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そんなお前が好きだった 22
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いつの間にか生徒たちの間でもにゃあ助は既に人気者だ。
レッスンに来る生徒は、ほぼ中学生から高校生である。
田村先生の教室に通っていた生徒のうち引き継いだ生徒と口コミでやってきた生徒だけで、看板も掲げているわけではない。
実際、幼い子供はどう対処していいかわからないし、どちらかというと大人や上級者の方が響としては言葉が通じるのでありがたい。
一人だけ六年生の男子生徒がいるが、芸大を目指しているらしく熱心だ。
できれば中学あたりから東京の音大付属に行くことを勧めたが、家はそこまで裕福ではないので、この街で高校まで行って、芸大と私立の音大を受験するという。
ただピアノだけ弾いていればいいわけではないので、いずれは音大受験に合わせたレッスンを受けた方がいいとは生徒の親に説明している。
「予備校に行くのと同じで、希望大学に合わせた予備レッスンだよ」
響は生徒に言った。
「先生もそういうのやった?」
「高校の時な」
ただしその点、響の場合はひどく恵まれていた。
父親は口も金も出すことはなかったが、著名なピアニストである片瀬玄は亡くなった祖父の友人で、この街に山荘を持っていてよくそこに来ていたため、響は中学の頃から片瀬にレッスンを受けていた。
費用は祖父がどれだけでも惜しまず出してくれていた。
片瀬は響の出身大学の名誉教授でもあり、響をウイーンに留学させたのも片瀬だ。
だが、祖父より半年早く、ニューヨークでこの世を去っている。
響のピアノを愛してくれた一人だ。
だが、もっと自由にやれ、が、いつも片瀬が響の顔を見ると口にしていた言葉だ。
ある程度まできたら、レッスンもああしろこうしろとは言わず、まあいい、が口癖だった。
なかなか、いい、とは言わない人だった。
「先生は教えてくれないの?」
「大学によって受験の仕方も変わるし、俺はピアノバカだから、ピアノ以外はダメだな」
それに田村が復帰すれば響はお払い箱になるかもしれない。
というより、この地でそれ以上やれるかどうか今の響にはわからなかった。
井原の出現には動揺したものの、わだかまりもなく話すことができて、響は嬉しかった。
だが再三、自分にも言い聞かせているように、今の井原は、響の知っているかつての井原ではないのだ。
例え同じ学校に通っているとしても、モラトリアムの中に戻れるわけではない。
放課後、井原は毎日のように音楽室に顔を出すのだが、なんのかのと言いつつも、いつの間にか井原が来るのを待っている自分がいる。
今頃井原は何年生を教えているんだろうなどと、授業中もふと考えてしまうこともある。
ただ、このままそんな付き合いが続いて行けばいいと思っても、そうはいかないだろう。
例えば荒川だ。
でなくても他の誰かでも、井原に恋人ができた時、つらくなるだろうことは目に見えている。
井原はもう昔の井原ではないにもかかわらず、響の思いだけはあの日のままだ。
それにしてもこんな状況はいくら響でも想定外だった。
母校でしばらくのんびりやってみればいいか、くらいなものだったのに。
今更だが、何だって井原は今、このタイミングでこんな田舎に戻ってきたんだ。
まあ、ひとそれぞれいろんなワケがあるのだろうが。
あんまり面倒な人間関係には巻き込まれたくはない。
そんなことを思っていても、飲みに行こうと誘われれば、無暗に断るわけにもいかないだろう。
もうヤマアラシではいられない。
学年は違っても同じ高校で同じ時間を過ごした仲間たちでもある。
それでも、昔語りは最初だけのことだ。
「わり、遅くなった!」
大きな声に、元気と東、それに響が振り返った。
教師というスーツを脱いで、シャツにデニムパンツで現れた井原は、四人掛けのテーブルに空いている響の隣にすとんと腰を降ろした。
「井原さ、アメリカでメチャ巨大になったよな」
タンクトップにシャツを羽織った元気が一人分の椅子では窮屈そうな井原を見て言った。
「お前こそ、なんか、芸能人的オーラがムンムンしてるぜ? 何その色気」
「こいつは昨日、豪が……」
もそもそと言いかけた隣の東の脚を元気が蹴った。
「GENKIのメンバーが来たり、電話でしょっちゅう元気をバンドに戻したがってるしね」
めげずに東は言った。
「へえ、戻るんだ?」
「戻るかよ」
何の気なしに聞く井原に元気は軽く返した。
そこへスタッフが注文を取りに来たので、井原がみんなのリクエストをまとめて注文した。
