかってはいるが、もう少しこのままでいたい。
井原と一緒の空間でもう少しこのままで。
そんな響の想いをよそに、その噂を聞いたのは、二年生の一クラスの授業が終わってすぐだった。
「午後物理か。眠くなりそう」
「ガリレオセンセの授業なら午後でもOK」
「だよね、授業わかんなくても、イケメン見てれば時間が過ぎる」
ここのところ井原の噂は女子の間では学年を超えてよく耳にする。
そこへ男子の一人が割り込んだ。
女子が井原の話題ばかりで面白くないのでちょっとしたヤキモチといったところだろう。
「井原と荒川、付き合ってるってよ」
「何よそれ! 市村またウソばっか」
女子たちの猛抗議にあいながらも市村というその生徒はフンと鼻で笑う。
「斎藤のやつが夕べ見たんだってよ、塾の帰り、二人でバーから出てきてイチャコラ歩いてるの」
「ほんとにガリレオ先生?」
「うう、ほんとだったらショックぅ!」
「荒川先生、すんごく積極的だったもんね」
女子たちの悲痛な声が高くなった。
「二人でタクシーに乗って行っちゃいましたとさ」
きゃあっとさらに悲鳴のような声がハモる。
黒板の文字を消す手が止まっていたことに気づくと、思い切りガシガシ消した。
遅かれ早かれ、そうなることはわかっていたさ。
黒板消しを置くと、響は手をぱんぱんと払い、準備室に入った。
考えごとをしていたので、あっという間にガツガツと弁当を平らげた響は弁当のからをビニール袋に突っ込みゴミ箱に放ると、音楽室を出た。
そのまま音楽室にいると、また井原がひょっこり顔を出して、夕べは荒川先生とどうしたこうしたと自慢たらたら話し始めるかもしれない。
そういう無邪気なところは嫌いではないが、井原の恋バナとなれば話は別だ。
正直、聞きたい話題ではない。
響はどこへ行くともなく廊下を歩いていたが、つきあたりに図書室の文字を見つけて、ドアを開けた。
中は昼休みの生徒たちがあちこちにいて、少しさざめいている。
響は音楽の蔵書のある奥まった棚へと歩いて行った。
この学校は百年ほどの歴史があるだけあって、今は手に入らないような古い文献がきちんとおさめられている。
ついでだからイタリア歌曲の文献でも探そうとしばらくそこに留まっていると、近づいてくる足音がした。
「あら、和田くん、何だか久しぶりね」
振り返ると司書教諭の江藤が笑顔で立っていた。
「江藤先生」
「そういえば、昔はしょっちゅう、図書室に通って、何かしら読んでいたわね、和田くん」
高校の頃は、親しい友人もいない響は、授業以外の時間を持て余しそうな時、大抵音楽室か図書館で過ごしていた。
「どう? 今年の新一年生は?」
「みんな可愛いですよ。でも、どうかな、俺の在学時より今の子の方が大人な感じ」
「フフ、そうね、私の頃なんかもっと子供だった気がするわ。でも、和田くんてほんとにあの頃のままね。ぱっと見は」
「それ、音楽部の生徒にも言われましたよ。もう十年以上経っているのに、俺ってそんなガキに見えます?」
江藤はするところころと笑う。
「成長していないって意味じゃなくて、変わらないっていいことじゃない? それに前はこんな風に、打ち解けて話したりしてくれなかったでしょ? もちろん、中身はすごいってことはわかってるわよ。ロンティボーで優勝した天才ピアニストですもの」
「やめてくださいよ。天才なんかじゃないし、ロンティボーも昔の話ですって」
響は軽く否定した。
「またそんな言い方して、和田くんはもう少し自分を認めてあげた方がいいと思うわ。和田くんもちゃんと成長してるじゃない。って、あたしったら、えらそうに。それに和田くんとか、ごめんなさい、つい昔の癖で。和田先生」
江藤は言い直して、持っていた本を書棚に戻し始めた。
「いいんです。俺、未だに先生、とか、全然慣れなくて。第一、先生とか呼ばれるような人間じゃないのに。田村先生のピンチヒッターってだけで」
すると一呼吸おいて、江藤は言った。
「でも頼られてるよね? 音楽部の瀬戸川さんたちとかに。それっていいことじゃない? それに、井原くんもさすがよね、今一手に注目集めてるけど、ガリレオ先生とかって。でも和田くんも負けてないでしょ? キョー先生って、赴任直後から生徒に溶け込んだじゃない。いいことよ」
笑顔を残して江藤はカウンターの中へ戻っていった。
「よかったですね」
「井原んち、とにかくワンコも保護犬ばっか、今はどうなのかわからないが」
昔、何度か行ったことがある井原の家、家族はとにかく明るさに満ちていた。
響はあの頃も、明るさとは縁のない自分の家族と比べていた。