「たまに参加してやればいいんじゃね? バンド」
スタッフが去るなり、井原が提案した。
レッスンに来る生徒は、ほぼ中学生から高校生である。
田村先生の教室に通っていた生徒のうち引き継いだ生徒と口コミでやってきた生徒だけで、看板も掲げているわけではない。
実際、幼い子供はどう対処していいかわからないし、どちらかというと大人や上級者の方が響としては言葉が通じるのでありがたい。
一人だけ六年生の男子生徒がいるが、芸大を目指しているらしく熱心だ。
できれば中学あたりから東京の音大付属に行くことを勧めたが、家はそこまで裕福ではないので、この街で高校まで行って、芸大と私立の音大を受験するという。
ただピアノだけ弾いていればいいわけではないので、いずれは音大受験に合わせたレッスンを受けた方がいいとは生徒の親に説明している。
「予備校に行くのと同じで、希望大学に合わせた予備レッスンだよ」
響は生徒に言った。
「先生もそういうのやった?」
「高校の時な」
ただしその点、響の場合はひどく恵まれていた。
父親は口も金も出すことはなかったが、著名なピアニストである片瀬玄は亡くなった祖父の友人で、この街に山荘を持っていてよくそこに来ていたため、響は中学の頃から片瀬にレッスンを受けていた。
費用は祖父がどれだけでも惜しまず出してくれていた。
片瀬は響の出身大学の名誉教授でもあり、響をウイーンに留学させたのも片瀬だ。
だが、祖父より半年早く、ニューヨークでこの世を去っている。
響のピアノを愛してくれた一人だ。
だが、もっと自由にやれ、が、いつも片瀬が響の顔を見ると口にしていた言葉だ。
ある程度まできたら、レッスンもああしろこうしろとは言わず、まあいい、が口癖だった。
なかなか、いい、とは言わない人だった。
「先生は教えてくれないの?」
「大学によって受験の仕方も変わるし、俺はピアノバカだから、ピアノ以外はダメだな」
それに田村が復帰すれば響はお払い箱になるかもしれない。
というより、この地でそれ以上やれるかどうか今の響にはわからなかった。
井原の出現には動揺したものの、わだかまりもなく話すことができて、響は嬉しかった。
だが再三、自分にも言い聞かせているように、今の井原は、響の知っているかつての井原ではないのだ。
例え同じ学校に通っているとしても、モラトリアムの中に戻れるわけではない。
放課後、井原は毎日のように音楽室に顔を出すのだが、なんのかのと言いつつも、いつの間にか井原が来るのを待っている自分がいる。
今頃井原は何年生を教えているんだろうなどと、授業中もふと考えてしまうこともある。
ただ、このままそんな付き合いが続いて行けばいいと思っても、そうはいかないだろう。
例えば荒川だ。
でなくても他の誰かでも、井原に恋人ができた時、つらくなるだろうことは目に見えている。
井原はもう昔の井原ではないにもかかわらず、響の思いだけはあの日のままだ。
それにしてもこんな状況はいくら響でも想定外だった。
母校でしばらくのんびりやってみればいいか、くらいなものだったのに。
今更だが、何だって井原は今、このタイミングでこんな田舎に戻ってきたんだ。
まあ、ひとそれぞれいろんなワケがあるのだろうが。
あんまり面倒な人間関係には巻き込まれたくはない。
そんなことを思っていても、飲みに行こうと誘われれば、無暗に断るわけにもいかないだろう。
もうヤマアラシではいられない。
学年は違っても同じ高校で同じ時間を過ごした仲間たちでもある。
それでも、昔語りは最初だけのことだ。
「わり、遅くなった!」
大きな声に、元気と東、それに響が振り返った。
教師というスーツを脱いで、シャツにデニムパンツで現れた井原は、四人掛けのテーブルに空いている響の隣にすとんと腰を降ろした。
「井原さ、アメリカでメチャ巨大になったよな」
タンクトップにシャツを羽織った元気が一人分の椅子では窮屈そうな井原を見て言った。
「お前こそ、なんか、芸能人的オーラがムンムンしてるぜ? 何その色気」
「こいつは昨日、豪が……」
もそもそと言いかけた隣の東の脚を元気が蹴った。
「GENKIのメンバーが来たり、電話でしょっちゅう元気をバンドに戻したがってるしね」
めげずに東は言った。
「へえ、戻るんだ?」
「戻るかよ」
何の気なしに聞く井原に元気は軽く返した。
そこへスタッフが注文を取りに来たので、井原がみんなのリクエストをまとめて注文した。
「たまに参加してやればいいんじゃね? バンド」
スタッフが去るなり、井原が提案した。
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