響には結婚とか子供とかは程遠い上、父親とは折り合いが悪いとくれば、いずれまた響はあの家を出ることになるだろう。
そしてこの街も。
わかってはいるが、もう少しこのままでいたい。
井原と一緒の空間でもう少しこのままで。
そんな響の想いをよそに、その噂を聞いたのは、二年生の一クラスの授業が終わってすぐだった。
「午後物理か。眠くなりそう」
「ガリレオセンセの授業なら午後でもOK」
「だよね、授業わかんなくても、イケメン見てれば時間が過ぎる」
ここのところ井原の噂は女子の間では学年を超えてよく耳にする。
そこへ男子の一人が割り込んだ。
女子が井原の話題ばかりで面白くないのでちょっとしたヤキモチといったところだろう。
「井原と荒川、付き合ってるってよ」
「何よそれ! 市村またウソばっか」
女子たちの猛抗議にあいながらも市村というその生徒はフンと鼻で笑う。
「斎藤のやつが夕べ見たんだってよ、塾の帰り、二人でバーから出てきてイチャコラ歩いてるの」
「ほんとにガリレオ先生?」
「うう、ほんとだったらショックぅ!」
「荒川先生、すんごく積極的だったもんね」
女子たちの悲痛な声が高くなった。
「二人でタクシーに乗って行っちゃいましたとさ」
きゃあっとさらに悲鳴のような声がハモる。
黒板の文字を消す手が止まっていたことに気づくと、思い切りガシガシ消した。
遅かれ早かれ、そうなることはわかっていたさ。
黒板消しを置くと、響は手をぱんぱんと払い、準備室に入った。
考えごとをしていたので、あっという間にガツガツと弁当を平らげた響は弁当のからをビニール袋に突っ込みゴミ箱に放ると、音楽室を出た。
そのまま音楽室にいると、また井原がひょっこり顔を出して、夕べは荒川先生とどうしたこうしたと自慢たらたら話し始めるかもしれない。
そういう無邪気なところは嫌いではないが、井原の恋バナとなれば話は別だ。
正直、聞きたい話題ではない。
響はどこへ行くともなく廊下を歩いていたが、つきあたりに図書室の文字を見つけて、ドアを開けた。
中は昼休みの生徒たちがあちこちにいて、少しさざめいている。
響は音楽の蔵書のある奥まった棚へと歩いて行った。
この学校は百年ほどの歴史があるだけあって、今は手に入らないような古い文献がきちんとおさめられている。
ついでだからイタリア歌曲の文献でも探そうとしばらくそこに留まっていると、近づいてくる足音がした。
「あら、和田くん、何だか久しぶりね」
振り返ると司書教諭の江藤が笑顔で立っていた。
「江藤先生」
「そういえば、昔はしょっちゅう、図書室に通って、何かしら読んでいたわね、和田くん」
高校の頃は、親しい友人もいない響は、授業以外の時間を持て余しそうな時、大抵音楽室か図書館で過ごしていた。
「どう? 今年の新一年生は?」
「みんな可愛いですよ。でも、どうかな、俺の在学時より今の子の方が大人な感じ」
「フフ、そうね、私の頃なんかもっと子供だった気がするわ。でも、和田くんてほんとにあの頃のままね。ぱっと見は」
「それ、音楽部の生徒にも言われましたよ。もう十年以上経っているのに、俺ってそんなガキに見えます?」
江藤はするところころと笑う。
「成長していないって意味じゃなくて、変わらないっていいことじゃない? それに前はこんな風に、打ち解けて話したりしてくれなかったでしょ? もちろん、中身はすごいってことはわかってるわよ。ロンティボーで優勝した天才ピアニストですもの」
「やめてくださいよ。天才なんかじゃないし、ロンティボーも昔の話ですって」
響は軽く否定した。
「またそんな言い方して、和田くんはもう少し自分を認めてあげた方がいいと思うわ。和田くんもちゃんと成長してるじゃない。って、あたしったら、えらそうに。それに和田くんとか、ごめんなさい、つい昔の癖で。和田先生」
江藤は言い直して、持っていた本を書棚に戻し始めた。
「いいんです。俺、未だに先生、とか、全然慣れなくて。第一、先生とか呼ばれるような人間じゃないのに。田村先生のピンチヒッターってだけで」
すると一呼吸おいて、江藤は言った。
「でも頼られてるよね? 音楽部の瀬戸川さんたちとかに。それっていいことじゃない? それに、井原くんもさすがよね、今一手に注目集めてるけど、ガリレオ先生とかって。でも和田くんも負けてないでしょ? キョー先生って、赴任直後から生徒に溶け込んだじゃない。いいことよ」
笑顔を残して江藤はカウンターの中へ戻っていった。
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